骨の在処は海の底 | ナノ
 生命線

 スネイプは、机上に頬杖をしては些か落ち着かない気分でトントン、とそこを指で軽く叩いていた。

 眼下の机の上には、銀色の薄い金属の円盤が置かれていた。ヨゼファの魔法陣が細い線で彫金されている。


(…………………………。)


 唸り声のような言葉にならない音を唇の端から漏らし、彼はそれを手にとっては(ええい、)と思った。

 指先を滑らかな金属面に滑らせ、伝えるべき文面をそこに構築する。光る文字列が銀盤の上に浮かんでは消え、浮かんでは消え、スネイプが短い伝言文を作ることに少なくはない苦労を要していることが傍目にも分かった。


 掌でそこを払い、ヨゼファの元へとどうにか形にした文面を送り届ける。

 送れた、と安堵と徒労と緊張が混ざり合ったようななんとも言えない気分になった。


(なんだこれは、)

(思春期の子どもであるまいに。)


 彼は盤面を睨みつけてはヨゼファからの返事を待つ。

(遅い、)と思った。まだ送ってから一分も経ってないのにも関わらず。


『良いよ。』


 それから幾分もせず、快諾の返事が短い言葉で送られてくる。

 スネイプはホッとして瞼を下ろし、机上についた片肘で頬杖をつき直した。


 然程時間を置かず、震えるような低い音が空間を揺らすのを耳が覚えるが、そのまま目を閉じていた。


「セブルス、」


 白い光の線で描かれた魔法陣の中から顔を出しているであろう彼女が、こちらに呼びかける。


「寝てるの…?」


 うっすらと瞳を開いて声の方向を見ると、地下…彼に与えられた薬学の教室の床に錬成された魔術から上半身を出し、こちらを伺うようにしているヨゼファがいた。

 スネイプが黙っていると、彼女は不思議そうな表情で少し首を傾げる。


「………早かったな。」

「当たり前、貴方からの呼び出しですもの。最優先事項よ。」


 スルスルと光の枝葉を伸ばしたり縮めたりしている魔法陣の縁に肘をついて、彼女はニコリとした。


「どうしたの、いつにも増して静かだわ。」

「そうか、」

「ええ、そうよ。」


 スネイプは少しだけ笑った。ヨゼファはもまたつられるように、「なに、私の顔にインクでもついてる」と言いながらくすぐったそうに笑みを返した。


「昔を思い出していた。」

「ふうん。」

「ここに戻ってきたばかりの頃だ…。ヨゼファが、まさに今と同じようにこの床から顔を出して…訪ねてきた。」

「ああ、そうね。印象深いから私もよく覚えてる。貴方がそれを嫌がって踏みつけてくるものだから、もう。」

「よく知りもしない人間が床から生えてきたら驚きもする。」

「ごめんごめん。私もなんだかテンパっちゃってて。仲良くしたいけどどうすれば良いのか分からなかったのよ、恥ずかしいなあ。」


 ヨゼファは明るい声で軽快に笑っては後頭部を掻く。

 軟派でヘラヘラしていて世話焼きのお人好し、昔から抱いているヨゼファへの印象そのものの表情で、仕草だった。

 付き合いが長くなって色々な面を知りはしたが、やはりそれが彼女の人となりの根幹であって欲しいと…思う。好きなところだった。安らいだ気持ちになる。


「セブルス、今は私のことよくご存知だものね。踏まれないで済むから安心してやってこれるわ。」

「それはどうかな。」


 着席していた机から立ち上がり、床に頬杖をしていたヨゼファの方へと足を進める。彼女はその様を認めて若干青い顔になった。


「ちょっ、やめてって。踏まないでよ、」


 ヨゼファの制止の言葉に構うことなく真っ直ぐに歩めば、いよいよ彼女は焦ったようにして来たるべくものに備えて頭を掌でガードする。


「って、なに、本当に踏むつもり…!?床から生えられたくらいで大人気ないわよちょっと!!!!」


 悲鳴に近い声を上げたヨゼファを踏む…ことはなく、傍に膝をついて片頬を軽く横に伸ばした。

 …………暫時二人は沈黙してお互いを見つめる。ヨゼファはそのままきょとりとして数回瞬きをした。


「………………………。な、なに。」

「いや……………。踏むのは流石に可哀想だと……。」

「じゃ踏まなきゃ良いじゃない。」

「だが何かしてやらないと気が済まん。しかしなにも思いつかなかった。」

「で、これ。」

「そう、これ。」


 ヨゼファに指で示されるので、伴って肉が落ちてつまみにくいその頬を更に引っ張る。

 彼女は眉を下げてひとつ息を吐いた。……一拍あって、こちらに手を伸ばしては鼻をつまんでくる。だがすぐに解放されては「もう、」と笑いかけられた。片眉が上がって、困ったような笑い方である。


