骨の在処は海の底 | ナノ
 グレイゾーン

 夜だった。

 灰色の闇が漂う室内で、スネイプは膝を抱いて座り込んでいた。


 そうして、今自分は夢を見ているな、と思った。

 自らの膝を抱く掌はやはり青白く、しかし今現在のものよりも余程頼りなく節も目立たない。女のような手をしている、とそれを思った。


 少年の姿の彼は、そのままで…今夜の夢はどちらだろうか。と考えた。

 目を閉じて、答えを待つ。


 細く青白い炎が暖炉の中でひと時揺らめいた。目を開きそれを見て、良かった、と胸をなで下ろす。これは良い方の夢だった。青年時代の惨めさを繰り返し見せつけるような残酷なものではない。


 スネイプの自宅の暖炉から、辺りを伺うように警戒しつつ…少女のヨゼファが顔を出す。

 そしてリビングに彼だけしかいないことを認めると、そっと唇に指を当てては目を細めた。

 スネイプも沈黙を守りながら微笑み、足音を殺して彼女の方に近付く。


 伸ばされた手を取り、膝をついたままのヨゼファと視線を同じくする。

 彼女は指だけで、3、2、1、と数えてみせる。0、の瞬間、再び細い炎が白く火柱を上げては二人を包んだ。


* * *


「……ヨゼファ、寒くない?」


 自分の前に立って歩いている、袖のない白いワンピース一枚を纏っただけのヨゼファへと声をかける。

 彼女は両掌を後ろに回したまま首だけこちらに向け、笑顔を返した。


「いや…ヨゼファが大丈夫でも見てるこっちが寒い。」


 一歩踏み出して隣を歩きながらスネイプは小言のように言う。


「夏とはいえ夜に出る時は一枚、羽織るものを持ってこないと駄目じゃないか。今は休暇中だし…滅多に会えないんだから、風邪でも引かれたら困る。心配で気が気じゃなくなる…。」


 ヨゼファは眉を下げつつも、彼の言葉に笑顔のまま耳を傾けていた。


「着て、ほら。」


 そう言ってスネイプが脱いで差し出した上着を、ヨゼファは緩く首を振って遠慮するようだった。


「着ないと僕は帰る。」


 と不機嫌を露わにして軽く詰め寄れば、ヨゼファは慌ててそれを受け取り、引き止めるために腕を掴んできた。

 その必死さがいじらしくて、すぐに表情を和らげてしまう。


 上着は、灰色でくたびれていた。それを認めながら…次からアイロンくらい当てよう…と少しの後悔をする。

 女の子とデートに行く時くらいもう少し綺麗な洋服が着たかったが、自分にはこれしか無い。学校で、この衣服が不快な遊び道具として一連の男女に弄ばれた記憶が、ふと蘇る。


 袖に通されて行くヨゼファの腕は自分の皮膚色と同様に青白かった。そして肉付きが悪い…と思っていたが、少しだけ、女性らしい曲線を緩やかに帯び始めたようだった。

 彼女は少し余った肩の布地を指先で弄ってから、同じ指でスネイプの肩をそっと撫でた。こそばゆそうな表情をされるので、気恥ずかしくなって目を逸らした。そのまま自分に触れていた手を握って無言で歩き出す。


 夜の公園は無人だった。

 夏の夜に浸されて、すっかり生ぬるくなっていたベンチに腰を下ろす。

 細くなった月の光がヨゼファの淡い髪色を照らしているのを眺めながら、スネイプは「綺麗、、」と無意識に呟いた。


「ヨゼファの髪が。」


 言葉を続けて、肩の上ほどに切り揃えられているそこに触れた。


「綺麗なのは髪だけじゃない、かもしれないけども……。」


 どこか覚束ない様子で呟いてから、月を見上げて、ヨゼファへと視線を戻す。

 彼女は瞬きをゆっくりと数回してから、手の動きで彼の言葉に応えた。


「………いや。お前が違うと思っても僕はそう思っている。相変わらず…自信が無いのか。」


 すぐ近くの距離にいるヨゼファの髪や頬へと触りながら、スネイプは独り言のように零す。


 彼女には、やはり声が無い。

 その声を聞きたいと願う反面、常に二人の間を漂っている沈黙や静寂も嫌いではなかった。

 それは…世間にはあまりにも多くの種類の音や人の声に溢れていて、時折それに責め立てられているような錯覚を起こすからだろうか。


「なにか、あったのか。また母親に虐められた?……え、なに、…僕?僕は…そんなことない。というか、もう全然気にしていないし。親とも思っていないから。何を言われたって、」


