骨の在処は海の底 | ナノ
 泣いている人

「さあいらっしゃい、ようこそ我が家へ!」


 ヨゼファが掌で示した、向こう側にただただ水平線が広がるばかりの岩礁をスネイプは眺め…そしてニコニコとこの上もなく嬉しそうにする自分をここに連れて来た人物へと視線を移し、もう一度岩がゴロゴロと転がるばかりの二人が立っている海辺の丘へと視線を落とす。

 そして迷いなくヨゼファの頭を拳で殴った。鈍い音が辺りに響き、驚いたらしいウミネコがミャアと鳴いて飛び立っていく。
 

「…………馬鹿にしてるのか?」

「ば、馬鹿になんかしてないわよ!何も聞かずにいきなり殴るのはどうかと思うわよ!?」

「うるさい。黙れ、帰る。」

「来たばっかりでしょうが!!落ち着きなさい!!!!」


 スネイプの腹の辺りに腕を回し、海辺から歩き出そうとする彼のことをヨゼファは必死で留めた。しかし彼が頑として歩みを止めないので、終いには引き摺られる形になる。


(……………………。)


 兎にも角にも一度足を止めヨゼファに再度向き合えば、彼女はほっとした表情になってはローブのポケットから真鍮製のハンドルを取り出す。


「私たちが家に帰るのなんて夏期休暇の二ヶ月だけだもの、潮風が強いここに放置しておいたらあっという間に傷んじゃうわ。畳んで・・・おくのは当然でしょう?」


 人差し指を立てて生徒に講釈を垂れるように話すヨゼファの得意そうな顔が気に障って、スネイプは彼女の脛を然程容赦せずに蹴飛ばした。その縦に長い身体は綺麗に横転する。


「話が長い、さっさと終わらせろ。」

「あらあ……。貴方とんだ堪え性無しね…。」


 起き上がりつつ、ヨゼファは少年ほどの大きさにもなる岩の細かい突起へと取っ手をコンと充てがう。ビス打ちも無しにピタリと固定されたそれを彼女はグルグルと回し始めた。……力がいるようで、やや重たそうにしながら。

 やがてハンドルに引き上げられるようにして、ゴツゴツと転がる岩の中から石造りのアーチに囲まれた木の扉が出現した。しかし扉だけで、建物そのものはどこにも見当たらない。


 ヨゼファは扉が完全に地上に現れたのを確認するとハンドルを回収し、金属製のノブへと手をかけてはスネイプの方を振り向く。

 瞳が合うと彼女は再び嬉しそうに笑い、「改めていらっしゃい、私の家に。」と言っては中へと扉を開いた。







 一週間と少し前……


「まあ……。そんな込み入った話でもないから、簡潔に話すわね。」


 廊下で倒れていたヨゼファを発見した夜が明けた日の昼下がり。仕切り直した二人は彼女の部屋で向かい合っては座っていた。

 大きな窓から明るい光が斜めに差し込んでくる。ヨゼファの柔らかい髪は、それに照らされてホワホワと白く光っていた。


「あの…例の闇の魔法使いが完全に失われていないのは貴方もよく知るところでしょう?彼が完全に復活した時、その力を世界へと知らしめる為、また彼自身の恐れを克服する為、必ずホグワーツを大きな争いの場にするんだと…校長先生はお考えでいらっしゃる。私もなるほどと思ったわ。きっとこのお城も、広い森や丘も湖も、全てが平らにならされてしまうんじゃないかしら。」
 
「………全く簡潔でない。論文だったら減点したいところだ。」

「私の話が長いのは仕様がないわよ、お酒を飲んだら酔っ払う、甘いものを食べたら幸せ、それと同じくらい当たり前のことだわ。」


 やかましい、とスネイプは額に手を充ててぼやきつつも、辛抱してヨゼファの話を聞くことにした。彼女が淹れた紅茶が、白いカップから淡い柑橘系の匂いを漂わせてくるのがまた緊張感を削いでいく。