「時々大人気ないっていうか可愛いっていうか…こういうこと・・・・・・するのよね、貴方。」


 全く、と彼女は口調だけは呆れたようにするが、やがて堪えきれなかった笑いをくつくつと吹き出していく。

 珍しくスネイプも素直に笑った。それを見たヨゼファが更に笑みを深くするので「笑うな、」と牽制する。しかし彼自身も笑ってしまっていたので、その効果はまるで皆無だった。


 幾分も笑いのツボにはまってしまったらしいヨゼファは些か苦しそうにしながらどうにか笑うのを止め、「ああ、」と呟いては床に片膝をついて目線を同じくしていたスネイプの胸に頭を預ける。

 自然にヨゼファを抱き寄せて柔らかい髪に頬を寄せると、彼女もまたこちらに腕を回してはポンポンと軽く背中を撫でてくる。


「ねえセブルス、本当に最初は…この…薬学の教室に入ることすら私には一苦労だったのよ。」

「それはそれは…。申し訳ないことをした。」

「貴方の妨害もそれなりだったし、私自身も緊張してたからね。…実は今でもセブルスの傍で、それなりに緊張してるの。」

「嘘を吐くな、液状物のようなだらけの限りを尽くしていた癖に。」

「バカンス中の話は無しです。…本当よ、今こうやって抱きしめてもらってるけど、毎度毎度、心臓が止まりそうな気持ちになる。」


 ヨゼファを抱いている所為でその表情を分からなかったが、声色は穏やかだった。髪をそっと梳かれるのが心地良いので、彼女のゆっくりした言葉に耳を傾けて身体を預ける。


「でも今は、教室…貴方の執務室オフィス、それから私室。セブルスの方から私を招いてくれるんだもの、感無量だなあ…。」


 ぎゅっと強い力で抱かれる感覚に、眉根を寄せた。こちらに向かってくる言葉に、愛情が滲んでいるのがよくよく分かる。


「……………。それでね、最後に貴方の胸に招いてもらうまで、こうやって身体を預けてもらうまで…随分時間がかかった気がするわ。長かったけれど苦労が報われて良かった。…嬉しい。」


 ヨゼファの身体を抱いて…抱え直して、その身体をこちらへと引っ張り上げた。彼女は少し驚いたらしいが、ようやく地面に足をつけては再びスネイプのことを抱いた。先ほどまで彼女が顔を出していた床上の魔法陣は一度強く光っては四方に散って消えていく。


 そして……何にしても、二人して背が高かった。互いの頭は先ほどよりも随分と高い場所にある。

 ヨゼファは自分の身の丈を5フィート11インチと言い張るが、ほとんど確実に6フィートはあった。この時にスネイプは確信を得る。

 流石にスネイプの方が上背はあったが、毎度のように、自分を抱いてなお余裕があるヨゼファの身体の大きさが彼は好きだった。その安定感と安心感に思わず嘆息をする。


 今の自分の顔を見られたくなかったので、身体を離されないように抱く力を強くした。

 彼女はそれを甘受して付き合うが、いつまでも離されないのが少し不思議だったのか「どうしたの?」と尋ねてくる。


「…………………………。」


 それには応えず、応えられなかった。何故か言葉が見つからない。……変だった。緊張しているらしい。


 ややあって、ヨロヨロとヨゼファの身体を解放する。

 しかし彼女の顔を見ることが、視線を合わせることができない。妙に脈が早い上に、身体の奥が熱っぽい。



(思春期の、)


(子どもであるまいに)