 唇に指先をそっと触れられるので、徐々に烈していこうとしていた言葉はそこで止まった。

 ヨゼファは深い青色の瞳でスネイプの瞳をじっと覗き込んでくる。それから眉を下げて笑ってから、両腕をゆっくりとこちらへと開いてみせた。


 そのままで、少しの間二人は見つめ合う。

 生ぬるい風が過ってそれぞれの髪を揺らしていった。ヨゼファは唇の動きだけで、短い言葉を伝える。


 抗えず、スネイプはそっと彼女の胸に身を預けた。腕が身体に回されて、いつものように少し強い力で抱かれる。

 感じ入ってからゆっくりと抱き返すと、自分のくたびれた上着の下にあるヨゼファの体温を皮膚が感じ取って、なんとも言えない気持ちになった。


「ヨゼファ……。お前は、君は…綺麗だ、、ね。」


 素直な気持ちで、思ったことを口にする。


「それから、すごく可愛い。可愛いよ、ヨゼファ。本当に……可愛い。」


 幼い子供に言い聞かせるように、可愛い、と繰り返した。

 優しい心持ちで、指通りの良いヨゼファの髪を梳くと、そこから覗く耳が異様な赤さであることに気がつく。


 昔からそうだった。彼女は気恥ずかしさを覚えると、顔色は全く変わらないのに耳と目尻だけがひどく赤くなる。


 その耳に弱く唇で触れてから、ごく傍で「可愛い」と繰り返して囁いた。続けて、自分の気持ちを素直に言葉にする。



 夢を…夢を見ている。


 この優しい夜が、永遠に続いて欲しいと願うほどに好きな夢だった。


 ヨゼファ、


 声が無い彼女に、返事のない呼びかけをずっとしている。

 
 そうして優しくして、慈しんだ。


 今の自分には出来ないことを、ありもしない過去の自分の姿を借りて、気が済むまで行った。




 


「ええ本当に。最近は少しだけ暖かくなってきたけれどもまだ日が落ちると寒くって、」


 耳に、馴染み深い声が触れると思った。

 肩には彼女の手が乗せられているらしい。服越しにも、やはりその指は冷たかった。


「ありがとうございます。それじゃあ一杯だけ…、そうなんですよ、この仕事の面倒なところは二日酔いできないところで。休日も生活は生徒と一緒ですからね…酢漬けの野菜みたいな匂いをさせたグロッキーな先生の姿は教育上よろしくない……、」


 カウンター越しに、店員と楽しげに会話に興じるヨゼファの姿を、突っ伏したままの横目で狭い視界に入れる。

 彼女は何かの水割りを受け取って、なおも会話を途切れさせずに女性のバーテンダーと言葉を交わしていた。

 しかし掌はスネイプの肩にのせられたままである。視線がこちらに向けられることは無かったが、時折そこを撫でるような素ぶりをする。それが心地良くて、彼は再び瞳を閉ざした。


(いつの間に、)


 ようやく…ぼんやりとそう考えた。

 確か、彼はたった一人でこの店を訪れた筈である。うっすらと瞳を開き、いま再びヨゼファのことを横目する。今度は彼女もこちらを見ていたので、視線が合った。



(また、夢か………。)



 珍しいと思った。

 いつも夢に出てくる彼女は十代の少女の姿で、自分もまた同じ年齢をしていたから。

 だが、初めてというわけではない。以前にも何回か、今現在のよく見知った姿形のヨゼファと共に過ごす夢を見たことがある。



(夢か、)



