骨の在処は海の底 | ナノ
 海岸線

「ほら、見て。綺麗よ。」


 夕食を済ましてはなんとなく雑談をしていた時、おもむろにテラスへと顔を出したヨゼファが首を巡らしては屋内にいたスネイプへと振り返って言う。

 従って傍へと至り、示された方を眺めた。陽が落ち切らないながらも海辺の青色は色濃くなり、それらをこの場所から遠く離れた港の光が眩しく照らしている。

 いつもは然程気にならない明るさだった。しかし夏至祭の今夜は岬に多くの人が集まっては何かを催しているようで、その様が煌々と真っ赤に瞬いているのがよく見て取れる。


「ああ…そうだ。」

 ヨゼファは思い出したように呟き、一度室内へと戻っては重たそうな黒く四角い年代物のラジオを持って帰ってくる。

 テラスの手摺にそれを置いて銀色のツマミを上げると不鮮明なノイズ音が弱く流れた。彼女がダイヤルを回したり何の為に付いているのかまるきり謎なボタンを弄っていると、やがて雑音は治まりチープな音質の音楽に変わっていく。聞き覚えがある古い流行歌だった。


「この地方にラジオ局はひとつしかないの。今夜はずっと音楽の日だわ、あそこの港でも皆今の私たちと同じ曲を聞いている筈よ。……なんだか不思議な感じね。」


 ヨゼファはそれに合わせて鼻歌をしては気持ち良さそうに夜の空気を吸い込んだ。


「ねえ、セブルス。」

「なんだ老け顔。」

「……………。前から思ってたけれど、貴方も人のこと言えないと思うわよ…。」


 彼女は可笑しそうに笑い、「今度若返りの薬を調合してちょうだいよ、試しに一緒に飲んでみるの。」と本気か冗談か分からないことを言った。

 そして手摺に掌をついたまま、隣のスネイプの顔をじっと眺める。…良からぬ予感を覚え、彼はやや身構えた。


「ねえ、踊らない?」

「断る。」


 ヨゼファの持ち掛けを即答で拒否し、彼は港からの光が一本の赤い線になって海と空の境目をなぞる様へと視線を向ける。彼女はその回答を予測済みだったようで小さく笑った。


「別に良いじゃないの。さあ姫、お手を。」

「誰が姫だ。」


 無愛想な反応を気にせず食い下がるヨゼファの肩を軽く叩き、スネイプはすっかりと強く皺が寄ってしまった自らの眉間の辺りを抑えて軽く揉んだ。

 自分の横顔に、彼女の楽しげに細められた視線がひしひしと突き刺さるのを感じる。居心地の悪さを覚えつつ、彼はようやく瞳だけ動かしてヨゼファを見た。予測した通り、ヨゼファはニコニコと笑ってこちらを眺めていた。


「………………。苦手だ。あまり得意ではない。」

「そう?私もそんなに上手じゃないわよ。」

お嬢さま・・・・にも関わらず?」

「残念、お嬢さまだわ。不良娘だったし。」


 ゆったりとした柔らかい音楽を背景に、ヨゼファが無言で手を差し伸べた。いつでも変わらず青白く、触れればひどく冷たいに違いないその掌を。


「ひとつ条件が。」

「なんなりとお伺いしますわ、姫様。」

「靴を……」


 そこで言葉を切ってしまった彼の言葉を考えるように、ヨゼファは少し目を伏せる。それから口元に手を当て、「貴方って、」と小さな声で呟いた。


「本当に…なんて言うか、ズルいわ。時々驚くくらい可愛いんだもの。」

 もう、やだなあ。とヨゼファは至極嬉しそうに呟き、スネイプの言葉の意味を汲んで屋内に今一度戻っていく。


 どちらが、とスネイプは思った。

「ズルいのはどちらだ。」

 とほんの僅かな声で呟いて。


 青い靴へと履き替えて戻ってきたヨゼファが今一度差し伸べてくる掌を躊躇しつつ取れば、彼女は微笑んで「光栄です、姫。」と恭しく頭を垂れる。「ふざけてるのか。」と低く言うと、「ううん、大真面目。」と真顔で返された。


