骨の在処は海の底 | ナノ
 グローリア

 ヨゼファは椅子に腰かけ、一通の手紙へと視線を落としていた。

 ここは彼女の個人的な執務室オフィスである。生活をこの仕事場を中心として過ごしてきた歳月も、アズカバンにいた期間も含めればじきに二十年近くとなる。

 大きな机の上にはまだ終わっていない仕事がいくつか放置されている。……今年の生徒たちのためのカリキュラムを最後まで終わらせるのは、どうやら難しいことのようだった。


 ヨゼファは部屋に明かりを灯すこともせずに、先ほどから変わらぬ姿勢で手紙の上に連なる細長い文字を、綴られた伝言を赤色の瞳で見つめていた。

 もっとも、この手紙を読むのは今が初めてではなかった。

 アンブリッジによってホグワーツから追放されて…ダンブルドアと落ち合った、あの、夜が明けて間もないゴドリックの谷での出来事である。この伝言を手にしたのは。

 初めて開封したのは、手紙を認めた人物をスネイプと二人で葬った夜だった。そして今日に至るまで何回か繰り返して目を通してきた。

 いつもの彼の語り口と同じく、それは核心をついていながらも全てを語ることは無い。どこか謎めいて、未だ理解が及ばない箇所がいくつかあった。だが、大きな愛情を伴って自分に向けられた言葉であることはよくよく伝わってくる。


(それだけで充分……。)


「そうよね、私たちの校長ダンブルドア先生。」


 呟き、ヨゼファは便箋を封の中、丁寧に仕舞った。

 自室の扉を隔てて複数人の気配がする。建て付けの悪い木製の扉へと視線だけを向けて開いてやれば、ヨゼファを探していたであろう死喰い人たちの面々が…思っていたよりも多人数認められた。


「どうしたの?」


 ヨゼファは笑い、長い髪を軽くかきあげては立ち上がって応対する。死喰い人たちは断ることもせず彼女のプライベートな空間へと足を踏み入れ、部屋の主を取り囲んだ。


どうしたの・・・・・だって…!!?」


 その間抜けな対応が心外だと言うように、アレクト・カローが絶叫した。

 ヨゼファはその反応をどこか面白がって更に笑みを深くした。……どうも彼女はいつも余裕がないな、と考えつつ、自身の喉元へと真っ直ぐに向けられた杖の軌跡を指先でチョイと逸らしてやる。


「やめろ、」


 アレクトの兄であるアミカスが妹を諌めて発言した。ヨゼファは視線だけ彼へと向けて説明を求める。……大体の事情を察してはいたが。


「ヨゼファ…。ここで何をしていた。」

「自分の部屋ですもの、いることに理由が必要?」


 あくまでとぼけた反応をするヨゼファに苛立ったのか、アミカスがヨゼファ自慢の樫製の大きなテーブルを拳で殴った。机の上に積まれていた書籍がその衝撃で崩れて床へと落とされる。


 暫時、辺りは沈黙した。


 ヨゼファはゆっくりと腕を組み、自身と相対する数十人の死喰い人の顔を一人ずつ覗き込む。

 細く縦に割れた金色の瞳孔を持つ彼女の赤い瞳が不気味なのか、そのうちの幾人かは黙ったままで視線を逸らした。


「……………分かった。」


 やがて、アミカスが低く呻くように言う。


「今、手前がここでなにをしていたかを質すのは後で良い。………ガキ共と残りの教師共が大広間に立てこもって出てこない。」

「あら……あら。ご自分じゃ開けられないのかな、カロー先生。それに皆さんも。」


 ヨゼファの朗らかな発言がまた彼らを苛つかせているらしい。だがそれには構わず、「貴方たち、子どもたちに意地悪しすぎるんですもの。」と彼女は続けた。


「だからいざという時に言うことを聞いてもらえないのよ。『北風と太陽』そう言うマグルの童話があるんだけれどね……」


 授業中のようにヨゼファは人差し指を立てて講釈をたれようとするが、四方から鋭い視線を向けられるので流石に空気を読んで途中でやめる。

 広くはない彼女の執務室は、押しかけた死喰い人によって非常に窮屈な有様となっていた。思わず溜め息をして、話を切り替える。


「そうね…。私たちのご主人さまが森から帰って来る前に生徒たち教師たち、そして闇祓いたちを降参させておかないと。ものすごく怒られちゃうものねえ。怖いわ。」


 小さく笑い、ヨゼファは死喰い人たちの脇を通り抜けて廊下へと繋がる扉へと向かった。振り向き、「ほら、ついていらっしゃい。」と彼らに呼びかける。


「ヨゼファ先生に任せておけばなにも心配はいらないわ。私の言うことならちゃーんと聞いてくれるもの…。とても、良い子たちだから。」


 声色の穏やかさに反して、烈しい音を立ててヨゼファは扉を開いた。暗闇が落ち込む廊下に、杖の一振りで煌々とした灯りを一斉に灯していく。

 自分の後ろに彼らが従うのを振り返ることはなく感覚で認めながら、ヨゼファは「他の仲間たちは?」と尋ねた。


「十人弱はあのお方と共に森へ。ハリー・ポッターを縊り殺しにいった。」

「残りは?」

「大広間の外に残された学生たちの捜索に当たっている。」

「ふうん、それにしても、なんだか数が減ったようだけれど?」

「…………………。」

「へえ…生徒あの子たちもやるじゃない。成長を感じるわね…。」


 そして足取りも軽く、彼女はホグワーツの硬い石床を歩き続ける。進むたびに城内に散らばっていた死喰い人たちが合流し、徐々にその人数と規模を大きくしながら。


(良い気分よ……。)