「だからこの校舎に強力な守りと迎撃の魔法を講じようと、ダンブルドア先生はずっと考えていらした。適した魔法を探していたの。彼の考えによく則したのが偶々私の魔法陣だっただけ。」


 はい、話はおしまい。とヨゼファはパチリと手を合わせては言った。

 ぽかんとするスネイプに、彼女は「どうしたの?」と尋ねる。彼は「いや…」と言っては少し黙り、紅茶を一口飲んだ。


「結びが急ぎすぎている…。論文なら間違いなく減点だ。」

「まだ論文の話続いてるの?まあ確かに…私の学生時代の論文はろくな点数じゃなかったわねえ。」

「それにこちらが知りたいのはそこではない。その魔法がどう言ったものなのかがひとつも分からない。」

「論文なら減点?」

「いや、もう減点する点数がない。」

「貴方辛口採点すぎるのよ。」


 ふうと息を吐き、ヨゼファは「何から言うべきかしらね…。」と呟いては瞳を少し伏せる。

 彼女へと投げかける視線を細め、スネイプは唇を開いた。


「魔法陣は…人やものを傷付けられない魔術だ。自らに直接の利益をもたらすことも出来ない。……そうでしたな、教授プロフェッサー?」

「おっしゃる通りよ教授プロフェッサー。魔法陣は直接人やものを傷付けられないことになっているし、事実そうなの。では何が傷付けている?代行してもらうのよ、何かに。私が学校で教えてる魔法陣と闇の魔法陣の違いはそこで…敢えて言うなら後者の方がより古く伝統的クラシックな使い方。身体に記されて刻まれる魔法陣は契約の証ね。」

「…………。支払われる代償はその為か。代行者へ。」

「そう…。一定の魔法水準までは陣の大きさと複雑さ、その美醜と構成する手間によって契約が完了するけれど。それ以上を望むには一線を越える必要があるみたい。例えば自分の身体に魔法陣を刻む、構成に血液や精液、命を多く含んだものを使用する。長い間禁じられて忘れられていた魔法よ。私が偶然にも見つけてしまったのは不幸だったのかな、それとも幸運だったのかしら…。」

 ヨゼファは空になっていたスネイプのカップへと紅茶を足してやりながらぼんやりと言葉を続けた。


「不幸に決まっている。」

 彼は迷うことなく返す。ヨゼファは顔を上げてスネイプをじっと見つめた。


「何故そう思うの。」

「一体何を代償にするつもりだ。この広大な学校の敷地全てに十年以上かけてあまりにも巨大な魔法を構成して…。」

「それは分からない。」

「命が無事だとはとても思えない。事実死にかけていた。」

「………それも分からないわ。」

「嘘を吐くな。禁書棚で一体いつも何を調べている。遥か昔に今のお前と同じ魔法を使用した馬鹿が必ず居たはずだ。その記録に目を通していない筈がない。」

「…………………。」


 ヨゼファは溜め息をした。そして無意識だろうか、右胸の上に掌を置く。

 彼女は弱く首を左右に振ってから、再びこちらに向き合って「そうね…。」と呟いた。


「どれも良くない結果だわ。…でも、私の…今のこの魔法は、自分の為だけじゃないもの。この学校と昔の私たちと、何よりも沢山の子どもたちの為だわ。だからきっと何かが違うと思う。」

 ヨゼファは先ほどまで胸へと触れて居た自分の掌の中を見つめながら、そこを握ったり開いたりした。


「私はほんの少しの可能性に賭けることにしたの。…あの人が打ち砕かれた夜にも、母親リリー少年ハリーの間に奇跡が起こったわ。言葉にするとあまりにも陳腐だけれど、私は自分の愛情の力を信じてみたい…。」


