光の道 | ナノ
アニと霧雨 [ 127/167 ]

(11巻、エレンの回想の対人格闘訓練にてミカサVSアニの勝負後の話)



「アニ………………。ち、近いわ。」



ふと。医務室のベッドの上で目を開いたエルダは、眼前すぐに迫っていた端正な顔をぼんやりと見つめながら零した。


………しばらくの間。エルダとアニは、そのままの姿勢で見つめ合う。



やがて、アニはゆっくりと身体を起こした。それに合わせて、エルダもまたベッドからもそりと起き上がる。



………医務室の中は薄暗かった。

それは、もう良い時間となって日が傾いている事と、先程から薄く降り始めた雨に起因している様である。




「もう…、大丈夫なのかい」


アニはベッドの傍の椅子に腰掛けながら尋ねてくる。


エルダは…少しの間、雨の音に耳を澄ました後に「勿論よ」と淡く笑った。



その様をアニは無言でじっと見つめた後、何かを言いかけて再び口を噤む。


エルダは彼女が言わんとしている事を感じ取ったのか、「気にしなくて大丈夫よ」と言ってはアニの掌を軽く握ってやった。



「いや………でも。………ごめん。」


それを握り返しながら、ようやくアニは小さく謝罪の言葉を漏らす。



「やだ、気にしないで。自分の実力も考えないまま貴方たちの間に割って入ろうとした私に責任があるわ。」


最初からライナー辺りに頼めば良かったのよね、とエルダは可笑しそうに笑った。



……………数時間前。対人格闘の訓練にて…ミカサとアニの戦いの火蓋がまさに切って落とされた瞬間。


遠くにいた為、その時になってようやく状況を認識したエルダは…これは大変、彼女たち程の実力者がぶつかればお互い無傷ではいられないだろう…と後先考えず二人を制止しようと渦中に飛び込んでしまったのである。



勿論、大して対人格闘術に秀でているという訳では無いエルダはその数分前のライナーよろしく弾き飛ばされ…結果、地面に頭を殴打。


尊いエルダの犠牲によってミカサとアニの仁義なき戦いが収拾したのは良かったが、ライナーとは身体の作りがまるで違う彼女は呆気なく気絶し……現在に至るのである。



「それで………。もう、仲直りはしたの?」


尚も心配そうにするアニに対してエルダは一際明るい声で尋ねた。



「…………仲直りも何も。別に最初から喧嘩をしていた訳じゃないよ。それに話を持ちかけて来たのは向こうだ。」


それによってアニを取り巻く焦燥の空気は和らいだが…今度は逆に、不満そうな口ぶりになる。

まるで子供が言い訳をしている時の様だ。



「そう?でもそれにしても挑発したら駄目よ。
ミカサはエレンの事になるとまるで猪みたいに周りが見えなくなるんだから…出来るだけ落ち着かせて…無事、森へお帰り頂ける様にしないとね。」


「あんた…結構失礼な事言ってる自覚ある?」


「どうかしら。」



うふふ、とエルダは口元に手を当てて笑った。………この分ではもう身体の具合は平気そうである。



「それにね、私たちの方がちょっとばかりお姉さんなんだから。少し譲歩してあげないと」


ね、とエルダは言い聞かせる様にアニの顔を覗き込んだ。




その間も、雨は穏やかに鳴りながら夕刻の空気を横切って行く。



…………お互い黙っていたので、その音はより鮮明に部屋の中で木霊していた。



「もう秋ねえ……」


エルダは雨音に誘われる様に窓の外へと目を向ける。……少しだけ開いたそこからは湿って冷たい空気が流れ込んで来た。


日が沈みかけ、薄闇となった硝子越しの空はエルダの言う通り秋になり切っていた。

みずみずしくふくらみ、はっきりした輪廓を描いて白く光るあの夏の雲の姿はもう見られない。

薄濁った形のくずれたのが、ささくれだって、紫色の空のここかしこに屯していた。

………年月が過ぎつつあるのが明らかに思い知られる。


アニもまたつられる様に、先程から長い間ぼんやりとその様を眺めていた。


そして…ふと、自らが腰掛けた椅子の脇に据えられた机に…雨に濡れている事から少し前に外から持ち込まれたのが分かる…コスモスの花が数輪、無彩色の医務室の中で火が灯った様に生けられているのに視線を送る。