 感じたことのない快楽の淵を覗くような気分である。


(そうね、今夜は特別だもの。)


 いつ明けるかも分からない夜の果てから吹き荒ぶ風が、自分の黒い髪を揺らしていく感覚に得も言われぬ心地良さを覚えて、ヨゼファは目を細めた。



(今夜だけは、初めて私が主役になる日よ。)


(いいえ…私だけではない。この夜、この場所に居合わせた人間ひとりひとりが、それぞれの物語の主人公なんだわ。)



 大理石の階段を降れば固く重たい靴音が重なり、静寂の石造りの建築の中に騒々しく響く。今、彼女に従う死喰い人の人数は優に百を越えていた。


 ……ホグワーツのどこもかしこも隅々まで、ヨゼファにとっては馴染み深く幾度となく歩んだ道だった。その中でも特に、この階段は特別なものだった。

 地上階に降りたところに、更に地下へと降る螺旋の石階段へ続く扉がある。ここから、何度となく愛しい愛しい彼の元へと赴いたのだ。


 主に夜。夜は、二人の時間だった。


 この十年弱ほどは、魔法陣で移動するよりも自らの足で地下室へ赴くことが多かったような気がする。彼の手で扉を開いて、自分を迎え入れてもらえるのが嬉しかったからだ。


(そして、その逆も然り…。)


 今は扉が閉ざされて認めることが叶わない地下牢への階段の方を一瞥するが、ヨゼファは歩みを止めることはしなかった。

 スネイプが……この階段を、自分に会うために昇ってきてくれる風景をヨゼファは夢想した。深夜に前触れなくやってきて、同じ時間を共有してくれるのは喜びだった。孤独と寂しさを分かち合うことを許されていた。信頼されていたのだ。


 そして、自分の人生を賭して愛した男性は死んだ。


 ヨゼファは…その最後の痛々しい有様を思い浮かべては嘆息する。

 彼が。彼が唯一愛した女性が…その血を分けた青年の腕の中で息を引きとれたのなら、それは幸福な最後だったと言えるのだろう。きっと。


 本当に最後の一瞬まで真摯な人間だった。

 彼は彼自身の深い愛情を貫いて、貫き通して逝ってしまった。



 本当に そう言うところが好きよ

 愛している




 死喰い人の筆頭として歩きながらも、こんなにも心が穏やかなのはここがきっとホグワーツだからだろう。


(ここは私の家だから。)


(家は住む人を守ってくれるものだから…。)


(そして私は先生。先生は、子どもたちの未来を守らないといけないわ。)


 ダンブルドアからの手紙の内容を思い出し、思い出して、ヨゼファは自分自身を奮い立たせた。

 たった一人で良いのだ。

 自分のことを思い遣り、見ていてくれる人がいた。

 それだけで良い。もう、自分には充分すぎる。











 ヨゼファ。


 君は険しい道を選び、弱者をいたわることで呪いをすすいだ。

 その心性は救いを得んが為の仮初のものであったが、今や君の本質である。


 君の魔法陣は終わりのない迷路に似ている。見つからない出口を探して迷い、同じ場所を何度も巡っては狭い円形の中にひしめき続けている。

 だが同じ場所で足踏みしているように見えて、緩やかな螺旋を昇るように、見える景色が少しずつ変わっていたのをご存知の筈だ。

 そうだね、ヨゼファ先生。

 得ることなど何もないと思っていただろう。

 この長い歳月で積み上げられた君の魔法を踏み石として、沢山の子供たちが此の学校から巣立って行った。

 巨大なオベリスクのように聳える、痛みと辛苦に満たされた軌跡こそ・・君だけ・・・の魔法であり、それは弱者の導きとなるものである。











 大広間へと至るための廊下の途中、いつもは開かれている巨大な扉が硬く閉ざされていた。

 ヨゼファは一度立ち止まり、黒い呪文で埋められた掌を優しく扉へと這わせる。伴って、清められて姿を失せていた彼女の血液の魔法陣がそこに蘇った。

 閉ざされた扉は難なく開き、ヨゼファを先頭とした死喰い人たちの侵入を許してしまう。

 その次の扉も、そのまた次も、次も、次も、五重に閉ざされていた重い扉の全てが耳に障る悲鳴のような音と共にこじ開けられていく。


 そうして最後、ついに大広間へと直接繋がる扉である。


 黒々とした鉄の錠前と重たい閂が幾重にも下されたそこへ、ヨゼファを今までと同様にそっと指先を滑らせた。………ジジ…と鈍い音と黒煙が触れた箇所から上がる。ヨゼファは爛れて酷い有様となってしまった皮膚を見下ろし、一度扉から手を離す。


「へえ……」


 彼女は痛みを意に介さずに感嘆したような声を上げた。

 負傷した手をヒラヒラと宙に泳がせると、瞬く間にそれは元の通りに治っていく。ヨゼファは自分自身が、魔法陣を媒介としたホグワーツの膨大な魔力で満たされているのを感じていた。気分の異様な高揚感は、恐らくこれが原因なのだろう。


「大丈夫よ、心配いらないわ。」


 背後、その様を手伝いもせずに眺めていた死喰い人たちへとヨゼファは呟く。……誰も自分のことなど心配していないのは分かりきってはいたが。


 ヨゼファは扉へと触れるか触れないかの距離に、ピタリと人差し指を向けてそのまま手首をクルリと回す。

 大広間の扉の中心から、かつて彼女の血液によって描かれていた魔法陣が活栓のように吹き上がって現れた。足元から天井まで、魔術は扉全体を覆って色を塗り替えるように広がっていく。


「ほら、よく見ていて。」


 誰にと言うわけでなく、ヨゼファは囁いた。


ひらけごまオープン・セサミ


 なんてね、


 ヨゼファが穏やかに笑うのとほぼ同時に、今まで頑なに閉じられていた扉の錠が上からひとつずつ外されていく。重たい音を立てて、ゆっくりと、しかし速度を緩めることはなく。

 全ての鍵が解放され、巨大な扉は為す術もなく左右へと開かれていった。

 細い隙間はすぐに広がっていき、ホグワーツの生徒たち教師たちにとって最後の砦となっていた大広間の護りはこの瞬間に無効で無意味なものとなる。


 ヨゼファは目を細め、こちらへと注がれていた彼らの夥しい視線を受け止めて穏やかに微笑んだ。


 息を呑む音を耳が覚えた。広大な空間に、恐怖と混乱とが静かに速やかに広がっていく。彼ら彼女たちの恐怖を作り上げているのはもちろんのことヨゼファと、それに付き従った死喰い人たちだった。

 ヨゼファは黒いローブの裾を少し持ち上げ、貴婦人風にゆっくりと頭を垂れてホグワーツを守り抜いた戦士たちに挨拶をする。普通よりも、少し長く。

 
「こんばんは皆さま。ご機嫌…いかがかしら。」


 顔を上げ、ゆったりと彼らの顔ひとつひとつを見やるようにあたりを見回す。

 その際、チラリと横目をして大広間に据えられた巨大な柱時計を見やる。そして「あら…。もうこんな時間。」と呟いた。


「ダメじゃない、こんな夜更けにベッドから抜け出して。減点、更に罰則がもれなく付いてくる時間よ。」


 ヨゼファはすっかりと肉が落ちてしまったへんに長い腕を動かしながら、昔々から変わらない好意と親しみを伴って生徒たちへと語りかけた。

 だが、子供たちが眼前の魔女から昔日のヨゼファの姿を思い出すのは難しいだろう。彼女の青白い顔の右半分は魔法陣に黒く奇妙に侵食され、赤い瞳の中心には金色の瞳孔が縦にパックリと割れている。

 もう人ではないな、とヨゼファは理解っていた。だが人間をやめる過程で母から譲り受けた髪と瞳の色彩を失ったのは結果としては良かったのだ。とても。


(さよなら、ママ。)



「でも、貴方たちはラッキーだったのかしら。見つけたのがヨゼファ先生で……。」


 ヨゼファはゆったりと腕を組み、「私はね。」と声を一段大きくして仕切り直すように続ける。


「あんまり減点、って言うのが好きじゃないの。正解不正解が決まってるテストの点数ならともかく、貴方たちの生活や行いの良し悪しまで決めるのは難しいことだわ。何が善くて、何が悪なのか……。時には規則よりも大切なもののために、敢えてそれを犯す必要もある。簡単に割り切れるものじゃないわよね。」


 ねえ、そうは思わないかしら。


 柔らかい口調で語りかけるが誰も反応をしないので、ヨゼファひとつ溜め息をしては大広間の中へと足を踏み入れて進んでいく。後ろに従っていた死喰い人たちもそれに続いた。

 だが、彼女は途中でその歩みを止めては苦笑する。


「…あら。人に杖を向けてはいけませんよ、何かあったら大変。」


 そして、勇気を持って自分の前へと進み杖を突きつけた若い魔女の視線の高さに合わせるように、少し膝を折る。

 やはり、この悪魔の口の中のように赤い瞳が不気味なのだろうか。ハーマイオニーは怯む気配を見せるが、それは一瞬のことでこちらを鋭く睨みつけてくる。ヨゼファはなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。