 彼女は表情を穏やかにしてから、「ねえ、」と話を切り替えるように言葉をかけてきた。


「もうすぐ夏休みね。……予定が無ければしばらく私の家に来ない?海のすぐ傍だから、眺めも結構良いのよ。」


 スネイプは何も言わずに、表情を険しくしてヨゼファのことを見ていた。

 反対に彼女はいつも以上にゆったりといた空気をまとっては、彼の返事を待つらしい…。







「客間はここね…。一通りは整えてあるからリラックスして過ごしてちょうだい。」


 ヨゼファはスネイプを案内してやりながら、長い間離れていた我が家がひとまずは出た時と同じように整っていることに安心していた。

 人を招いた経験はあまり無い。それでもヨゼファはこの家の静かで落ち着いた雰囲気が好きだった。それを誰かと共有したいと考えることは多々あったが、まさか急な思いつきで声をかけた彼が来てくれるとは思わなかった。

 今の彼女は間違いなく浮足立って、十代の少女のように心を躍らせているのが分かって我ながら滑稽である。中空に浮かんだ真新しいシーツを杖先でちょいちょいと弄ってベッドに張り替えてやりながら、そんなことを考えてヨゼファは笑みを漏らした。


「私の寝室はこの隣だけれど。ほとんど寝るだけになってるわ、普段はこっちのだだっ広いリビングで仕事したりご飯を食べたりぼんやりしたり。貴方も好きに使ってね。」


 今度は屋内に入ってすぐ目に入る、横に長い大きなテーブルがほとんどを占める場所へと至っては言う。机上に置かれた仕事道具は学校の私室に置かれたものとほとんど同じだった。彼がそこに指先を滑らせるので、「良い机でしょう。」と声をかける。


「なんと有名な最後の晩餐に使用された机よ。」

「は?」

「……とオンボロの家具屋のおじさんが言ってたわ。買うつもりなかったけれどその一言で即決。」

「馬鹿なのか?」

「馬鹿かしらね。でもそういうのが好きなの、ロマンがあって良いじゃない。」


 これだけ大きいから貴方と一緒に使っても差し支えはないわ。と言ってヨゼファは案内を再開する。続いて大きく壁を切り取った窓へと。テラスには先ほどの『最後の晩餐のテーブル』より幾分も小ぶりのテーブルがある。天気が良い時、ここで食事をするのが彼女のささやかな楽しみだった。