「どのくらいぶり?踊るの。」

「もう思い出せない。」

「私も似たようなものだわ…。でもきっと身体はそれなりに覚えているんじゃない。」


 ヨゼファはスネイプの背へと腕を回してはゆっくりとしたテンポを促してくる。

 二人の背丈はやはり大した差も無く、ほとんど同じ高さで視線が交わっていた。けれども身体の造りや体型は当たり前に異なるのだと、その腰を抱きながら考えた。

 いつもにも増して上機嫌な笑顔を浮かべるヨゼファのリードに合わせて動くと、確かに彼女が言うように身体は覚えているようだった。そうして嫌でも学生時代のことを思い出し、なんとも言えない気持ちになる。


「あら、謙遜していたのに上手じゃない。………そうそう、ゆっくりで良いのよ。1、2、3…これくらいのテンポでね。」


 お嬢さまの時分指導されていたからだろう。ヨゼファはどこか家庭教師カヴァネスじみた口調で語りかけてくる。

 しかし当然ながらお互いやや覚束ないところがあった。それは単純にブランクがあるからと言うよりも、二人で素直に睦まじくすることに慣れていないからだろう。どうすれば良いのか分からなくなる時があった。それはヨゼファも同じようで、目が合いそうになると意図的に逸らされる。


 胸が痛くなって、踊るのをやめた。

 それに合わせて足を止めたヨゼファの肩へと、向かい合ったまま頭を乗せて深く息を吐く。彼女はそっと両腕を背中へと回し、「少しくたびれちゃった?」と穏やかな声で尋ねてくる。


 背景には、まだ音質の悪い骨董品のようなラジオから甘い女の歌声が流れていた。「消してくれ。」と短く言うと、ヨゼファは従って腕を伸ばしてその音源を切る。沈黙に耳が慣れると、遠く離れた街の中心部からの賑わいが青い海風に乗って流れてくるのが感じ取れた。


「ねえセブルス……。来年度のダンスパーティーでも、私と踊ってくれる…?」


 ヨゼファが、ひどく小さな声でスネイプへと尋ねた。囁くような、ほとんど吐息のような声で。

 抱き締められる腕の力が強くなる。……緊張しているのかもしれない。もしかしたら…いや、きっとそうだ。これはかつての、学生時代のヨゼファが自分へと言いたくて、言いたくて堪らなかった言葉なのだろう。

 夥しい黄金色の蝋燭の光で満たされた広間の隅でたった一人だけ灰色の制服を着て、長い髪を結い上げることもせず。ただただぼんやりとしていた…ほんの一瞬だけ視界の隅に映ったヨゼファの姿を思い出しながら、スネイプは彼女の身体をゆっくりと抱き返す。胸から脇腹へと続くなだらかなラインを掌でなぞってから、その体温をいつものように温め直す為、強く抱いた。


「…………断る。」

「そう…。」


 低い声で短くヨゼファの誘いを断れば、彼女もまた端的にそれに返した。

 肩に置いていた頭を少しずらし、その首筋に顔を埋めた。自分が開いてしまった生傷に弱く口付け、鼻腔にヨゼファの匂いを満たす。彼女が僅かに身動ぐのが腕の中、よく分かった。
 

「第一、今の有様で人前で踊れるとお思いか。」


 ポツリと呟くと、ヨゼファが小さく笑いながら「確かに。」と応えた。ゆっくりと髪を撫でられる。彼女にこうされるのは昔から好きなことのひとつだった。


「それに生徒から好奇の視線を向けられるのは堪ったものではない。第一ああ言った浮足立った場所は腐ったカボチャジュースよりも苦手だ。」

「そ、それはえらい嫌いようね…。」

「元より出席するつもりはない。居ても辛いだけだ…あまりにも思い出すことが多い。」


 心の音を正直に吐露しながら、ヨゼファに少しずつ身体を預けていく。やはり彼女は蹌踉めくこともなく、しっかりとスネイプの体重を支えていた。


「……………部屋にいる。………。来て欲しい……。」


 自分を抱き留めていたヨゼファが、ゆっくりと深い呼吸をするのを感じた。

 強い力で抱かれている。彼女は冷たい頬を寄せ、低い声で「そういうところが、ズルいわ。」とだけ囁いた。「可愛い…」と続けて。



 パン、と乾いた音がするので二人顔を上げてその方を見た。

 ああ、と思った。安っぽい火薬玉がようやく夜らしい色となった空へと上がり、赤や紫や黄や青色の花が咲いていた。黒い海面にも火花が落ち込むので、海底から花火が湧いて出てきているかのような錯覚に見舞われる。