「動くな、!」


 ハーマイオニーへと言葉を続けようとしたヨゼファだったが、やや引きつった叫び声にそれは阻まれる。

 ……大広間にいた生徒、教師、闇祓い、死喰い人たちが一斉にその方を見るので、その膨大な量の視線にロンは一瞬ひるんだようだった…が、すぐに気を取り直したようにヨゼファへ…そしてその背後の死喰い人たちへと同じ言葉を怒鳴って繰り返す。


「………ハーマイオニーに、近付くな…!!」


 ハーマイオニーを庇うようにして彼女とヨゼファの間へと割って入ったロンと…自分へと向けられた彼の杖先を交互に眺め、ヨゼファは笑顔のまま表情を穏やかにした。


「素敵…。」


 そうして溜め息混じりにうっとりと呟く。

 ロンは目を見開き、「そんな」と小さく零した。「もう…頭がおかしくなってる。」と愕然とした声で続けて。


「いいえ、おかしくなっているわけじゃないわよ。」


 ヨゼファは一度下ろしていた瞼を開いては再び…立派に成長した教え子二人へと向き合った。

 腰を折り、更に顔を近付ける。伴って彼らの表情には少しの恐怖が入り混じるが、二人にはもう迷いがなかった。若い魔女と魔法使いの杖先は、確かにヨゼファの心臓の上を捉えていた。


「お姫さまを守護るのは、やはり騎士ナイトでないと…。と思ったの。貴方たちは本当に素敵だわ。」


 ヨゼファはどこか感極まって、声を上擦らせて思いの丈を言葉にした。


「だから二人とも、今夜は特別よ。減点しないでいてあげましょうね。」


 ゆっくりとした手つきで、こちらに向けられた二本の杖を直接掌で掴み、彼からハーマイオニーへ、そうしてまたロンへ。一年生の時から幾分も幾倍も美しく立派に成長した彼らの七年間を思い出しながら、ヨゼファはその姿を赤い視線でしっかりと捉えた。


 二人の少年少女の肉体から意識がふわりと手離されるので、ヨゼファはその身体を抱き留める。


 最後になる、と思った。


 その想いから、成長したとは言えいたいけさを残す肉体を抱く力を強くして、その頭へと頬を寄せた。


「ミネルバ」


 そのままで、ヨゼファはこちらを固唾を飲んで見つめていた同僚の名を呼ぶ。

 ロンとハーマイオニー二人の身体を難無く抱え上げ、ヨゼファは彼女の元へと足音なく歩み出す。……ハッとしたようにして、マクゴナガルもまたその傍へと至った。


「ほんの一瞬眠っているだけ…。数分で目を覚ますわ。」


 ロンとハーマイオニーをマクゴナガルへと預ける傍、ヨゼファはそっと彼女へと耳打ちする。


「大丈夫よミネルバ。私を信じて。」


 ほとんど声を立てず囁き、ヨゼファはマクゴナガルを一瞥することなく死喰い人たちのところへと戻った。


「ねえ、カロー先生。私たちのご主人さまはあとどれくらいで戻るのかしらね。」

「………思いの外手間取っている可能性はある。夜明けまで…かかるのかもしれない。」

「よかった、ちょっとは時間の猶予があるのかしら。」

「時間なんていらねえよ、扉の護りが破られた今。ガキ共と年寄りを鏖殺するのに時間なんてな。」

「もう…血の気が多いわね、落ち着いてちょうだい。そうね、でも。どちらにしても。これで森にいる彼がホグワーツ城の異変に気がつくまでに少し時間が稼げるわ。あの方、戻ってきた時にものすごくびっくりするわよ。持ち堪えてくれているハリーには感謝しないと。」

「…なんのことだ。」

「なんのことでしょう……。」



 死喰い人たちを背面に、生徒や教師たちと対面しつつ背中越しに彼らと会話していたヨゼファが…ゆっくりとその方へ向き直っては微笑む。

 アミカスは訝しく思ったのか、その表情をやや険しくした。瞬きを数回した後、「もうたくさんだ」と呟く。


「頭のおかしい手前の妄言に付き合うのはもううんざりだよ。護りが無効になった今、用済みだ。」


 杖を抜いた彼がヨゼファへとその先を向けるよりも、彼女がその掌中から暗い色の杖を叩き落とす方が早かった。

 余程の力だったらしく、その皮膚を打った烈しい音が大広間の静寂を切り裂くように鳴った。

 アミカスの手から弾き落とされた杖をヨゼファは空中で受け止める。


「……重い杖。材質はなに?艶があるからクルミかしら。」


 そしてやや首を傾げては繁々と彼の杖を見下ろした。ミシリと嫌な音が鳴る。彼女がまるで当たり前の行為のように、素手でその杖を真っ二つに折る音だった。あまりにもそれが自然に行われるので、その様を見守っていた一同は唖然としてひと時反応が遅くなる。