 そう納得すると、落ち着いた。

 夢の中でなら何も気を張る必要はない。


 ヨゼファはこちらに笑いかけてから、空になったらグラスをバーテンに返した。「セブルス、」と呼びかけてはカウンターに肘をついてこちらを覗き込んでくる。


「迎えに来て良かったわ、こんなになっちゃって。…帰りましょうか?そろそろ戻らないと明日辛いわよ。」


 目を閉じたまま、頷いてそれに返した。

 重たく感じる腕を上げて、ヨゼファの頬に触れようとするがどうにもそれも覚束ない。けれども伸ばした掌はきちんと受け止められ、握ってもらえた。


 肩に置かれていた手が背中に回っていく。立たせようとしているのか、と察するが、やはり身体に力が入らない。

 ヨゼファはそんなスネイプの有様を認めて、どこか楽しげに笑うらしかった。


「あらら……。ほら、私にちゃんと捕まって。…そう、首に腕を回して。大丈夫?この状態で吐かれるとちょっと困るから我慢してね。」


 我慢できなかったら仕様が無いけれど。との呟き後、膝裏に腕を回されては身体を持ち上げられる慣れない感覚にぎょっとする。

 しかし……そういえば、これは夢だった。と思い直して素直にヨゼファの胸に抱かれるままにした。

 チャリチャリと軽い金属音…恐らく代金のやりとりがなされている…が耳を掠め、それからまたいくつかの会話。


「ヨゼファ、」


 話が終わるのが待てず、彼女の名前を呼んだ。「なに?」とすぐに言葉が返ってくる。


「早く…帰ろう。」


 囁くと、ヨゼファは「そうね、」とそれを了承した。

 彼女の肩に頭をのせ、首に回した手の力を強くする。早く…、と小さな声で今一度囁くと、頬をそっと寄せられた。上気したそこに、彼女の皮膚の冷たさは心地良かった。


 そのまま…今よりももう一層深い眠りへと意識を落とす。

 もう少しこのままで意識を保っていたいのだが、と、それを残念に思いながらも。







 スネイプの寝室にて…ヨゼファは眠る彼の身繕いを一通り終わらせては、ふうと溜め息をした。

 ベッドの中に寝かせた彼を見下ろし、緩く唇に弧を描いて笑う。


「もう……。酔っ払っちゃって。」


 そう言って、額を軽く叩いた。


「でも貴方が一人で深酒なんて珍しいわね。しかも学校の外…。………まあ…そういうこともある、か。週末だしね。」


 ベッドに腰掛け、意識をなくしているスネイプへとヨゼファは語りかけた。指を伸ばし、彼の柔らかい黒髪をそっと絡める。


「でも…見つかって良かったわ。肝が冷えるのよ、夜に貴方の姿が見えないと。一人で何処かに行かれてしまったら、私、とても寂しい。」


 目を伏せて、小さな声で心の音を漏らした。

 意味もなく、彼の黒い髪を撫で続ける。毎度のことだが、傍を離れ難いのだ。


「明日は一日部屋から出ない方が良いわよ……。酢漬けの野菜みたいな匂いをさせたグロッキーな先生の姿は生徒たちへの教育上、あまりよろしくないから。」
 

 穏やかな気持ちで言い、ヨゼファは指を離す。


 スネイプが、うっすらと瞳を開けて離れゆく彼女の指とその顔を認めるようだった。

 少しの間二人はそのまま互いのことを眺めるが、やがて彼の女のように白い指がこちらへと覚束ない様子で持ち上げられる。先ほどのように受け止め、それを自分の頬へと触れさせながら、ヨゼファは「気分はどう…?」と尋ねた。スネイプはそれには応えない。


「ああ、でも。起きてくれて良かった。寝る前に水を一杯飲んでおくと楽よ。」


 片手を繋げたまま、ヨゼファはサイドテーブルの水差しを杖で引き寄せる。

 橙色の小さな灯りに照らされた部屋の中、中空に浮かんだガラスの水差しはコップへとその中身をひとりでに注いでいく。ヨゼファは満たされた器を手に取り、彼へと渡した。


「起き上がれる?」


 スネイプが水を飲むのを助けるために背中を支え、その身を起こさせる。

 彼は素直に従うが、水が満たされたコップは見下ろすに留まり、受け取ろうとしない。

 ヨゼファは不思議に思い、「どうしたの?」と尋ねた。


「………飲ませてくれ。」


 ヨゼファは呟かれた要求に「良いわよ。」と応じてコップの縁を彼の薄い唇に近付ける。然しながら顔を逸らされ、拒否された。

 
(どうしたのかしら。)