「無駄なことを……。」


 刹那咲いて散っていくその強い光が自分の輪郭をなぞるのを感じながら、スネイプは呟いた。


「私は好きだけれど。」


 向き合っていた姿勢から彼の隣へと至りながらヨゼファが言う。彼女は手摺に頬杖をつき、パチパチと光を散らす空へと遠い視線を向けた。


「花火はラジオみたいなものだと思うわ…。あの大きな光を色んな人と共有しているんだと思えば、寂しさも少し和らぐでしょう。」

「寂しいのか。」

「たまにね。誰だってそうでしょう。」


 暫時黙って、咲いては水面に散っていく遠い空の花火を二人で眺めた。


「……ありがとう。」


 唐突にヨゼファが礼を述べる。少しの間待つと、彼女はどこかはにかんで言葉を続ける。


「靴のことよ。大切にするわ。………どうしよう。私、勿体無くて外に履いて行きたくないわ。汚れてしまうもの。」

「それでは意味がない。」

「分かってるわよ。ああ…でも、そうね。大切な時にだけ履くわ。例えば貴方とお出かけするときとか。」


 彼女は喜びを噛み締めているのか少し頬を赤くして言う。それから「そう言えば…」と表情を優しくして言葉を続けた。


「セブルス、なにか欲しいって言ってたわよね。リクエストがあったら教えてちょうだい。……最も貴方もよく知っているように私は大したお給料をもらってないから、お手柔らかにお願いしたいけれども。」


 スネイプは少し考えた後、腕を伸ばしてヨゼファの頬に触れた。それから彼女の耳へと指先を滑らせる。白い小さな真珠の飾りに触れ、それをゆっくりと外した。逆の耳も同じように。

 掌中のふたつの真珠を見下ろしていると、ヨゼファが「そんなもので良いの。」と尋ねてくる。それには「いや、」と返した。


「耳なら大して汚れない。余程お前の耳垂れがひどくなければ。」

「う、うん。そんなに耳垂れはしないと思うわよ。」

「だから……今度はこちらにする。」


 真珠をヨゼファへと返しながら、スネイプはあまりにも言葉足らずに言う。


「………私の方は別段…なんでも良い。形に残るものならば…。」


 最後の部分を改めて念押しした。先程の自分と同じように、掌中の真珠へと視線を落としたままのヨゼファへと。


「だが…そうだな。一度、やってみたいことがあった。」

「なにかしら。」


 彼女は真珠を耳へと戻さず、シャツの胸ポケットへと入れながら応対する。

 涼しい夜風がテラスのテーブルに敷かれていたクロスを揺らす。その上には、ヨゼファが自分に贈ってくれた纏まりのない色彩の小さい花束がコップに活けられていた。


「えっっっ???」


 そして辺りの静寂の中、ヨゼファの頓狂な声が上がった。「ちょっと、」と彼女は動揺を露わにしてスネイプの首へと腕を回す。


「ちょ、どう言うつもり??重いでしょう、無理は止しなさいよ…!」

「当たり前だ、重いに決まっている。6フィートを超えた人間が軽いわけがない。」

「超えてないわよ流石に!!」

「では5フィート11インチ。」

「特に変わらないじゃないの、そこまで言うなら本気で飲むわよ縮み薬!!」


 ヨゼファはほとんどパニック状態にあるのか、顔を覆って「ああ、」と声を漏らした。少しばかり哀れになって、外見で弄るのは少し控えようかとも考えた。………最もその考えは明日には忘れているのだろうが。


「…………。気にすることはない。」


 自分の首へと再度腕を回すように促しながら、抱き上げたヨゼファへと声をかける。


「抱えられない重さではない…。」


 幾年も昔の雨の夜、彼女に同じように横抱きにされたことをよくよく思い出しながら呟いた。その際に、貴方を抱えて持ち上げるくらいは余裕だと笑ってみせたそのくしゃりとした表情も同時に。

 当時からずっと変わらず、ヨゼファは余程自分よりも逞しい女性だった。呼べば、助けを求めればいつでも心配性が過ぎる母親のように飛んで来ることを分かっていたし、その愛情に甘んじて傷付けてしまっても受け入れてもらえることをよく知っていた。