 窓の外には青い海が遠くまで広がっている。海は好きだった。泳がせてやると、自分の守護霊も喜んでくれるから。


「ご飯は作った時に一応声をかけるけれど、後で食べても自分で作って勝手に食べてもらうのでも良いわ。一番は楽に過ごしてもらうことよ、せっかく来てもらったんだもの。」


 ヨゼファは…やはり自分は浮足立っているのだなあと感じて仕様がなかった。自分の家にスネイプがいると言う事実がどうにも嬉しくて、けれどもまだ現実感がない。

 窓枠に寄りかかって銀色の水平線を眺める彼の節が目立つ手を取り、嬉しさを隠しもせずにだらしなく笑う。


 スネイプはそんなヨゼファに若干引いてるらしく、そろそろと掴まれた掌を引いていく。その訝しげな表情が可笑しくて、思わず笑ってしまった。

 
* * *


 日が傾き始めた頃…客室の外の気配と漂ってくる暖かい匂いから、夕飯が近いのだなとスネイプはなんとはなしに考えた。

 予想した通りに、それから少しも経たずに扉がノックされた。開けてやると、すっかりと楽そうな格好になっていたヨゼファが彼の姿を認めて「あら、」と言う。


「着替えてなかったの。それじゃあ苦しくない?」

「そちらは逆に随分と楽そうだ。」

「だって家だもの。それにここには貴方しかいないでしょう、着込んで隠さなくちゃいけないものも無いし…。」


 袖なしの開襟シャツから伸びる腕でスネイプの胸元をトンと触れながら彼女は言った。

 彼はそこへチラと視線を寄越して「なるほど、」と返す。


「もうすぐご飯出来るけれど?良かったらどうぞ。」


 頷き、少ししたら行くと伝えては今一度部屋の扉を閉める。

 夜へと近付く辺りの空気は色濃い水色で、窓の外の海は夕日の名残を受けて淡い藤色をしていた。空には白い月がその姿を霞ませながらぼんやりと現れ始めている。

 ずっと纏っていた為にすっかりと埃っぽくなった黒いローブを脱ぎ、壁に打ち込まれた杭に引っ掛ける。軽くなった身体に、開け放した窓からの弱い風が心地良かった。


 着替えを済ませてだだっ広い<潟rングへと顔を出すと、ヨゼファが「こっちよ」と笑顔でテラスへと招く。

 青い薄闇の中で、テーブルを覆った白い布がハタハタと潮風に揺られていた。自然に掌を繋がれてその方へと導かれる。

 思い過ごしではなく…ヨゼファは浮かれているのだと思う。いつもよりも更に饒舌に話し、そして纏う雰囲気が少し幼いような気がした。


(…………………。)


 いつもの彼女は教師という立場の為に少なからず作っている部分があるのを知っている。それは自分も同じだが。


「帰って来たばかりだから簡単なものだけれど。」

「別段…構わない。」

「そう?良かった。明日買い物に行ってくるわ。そうしたらもう少しちゃんとしたものを作れるから…好物はある?普段夏休み中、家では何を作るの。」

「………………………。」

「…………。予想していたけれど、貴方は料理しないわよね…。」

「そこに時間をかける意味が見出せない。」

「まあそうね、学校で一年の大半を過ごすならあまり必要ないことだし。」


 私は結構好きだけど、料理。とヨゼファは片眉を上げて可笑しそうにした。「意外だ、」と呟くと「そう?」と言いながら彼女は暗色のボトルへとスクリューを沈めていくらしい。

 テラスの向こうには夜へと向かう青い海が広がるばかりだった。海に面した小高い丘に建つこの家からの眺めは確かに悪くはない。空気も夏だと言うのにひんやりとしていた。


「だらしない顔だな。」


 栓を抜き終えたヨゼファへと言葉をかける。彼女は目尻を更に下げて「そう?」と意に介さない様子で応えた。


「仕方ないわ、元々こういう顔だもの。」

「ということはだらしない老け顔か…。」

「そのふたつをくっつけられると、なんだかひどく辛いわ。」
 

 ヨゼファは声を上げて笑った。「それに、家に友達を招くなんてきっと初めてだから。」と言葉を続けて。


「ああ…そういえば人魚が漂流してひと月くらい一緒にいたことはあったけれど。人間の友達は初めてね、すごく嬉しい。」


 友達か、とスネイプはその言葉を胸の内側で繰り返しながら、ヨゼファから深い緑色の瓶を受け取っては彼女と自分のグラスへと琥珀色の葡萄酒を注いでいく。

 その言葉には違和感を覚える。自分たちの関係は一体何なのだろう。しかし…『友達』の他に形容する言葉も見当たらない。彼自身もヨゼファにそれに近しい親密を覚えていない訳では無かったので、別段否定することなく、いつものように押し黙っては時間をやり過ごす。


「……………。白が好きなのか。」

「お酒はね。貴方は赤よね……それも明日買ってきましょう。二人でいると色々飲めるから嬉しいわ。」


 彼女は昔からフランスのボーバトンに出張することが多い。よく知らない地名とBlanc≠フ表記から、これも向こうの国のものなのだろう。

 それを尋ねると、予想した通りにヨゼファは頷いて肯定する。


「向こうで言葉に不自由はしないのか。」

「英語の親戚みたいなものよ、難しくはないわ。それに私は父親がフランス人だし。」

「………初耳だ。」

「そうだったかしら?」

「亡くなって久しいことだけだ、知っているのは。」

「そう…父から直接フランス語を学ぶことはなかったけれども、彼が残した向こうの国の書籍や音楽のレコードが家にはいくつもあったから。……来年度は三大魔法学校対抗試合ね。ボーバトンの子たちともホグワーツで会えるわ。」