 ヨゼファは首を傾げ、行き場をなくしてしまったコップと、珍しく皮膚に赤みを帯びているスネイプとを見つめてはパチパチと瞬きをした。


「違う……。」


 か細い声に耳を澄ませるために彼の口元へと顔を近付ける。ほとんどヨゼファの耳殻に唇を付けながら、スネイプは囁いた。

 それを聞き取り、ヨゼファは少しばかり驚くが…すぐに苦笑して、「喜んで。」とその要求もまた快諾する。


「さあ、セブルス。水が溢れてしまうから少しだけ上を向いて。……そう、それで良いわ。」


 顎に指を添え、スネイプの顔を上へと向かせる。従順に倣い、下からこちらを半眼で見上げる彼に…ヨゼファはなんとも言えない気持ちになった。

(いけないいけない、)

 と、些かよこしまな気持ちを抑え、ヨゼファは手にしていたコップから水を口に含む。

 スネイプの顎に添えていた指を滑らせてその後頭部を支え、半開きになっていた彼の唇に自らの唇を重ねる。酒の匂いが強く香って、その摂取量の多さを察したヨゼファは胸中で(もう…、)と声を漏らした。


 緩やかに口内の水を移し、彼が飲み込むのを認めてから唇を離す。それでもほとんどお互いの顔が触れ合うほどの距離で、「コップ一杯分…飲んでおきましょうね。」と囁いた。


 拒否をされないので、残りの水をまた口に含んで唇を重ねた。先ほど彼が寝ていたときにしていたように、髪を指に絡ませてはそっと撫でる。

 3回、4回目、と続けるうちに、腰に腕が回されて行くのに気が付いた。5回目でコップの中身は空になる。名残惜しく思い、ヨゼファは最後に今一度、スネイプの唇と額に軽くキスを落とす。


 コップをサイドテーブルへと戻してから、ヨゼファは少し身体を離してはこそばゆさから笑みをへラリとさせる。

 彼はぼんやりとした表情をしていた。ただ、黒い瞳をこちらにじっと向けてくるばかりだ。


 引き寄せられて服越しに感じるその身体が、アルコールの働きの所為かいつもよりも熱を帯びているように思えた。

 まだ濡れている自分の唇に、彼の親指が触れてくる。なぞられてから、ヨゼファは「駄目よ、」と困ったように笑った。


「今夜は寝ないとね…。疲れが溜まってるんでしょう?お酒の助けを借りたくなるほどに。」


 やがてスネイプは頷き、目を伏せた。暫時してから今一度、ヨゼファの瞳を視線で捉える。

 彼は少し首を伸ばし、ごく近くにあったヨゼファの唇に口付けた。しっとりと押し当ててくる所作が、その体温と同じくいつもより熱を帯びているような気がして、ヨゼファは身震いする。少し角度をずらし、何かを求めるように弱く喰まれた。


 ………緊張していた肩の力を抜いて、ヨゼファは要求に応じた。差し込まれる舌もやはり熱いので、思わず小さな喘ぎを漏らしてしまう。

 身体に回っていた二本の腕の力が強くなるので、(ああ…ねだられている。)と分かって優しい気持ちになった。こちらからも腕を回して、また、彼の髪を撫でる。


(…でも。少し、長いわね……。)


 繰り返して、執拗に口内の形を確かめてくるような長い口付けに付き合いながら、ヨゼファは考えた。情熱的に求められることは嬉しいが、その大抵はスネイプの精神が不安定なことを物語っている。