 戸惑いながらもヨゼファがこちらの首に再び腕を回す。近くへと至った淡い色の唇に触れるばかりの口付けをした。


(まるで…ヒーローのような………。)


 学生時代のヨゼファは、そして今も…彼女はスネイプをそう思っているらしい。だがそれはどちらかと言うと逆だとよくよく考える。

 
(どうすれば近付けるのだろうか。)


 ヨゼファに頼りにされて、信用されて、泣き言すらも聞き届けて望みを叶えてやることができる人間に。



 彼女はスネイプの腕に抱き上げられたまま、未だ海上に打ち上げられ続けては一瞬で堕ちる運命にある大輪の火花を眺めていた。そして小さな声で「どうしよう…。」と零す。「こんなに良いことばかり、」と続けた声は掠れていた。


「私…死ぬなら今が良い。」

「…………殺して欲しいのか?」


 ポツリとしたその呟きへと返すと、彼女はこちらへゆっくりと向き直る。ひどく近い距離で二人は互いを見つめ合った。花火の鮮やかな光がヨゼファの瞳の中に映り込むのか、その青い虹彩の奥に赤い焔が仄かに差し込んだように錯覚する。

 テラスの下では、波が岩へとぶつかり砕ける音が絶え間無く続いている。黒い海へとスネイプは視線を落としながら、ヨゼファを抱く腕の力を強くした。


「嫌に決まってるでしょう!!」


 べち、と鈍い音と共に両頬を軽く叩かれる感覚にスネイプは弱く呻いた。そして眉間に皺を寄せてはヨゼファへと視線を戻す。


「だって貴方の殺し方絶対苦しいもの!当然お断りよ、もう…!!」


 なに不機嫌そうな顔してるのよ、とヨゼファはスネイプの眉間の皺を愉快そうに伸ばした。やめろ、とそれを殊更不機嫌な声で制止させる。

 彼女はやや幼い表情で笑い、どこか甘えるようにしてこちらに頬を寄せては軽いキスを落とした。


「それくらい幸せだって言うただの例えよ。……それに貴方も私も、今死ぬわけにはいかないでしょう?」


 さあ、もう腕が限界だろうから下ろした方が身のためよ。と悪戯っぽい表情で促されるので、従ってヨゼファのことをゆっくりと離す。

 地面へと足を付けて再び自分の足で立った彼女は微笑み、おもむろに自然な動作でスネイプのことを抱き寄せた。甘受すれば、いつものようにしっかりと抱かれるので、顔をその胸へと寄せて力強い抱擁に身を預ける。


「沢山不安があるでしょうけれど…。私はずっと貴方の味方よ、だから安心して欲しいの。約束通り最後まで一緒に戦うわ。」


 髪を撫でられ、耳元で囁かれた。……瞼を下ろして抱き返しながら…やはりヒーローは彼女の方だと思った。そして、


「貴方を愛しているわ、セブルス。」


 その言葉を聞きたかった。いつでもそれを行動で示して欲しい。

 自分ひとりの為に生きて欲しい。自分が死んだら一緒に死んで欲しい。愛するならば全てを犠牲にして愛して欲しい。

 その強い願望への変化は、今だに訪れる兆しがない。

 遠い空の下で花火が弾ける音がまたひとつ、鼓膜を揺らしていく…







(やはり狭い、)


 ぼんやりとそう考えながら、スネイプはベッドから半身を起き上げた。

 視線を下へと落とすと、青白い月光に照らされたヨゼファの肢体が目に入る。少し長くなった前髪がその目元に深い影を作っていたので、それを避けてから露わになった額に口付けた。


 珍しくヨゼファはよく眠っていた。疲れているのか、それとも安堵してくれているのか。後者であることを願いつつ、灰色の髪を整えるように撫でる。

 そして床に散らばっていた衣服から自分のものを適当に拾い上げ、身体に引っ掛けては部屋を後にした。



 リビングの大きな窓からは客間同様に青い月光が差し込んでいて、真っ青な空気の中で海底にいるような感慨に浸る。

 先ほど部屋から出る際に持ち出したものを右手に、スネイプはそのまま銀色の鋭い三日月の近く…大きな窓の傍へと至り、そこを僅かに開けては影のように音もなく外へと滑り出した。