「また浮かれたことを。この世代の学生でないのは喜ばしいことだ。」

「後ろ向きなことを言わないの…。……でも気持ちは分からなくもないわぁ…。」


 あはは、とヨゼファが心弱く笑うので、スネイプもつられて少しだけ笑った。

 合わせたグラスからリンと透明な音がする。遠く見知らぬ土地からザワザワと吹き渡ってくる潮風が、白い麻のクロスと二人の着衣を弱くなびかせた。


 ふと、スネイプは風に煽られて揺れたヨゼファの髪へと視線を止める。

……それが見えたのは一瞬だった。しかし良くない予感を覚え、彼は口を付けていたグラスをテーブルに置いては向かいに座る彼女へと手を伸ばす。

 ヨゼファはスネイプの手の行方を不思議そうにして見守っていた。

 柔らかい灰色の髪に触れ、それを掻き分けようとする手が何故か震える。

 その内のひと房に触れ、目を見張って眺めた。幾度確認しようとも、その毛色は黒色だった。見覚えのある淡い色の中で、ほんのごく僅か…しかし確実なものである。

 スネイプはただでさえヨゼファの白髪の割合を確認しては馬鹿にする習慣があったのでよくよく分かった。これは彼女のものではない。


「ああ…それ。」


 スネイプが自分の髪の中の何を凝視しているのか理解しているらしいヨゼファは、何でもないようにして言う。


「普段は見つける度に色を抜いてるんだけれど…ちょっと見落としてたのね。」

「普段は……?いつからだ。」

「ごく最近よ。白髪が若返ってくれたのかしらね。」

「ふざけたことを言うな。」


 彼女の髪から掌を離し、スネイプは低い声で言った。ヨゼファは苦笑して、「ふざけても良いじゃない。」と返す。


「夏休みだもの。今は全部忘れて、ゆっくり休むの。」


 ヨゼファはグラスを掲げて、今一度乾杯を促す。

 何を言えば良いのか分からなかったので、それに逆らわずに再び薄いガラスのコップを合わせる。相も変わらず透明色の冷たい音がした。海鳴りを背景に。




 


一週間前……



 校長室にてスネイプはダンブルドアへと向かい合い、暫時の沈黙の後片眉を上げた。


「…………で。」

「で……と言われても。大体は君がヨゼファから聞いた通りだ。言葉と比べて文字や絵画は約束の力が強い。魔法陣は術者の心と超自然との契約の結びつきが呪文を扱うよりも強固であるから…万が一術者が亡くなった場合も必ず発動する。」

「術者が亡くなる・・・・前提でいらっしゃる?」

「憶測でものを言うでない。詰まるところ年月に左右されないと言うことだ。だから彼の魔法使いの復活が十年後だろうが百年後だろうがこの学校は確実に安全な場所だ。……最も一年後や数年後だと困るが。ヨゼファの魔法陣の完成までにはもう少しの時間を要する。」

 実に守護の魔法として優れている、とダンブルドアは呟き自身の机へと頬杖をついた。


「たった一人の血液でこの巨大な建物の全面を覆う…?不可能だと何故思い至らないのです。」

「不可能ではない。事実完成は目前だ。……提案したのはヨゼファなのだよ、儂はそれを承諾しただけの話だ。」

「あの女の無謀な自己犠牲の計画に自ら乗られた?」

「セブルス、一体何がそんなに不満なのかね。儂は…このままでは君が望む回答をいつまで経っても口にすることができない。」


 スネイプは口を噤み…瞳を一度閉じてから、再び老齢の魔法使いに向かい合う。両掌を二人の間に置かれた机上へと置き、着座するダンブルドアとの距離を詰めた。


「私が…気がかりなのは。ヨゼファがそのように提案することを、貴方が促したのでは?と言うことです。転がり込んできた凶悪な魔法に通じた素材を、貴方が生かさないとは考えにくい。」

「セブルス…憶測でものを言うな。二回目だ。」

「…………。果たしてこれは憶測ですかな?」

「………………………。」


 ほとんど囁くようなスネイプの言葉にダンブルドアは目を細め…窓の外へと視線を向ける。夜だった。斜めの沿線で菱形に組まれたロゾンジュの窓の向こうには闇が広がるばかりである。