「あ、しなりが無いわね。クルミじゃなくて楓だわ、これ。」


 彼女は先ほどの会話の延長であるかのように軽い口調で続けては、それを固い石床へポイと放る。ほんの一瞬の出来事だった。


「それで………」


 ヨゼファは再び彼らへと相対し、黒く長い髪を耳へとかけては溜め息をする。


「この杖で、私を殺そうとしたのね。……禁じられた魔法、私はどれも嫌いよ。たった口先だけで済む呪文で人を傷つけて奪っておいて、傷みも代償も伴わない魔法なんて。よくもまあ…こんなものを使って、恥ずかしくないわねと。いつも思うわ…。」


 細く長く、何の塗装もなされていない、見るからに粗末な杖がヨゼファの懐から取り出されていく。

 彼女は緩慢な動作で杖の先を死喰い人たちへと向ける。「それで・・・?」同じ言葉を繰り返して。


「この棒きれが無ければなにも出来やしない癖に…。よくもまあ偉くなったつもり・・・でいられるわね、貴方たち。」


 辺りは奇妙な沈黙で満たされていた。

 ヨゼファ一人を除いて、今の状況を誰もが理解出来ていなかった。彼女は構わず、杖先を指揮棒のようにヒラヒラと動かしながら、ゆっくりとした声で言葉を続けていく。


「私は自分の『嫌い』を語ることは好きじゃないけれども…敢えて言うわ。貴方たちが嫌いよ。毎度毎度無理やり同席させられて思い遣りの希薄な会話に付き合わされるお酒の席は本当に堪ったものじゃなかった。毎晩のように…、この大広間で呑んだくれてくれたわね。ホグワーツは生徒子供たちが主役の神聖な学び舎よ、お酒も煙草もお呼びじゃない。何度注意しても目に余る飲酒喫煙暴力行為…、こういう時こそ減点してやりたいものだったわ。でも貴方たちは生徒じゃないもの、それも出来やしない。」


 彼女はツ…と杖先を死喰い人たちから逸らし、自らの掌中へと向けてはその薄い皮膚に傷を入れる。傷口からはスルリと赤い血液が流れ、彼女の指先を伝ってポタリポタリと地面へと落ちていく。



「一体、誰が他人を勝ち誇って裁けると言うのかしら。裁いて、糾弾し、そうして自分たちだけが正しいと思うことが正義ならば、私は喜んで悪い魔女になりたいものね…。だから私がするのは正義の行いでもなんでもないの。……ただの私怨よ。」


 馬鹿みたい、


 ヨゼファは吐き捨てた言葉と共に、先ほど自分がへし折った杖を黒い靴で蹴飛ばした。


「こんな粗末なもので、よくも子供たちを殺してくれたわね。よくも私の家を土足で犯してくれた。よくも。お前たち、」


 ヨゼファは傷付いた掌を中空へ翳しては握りしめる。満身の力がそこに宿るので、傷口から押し出され吹き出した鮮血が辺りに飛び散った。


 そして、その血液による呪われた魔法陣が、二十年弱の満を持して結ばれた。


 彼女の魔法が始まったホグワーツの玄関口の大広間で。


 血液で汚された床から、かつて描かれた魔法陣が鈍い赤色に蘇って緩やかに周囲を覆っていく。


 それはこの大広間での出来事だけでは無かった。生徒たちの生活の場である四つの寮、その寝室に談話室、数占いに呪文学、防衛術、薬草学に変身術に魔法史マグル史魔法図象学の教室。それぞれの教師の私室に厨房、トイレ、シャワールーム、誰からも忘れ去られた空き教室に死人の肖像画だけが飾られたもぬけの殻の校長室。そうしてそれら全てを繋ぐ階段と長い長い廊下。

 冷たい石の床に抱かれた数多の死体たちを包み込みながら、生きた草花のように柔らかい曲線は広がり続けて行く。

 全て一様にヨゼファが気が遠くなるほどの月日の中で描き続けた魔法だった。赤く鮮やかさを増し、ズルズルと形を歪めてはこの魔術の始まりの場所を目指して壁や床、天井から滲み出す。そして蠢き渦巻き合流し、徐々に確実に大きな流れとなっては進み始めた。


Bonsoirボンソワール Madameマダム et& Monsieurムシュー, 私の魔法へようこそ…。」


 血濡れの掌を宙へと広げ、ヨゼファは低い声で恭しく言葉を紡ぐ。今一度、ローブの裾を持ち上げてこの夜に集まった全ての魔女魔法使いへと頭を垂れた。長く。微動だにせずに。


 絹を裂くような少女の叫び声が聞こえる。すぐ傍だろうに、ヨゼファにはまるで遠くから聞こえてくるように思えた。

 ヨゼファの皮膚が、解けた・・・のだ。指先から、びっしりと刻まれた黒い魔法の痕跡に沿って、まるで逆回転する糸車に突き刺さった調べ糸のように。露出した肉は柘榴色だった。人間らしい色を目の当たりにして、ヨゼファは気持ちを穏やかにしては少しだけ笑う。

