光の道 | ナノ
君がいない場所 01 [ 109/167 ]

……………朝、目が覚めるのが毎日憂鬱だった。



瞳を開けると、馴染みのベッドは遥か彼方遠くに、何故か僕は床に寝そべって寝ていた。



(僕………どうしてこんなとこで寝てるのかな。)



固い床に横たわっていた所為で体の節々が痛く、首筋がじんと痛む。



…………何故か僕は、夜寝たときと朝起きた時の体勢が大いに異なる事があるのだ。これは小さい頃からの不思議である。



……………まあ、それは良いとして。もう起床時間はとっくに過ぎていた。

周りのルームメイト達も朝の身支度を始めている。



僕もようやっと身を起こして辺りをぐるりと見渡した。

…………そこにはいつもと変わらぬ慌ただしい朝の風景が広がっている。



(……………食堂。行きたく無いなあ…………)


それどころか、訓練場に赴く事さえ億劫だった。だって………そこにはエルダの姿が無いから。



だがそうも言ってられない。僕は嫌々ながらも、着ていた寝間着に手をかけた。







「じゃーん!!!」


ベルトルトが食堂へと足を踏み入れると、サシャが朝から元気にユミルとクリスタに何か…紙状のものを見せていた。

眩いばかりの笑顔である。パンの食べ放題券か何かだろうか。



「エルダからお手紙もらっちゃいましたー!!!」



しかし、彼女の次に続いた言葉にベルトルトの歩みはぴたりと止まる。………今、何て言った…………?



「ええ、何でサシャにだけ?私には来てないよ…?」

クリスタがひどくショックを受けた様に言う。


「ふっふーん。私はエルダに絶対手紙書いてねって言ったんです!何事にも根回しが大事なのですよ!!」

人差し指を1本立ててゆらゆらしながら得意そうに言うサシャの頭をユミルがひっぱたく。


「な、なにするんですか!?」とサシャが涙目になりながら問えば、ユミルは「何かムカついた」と寝起き独特の不機嫌そうな低い声で返答した。



「………で。内容は何だ。とっとと見せろ。」


ユミルが掌をサシャにずい、と突き出しては凄んでみせる。サシャはその迫力に思わずたじたじとしてしまってしまった。



「だ、駄目ですよ!これは私がエルダにもらったもので………」

「んーなの知るか。おら、貸せよ」

「ああ!!」


サシャの掌から取り上げられた生成り色の手紙はユミルの長い腕によって高くに持ち上げられ、最早サシャが取り戻す事は不可能となった。



「………ユミルも、何だかんだ言ってエルダを心配してるんだね。」


その様子を見ながら、クリスタがぽつりと呟く。



「はあ!!??」


彼女の一言にユミルは恫喝にも似た返事をした。それに臆する事無く…むしろ少しだけ楽しそうにクリスタは続けて行く。



「だってユミル。エルダがいなくなってからずっと、なんだかぼんやりしちゃって。」


「ねーよ!!私はな、あの澄まし顔がいなくなって丁度せいせいしてるとこなんだ。詰まんねえこと言うな。」


そう言いつつもユミルがエルダの手紙から手を離す気配は無い。

頬が徐々に色付いて行くのも気の所為では無いだろう。



……………そんな女子三人が話す光景を、ベルトルトは全身を目と耳にしてしっかり頭に焼き付けようとしていた。



そうか…………。手紙。………そういう手もあったか。



何かを思い付いたベルトルトは、ふらふらと女子三人が姦しく書簡を開封しているところへと近付く。


気配を消して、息を殺し、気付かれない様にして、三人の背後からエルダの手紙を覗き見ようとした。


サシャとクリスタの頭の間から、見慣れた少々細長い文字が見え隠れする。


それだけでベルトルトの心臓は破裂しそうに鼓動した。

そしてその位置から一歩も動かず、彼女たちの頭髪の隙間から覗く生成り色の紙へと全身の注意を集める。


が、文字は所々確認できるのだが、どうしても文章を通して読む事ができない。


すぐ近くに大好きな人からの言葉があるのに、全くそれを理解できない。そのジレンマがまた彼にとっては一層堪え難く思えた。



「おい……何見てんだ、このスケベ野郎」


が、そのジレンマもドスの効いたユミルの声とこちらを強くねめつける彼女の双眸によって終わりを告げる。

背後のベルトルトの存在に気が付いたクリスタとサシャもまた、驚いた様に振り返って彼の事を見つめた。


「い、いや……。僕は。別に」


しどろもどろになりながら弁明しようとするベルトルト。

しかし状況から彼が手紙の内容を盗み見ようとしていたのは明らかであり、言い逃れができる様ではなかった。



「あ、あの………その。………ご、ごめん!!!!」


「あっ、こらてめえ逃げんな!」


六つの瞳にじっと見られる事に耐えきれなくなったベルトルトは、謝るが早いが、一目散に食堂から逃げ去る事にした。



………これは、訓練が始まるまで隠れていた方が良いだろう。朝食は抜きになってしまうのは苦しいが、いた仕方あるまい。







(……………ひどい目に合った。)



自業自得とは言え、生来注目を浴びる事をあまり得意としないベルトルトにとってこの出来事は日頃の過酷な訓練よりもずっと厳しいものだった。


溜め息をひとつ吐いて、まだ誰もいない訓練場から少し離れた場所にある楠の根元に腰を下ろす。



…………ベルトルトは、この場所が好きだった。



何故ならここに来ればエルダに会える可能性が高かったから。



…………優しくて。本が好きで……頭が良い。体を動かすのは少し苦手。


声は高すぎず低すぎず。話し方はゆっくりとしている。


小さな仕草や、周りを取り巻く空気が全部穏やかで、すごくしっかり者………けど、時々びっくりする様な所で失敗をするから放っておく事ができない。



そんな僕が大好きな女の子は………今、何処の誰とも知らない男とお見合いをしている。



その事実に思い当たると、胃の辺りから良い知れない怒りと悔しさがこみあげてきた。



お見合い………?そんな一回や二回会っただけの男にエルダの何が分かる。



僕の方がずっとずっとエルダの事を理解している筈だ。


当たり前だろう?


どれだけ僕があの子の事を見て来たと思ってる。



胸の内に静かな憤りの炎が燃えるのを感じて、ベルトルトは下唇をぎゅっと噛む。痛みはあまり気にならなかった。



(手紙…………)



そう、手紙という手があったのだ。先程の騒動の最中、封筒に書かれた差出人の住所はもうしっかりと頭の中に叩き付けてある。



ベルトルトは膝を抱えて瞳をぎゅっと閉じた。すると、ふわりとした彼女の香りと一緒にその象徴と言って良い、優しい薄緑の瞳が思い起こされる。

今はそれを瞼の裏に描くだけで体中が心臓になったかの様に拍動が高なった。


「…………エルダ。」


小さな声で名前を呼ぶとそれに拍車がかかる。



「大好き……。」



今の彼の中にあるのはその言葉だけだった。体中から振り絞る様にして一声零すと、堪らなくなる。



……………僕の声で、何かが変わるとは限らない。……今までの経験で言えば、変わらない事の方がほとんどだ。


でも………今回だけは。


今回だけは……………。



エルダ。お願いだから帰って来て欲しい………………。


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