「ねえ…夕ご飯、一緒に食べるんでしょう?大広間に行こうか、それとも簡単なものだったらどちらかの部屋でも済ませられるわよ。」


 ヨゼファはスネイプの様子のおかしさを然程気にしていないようだった。彼の口数の少なさは元からである。

 回答を少しばかり待たれるが、何も返さずにいると「そうねえ、」と彼女は腕を組んでは機嫌良く思案する。


「大広間の食堂に行っても良いけれど、夜にあの広い空間で二人きりはなんだか寂しいわね。ダンブルドア先生はまたどこかに行っちゃったし。私の部屋に来る?」

 その提案にひとまず頷く。

「うん、分かった。何か食べたいものある?厨房で食材見繕って来るから。」


 頭を弱々しく振って何でも構わないことを伝えると、彼女は可笑しそうに笑っては「どうしちゃったのよ、貴方がしおらしいと物足りないわ。」と言っては軽く額をつついて来る。


 近しい位置にあるその顔を見据え…腕を伸ばして、掌で頬に触れた。ヨゼファは少し不思議そうにするが、すぐにそれに甘んじては彼女の方から頬を寄せてくる。信頼を示されているのだと仕草から伝わってきて、また、堪らない。


「暖かくて、大きな手ね。……それから長くて…綺麗な指をしているわ。」


 ヨゼファは自らの頬に触っているスネイプの手の甲に掌を重ねてはゆったりとした口調で言う。


「………笑っちゃうわ。私、貴方のことが本当に好きなのね。」


 ヨゼファは重なっている手を唇に引き寄せて軽く口付けた後、そのままスネイプの手を引く形で歩き出す。

 一歩先を行かれるので、もうその表情を認めることは叶わなかった。



 彼女は移動に魔法ではなく徒歩を選ぶらしく、そのまま扉、螺旋状の黒い石階段に向かって歩んでいく。

 上から下を冷たい石壁で満たされた暗い階段で、彼女は魔法陣の小さな焔を灯しては石段を昇った。二人の手は、まだ繋がったままである。



 へんに昔のことをここ最近は思い出す……、とスネイプは考えていた。

 今もまさに、ここに教師として戻ってきたばかりの時分の状況が頭の中に浮かんでいる。


 付いてくる、とのヨゼファの申し出を断って、一人でダイアゴンの横丁まで買い物に行ったのだ。

 人の多さと日差しの強さ、そして自分自身の寄る辺ない精神の所為か…悪心を覚えてなにも買わずに戻ってみれば、ヨゼファが薬学の教室で待っていた。

 立っていることが出来なくなるほどに体調を崩していたスネイプを、ヨゼファは今とは逆方向…更に下層の私室の方向へと、この石段を彼の身体を支えて降った。全く同じ、小さな焔を傍に伴わせながら。



(…………………………。)



 今、繋がっている二人の手を見下ろす。

 何度も床を同じくして、更に深い場所で繋がったにも関わらず、何故か今のささやかな触れ合いに多くの意識が持って行かれた。

 そうして…先ほど口付けられた自分の指先、触った彼女の頬、そしてつままれた鼻。触れ合いをひとつずつ遡って思い出す。

 ヨゼファの皮膚はやはり冷たかった。今…長い階段を昇る間に、少しずつスネイプの体温が移ってそれが和らいでいく。毎度のことだった。



 先ほどから二人して無言だった。四足の固い靴音だけが、縦に細長い空間の中で重なったり離れたりを繰り返して反響している。


 前を歩むヨゼファへと空いている方の手を伸ばしかけて、下ろす。いたたまれなくなるが、黒いローブに包まれた背中をじっと見つめて頸へと視線をなぞらせた。そしてその服の下で彼女の首を弱く締め続けている黒い枷の存在を思い出し、安堵する。


