雨が降る日は屋根の下で 01 [ 117/167 ]
(同郷トリオと一緒(逆)シリーズ)
じっ……………。
そんな音が聞こえてきそうな程である。
エルダは…自分の背中に強い力で何かを訴え続けているであろう人物へと向かって、恐る恐る…と言った体で振り向く。
……………やはり。そこには、顔を半分だけ扉の隙間から覗かせて、零れ落ちそうな程大きい真っ青な瞳でこちらを眺めている一人の少女がいた。
「…。クリスタ、どうしたの?」
声をかけると、ささっと彼女は扉の向こうへと姿を隠してしまう。
……………。少しの、間。
そしてまた…クリスタは、ゆっくりと顔半分を覗かせては、こちらの様子をじっと伺う様に探っている。
(…………………。)
エルダは…今の状況に少々困ってしまい、ひとまずもう一度、「何かあったの?」と尋ねる。
クリスタは、何も応えない。
そこでエルダはどうしたものかと顎に軽く手を当てる。…後、ひとつの考えに思い当たった。
…………何とも言えぬ可愛らしさを感じて、エルダは淡く微笑む。
「お母さんなら夕方に迎えに来てくれるわ。それまでこの家で好きに遊んでいてね。」
……………また少しの間の後、クリスタは一度、こっくりと首を縦に振る。
ようやく示してくれた反応にエルダは目を細めてから、「さ、下の階で皆と遊んでいらっしゃい。」と促した。
そして腰掛けていた回転椅子をぐるりと元の位置に戻し、再びパソコンへと向かう。
だが……問題は解決したかの様に思えたが、未だエルダの背中に突き刺さる視線は途絶えてくれない。
不思議に思ってもう一度後ろを振り向くと…今度は扉の影に隠れる事をしなかった顔半分のクリスタと、ぱっちりと目が合った。
「…………………。」
「…………………。」
しばし見つめ合う、二人。
エルダはどうしたら良いかまたしても分からなくなり、首を少しだけ傾げるが…やがて、「…………こっちに、来る?」と試しに呼びかけてみた。
クリスタは、何かを躊躇う様に扉の縁をきゅっと掴む。その状態で、数分。……辛抱強く待ち続けるエルダ。
やっとの事で……クリスタは意を決した様に、そろりとエルダの自室へと足を踏み入れる。
それからゆっくりゆっくりと部屋の主が腰掛ける作業机の近くまでくると、その端に指をかけて、じっと文字が羅列されているパソコンの画面を覗き込んだ。
ベルトルトたちよりひとつだけ学年が下のクリスタ。しかし…非常に小柄である為、少しだけ背伸びをしなければ机の上のモニタを眺める事はできない。
(…………可愛い。)
その仕草に得も言われぬいじらしさを感じて、遂々観察してしまうエルダ。
それに気付いたのか、クリスタはパソコンからこちらへと、不思議そうに視線を移しては見上げてくる。
「……………面白い?」
そう言ってパソコンを示せば、彼女は「……よく、分からない。」と零した。
(まあ、それはそうよねえ。)
エルダは苦笑すると、「私は仕事を続けるから、気が済むまでこの部屋にいれば良いわ。」と彼女の金色の髪を撫でた。
細く艶やかである。………同じ色でも、アニのものに比べて柔かだった。
………………しかし。クリスタは一向に机の傍から離れる気配が無い。
それどころか、エルダの一挙一動をその大きな瞳で追ってくる。
キーボードを叩く、マウスを移動させる、マグカップに入ったコーヒーを飲む。…全て、食い入る様に眺めてくる。
相も変わらず机の端にちょこんと桜色の爪がついた細い指を沿えてこちらを見上げる姿は…その、中々に、気になった。
「な、なにかしら………。」
流石のエルダもこれでは仕事にならないと思ったのか、クリスタに向き直っては尋ねる。
彼女は相変わらず無言である。…けれど、何も答えない代わりに、掌をそろそろと伸ばしてエルダの白いシャツの裾を弱く掴んだ。
「………………………。」
「………………………。」
今度は逆に、エルダの方がクリスタをじっと眺めた。…彼女の頬は、徐々に桃色に染まって行く。
その様子を見て…エルダはおもむろに一度笑っては、彼女の軽い身体を抱き上げて自身の膝へと乗せた。
よくベルトルトにやってやるが故に、その一連の動作は慣れたものである。