 お互いの呼吸のために少し解放された時、ヨゼファは「どうしたの?」とその理由を尋ねた。

 やはりスネイプは多分に酔いが回っていることもあってか心ここに在らずのようだった。

 やがて静かにヨゼファの胸元に頭を寄せてから、小さく呟く。


「…、いや。ヨゼファの顔が…近くにあったから…。」


 そう言って、再び口を閉ざした。

 ヨゼファは彼を抱き留めながらも、その発言がおかしくて笑い声を上げた。


「そうね、近くにあったなら仕様が無いわ。」

 スネイプの肩口を摩りながら、ヨゼファは明るく返す。


「………さあ…。そろそろおやすみなさい。一人で寝るのが心許なかったら貴方が眠るまで手を握っていてあげるわよ。」


 そうして冗談めかして言っては、片目を瞑ってみせる。

 大抵こういったことを言うと嫌そうにされるのだが、今夜の彼はやはり反応が鈍くヨゼファを見つめるに留まった。そうして、「そうだな…」と零す。


「今夜のお前が、今の姿で良かった。」

「うん…?どう言うこと。」

「流石に子供に手は出せない。」

「え?」



 彼の発言を聞き返す前に一度離した身体をまた引き戻され、ひどく強い力で抱き締められる。「なに、」とヨゼファは驚くが、ベッドへと、彼の身体の下へとゆっくりと巻き込まれていくのに抗えず、されるがままになった。


 どうやら、今のスネイプは気持ちを不安定にさせているわけではないらしい。ヨゼファに触る所作にはいつものような焦燥がなく、丁寧で優しかった。気遣いすらも感じられるほどに。


(………なに、)


 だからこそ、ヨゼファはどうしたら良いのかよく分からなかった。手負いの獣のように…激情に身を任せる彼を宥める術は大体分かっているが、今の状況の理由や対応の仕方には覚えがない。


 額や、瞼、頬、そうして唇に優しくキスを落とされる。合間に名前を呼ばれた。

 まるで恋人同士のようだと感じてしまったことが恥ずかしくて、ヨゼファは小さく「いや、」と呟いた。

 それが彼の耳にも届いたらしく、一旦の愛撫は止む。ヨゼファは自分の方へと重力に従って垂れてくるスネイプの黒い髪を耳にかけさせては「もう…」と眉を下げた。


「酔っ払っているのね……。ほら、よく見なさい。貴方、きっと私のことを他の誰かと勘違いしているわ。」


 黒い瞳が少し細くなり、品定めをするようにヨゼファのことをじっと見下ろしてくる。

 暫時、あたりは沈黙した。

 ヨゼファはそれを答えと受け取り、「さ…。いい加減に寝ないと、ダメよ。」と眉を下げたまま心弱く笑い、スネイプの身体の下から起き上がろうとする。


 しかしスネイプがビクとも動かないためにヨゼファの動きは阻まれる。

 いつも以上にその表情に動きがないので、正直に言うとヨゼファは今の彼がなにを考えているのかを分かりかねた。その所為か、少しの不安を覚えて表情に表す。


「ヨゼファ……、チェンヴァレン。」


 スネイプは、緩慢に人差し指でヨゼファの顔を指し示して目を細めた。


「私が知っているヨゼファは確か、ひとりの筈だが。」


 こちらを指し示す掌の形を解き、スネイプはヨゼファの頬に長く節の目立つ指を滑らせる。扱う薬品や薬草の所為か、少し荒れている彼の指腹の感触にヨゼファの肌は粟立った。


「……お前だけだ。」


 ほとんど囁き声で漏らし、彼はまた愛情深くゆっくりとした口付けをヨゼファの唇に齎した。


(なに、)


 静かな混乱の最中にいるヨゼファはそれに応えることを忘れ、為すがままになる。


(どうなっているの、…………どうしたの。)



 不安は恐怖になって、ヨゼファの目尻を僅かに滲ませた。

 そこにも弱い口付けがなされるので、小さく身震いをする。


「………震えている。」


 ヨゼファの肩口に顔を埋めたスネイプが、彼女の動きを感じ取って言葉にした。

 抱き締められていた。熱を帯びた彼の身体を、服越しに感じることが今のヨゼファには堪らない。



「お前は…可愛らしいな。」



 スネイプの低く甘い声が齎した耳を疑う言葉に、ヨゼファは息を呑む。夢かと思って目を見開くが、視界には夜の薄闇と暗い天井、そして端の方に自らの首の辺りに顔を寄せている彼の黒い髪とがあるばかりだ。間違いなく、これは現実だった。


「可愛い………、」


 スネイプは身を起こし、首まで留められていたヨゼファの服の釦をひとつずつ解いていく。それを留めることも出来ず、ただただ狼狽えては皮膚に触れていく熱に弱く声を上げる。その度、彼は目を細めてこちらを見た。(見ないで、)涙の薄い膜が張った瞳で訴えるが、その声なき声が聞き遂げられることはなかった。