 歪なのだと…自覚はあった。

 だが、目に見える形で彼女との約束の証拠が存在することが重要で、大切で……


 そして、嬉しかった。


 だが形ばかりの枷ではなく…もっと…更に明確な鎖で繋ぎ止めておきたかった。



 閉じ込めておきたい。


 本当はずっと願っていた。


 最近はより一層、気持ちを強くして望み続けている。




「セブルス」


 ヨゼファの呼びかけに、スネイプはハと思考を浮上させては上を行く彼女の背中を再び眺める。

 振り向いたヨゼファの顔には橙色の焔が深い色の影を落としていた。



「トマトにしようか。」

「は?」

「トマトよ、トマト。もしかして知らない?なら教えてあげましょう、トマトは上から読んでも下から読んでもトマ「バカにするな、」


 ピシャリとヨゼファの言葉にかぶせれば、彼女は「オゥ」と肩を竦めてから明るい笑顔を浮かべた。


「今はトマトが旬だから。スパゲッティーなんてどうかなあ。イタリアンなら簡単だしすぐに出来るわ…、きっと美味しいわよ。」


 ヨゼファは身体もこちらに向けては腰を少し落とし、視線を合わせてくる。

 無言でゆっくりと頷き、相槌した。彼女も無言のまま笑みを深くしては頷き返す。


 そして長い階段の終わりに至り、扉を開けた。

 季節柄まだ日は高く、窓からは弱い日光が差し込んでいるが、空気には夜の気配が少しずつ混ざり始めている。

 ヨゼファの冷たい掌がスルリと離れていくので、繋ぎ留めて、繋ぎ直した。


 ------------------- アンブリッジ女史によってホグワーツを追放されたヨゼファが戻ってきてからだろうか。


 確実に彼女への気持ちが強くなっている…と、気が付いていた。

 だが子供のように純粋な好意と、どこまでも穢して傷つけて束縛したい利己的な欲望が混ざり合って、よく、分からない。


(しかし……)


 昨晩、これから始まる今晩、そして今…のような、静かな時間を共有することを大切に思うのであれば、やはり自分の衝動を優先させるべきではない。

 友人でも、家族でも、恋人でも。どんなものであれ、人間同士は互いを思い遣り尊重しなくてはうまくいく筈がないのだから…。


(知っている。)


 それでも、気持ちの深さと共に不安も増していく。


(分かっている。)


 愛していると…傍にいると、何度となく約束してもらっても、ある日突然ヨゼファが目の前から消える予感を覚えてならなかった。


「ヨゼファ…」

「うん?」


 立ち尽くしていると、先ほどより幾分も夜が近付いているのを肌が感じ取る。

 ヨゼファがスネイプの不自然さに、気付いているのか気付いていないのかは定かではない。が、どちらにせよやはり然して気に留めることは無いようで、呑気な調子で返事をした。


「抱いてくれないか…。」

「……………。今?」


 自分のアホ毛の具合を気にしてか髪を指先で弄っていたヨゼファが、目をパチパチさせて言葉を返した。頷いてそれを肯定すると、彼女は表情を和らげて「喜んで。」とふたつ返事をする。


「生徒が学校にいなくて良かったわ…。貴方の望みをすぐに叶えられるから。」


 そして彼女はするりと腕を身体に回して来る。自分で頼んだこととはいえ、あまりにも動作が自然だったので心の準備が間に合わずに些か緊張した。

 やはり、奇妙だった。慣れていない筈はないのに、子供のように覚束ない気持ちになる。


 抱擁に甘んじながら頭を彼女の肩に預けると、消毒液の匂いを鼻に覚えた。…首筋や、上腕、背中の傷痕の手当によるものだろう。

 ヨゼファの服の上から、昨晩自分が残した痕跡が深く残っている筈の場所へと皮膚を擦らせた。痛みを覚えたのか、彼女の肩が小さく震える。反射的に身体を少し離されるので引き戻すために抱き締め返した。なおも鼻先でその箇所を強く押して刺激すれば、「いた…」とその唇から弱い声が漏れた。


「痛いか、」


 ヨゼファの首筋に顔を埋めたまま、小さな声で尋ねる。「痛かったか、」と質問を繰り返して。彼女は返事の代わりに苦笑をした。今朝と同じ返し方である。


 旋毛に、キスを落とされるのが分かった。何回か同じように髪に口付けられる。

 顔を上げると、額に頬、鼻先、そして唇に一度ずつ。軽く、しかし親しみを込めてキスを贈られた。

 彼女の赤と青の瞳で真っ直ぐに見つめられる中、スネイプは…自分の有様・・に反して、ヨゼファの愛撫はいつでも優しいなと考えた。


(今夜も、きっと。)


 彼女は恐ろしいほどにゆっくりと、焦れるほどに丁寧に、この肉体を導いてくれるに違いがない……。



 clap



prevnext

back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -