三年目の夜に 01 [ 94/167 ]
茹だる様な天気だった。
まるで月日をふた月程速めた様な……そんな、初夏と言うには暑過ぎる日の夕刻。
日は鮮やかな緑の山の端に近寄って茜色の光線を吐き始めると、末野はすこしずつ樺の木の影を加えて、遠くの空も、毒でも飲んだかの様にだんだんと紫になり、原の果てには夕暮の蒸発気がしきりに逃水をこしらえている。
「兵士諸君、注目!!」
よく通る教官の声に、休めの姿勢を取っていた訓練兵たちが顔を上げる。あまりの蒸し暑さに、皆額から汗を滴らせていた。
「………シガンシナの悲劇から本日で丁度3年が経過する。」
兵士達は汗を拭う事もせずに、朗々たる言葉に耳を傾ける。眉を顰める者、目を伏せる者、無表情の者……思い思いの感情を僅かに滲ませながら。
「件の事件は広範に及び、極めて多くの尊い命を奪うと共に国民生活に多大な影響を及ぼした未曾有の大災害であった。」
そんな中、ライナーはただただ背中に汗が伝うのを不愉快に感じていた。どういう訳だか掌も嫌な種類の熱を孕み、じんとした感覚を身体に伝える。
「また本日は、国難の際に、国を守る為に尊い生命を捧た英霊に対し敬意を払い、感謝する日でもある。兵士としての務めを体現した彼等に捧げるべき感佩は計り知る事はできない。」
ふと隣に立つ女性……エルダに視線を向けると、やはり彼女も球の様な汗をこめかみから首筋へと滴らせている。
しかしどういう訳だか………表情だけはいつもと変わらず、柔和で穏やかだった。
「それではここにウォール・マリア崩壊時に犠牲となられた兵士、そして国民に対し追悼の意を表すると共に、心からの冥福を祈る為に一分間の黙祷を捧げる。黙祷!!」
一際大きな声で黙祷の号令がかかると、訓練兵たちは自然と皆敬礼の形を取る。
ライナーも…そして隣のエルダもそれに倣い、そっと左胸に拳を当てた。
ライナーはもう一度……彼女の方へ視線を向けるが、やはりエルダは穏やかに微笑っているだけである。その下に流れる感情の動きまでは……読み取る事はできなかった。
やがてエルダはそっと瞼を下ろして目を閉ざす。薄緑の瞳は完全に隠れ、いよいよ彼女の思考は分からなくなった。
…………これ以上は仕方無いと思ったライナーもまた、同じ様に目を閉じる。薄い瞼を通して、焦げ付く様な西日が赤黒く瞳に映る。
実に静かだった。
広い訓練場の兵士たちの一斉の黙祷、この時のしばしの間のシンとした光景――ライナーはまるで別の世界を見せられた様な気がした。
やがて、「直れ」の号令と共に兵士達は敬礼の形を解く。
それぞれ何を感じ、何を祈ったのか。
そして隣の女は一体何を思っていたのか――――
知らない方が、良いのかもしれない。
敬礼を解いた後もやはりエルダはあくまで優しい表情をしていた。
どういう訳だかそれが見ていられなくて、ライナーはそっと地面に視線を落とす。
――――今日は、本当に暑い日だ。
土の上には、乾涸びた蚯蚓の周りに黒々とした蟻が夥しく集っている。
その光景にひどく不吉な何かを覚え、ライナーはもう一度目を閉じた。
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