「本当に、可愛い。」


 譫言のように繰り返しながら、スネイプは晒されたヨゼファの胸へと唇を寄せた。


* * *


「やめて、」


 耳を、心弱い声が掠める。肩に手が添えられているのが分かった。弱く押されるのでそこを握る。そして真意を尋ねるため、顔を上げて自分の身体の下のヨゼファへと視線を落とした。

 彼女は目元を手の甲で隠して、深い呼吸を一度した。

 釦が外された胸元から覗く乳房が、それに合わせてゆっくりと上下した。薄闇の中に灯る小さな明かりに照らされたヨゼファの皮膚はいつも以上に青白く、体温もまた低かった。


 拒否を示す短い言葉を口にされても、スネイプはそれを然して気にしなかった。何故ならここは自らの夢の中だから…ヨゼファが拒否をするわけがない。

 夢の彼女も、現実と同じようにスネイプのことを深く愛していた。愛情を示すともっと多くを応えてくれる。だから今、口を衝いて出た言葉も本意ではない筈だ。


 顔や頬はいつものように血色が悪い白色なのに、耳だけが異様に赤い。それは昔から変わらない…、笑顔以外に残された、ヨゼファの数少ない感情表現のひとつだった。


「私…かわいくなんか、ない、、」


 手で目元を隠したまま、ヨゼファは幼い少女のような口調で呟いた。消え入りそうな声である。

 その様子が至極珍しかったので、スネイプは少しばかり驚く。…しかしやがて瞳を伏せ、それに応えた。


「相変わらず…自信が無いのか。」


 妙な気持ちになった。少女時代のヨゼファならともかく、今の彼女でありながらこの様子はどうなのだろう。

 自分のことを弱い力で押し返す右手、そして顔を隠す左手を握り、避ける。ヨゼファは別段抵抗はしなかったが、見られていることが堪え難いようで、目を伏せて視線を逸らした。その目尻もまた紅色に色付いている。


「…………そうか。」


 握ったままだった彼女の掌を、すっかりと肌蹴ていた自らの胸元に持っていって触れさせる。スネイプはヨゼファの指先の冷たさに、彼女は逆にこちらの皮膚の熱に感じ入って、お互いに弱い溜め息を漏らす。


「確か…そうだ。お前は、そういう顔をするんだったな……。」


 ポツリと零せば、ヨゼファは伏せていた瞼を更に下ろして目を閉じた。「見ないで、」との囁き声が、その唇の端から漏らされる。


 スネイプの体温によって暖められたヨゼファの掌を、今度は頬の方へと持っていく。今一度、顔を彼女の方へと近付け、「私を、見てくれ。」と出来得る限り優しく語りかけた。

 ヨゼファはゆっくりと目を開いて、深い青色の瞳でスネイプを捉えた。その中を覗き込むと、自分の姿が濡れた虹彩の中にはっきりと映り込んでいるのが見て取れる。


「美しい…。美しいな、ヨゼファは。」


 すっかりと笑顔が鳴りを潜めているヨゼファの、赤くなってしまった目尻に唇でそろりと触れる。

 ヨゼファは息を飲み、捕まえられていた手を抜き取ろうと力を込めた。しかし抵抗はか弱いものだった、彼女とは思えないほどに脆弱な所作である。


 まるで生娘のように怯えたその有様を、スネイプは不思議に思っていた。いつもの夜…夢の中であれば、自分の愛情は自然に受け入れる筈である。


「……怖がらなくて良い。」


 赤く染まっている耳元で囁き、そこにも軽く唇をつける。

 舌先を尖らせて複雑な耳殻の形をそっとなぞり、口に含んだ。


 ヨゼファは喘ぎ、途切れ途切れに自分の名前を呼んだ。

 ………覚束なくなっている、と彼女の焦燥を含んだ余裕のない声色からスネイプは感じ取った。


(あの…ヨゼファが………、)


 そうさせているのが自分だと思えば堪らなくなる反面、安らいで欲しいとも思う。いつも自分が行ってもらうように。


(夢の中でくらい……)


