骨の在処は海の底 | ナノ
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 唇に湿った感触を覚えて…ああ、キスされてるのかな…とぼんやり考えた。

 眠りの浅瀬に横たわるヨゼファは、それでもまだ目を開けずに誰かにされるがままにしていた。

 もっとも誰なのかは分かっていたが。これが本当に誰か分からなかったら、それこそ悲鳴を上げて飛び起きてしまうに違いない。


 頬に手を添えられて、幾度か同じように唇が重なる。その度に触れ合う時間が長くなって、やがて舌でそこをなぞられた。こそばゆさに弱く喘ぐと、するりと口内に侵入してきた温かい舌が歯列に触れていく。

 自分の身体に覆いかぶさっていた彼の身体が、なにかを訴えるように少し身を捩って皮膚を擦らせてくる。そろそろ起きなくては、と呑気なヨゼファもようやく思い始め、その首に腕を回して自らの意識の浮上を知らせた。


 唇を離されたが、それでも顔の距離は近かった。近すぎて焦点が合わずぼやけてしまうスネイプの顔を眺めながら、ヨゼファは「おはよう…」と呟いて弱く笑った。


「………まだ、夜だ。」

「そう、それじゃあ…おやすみ。」

「寝るな。起きたばかりだ。」

「夜は眠りの時間よ。」

「ろくに眠りもしないくせになにを今更。」


 悪態をつかれるので、ヨゼファはなんだか可笑しくなってクスクスと笑いながら、深夜の来客を毛布の中へ招き入れる。彼はそれに甘んじながら、「笑ってごまかすな。」と低く言ってはヨゼファの胸に頭を預けるように身体を沈めた。

 その心地良い重みを手繰り寄せ、ヨゼファは愛情を込めて少し強めに抱いた。


「……眠れないの?」


 スネイプが真夜中に自室にやってくることは珍しくもないので、彼女は別段驚きもせずに会話を続けた。

 回答はないが、胸元に落ち着いている彼の頭が微かに上下する。

 ヨゼファは自分の薄い寝間着や皮膚の上に流されている彼の黒髪を掬って、指先で軽くすいた。


(かわいい人よね……。)


 そうして、長く暗い夜に苦しみを負わされている彼には悪いが…殊更の愛おしさを覚えて堪らない気持ちになった。


(週末だもの。明日はお休みね、)


 それならば付き合って夜更かしも悪くないだろう。…もとより、この身体は多く睡眠を必要としないのだ。


 ヨゼファは寝室に広がる暗闇へ、そろりと腕を伸ばす。その際に、ネグリジェの袖が重力に従って落ち、闇の印が窓から差し込む弱い光の中で露わになった。

 しかし今はスネイプくらいしか見る人もいないので大して構わず、彼女は黒い夜の空気を指先でなぞって細い光の線を描く。

 円の中、シスタシオンが滑らかに重なる古典的な図象は複雑なものでもない。だからほんの僅かな時間で描き終わった。


「セブルス、ほら。見ててね。」


 まるで親に描いた絵を見せる子どものように、ヨゼファは緊張と少しの誇らしさが入り混じった気持ちで彼へと囁きかける。

 彼女の胸の上で瞼を緩く下ろしていたらしいスネイプが示された方を見上げる。細い線で構成された魔法陣は、中空で青白く光って浮かんでいた。

 それを指先でそっとつつくと、光の線は霧散して辺りに広がっていく。細かい光の粒はサラサラと流れては時折強く光り、ヨゼファの寝室に小さな宇宙を構成した。


「昔々、占星術のために用いられた魔法だけれど…今はほとんど使われてないわ。天球儀を使えば魔法陣を描く必要もないものね。」


 黙ってヨゼファの星空を眺める彼の黒い頭髪をゆっくりゆっくり撫でながら、生徒にしてみせるものと同じ解説を行った。


「私、占星術の成績は大したことなかったけれども星は好きだわー…。今の貴方と同じように眠れない夜は、時々これを眺めて朝までやり過ごすの。」


 そして、次は教師ではない自分の内面を交えて話しながら。

 ヨゼファは…スネイプといる時が恐らく最も自然体に近かった。彼は自分の後ろめたいものを全部知っていたから、取り繕う必要がなくて一緒にいて楽だった。

 それをそのまま口にすると、少しの沈黙の後に嘆息される。「お互いさまだ、」という短い応答が嬉しくて、けれどもどういうわけか胸は苦しかった。


 スネイプが、ヨゼファの身体の上から隣へと移動する。彼の収まりが良いように少し動いて導いた。二人して仰向けに寝て、弱く光りながら巡っていく仮初めの宇宙を見上げてはポツポツとどうでも良いような会話をする。

 その最中に手を引き寄せられて、握られた。握り返して、「温かいわね。」と感想を述べる。


「ヨゼファが冷たすぎるだけだ、いつも。」

「それは確かに…。」

「寒くはないのか。」

「それなりに寒いわ。でも慣れてるから平気。」

「慣れる必要はない。」

「そう?」

「慣れられたら温めてやることができない。」

「………………。なるほど、」


 貴方は温かいわね…、とヨゼファは今一度囁いた。

 せっかく彼が自分を頼ってここまでやって来てくれたと言うのに、随分情けない声を出してしまったと少しの反省をしつつ。


「私のこと、温めてくれる人がいて良かったわ…。」


 だが、彼もまたヨゼファの希薄すぎる眠りの苦痛を理解していてくれるのだろう。握られていた手が一度離されてから、指を絡めて繋ぎ直された。大きな手、と端的に呟く。

 ……そもそも、ヨゼファは自分の不安を人に漏らす習慣が無かった。こうして彼と夜を過ごさなければ、誰にも心の声を聞いてもらうこともまた無かったのかもしれない。それはきっと、寂しいことなのだと思う。


「貴方と一緒に見ると、星がいつもより綺麗だわ…」

「三文小説にありがちな台詞だな。」

「そうねえ……。安っぽい人生だから、安っぽい台詞しか浮かばないのが悔やまれるわ。」

「お嬢様にも関わらず?」

「元、お嬢様よ。今は家なき子…いいえ、家なき中年?かしら。」


 ヨゼファの言葉に、スネイプが笑いを堪えて咳き込んだ。

 大丈夫?と苦笑して声をかけながら、ヨゼファは咳が治った彼の肩に頭を預ける。新しく皮膚が触れたところからも、その体温をじわりと感じて心地良かった。


「どう……?少し寝れそうになった?」

「いや、まだ眠くはない。」

「そう。私の声、授業中に生徒を寝かしつけるのに最適なみたいだから、そろそろ眠くなるかと思ったんだけれど。」

「………私は生徒ではない。」

「知ってるわよ…。」


 今度は、先ほどと逆に彼の方へと抱き寄せられる。

 その…思ったよりも厚みがある肉体の下に身体を巻き込まれて行くので、ヨゼファは「あ…」と小さく声を零した。


「なあに…。さては寝る気ないわね?」


 片眉を上げて笑いながら、重力に従って自分の顔に柔らかく触れてくる彼の髪を耳にかけさせる。


「星の灯りを落としてくれ…。少し、明るい。」

「楽しんでくれた?」

「それなりに。」

「そう……。」


 ヨゼファは瞼を緩く閉じて、満たされた気持ちで仮初めの星屑の中に片腕を伸ばして行く。

 宇宙の始点となった小さな星に指先を触れると、キン、と冷たく澄んだ音が上がった。そうして細かい煌めきたちは中空からこちらに降り注ぎ、輝きを暗闇に溶かしていく。

 最後の光が失せて辺りが再び闇に覆われていく中、ヨゼファは伸ばした腕をゆっくりと下ろしてスネイプの背中に回す。


 唇に湿った感触を覚えて…ああ、キスされてるのかな…とぼんやり考えた。

 少し離されるので、愛しているわ、と想いを正直に伝える。身体を抱かれる力が強くなった。全身に感じる温もりに心から安堵して、瞼を閉じる。

 きっとまだ、朝に至るまでには幾許もの時間がある。この夜はいつもより少し、長くなるのかもしれない。



 お題メーカー様より『ベッドの中で「おはよう」と言う』で書かせて頂きました。

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