骨の在処は海の底 | ナノ
 幸福な亡骸

 灯りが落とされた深夜のヨゼファの寝室で、スネイプは壁に引っかかる部屋の主のローブと相対していた。

 ヨゼファ自身は室内にいない。スネイプ一人だった。

 どこに行ったのだろうかと考え、彼は目元を片掌で緩慢に覆う。


「いつも…会いたい時にいなくなる、」


 そうだな、君は


 呼びかけて、冷たい光沢を持った彼女のローブに指先を滑らせた。

 壁に打ち込まれた杭から軽い生地の誂えを外し、掌中に収めて見下ろす。その後ゆっくりと頬を寄せ、顔を埋めた。

 ヨゼファの皮膚と香水が混ざった匂いが直接鼻腔を満たすので、思わず唇の端から呻き声を漏らす。そのままベッドに腰を下ろし、少しの間彼女の抜け殻を抱いていた。


 夜が過ぎていく。

 このホグワーツのどこかで、白い大きな守護霊が出現する気配を覚えた。

 直だろう。もうすぐ、ヨゼファがここへ帰ってくる。



「…………。デジャヴだわ。」


 夜が更に深みへと進んでいく頃、耳に馴染み深い声を覚えた。しかしスネイプはベッドから身体を起こさず、彼女のローブと共に横になったままでいる。

 やがて衣擦れの音がして、この部屋の主が自分の傍へとやってくる気配を感じた。


 首筋に、細い雨が垂れてくるように彼女の長い髪がサラサラと触っていく。視線をその方に向ければ顔を覗き込まれていた。

 頬に冷たい掌を添えられる。暫くヨゼファは赤い瞳でスネイプの昏い瞳を見下ろしていたが、やがてゆっくりと顔を近付け、彼の額に自分のものを合わせる。その際、黒い髪が蚊帳のように辺りに降りてきて、スネイプの視界を遮った。

 ヨゼファの頸へと掌を回して互いの皮膚の距離を更に近付ける。一度唇が触れ合うので、離れていくのを留めるため音を立てて深々と口付けながら、掌を置いていた頸へと爪を立てた。彼女が溜め息をするのが、頬を掠めていく吐息で伝わってくる。


「流石に、貴方が着るには小さいわよ。」


 ヨゼファは顔が触れ合うほどの距離で可笑しそうに囁いて、スネイプの腕の中にある自分のローブに触れた。なんの話だ、と問いかけるが、彼女はそれには応えずに瞼を下ろすだけだった。


「ごめんなさいね…お風呂に行っていて。」


 ヨゼファのV字に開いたネグリジェの襟から覗く胸元、首筋の右半分はすっかりと黒い魔法の痕跡で埋められていた。喉には細い黒色のベロアの枷が巻き付いている。その有様を暫く無言で見つめてから、スネイプは目を細めた。


「なにか、私に用事?」

「………。用事が必要なのか。」


 スネイプの回答にヨゼファは優しい表情で微笑い、首を横に振って回答した。

「雨が、もう止んでるわね。」

 そして囁き、彼の黒い髪を数回撫でてからゆっくりと身体を起こす。


「少しだけ仕事が残っているの。それが終わったら、散歩にでも行きましょうか。」

「こんな夜更けに。」

「夜更けだからよ。昼間……、この学校はもう散歩どころではないでしょう。どこも空気が張り詰めていて。」

「ヨゼファ先生はそれなり・・・・に、悪口の対象でもあるし?」

「よく分かってるわね。でも貴方もそれなり・・・・よ、校長先生。」


 ヨゼファが冗談めかして言うので、スネイプもそれに付き合ってほんの少しだけ笑った。

 彼女が自分の胸の上に頭を乗せてくるので、甘受して抱き留め、髪を撫でる。黒い髪は指通りが良く艶やかだった。美しい髪質をしているらしい。

 だがスネイプには、あの…軽く柔らかな灰色の髪が思い出されて、妙に懐かしく、そちらの方が好ましかった。だがそれを口にすることはせず、黙っていた。




 


 ヨゼファはソファに腰掛けたスネイプに背を向けて、執務室の大きなテーブルの前に座っては仕事を続けていた。

 彼女の自宅の『最後の晩餐』よりは小さいテーブルだ。

 海辺の、時化がきたら波に飲み込まれてしまいそうなほどにささやかな佇まいの家は、もう失われてしまった。『最後の晩餐』も形は残っているが使えたものではないらしい。処分したのだろうか。


「家を建て直すことは考えていないのか。」


 止め処ない思考からスネイプはヨゼファへと質問をしてみる。ややあって、「今のところはね…」と彼女は返答した。


「今、新しいものを建ててもまた壊されてしまうもの。皮肉なことに…闇の魔術から子供たちを守る最も安全な場所と言われたこの学校が、死喰い人私や貴方にとっても一番安全な場所のようね。」


 彼女が指先でつついて具合を確かめた真鍮の秤の皿の上には片方に鈍色の分銅、もう片方に紅色の顔料が乗せられていた。

 計量が終わったらしい紅色の顔料を慣れた手つきで新しいガラス瓶に収め、こちらを振り向くことなくヨゼファは説明する。
 

「今年の一年生たちの基調色よ。」


 新たに作られた瓶にラベルを糊付けしてやりながらヨゼファは言葉を続けた。


「世情がどうあろうとも、生徒たちはひとつ歳を重ねて…また新しい11歳が生まれるのね。…ホッとするわ……。子どもたちの成長は希望そのものだから。」


 その時、スネイプは既にヨゼファの背後すぐ傍に立っていた。黒い髪の間から覗く白い紙のような色の頸を握り、そこに音を立てて唇を寄せる。驚いたらしい彼女は声を上げてひとつ小瓶を取り落とす。空の瓶が床へ打ち付けられて割れる薄利な音が鳴り、また辺りは夜の静寂に呑み込まれていく。


「もう、夜だ。」


 首に腕を回し、ヨゼファを抱き寄せて耳元で囁いた。夜は短い、とそれに付け加える。


先生プロフェッサーではない。」


 ヨゼファが力を抜いて、こちらに体重を預けてくるのを感じた。ヨゼファ、とその名前を囁く。彼女はようやく首を回してスネイプを見、苦笑した。


「胸が痛いわね…。」


 そして薄いネグリジェの上からその胸に手を当てる。


「貴方が愛しいから、胸が痛いわ。」


 ヨゼファは目尻に皺を寄せてクシャリと笑い、スネイプの身体へと腕を回して抱き返した。強い力で







 夜の最後の時間である。

 空と雲が最も深く昏い色を見せ、石鹸シャボンの泡のような月がゆったり動いている。夜に浸された空気は冷たかった。耳と鼻が随分と冷たくなっている。


「寒い?」


 スネイプの心象を見抜いたのか、ヨゼファが尋ねる。然程、と端的に返した。


 ………ああ、と溜め息をする。「これは確かに昼は難しい。」そして唸るようにして続けた。


「渋い顔する割に、いつも大人しく私に抱かれてくれるわよね。」


 ヨゼファは自分の腕の中で横に抱かれているスネイプの耳元に軽くキスを落としてから囁いた。


「………無駄な抵抗はしないだけだ。」


 目を細め、うんざりとした表情を作って応える。彼女はそう、と可笑しそうに相槌した。


 月明かりを浴びて銀色になった濡れ葉を茂らせた樹木の天辺へ、ヨゼファは器用に爪先で着地する。その首に腕を回し直して頭を肩に預けた。強い力で抱かれている。


 ………スネイプはスネイプで箒が無くとも空を飛ぶ術を心得ていたが、敢えて彼女からの申し出を甘受した。

 そして今、何という安定感だろうか。と思う。ヨゼファの肉体はかつてよりひと回りかふた回り痩せてしまっているが、相変わらず力は強く、身体の軸のバランスは取れていた。



「…………。君の方は…重くはないのか。」


 頬をその皮膚に擦らせて尋ねる。声は不思議なほどに、小さく掠れていた。


「大丈夫よ、安心して…。流石に今は靴の裏に魔法陣を描いてるの。すごーく昔、雨の夜のことを覚えている?貴方をこの黒い森の中からお城へと連れて帰ったこと。その時と同じ魔法よ。肉体に対する重力の影響が幾分も弱められているから。」

「私の記憶では普段もそれなりに軽々と抱き上げてられていたような。」

「最近はちょっと重いわよ、私も年だし。貴方も昔みたいな痩せぎすじゃないし。」


 でも、貴方を抱くのが好きだからね。と明るい声色で言ってから…、ヨゼファは肌を寄せてくるスネイプの行為を嬉しく思うらしい。彼の髪を耳にかけさせ、露わになったその頬に二、三回キスをする。


 そうか、年か。とスネイプは考えた。

 彼女と教師として再会してから十五年以上の月日が経っている。ホグワーツで生徒として過ごした期間の倍以上だ。


「お互い、年を取ったのか……。」

「そりゃあねえ。」

「だがこの学校ホグワーツは変わらないな。まるで化石のようだ。」


 背の高い樹の上から、二人は遠く離れていながら山のように巨大だと分かるホグワーツ城へと視線を向ける。

 お互いに、思うことをありありと胸の内に浮かべてはそれを見つめた。

 闇に沈んだ城壁のところどころが月明かりにゆらゆらと白く浮かび上がっている。青味がちな月の光はまるで夜明けかと思うくらいだった。しかし、まだ夜は明けていない。


「美しい学校だ。」


 スネイプがポツリと呟くと、ヨゼファが暗闇の中でこちらに視線を向けてくるのを肌で感じた。紅い瞳は濡れ色に鮮やかである。落ち着いて深い色彩をしていた彼女の且つての瞳とは対照的に。


「ええ、本当に。」


 ホグワーツへと再び視線を向け、その瞳を細めたヨゼファは相槌する。


「ボーバトンもね…。ホグワーツと同じくらい歴史があって大きくて、まるで白亜のお城のような美しい学校だけれども。それでも、私はやっぱりここが好きだわ。」

「辛いことが些か多すぎる場所だが。」

「辛いことが多い方が記憶に残るわ。より印象深くて忘れられなくなる。覚えがある感覚でしょう?」


 スネイプが言葉を返さず無言でいるので、短い沈黙が二人が佇む場所に降りてくる。簡単に拾い集められそうなくらい、わずかばかりの星が頭上で光っていた。


 やがてヨゼファが足場にしていた梢を軽く蹴って、重力に囚われない肉体を次の枝へと運ぶ。雨の残滓が樹々から飛び散っては冷たく光った。冷たい風が、二人の黒い髪を弱く煽っていく。


(そうだな、)


 胸の内で、スネイプは彼女へと相槌する。


 確かに、二人にとっては辛いことが多い学校だった。だが、どう生きてもどこにいても人間でいるのは辛いことに変わりはないのではないか。


(だが、どんな場所にも救いはある。)


「気付くか気付かないかの差だ。」

「なにが?」


 ヨゼファはスネイプの独り言に応答しながら、彼の身体を抱いていた力を弱くした。そして、片手を解く。

 それは自然な動作で行われたが、突然のことにバランスをおかしくしたスネイプは「なにを、」と思わず言って解かれたヨゼファの腕を強く掴む。


「大丈夫よ、セブルス。」


 だが彼女はスネイプの焦りを意に介さないらしく、変わらず穏やかな様子で言う。


「怖がらないで。貴方、自分の足で歩けるわ。……身体を影に変えずとも。」


 ヨゼファはスネイプの両手に指を絡めで繋ぎ直し、ほとんど顔が触れるほど近い距離で声を潜めさせる。

 導かれ、手を取り合ったまま風の流れに任せて次の足場、鈴なりに真っ白い木蓮を咲かせた梢へと二人は降り立った。その振動が樹の幹へと伝わり、銀色の花弁が黒い森の中で雪のように舞い上がった。