 ヨゼファの手を離し、ゆっくりと身体を重ねていく。抱きしめると、お互い半端に晒されている皮膚が直接触れ合った。馴染み深い柔らかさに感じ入りながら、瞼を下ろす。


(……夢の中でしか、)



 抱き締める腕の力を強くしながら、彼女の青い瞳にしっかりと捕らえられていた自分の姿を思い出す。


(今も昔も…私のことを、見ているな。)


 抱いてくれ、とその耳元で求めるが応じてもらえる気配がない。ヨゼファは離された掌でシーツを握り締めていた。


「なにも怖がらなくても良い。傷付けたりはしない…から、」


 いつも自分が行う乱暴な所作を…その喉に残る痕を眺めながら思い出した。労わるようにそこにも口を付け、触れるだけのキスを何回かヨゼファの唇に行う。



「だからいつものように、私を愛してくれ……。」


 ヨゼファ、


 呼びかけ、深く口付けた。

 触れるだけのキスを繰り返していた彼女の唇を食み、舌先でなぞって、その愛情を繰り返して強請る。

 ヨゼファは唇をうっすらと開き、迎え入れるように舌先をこちらに触れてから緩く絡ませた。それが嬉しくて、ヨゼファ、と合間にもう一度名前を呼ぶ。


 ベッドのシーツを未だに握り締めているヨゼファの右手に指を絡ませ、自分の掌の方を握らせる。絡んだ舌に唾液を伝わせて彼女の口内に落とし込む。音を立てて唇を離した後、「飲んで、」とごく近くで囁いた。

 ヨゼファは色味のない喉を動かして、混ざり合った二人分の唾液を少し苦しそうに嚥下する。受け入れられたことに安堵して、スネイプは緩く嘆息をした。


 彼女が…本当にようやく、こちらに手を伸ばして身体を抱き寄せてくれる。

 待ち望んでいた抱擁に甘んじて身を預け、露わになっていたその肩へと頭を預けた。


「お前は……、本当に可愛らしい。」


 掠れてしまった声で囁き、瞼を下ろす。

 火照った身体に彼女の体温の低さはやはり心地良く、そのまま幾度か頬を擦らせた。そうして続けた言葉は、声になってくれただろうか。よく、分からない。


* * *


 自分の腕の中でスネイプが眠りに落ちたことを感じ取ったヨゼファは、彼を抱き留めたままで「ああ、」と呻いて額に手を当てる。

 そしてスネイプを抱えて抱き起こしてから、はだけていたその衣服を整えて元のようにベッドの中へと寝かせてやった。


「………………………。」


 そして、自分はベッドの端へと腰を下ろした。

 すっかりと露わになっていた乳房を、ずらされた下着の中に収めて釦を留める。

 少しの間、緩く組んで膝の上に乗せた自分の色の悪い掌を見下ろしていた。首を垂れ、頭を左右に振る。


「……………、酔っ払っちゃって。」


 心弱く笑い、スネイプのことを見下ろす。

 顔にかかっていた黒い髪を耳へとかけさせ、彼の端正な顔、頬へとそっと指を触れた。………何故か、目尻がぼんやりと涙で滲む。



『本当に、可愛い。』



「…………………、」


 耳元で囁かれた言葉を思い出し、なんとも辛い気持ちになって自らの顔をゆっくりと片手で覆った。

 手足の先は異様に冷たいのに、頭の芯はジンジンと熱い。眉根を寄せ、「もう、」と情けない声を上げる。


「お願いだから…、次から、深酒する時は私のことを呼んで。悪い酔い方するわ、これはあまりにも私の心臓に悪い……。」


 そして、掠れた声で言葉を続けた。


「それに、辛い時は一人になっちゃ駄目よ。私はいつでも…貴方の味方なんだから。」


 黒い髪を撫で、母親のような気持ちになってそこにキスを落とす。


「に、しても。女生徒以外に可愛いだなんて言われたの初めてよ。……まして貴方から。」


 変なの…、と言葉を零した。そうして口を噤む。

 そのまま、我慢しようとはしていた。しかしどうしても堪えきれず、ヨゼファは


「バカ、」


 と本当に小さい声で悪態を吐いた。



 ご提供していただいたネタから書かせていただきました。素敵なネタをどうもありがとうございます。

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