膝の上で更に赤くなっていくクリスタの頭を数回撫でてから、エルダは上機嫌に仕事を再開した。
……………しばらく、部屋は静まり返り…エルダが作業する音だけが響いていたが、やがてクリスタが少しずつ小さく話し出す。
エルダは可愛らしい声に相槌を打ちながら、いつもよりゆっくりとした速度で仕事を進めて行った。
*
……………少しした後、また、後ろから何かを訴えかける視線が。
エルダが膝に乗せたクリスタごと後ろへぐるりと椅子を回転させれば、先程より高い位置から…同じ様に顔を半分だけこちらを覗かせて中を覗いている青い瞳の人物が。
「アルミン、どうしたの?」
彼は、エルダの膝の上にちんまりと腰掛けるクリスタに少々面食らった様だが…そろりと身体を扉の隙間から現しながら、「いや……クリスタどこに行っちゃったのかな、って思って…。」と呟く。
どうやら、声をかけるタイミングを見計らっては上手く行っていなかったらしい。その口調は少々吃っていた。
「あらあら、面倒見が良いのねえ。流石学級委員長さん。」
エルダは偉い偉い、とアルミンに笑いかける。彼は照れた様にはにかんだ後、「いえ…そんな大した事ではないです…」と零した。
小学生にしては随分と礼儀正しい彼の態度に、エルダは感心した様にする。彼のお爺様の教育の賜物だろうか。
一方アルミンは、書籍が積み上がったエルダの部屋の中を、興味深そうに見回しては…何処か、落ち着き無くそわそわと…いや、うずうずかな…としている。
「………本が好きなの?」
その瞳の中に好奇心を感じ取ったエルダが尋ねると、彼は何処か恥ずかしそうにしながらも「は、はい。」と笑顔で答える。
………身近に自分と同じに本が好きな人間がいなかったエルダは何だか嬉しくなり、「それなら好きなだけ読んで行って頂戴。」と本棚から溢れ出ている書籍たちを瞳で示す。
彼女の提案に、最初は戸惑いがちにしていたアルミンも誘惑には堪えきれなかったのか、そろりと一冊の本に手を伸ばしては中身を吟味し始める。
…その真剣な面持ちに、自分の幼少時代を眺めている様でこそばゆい気持ちになったエルダは、少しだけ彼の事を観察してしまった。
ふと…視線を自らの膝に下ろすと、クリスタが何処かつまらなそうにしていたので、機嫌を取る様に一度抱き締めて、頭をぽんぽんと撫でてやる。
またしても赤くなってゆくクリスタの反応を満足そうにしてから、エルダは仕事の続きに取りかかった。
…………やがて、本を選び終えたらしいアルミンがエルダの机の脇に立つ。
視線はモニタを見つめたまま、エルダは「なあに?」と優しく問い掛けた。
「いえ…あの。ここで、読んで良いかなって……。」
やや恥ずかしそうにしながらの慎ましい質問に、エルダは思わず笑ってしまいそうになりながら「どうぞどうぞ」と快く承諾する。
それから壁に立てかけてある簡易椅子を指し示し、「あれを使ってね。」と言った。
アルミンは首を縦に振ってから「ありがとうございます。」ときちんと礼を述べる。相も変わらず礼儀正しい子である。
………彼が腰掛ける簡易椅子は、机に向かうエルダの隣に据えられた。
可愛らしい人形の様な金髪碧眼の子に囲まれて、エルダはどうにも幸せな気持ちになってしまう。
………そして、且つてこの部屋で父が自分を見るのと同じ視線で。今、彼等を眺めている事に気が付く。
(………………。)
ゆっくりと目を細めては、エルダは細く息を吐いた。
……………室内は、淑やかな沈黙に包まれていた。
膝の上のクリスタは、少し眠くなったのか目を擦っている。
エルダが「寝て良いわよ」と呼びかけると、ゆっくりと体重を預けてきては、瞼を下ろす。
アルミンは非常に集中している為、周りの声は気にならない様だ。増々自分の少女時代を見ている様で、エルダは小さく笑みを零した。
……………気付くと、外では雨が降っていた。
秋の始まりの雨は、未だ少し生温い空気を伴っている。
雨、時計の秒針、本のページを捲る、キーボートがせわしなく叩かれる。
彼等を取り巻く空気は、無音よりも静寂に近かった。
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