「……………そうなのかもしれない。」


 そしてダンブルドアは静かに…曖昧ながらも、スネイプの言葉を肯定した。

 半月型の眼鏡の奥で、彼の瞳の水色がへんに鮮やかに透き通って光る。


「ヨゼファはずっと…誰かに必要とされたかった。自分の存在意義を探している魔女だった。だから自身の魔法がどう言うものかを理解すれば、それを役立てたいとも考えるだろう…当たり前のことだ。その時偶然彼女が立っていた場所がこのホグワーツだった。もしもあちら側・・・・だったらと考えるとひどくぞっとする。」

「……………。結局のところ。貴方はヨゼファのそう言った精神の脆弱さを利用した…と言うことで間違いはないのでしょう。」

「否定はできない。だが儂が促さなくてもヨゼファは自らそれを望んだとも思う。早いか遅いかの違いだ、それならば早い方が良い。」

「何故。……止めなかったのか、、」

「止める…?ヨゼファの生き方だ。儂にその権利は無い。」

「何か他に手はあった筈だ!!」


 身体を乗り出し、スネイプは彼との距離を更に詰める。

 ダンブルドアは驚いたらしく、伏せていた視線を上げてスネイプを真っ直ぐに見つめてくる。…子供のように痛々しいほど透明色なその瞳で。

 暫時二人は見つめ合うが、やがてダンブルドアが口を開く。激したスネイプと反して、ひどく落ち着き払った様子で。


「そう言う君は…何か手とやらを思い付くのかね。」

「それを考えるのが貴方の役目の筈だ…!」

「セブルス、君が何故そこまで苛立っているのか…儂には理由がよく分からない。殊更ヨゼファに思い入れでもあるのかね。愛しているのか?」

「………っ、そんなことは断じて無い!!!!!!」


 我慢が出来ず、スネイプは両掌で体重を乗せていた机を強く叩いた。

 そして叫んだ自らの声の大きさに慄いて口を閉ざす。喉の奥で息を呑む音が引き攣って響いた。


 今一度…室内の空気は沈黙した。スネイプの唇の端から上がった息が漏れていく音が微かに響くだけである。


「………そうか。」


 ダンブルドアが、顔を伏せるスネイプへと相も変わらず静かに声をかける。ほとんど溜め息ような音で。


「それならばこれは彼女の人生だ。尊重してやれば良い。そして君の人生もまた、別のものだろう。」


 スネイプは顔を上げることが出来なかった。

 ただこの老齢の魔法使いの、この巨大な学校の長の言葉が、骨身に沁みて心へと伝わってくる。


「すまない……。」


 彼はポツリと一言謝った。何の、誰に対する謝罪なのかは定かでは無かったが。


「………セブルス。だが、儂はよくよく考える。もしも…ヨゼファと母親マリアが良好な関係で彼女自身も闇祓いとして優れた能力を有していたら。学生時代、声を失わずに気の合う友人や恋人に恵まれたら…。と。」


 スネイプは顔を伏せていた為に、ダンブルドアの表情を伺うことが出来なかった。ただ、その声は淡々としている。一定のリズムで抑揚なく紡がれていく。


「今までの人生のどこかで、彼女のことを純粋に望んでくれる人間がいたならば、ヨゼファもまたこの魔術を望みはしないし…止めた人間がいたかもしれない。いや、そもそも忘れられていた闇の魔術を見出すきっかけなど持たない筈だ。だが、彼女が生まれてから初めて望まれた経験はヴォルデモート卿が与えたものだった。そうして次が儂だった。……これは間違いなく不幸なことだ。本当に……。」


 君も、ヨゼファも…不幸だ。そして………


 ダンブルドアは言葉を切り、それから二度と口を開くことはなかった。

 雨の音だけがしとどに続いている。暗闇の中で、雨粒が窓を叩く音が。



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