「…………ミカサがね。お見舞いに持って来てくれたのよ。」


あの子が花を摘んでくれるなんてちょっと意外よね、と言いながらもエルダはコスモスの濃い紅色の花弁に軽く触れた。


彼女のひどく嬉しそうな表情に、アニは胸の内に言い知れぬ不満を感じる。

………それを感付かれない様に、ひとつ、咳払いをした。



「ふうん……。最近仲良いんだね、ミカサと。」


しかし、口から出た声色は自分で想像した以上に卑屈そうである。



エルダはアニの心意を知ってか知らずか「そうね、前より話す様になったかも…。」と穏やかに応えた。



…………少々アニを取り巻く空気は険悪になる。

それに気が付いたエルダはくすりと小さく笑ってはコスモスの花を一輪、彼女の胸ポケットに差してやった。



「あの子も中々に可愛いところがあるのよ。……仲直りがまだなら、今度思い切って話かけてみると良いわ。きっと仲良くなれる筈よ。」


自分の胸に収まったコスモスへと視線を落としながら、アニは「……私はあんたみたいに、人の心に付け入るのがうまく無いんだよ。」と不機嫌そうに漏らす。

………紅色の中心、芯は光っているかの様に眩しい黄色だった。


「あらあら、人聞きの悪い事言っちゃ嫌よ。」

エルダは少しだけ困った様に眉を下げるが……その実、全く困っていないのだろう。

それは…相変わらず緩やかに細められた瞳からよく理解する事ができた。




………雨はしっとりとした音を立てて夜を導く様に降って来る。


エルダは、アニの胸ポケットにさしたコスモスを、今度は彼女の細やかな金髪に飾ってみせた。



「あらかわいい」



それは……想像以上にエルダの気に召したらしい。彼女は嬉しそうに何度か「かわいいわ」と繰り返す。


アニはただ黙って自分の膝頭を見ていた。…………なんとなく、自分の幼稚な焼きもちに嫌気を感じながら。




「……………雨ねえ。」



何も言わないアニの頭を一度そっと撫でては…エルダは再び窓の外へと視線を向ける。


空気に夜が混ざり…深くなった草木の緑がしっとりと濡れて光っていた。



「不思議ねえ。見慣れた景色なのに雨の日だと少し違って見えるのね。」


エルダはアニの応えが無い事を特に気にしていないようである。

ゆっくりとした口調で独り言の様に言葉を紡いで行く。



「もう私たちは兵士になって一年と少し経つのに……ここで理解していた事ってほんの少しだけなのよね…」


つくづく毎日発見だわ、とエルダは何かを悟った様にうんうん、と頷いた。


そして…横目で、未だに髪に濃紅の花をつけた友人を眺めながら「アニに対しても最近いくつか素敵な発見があったし…」と口角を僅かに持ち上げては幸せそうに言う。


…………彼女の言葉にアニが訝しげに視線を送ると、エルダは聞いてもいないのに「まず、コスモスの花がこんなにも…想像以上に似合う事でしょう?」と解説を始めた。

思わずアニは頭からコスモスを毟る様に取り去っては花瓶に戻す。


それを見て、エルダは「あら勿体ない、みんなに見せてあげたかったのに」と残念そうにした。




「あともうひとつは……エレンと一緒にいるとなんだかとってもかわいく見える事かしら?」


……………次に彼女の口からまろび出た言葉に、アニは軽く固まってしまう。



「…………………は?」



少しして……目一杯の訳が分からない、を一音に乗せて口から吐き出すアニ。


エルダは何を勘違いしているのか、「あら、照れちゃった?」と尋ねてくる。


(いや……何頬染めてるの。意味不明なんだけど。)




「………………あんたは。こういう事になると恐ろしく鈍ちんの上に天文学的に救いようの無い阿呆になるね。」


「え、なんのこと?」




エルダはアニのこっぴどい罵倒に対して実に楽しそうに応える。

…………アニはこの時初めて、エルダの笑顔へ殺意に近い何かを感じた。



「まあまあ、そう目くじらを立てないの。……そこにどんな思いがあるにせよ、仲良しになるのは良い事だわ。」


「別に私はあの死に急ぎ野郎と仲良く無い…」


「あらそう。でもこの事前にライナーに話してみたら少しだけ泣きそうになりながらお赤飯を炊くって…」


「待って。待って。脳筋と脳胸で話を勝手に進めないで。」


「…………の、のうむね?」


エルダは心外だと言わんばかりに自分の胸元に手を当てた。


それから…何が可笑しいのか、また小さく笑顔を浮かべて窓の外を眺める。




…………話していく内に、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。


日が沈むのも、あっという間である。涼しい空気は何処か寂寞として、甘い匂いがした。




「…………身体もよくなったし、そろそろ戻ろうかしら。」


具合を見に来てくれてどうもありがとう。と言いながら、エルダはベッドから抜け出しては床に置かれた靴を履く。


そして…脇に据えられた花瓶からコスモスを抜き出した。…………持ち帰るらしい。



「………花瓶ごと持って行った方が良いんじゃないの。」

枯れるよ、と呟きながらアニはゆっくりとエルダの隣に立つ。


「良いのよ。……寮には花瓶を置くところなんて無いもの。それよりも押し花にしてまた栞にするわ。」

折角ミカサがくれたんだものね。と嬉しそうにしながら彼女は医務室の出入口に向かって歩み出した。

………その際に、空いている方の手でアニの掌を引いて行くのを忘れずに。




手を繋いで歩きながら………アニはまたしても胸中に嫌なものが広がるのを感じていた。




(ミカサが、花を………)


エルダが言う通り、意外な組み合わせである。

……普段脳内がエレンと筋トレしかない彼女には珍しく気を使っての差し入れだろう。一応……責任を感じているのか。


(ミカサも……きっと。エルダの事を、悪くは思っていない。)


そしてエルダはミカサを可愛いと言う。

………可愛い?私に対してもよく言うけれど、奴の可愛いの基準はよく分からない。



(仲が良くなるのは………良い事か…………。)



…………………。そうかな。私はそうは、思えない。



ミカサとエルダの距離が近付いていると思うと、身体の内側がざわざわしてどうにも落ち着かない。



そして。逆にエルダは、私とあの死に急ぎの距離が近付く事に何も思ってくれないのだろうか。



(…………不公平。)



「アニ、次のお休みは久しぶりに街に行きましょうよ。私…寒くなって来たから羽織るものが一枚欲しいのよ。」


貴方に見立てて欲しいわ、とエルダのしっとりした声がする。



…………アニは応えない。代わりに、精一杯掌を握り返してみせる。



「あらあら、痛いわよ」と応えて、エルダは幸せそうにした。



もっと痛くしてやる、と思って……アニは、握る力を更に、強くする。



進撃面白いです様のリクエストより
原作11巻にあった対人格闘訓練のミカサVSアニの勝負後の話で書かせて頂きました。


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