 赤い、と思ったのだ。

 色彩が視界へと蘇ったのか、それともこれは幻覚で、自分の肉の色はやはり屍肉のようなドブ色なのだろうか。それも分からないが。血の柱の如く自らの鮮血が多量に肉体から吹き上がっていた。視界の全ては赤色で覆われ、もう何も見えず、何も分からなかった。顔を上げ、高い高い天井を見上げる。きっと今夜も、この天井には満点の星が投影されている筈である。ヨゼファが初めてホグワーツに足を踏み入れた夜と同じように。



 この大広間で、スリザリンに組み分けられたことから始まった。私を否定することから、私の全てが始まったのよ。



 ほとんど無くした視力の中、それでも皮膚が裂け肉が露出する腕を持ち上げて動かし、人々の向こうへ聳える大広間の巨大な扉を全開にする。
 
 学校中に描かれていたヨゼファの血液の魔法陣が合流し、ひとつの膨大な朱となった流れがそこから雪崩れ込んでくる。自分へと目掛けてくる濁流へと向き合い、さあ、と彼女は呼びかけた。


「本当に長い間……。全てに一途すぎた私たちは、混沌バラルへと戻りましょう。この学び舎を蝕む異物を道連れに……」



 二十年越しの魔法を完成させたこの打ち震えるような歓喜を、どう表したものなのだろうか。

 死へ向かって駆け込む。いや、死を捉えに飛び込む。そう言ってもまだ足りない。どう表現しようと足りるものではない。ひと時、人生全てを捨て身に賭する時の感覚は。それこそ地上にあるどんな現象にも較べるものはない。



 血の海から、異形の魚が巨体を現して慟哭した。誰もが耳を覆いたくなる、不快で、まるで意味が分からない言葉である。


(これは私…!)


 空中へと激しく迸り続ける自らの血飛沫の中、漆黒の怪物の姿を捉えながら、ヨゼファは彼女へと親しみを込めて笑みを絶やさないでいた。


(異界のものなどではない。私の負の感情の集積が生み出した私自身。私の魔法、私の子ども。)


 黒く光る鱗の下、骨の形を確認できるほどの痩せ細った肢体に長い髪が縺れて絡みついている。


(そうね、母に憧れて長く長く伸ばしたのよ。でもひどい有様ね、艶も失せて憧れとは程遠いものに成り果てている。)


 体色の黒色は辺りの闇に同化してしまうほど色濃い。


(周囲に溶け込んでしまうほど存在感が希薄だって…よく、言われていたわ。そうして結局、誰にも見つけてもらうことが叶わなかったわね。)


 痩せ細って、


(大人になることを拒否して)


 眼は潰れて、


(自分の姿も他人の姿も最早視界に入れたくなかった。消えてしまいたい、どこからも居なくなってしまいたかった。)


 黒い肉体の中、真っ白な歯が噛み合わず震えているのが分かる。


(でも、それでもやっぱり生きていたかった。自分の存在を、愛情を伝えたかった。そのための声がどうしても欲しかったの…!!!)



 そして今、その声によって、慟哭によって、混沌バラルの扉を開くのね。



「ああ、なんて醜くて愛おしい。今こそ私は貴方わたしに向き合いましょう……。」



 大広間に漂っていた深く濁った緑色の暗闇は、その闇を裂くようなヨゼファの赤色の鮮血によって洗われ失われていった。


 彼女・・が叫び声と共に一度巻き上げたその血液が、今夜大広間に集まった人々の上へと等しく降り注ぐ。--------赤色ではなかった。透明色の雫になって、刹那この歴史が積み重なった建築全面を汚した鮮赤色を濯いでいくように。


 雨が。

 ホグワーツの校舎の中、屋内にも関わらず。

 弱い雨が。

 サラサラと、霧のように降り注いでは重たい灰色の石壁や床へと浸みて、それを黒色へと変えていく。


 誰ひとりとして動くものも、声を発するものもいなかった。

 ただ、雨の音が聞こえる。

 生きる者、生きていた者、どちらともつかない者全ての肉体にそっと忍び込んでいくように。


 ホグワーツにとっての異物・・と判断された死喰い人たちは皆一様に白い塩の柱へと姿を違えていた。

 降り注ぐ霧雨の中、彼らの肉体は溶かされ、崩れて、静かにその形を失せさせていく。



 生徒たち教師たちは呆然として降り注ぐ雨と塩の柱となっては解けて崩折れる死喰い人のことを眺めている。あるいは天井を見上げ、この雨の出所を探そうと視線を漂わせていた。