 
 風に流されていくそのうち一枚をヨゼファは手に取り、「綺麗だわ。」と感想を端的に呟いた。


「……私たちが死んだ時、お墓に花を供えてくれる人はいるのかしらね。」

「いるわけがない。」


 彼女の青白い指の間から瑞々しい花弁を取り除き、他のものと同様に風の中に流しながらスネイプは応えた。


「墓碑を作ってもらえるかすら怪しいが…。死喰い人にも騎士団にも。誰からも悼まれない死だ。」


 ヨゼファの肩を抱き、自分の方へと引き寄せて言葉を続ける。彼女は横目でこちらを見るが、口を挟むことなくそれを聞いていた。


「ああ…だが。君ならば供えてくれるのだろうか。私が死んだら……」


 スネイプは近かった顔の距離をより一層近付け、ヨゼファの瞳の中、更に奥を覗き込む。暫時の静寂。

 ヨゼファの紅い虹彩の奥で、青い炎が棚引いている。情念の火だ。この目でずっと見られてきた。


「だがそれは不可能だ。」


 そのまま、声を囁きに変えて言う。

 ヨゼファの肩を抱いていた掌を動かし、薄い衣服の下の皮膚の形を確かめながら喉元に持っていった。


「私が死んだら、君も死ぬんだ。」


 両掌で包むように、首を優しく締め上げる。顔の距離をなくし、彼女の冷たい頬や鼻頭、顎のラインへと唇を食むように押し付けた。その度に音を立てて自身の劣情を知らしめ、最後に唇を合わせてその舌を舐って吸い上げた。指がヨゼファの首を締める力が食い込むほどに強くなっていく。


「そう、約束した…!!」


 喘ぎながら言って、ヨゼファの首を解放した。彼女は空気の塊を喉の奥から吐き出した後、勢いよく咽せ込んだ。

 その身体を抱き留め、胸元に縋り衣服を握ってくる不健康な色の指へと掌を重ねる。陸に打ち上げられた魚のように呼吸の仕方が分からずひどく苦しんでいるヨゼファの背中を幾度となく摩りながら、その名前を繰り返して呼んでは堪らず喉元や頬に唇を滑らせて口付けた。


 やがて彼女は落ち着き、呼吸を整えながら口を拭って少し身体の距離を取った。腕を伸ばし、ネグリジェの上に羽織った詰襟のボタンを緩めてやる。肌に刻印された魔術の上、自分がつけた指の痕跡が見てとれた。

 彼女の首を弱く締め上げ続ける細い黒色の枷にも一度唇を寄せ、舌の腹で触れてから吸い付いた。ヨゼファは緩慢な手の動きでスネイプの頭を抱き、髪を指先で梳いては撫でていく。

「そうね、約束だわ…。」

 途切れ途切れに囁かれた言葉に、身体の芯が熱くなった。


 スネイプが一通りを終えるのを待ってから、ヨゼファは胸元をはだけたまま身を屈め、足下の枝から木蓮の花を一輪摘んで観察するらしい。「白色ね。」とポツリと呟く。


「青じゃなくて残念…。『愛しています。』は、青い花と一緒に伝えるものなのに。」

「心配する必要はない。」


 花を握るヨゼファの手を取って立たせてやりながら、スネイプは言葉を返した。


「なにも問題はない…。夜に浸って、すっかり青色だ。」


 彼の返答に、ヨゼファは表情を和らげる。色濃い芳香の木蓮に軽くキスを落とし、

「ええ、青色ね。」

 穏やかな声で言った。


「貴方を愛しているわ、セブルス。」


 手渡された木蓮が、月明かりの下で銀白に光っている。

 だがこれは青色なのだ。

 間違いなく、愛情の証としての…………



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