「志摩子は本当にアホだなぁ」
呆れたように菊地原が言うと、彼女はなんとも言えない生返事をする。挫いた足が痛いのかどうにも歯切れが悪い。
「ねえ士郎ちゃん、それよりもおんぶはもう良いって。誰かに見られたら恥ずかしいよ。」
それは志摩子の今の状況の恥ずかしさが理由だったようだ。彼女のつま先で揺れてるヒールが折れたパンプスを見下ろしつつ菊地原はハァとため息をする。
「歩けない癖によく言うよ。それとも床に捨てられたい?」
「捨てられるのは嫌だけど…。うん……。」
志摩子は観念したように菊地原の首に腕を回し直す。頬を肩の辺りに寄せるようなので、彼女の弱い吐息がうなじのあたりを掠めた。
「志摩子、顔近いから離して。」
「あごめんね。」
菊地原の要望に志摩子は素直に応じる。自分から言い出しておいて少しそれを残念に思いながら歩を進める。
「士郎ちゃん、重くないの。」
「重い。もう少し痩せて。」
「ひどいなー。そう言う時は嘘でも重くないって言ってよ。」
志摩子はケラケラと笑っておかしそうにした。足が痛い割に機嫌が良さそうである。
「でも不思議だなあ。絶対誰も通り掛かってもらえないような倉庫で挫いたのに、士郎ちゃんが見つけてくれるんだもん。」
「いやすごい派手な悲鳴だったから。僕じゃなくても聞こえる。」
「そんなことないでしょ?」
志摩子は懲りずに再び菊地原の首筋に頭を預けながら言う。今度はそれを拒否せず、甘受しながら彼女の言葉に耳を傾けた。
「昔から私のこと見つけてくれるのは士郎ちゃんだったもの。」
「………………。偶然だろ。」
「そうかもねぇ、偶然かも。でも嬉しかったから。」
志摩子は菊地原の首に回した腕の力を少し強くした。身体が密着しているせいかその心音がよく聞こえる。穏やかな音色だった。
「ふふふ、おんぶも悪くないかも。昔に戻ったみたい。」
「昔のことなんて忘れたよ。」
「嘘つきだねえ、士郎ちゃんは。」
志摩子が菊地原の胸あたりの服をキュッと指先で掴んだ。「うるさい、」と菊地原は小さい声で否定する。弱々しくて何の力もない言葉だったが。うるさい、うるさい、と心の中で繰り返す。志摩子はアホだ、とも再び思う。
(僕がどんな気持ちでいるのか知りもしないで)
「医務室もうすぐだね。」
志摩子の声が耳に触っては離れていった。耳を塞ぎたいような、いつまでも聞いていたいようなチグハグな感覚に襲われる。
「嫌だなあ、もう少しこのままでいたい。」
幼い頃、同じようなことがあったことを菊地原はよく覚えていた。その時も志摩子はそう言っていたことも。
(このまま、ずっと…………)
できる限りゆっくりとした足取りで歩を進めながら俯く。視線の先には相変わらずヒールが折れてるパンプスをぶら下げた志摩子の足。背中に感じる体温は既に自分のものと溶け合って、心地良い温かさを育んでいた。
―――本当は、志摩子の声が聞こえないと不安になる。だからついつい探してしまう。いつだって見つけ出すのは僕で――僕だけであってほしい。
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