 誰もヨゼファのことを見ていない。

 よかった、と彼女は思った。

 混沌の突発と急速な収束の中、ヨゼファの肉体は…黒い魔術が刻まれていた部分、右半身の皮膚をほとんど失ってしまったらしい。

 凄惨さが過ぎる自分の血達磨の有様を彼らに見せたくなかった。これ以上、自分の醜い姿を愛する者たちの前に晒したくない。この雨と同じように静かに働き、雨が上がるように静かに消えていこう。


 辺りのしめやかさに反して彼女の肉体を襲う痛みは烈として激しく、白々とした辛苦に呻き声が上がるのを歯を食いしばって堪える。ヨゼファはなんとか立ったままで…項垂れて黒い髪を垂らしている巨大な自分の分身の方へと視線を送った。

 彼女もまた、ヨゼファの気持ちをよく分かっていた。お互いがお互いそのものであると認めたくないほどに二人は醜悪な姿形である。だが、その醜さを愛し合っていた。魅力のあるもの、美しいものに心惹かれるなら、それは誰だってできることである。そんなものは愛ではなかった。色あせて、襤褸のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった。


「大丈夫……。愛されなくたって。私が私を、ちゃんと愛しているわ。」


 綺麗よ、ヨゼファ。


 少しでも気を抜けば意識が無くなりそうな、チカチカとした眩しい痛みの中、ヨゼファは目を細めて自分だけの魔法へと言葉をかける。


 彼女は目が潰れているので、その声を頼りに自らの生みの親の気配を探るらしい。痩せて節が浮かび上がる掌を緩慢に動かし、指を不器用に曲げては伸ばし、懸命に見つけ出そうとしている。やがてたどり着き、その黒い鱗に覆われた掌でそっとヨゼファの肉体を包み込む。

 顔を寄せられるので、濡れたカーテンのように重たい髪を横に分けてはその頬に口付けた。


「よくできました。えらい…、えらい。…良い子。良い子だわ。」


 掠れた声で囁いたその言葉は、ささやか過ぎて雨の中に溶け込んでしまいそうだった。ヨゼファは細く長く息をして、口付けたところへと頬を寄せて擦らせる……。



「ヨゼファッ!!」



 そうして意識を手放そうとしていた刹那、雨音ばかりの静寂の中、悲鳴のような声がヨゼファの名前を呼んだ。

 その方へ、緩慢に首を巡らせる。


「ヨゼファ、」


 彼女・・もまた、全身を雨に濡らしているので、いつも几帳面に折り目正しくされている衣服はすっかりと色褪せてはよれよれになっている。ローブの裾を床に溜まった水や血液か泥かよく分からないもので汚しながら、なりふりも構わない様子でこちらへと走ってくる。


「行っては、いけません。こっちへ……!!今行きます、私が、私が行きますから!!!」


 マクゴナガルはヨゼファの肉体の惨たらしい有様を目の当たりにして、ほとんど叫んで訴える。

 ヨゼファはハッとして形を保っている左目を見張った。そして力が抜けて弛緩しきっていた身体を今一度支え直す。

 自分の肉体を茂みのように覆う巨大な十本の黒い指の隙間から且つて教えを請うた教師、そして今は同僚…彼女を見て、その姿を懐かしく思った。髪は乱れ唇の紅は落ち、全てが上品に整えられていた姿とは程遠いその有様を、素直な気持ちで綺麗だと感じた。


「ミネルバ……、せ、マクゴナガル、先生」


 呟き、ヨゼファもまた黒い指の隙間からその方へとどうにか手を伸ばす。

 それを認めたマクゴナガルは大きく頷き、それを握るために掌を開いた。


 ヨゼファは絶叫する。


 一度止んだと思っていた彼女の肉体の分解が再び始まったのだ。右半身に留まらず遂に左半身へ、肉が飛び散り、脆い部分が…指、腕、足、それらが肉体から多量の出血と共に変に捻じ曲がっては、無残に切り離されていく。マクゴナガルも同時に叫んだ。その有様を目の当たりにして、半狂乱になって教え子の名前を呼んでは走る。


 それでも、あと少しだったのだ。

 彼女たちの掌が重なり、強い力で握り合い、

 ヨゼファが黒い檻のように自分自身を閉じ込める呪いから解放されるのは。


 ヨゼファは脳裏に聞いてしまった。


 思い返すだけで、傷付いた肉体のどの部分よりも胸の奥が強く痛む。


 私が死んだら、


 あの、悲しくもいじらしい約束ごとを。


 一緒に死んでくれ



 ヨゼファは深く、深く呼吸をした。



 外の世界へと伸ばしていた手を下ろす。



 残されていた左の瞳を閉ざす。



 もう、自分の肉体はどこまで残っているのか分からない。



「そうね、約束したんだもの…」



 行こう、と、小さな声で黒く巨大な異形へと呼びかけた。

 自ら死を選んで、二度と彼とは出会えないことは分かっている。だがそれでも約束を守りたい。叶えられる望みならば叶えたい。それは自分に与えることと同じだからだ。自らの写し身のような、きょうだいのような彼だからこそ。