 夜更けの風は夏だと言うのに冷たく、自らの黒い髪が煽られては揺れている。

 緑色の小さなガーデンテーブルの上に置かれたままだった例の統一性のない花束も弱く風に煽られていた。彩度の低い月光に包まれた海辺で、その花だけが変に鮮やかに浮かび上がっている。

 …………赤色は感謝だ。黄色は祝意、紫は謝罪。白色は惜別、そして青色が………


(…………………。)


 スネイプは掌中の、白い薄紙で作られたひどく簡素な花束を見下ろした。街から帰ってきてから根切りは愚か水に漬けることすらもしなかった所為で、それはすっかり草臥れた様子でくたりとしている。

 弱く頭を振ってから、真っ黒い海が広がる様を見下ろせる手摺りの傍まで歩を進めた。

 掌をつき、岩礁に打ち上がっては砕けて白い泡となる海のことを暫し眺める。


 ゆっくりと手にしていた花束を持ち上げ、手摺りの外へと翳した。

 何故か心臓が強く波打って息が上がった。その姿勢のままで固まる。呼吸が浅い。喉の奥がヒューと鳴り、花を握る手に汗が滲んだ。

 表情を歪め、奥歯を噛み締めて低く声を漏らす。離す時は一瞬だった。掌から抜け落ちたあまりにも小さくあまりにも陳腐な、たった数本ほどの花束は黒い渦の中へと吸い込まれて行く。岩へとぶつかり、そして一瞬で波に飲まれて見えなくなった。


 見るべきものが何も無くなったにも関わらず、スネイプはそこを覗き込んだまま視線を逸らせずにいた。
 
 鼓動は深く重く、反対に呼吸は浅く速い。冷や汗が脇の下、背中、そして指の間に滲んでいるのが不快だった。


 今一度頭を弱く振り、スネイプは「ヨゼファ、」と彼女の名前を呼ぶ。その声が想像以上に弱々しいことに情けない気持ちになった。


(行き場を無くした言葉たちは、一体どこへ行くのだろうか……。)


 声を失っているわけでもないのに。いつでも声に、言葉に不自由する。


 喜んでいる顔が見たい。……頼りにされたい。そうして支えてやれる存在になりたい?

 それで焼け石に水のような薬を施したり、大した値段でもない靴や装飾品を与えたところで自己満足に過ぎないと言うのに。


 冷え切った手摺りに踞るように腕をつき、頭を乗せてはじっとする。

 きっともうすぐ、隣に人がいないことに気が付いたヨゼファが起きて来るだろう。テラスにいる自分のことを見つけては傍へやってくるに違いない。………それまで、こうしていることにした。

 予想した通りに後ろから身体を包まれる感覚を覚える。その体温の冷たさに感じ入ってから、スネイプはゆっくりと身体を起こして彼女の青い瞳へと向かい合った。



 * * *



 結局、数週間の滞在のつもりが許された期間全てを二人で過ごすことになった。

 ヨゼファが青い靴を履いているところが見たかったから、彼女を連れて街の中心に留まらず短期間の旅行にも行った。

 旅行先で買った透明色のガラスの耳飾りもまた、ヨゼファは随分と喜んでくれた。次はダイヤモンドね、と冗談を言って笑う彼女は学校で見るよりも随分と幼く思えて、その無防備さが嬉しかったのを覚えている。
 

 あまりにものんびりと過ごしすぎたせいか、夏休みが終わる最後の一週間は二人して『最後の晩餐のテーブル』でうんざりするほど溜め込んだ仕事に向き合う羽目にはなったが……

『夏休み最後にこうも慌てることになるなんて…まるで学生に戻ったみたい、』

 と草臥れた表情ながら可笑しそうに零された彼女の言葉に応対しながら、それもまた幸せなことなのだと思った。


 思えば、この夏が…今が、今まで経験した中で最も幸せな夏だったのかもしれない。ほんの一瞬、この海辺で過ごす時間が永遠に続くことを望んでしまった。


 しかしあの家はもう存在しない。まるで海へと続いているような大きな窓も、褐色のタイルで細工されたテラスもガーデンテーブルも、だだっ広いリビングや最後の晩餐のテーブル、ヨゼファが苦労して修繕したバスタブでさえ。死喰い人を憎む魔女魔法使いの手によって跡形もなく、平らにならされてしまった。


 だが今でも昨日のことのように思い出せる。人生で最も安らいだあの時間を、一番に幸福に近かったあの家のことを……



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