 濡れた巨大な掌はヨゼファの成れの果てを慎重に、大事に包み込んでは顔の近くまで掬い上げる。潰れた眼で、最早ただの肉の塊であるそれをじっと見下ろしては、実に愛おしそうな仕草で、胸に抱いた。


 ヨゼファが積み上げた魔法によって形作られた怪物は、ゆっくりゆっくりと大広間の石床を満たす黒い水溜まりの中へと身を浸していく。


 誰も為す術もなく、彼女たちが混沌バラルの底へと沈んでいくのを見守るしかない。


 やがてその醜形の巨体は完全に黒い水底へと沈み込んで姿が見えなくなる。そうしてこれから先幾万年もこのホグワーツが形を保つ限りは強固な護りとなって、その役目を果たし続けるのだろう。



 -------------------雨はいつの間にか上がっていた。


 夜も明けて、薄い光が大広間の背の高い窓から斜めに差し込み始めている。


 静寂だった。


 最後の最後の戦いを目前にした、ひとときの穏やかな沈黙の時間である。



 マクゴナガルは探しては拾い上げていた。

 水とも泥ともつかない溝色の水たまりの中、空中分解してばら撒かれてしまったヨゼファの肉片や骨を。全てを集めれば、元の通りに戻ると信じているかのように、どんなに小さな塊も見逃さないようにして拾い上げた。

 だが、どう考えてもあの…ヨゼファの肉体の体積に足る量は集まらない。グズグズの内臓や柘榴のように割られた下顎など、それらは身体の大きな彼女の半分にも満たない、ほんのこれっぽち…としか言いようのないものである。それが身体のどの箇所なのか、分かるほど形を残しているものはほとんど無い。


「ヨゼファ、」


 一番人間らしい形をしていたのは、左手だった。

 これにあと少しで手が届かなかったのだ。そうして、もう永遠に届かないものとなってしまった。

 彼女の左手は、黒い魔法陣がまだ及んでいなかった。

 女性にしては大きな手の小指には青いインクがうっすらと滲んでいる。いつも、描きものをしていたから。右手の親指と中指、そして左手の小指にインクが侵食してしまっていたのを、知っていた。

 ヨゼファの左掌である。間違いなく。


「なぜ…、」


 マクゴナガルは呟いては彼女の冷たい掌に指を絡めて握る。……改めて、しみじみと大きな手だった。それを感じれば感じるほどに、かつてこの学校の生徒だった薄弱な様子のヨゼファと今のヨゼファの違いを顕著に思う。

 告白をすれば、マクゴナガルは言葉が話せず、意思表示も曖昧な少女ヨゼファのことをあまり気にはかけていなかったのだ。むしろその芳しくない成績から、わざと声が出ないふりをして授業に参加するのを避けているのではないかと疑ったこともある。煩わしくなかったと、胸を張って言い切れるのだろうか。


(………………あ。)



 雨が降り出す前の雲のような、長く重たい灰色の髪を持った少女に対して…初めて申し訳なさを抱いたのは、のヨゼファと同職の魔女として再会して親しくなった後だ。思い出すことすらもしなかった。


(そうか、)


 ヨゼファの残骸を胸に抱き、指先が白くなるほどに彼女の掌を握った。透明色の光がところどころ虹色になって注がれてくる天井を仰ぎ、マクゴナガルは喉の奥から抑えようのない喘ぎが湧くのを聞いていた。



(話してくれ、何度も訴えたのに。聞き入れてもらえなかったのは当たり前のことだった。)


(一度も、聞こうとしなかったんですもの。)



 今、乾いた朝日は、沿線で斜めに区切られた窓から真っ直ぐに差し込んでくる。始めは灰色の石壁へごくうっすらほんのりと影がさした。暗闇の中から洗い出したように、物の影が少しずつはっきりと浮かび上がってくる。

 黄金を透明にしたような光が、多くの者にとって馴染み深いこの大広間を暖かに満たしていった。


 状況を飲み込むのに充分な時間が経過していたために、既に生徒たちが負傷者の手当や間に合わなかったものの安置などに忙しく動いているらしい。

 久しぶりに、騒々しいホグワーツの朝である。

 暗い緑色の重たい沈黙も、死喰い人たちからの圧政からの解放とともに消失したようだった。


 だが、マクゴナガルはあまりにも小さく成り果ててしまったヨゼファだったものを自らの赤子のように胸に抱いたまま、まだ動けずにいた。溶解して姿形を全く失せさせた死喰い人たちの衣服や装身具だけが散乱する大広間には、次々と勇敢に戦った生徒や闇払いたちの死体が運び込まれてくる。その有様を、呆然と眺めたまま。


 神さま、、唇の端から、思わず声が漏れる。辺りの騒音によって、その言葉は自分の耳にも届かない。


「貴方は、悪魔ですか?」


 鶏が鳴かない夜明けだった。

 真っ白い朝が、一日の始まりが、最後の戦いの終わりが、訪れようとしている。



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