骨の在処は海の底 | ナノ
 ホログラフ - side L.L -

「ああ、それ!全部塗るの大変だったけど、一生懸命頑張ったんだよ。」


ヨゼファは件の一面真っ黒い課題の提出者…ルーナへと声をかけて放課後に呼び出したところであった。

彼女はまるで悪びれず、むしろ少し得意そうにしながら自らの魔法陣(…?)について語る。


「うーん……。でも、転移の魔法陣の基本はサンプルボーンよ…。これじゃ発動しないわ。」

「魔法陣に決まった型は無いって先生が言ってたことだよ。」

「そうねえ、確かに他の魔法に比べて自由度が高い魔術だけれど…ある程度の決まりごとはあるのよ。」

「そうだったんだあ……。」


ヨゼファは苦笑して、全く邪気が無い彼女の応対を微笑ましく思った。歳は確か11才、しかしながら言動がそれよりも少し幼いようにも見える。


「……………でも。この魔法に一番大切なのはハートの在り方よ、魔法陣は想いを描く術だから。……授業でも教えたわよね。貴方は一体この魔法陣でどこに何を転送したかったの?」


ヨゼファは話しながらロサンジュと細長い六角形で構成された魔法陣を紙上に描き、サンプルボーンの魔法陣を完成させる。中心にルーナがイヤリングにして耳からぶら下げていた胡桃の殻を置き指先でチョンと弄ると、それは紙上にストンと落ち込んで消え失せた。

同時にカランと硬いもの同士がぶつかり合う微かな音が鳴る。ルーナはその方へ視線を向けた。彼女は立ち上がってティーカップが並べられた棚へと近付き、ぽってりとしたジアンのカップの中から胡桃の殻を取り出した。

こちらへと振り返った彼女へヨゼファは笑いかけ、「折角だしお茶でも飲んで行く?」と尋ねる。彼女はコクリと頷いた。


「ママに送りたいものがあったの。」


お茶の為の準備を始めたヨゼファに、ルーナはポツリと言葉をかける。

ヨゼファは作業する手を止めて色の白い少女の方へ視線を向けた。


「へえ、ルーナのお母さんは今どこにいるの?」

「知らない。死んじゃったから。」

「………え?」

「でも、死んだらみんな暗い場所に行くって読んだ本に書いてあった。」

「それで魔法陣を黒くしたのねえ…。」


ヨゼファは言葉を囁きに変え、白く丸いポットに銀のスプーンで茶葉を加える。

沸かしたお湯を注ぐと、茶葉が開いて桃色の花弁が水中をヒラヒラと泳いだ。「あ、今更だけれど花の匂いの紅茶は嫌いじゃなかった?」とルーナに尋ねれば、彼女は「好きだよ、スベスベ虫と同じくらい。」と答える。

ルーナが提出した真っ黒の魔法陣が置かれたままのローテーブルの上へと、ヨゼファはオレンジ色の紅茶が満たされたジアンカップを置いて勧めてやる。ちょうどクルミのクッキーがあったのでそれもレースペーパーにのせて一緒に。


「ルーナのお母さんにものを届けるのは……、魔法じゃ少し難しいかもしれないわね。」


彼女の魔法陣を手に取って、視線を落としながらヨゼファはゆっくりと発言する。自分へと、水色の透き通った瞳が向けられるのを感じた。


「でもきっと、貴方のママがいるところは暗い場所じゃないわよ。」


ヨゼファはレースペーパーを一枚新しく取り出し、ハサミを使って星形に切り抜く。

インクが乾いてパリパリとしている黒色の羊皮紙へと、切り取ったレース柄の星をひとつ、ふたつみっつと置いていく。その様を年端のいかない少女はじっと見下ろしていた。


「ねえルーナ、真っ黒よりもお星さまでもあったほうが可愛いと思わない?」

「思う。」

「ママのことは好き?」

「大好きだよ。」

「じゃあママがいる場所のイメージを…もっと素敵なものにしてあげたら良いわ。その方が、きっと彼女も寂しくないから。」

「ねえ……これ、ここに貼っても良い?」

「良いわよ、糊を持ってくるから。使って。」

「課題は?これで大丈夫?」

「良いわよって言ってあげたいけれど……出来たらもう一回やって欲しいなあ。今度はお友達のところに向かう魔法でも描いてみてね。」


ヨゼファは糊が入った瓶を手渡してやりながら、こそばゆい気持ちになって笑った。

しかし…ふと、少女の足元へと目を留めては「ルーナ、」と呼びかける。


「靴はどうしたの。」

「なくなっちゃった。」

「予備の靴はないの?」

「それもなくなっちゃった。多分、いなくなった靴のことが恋しくて追いかけて行っちゃったんだと思う。」

「そう………。でも裸足で歩くのは危ないわよ、新しいのは?」


ルーナは首を横に振った。

ヨゼファは苦笑して言葉を続けようとするが、今の彼女は教師との会話よりもレース柄の星を切り貼りすることの方が重要らしい。

白く細い指を糊で汚しながら熱心に作業に集中する様を見下ろしてから、ヨゼファは一度自室の方へと向かった。


* * *


「はい。」


そして、部屋から持って帰って来た黒いルームシューズをルーナへと渡す。

彼女はようやく顔を上げてはヨゼファの手元へと視線を移した。

そのままで特に発言も行動もしない少女の隣にヨゼファは腰掛け、「安心して、これ私はまだ使ったことないの。」と言いながら、剥き出しのルーナの足にそれを履かせてやる。


「ルームシューズだからね…ちょっと不思議な感じだけれど、まあ黒いからそこまで目立たないでしょ……少し大きいけれど。あげるから新しいの買うまではこれを履いてなさい。石でも踏んづけたら大怪我するわよ。」

「私、先生が履いてるようなのが良いなぁ。」


ルーナはそう言って視線を落とし、ヨゼファの黒い光沢のあるピンヒールを眺めてぼやく。それには「もう少し大きくなったらね、」と穏やかに応えた。


「成長期のうちは足に優しい靴を履いた方が良いわ。」

「それ優しくない靴なの。性格悪い?朝に挨拶とかしてくれないの。」

「そうねえ、確かに朝の挨拶はしてもらった覚えないわね。」


あはは、とヨゼファは明るく笑ってから、机上に置かれた白く小さな星が散らばる黒い羊皮紙を眺めた。


「…………可愛いわね。素敵な魔法だわ。」


ルーナのプラチナブロンドをクシャリと撫でると、彼女はどこか眩しそうに目を細めた。







「ぎゃああああああああああああああ」


静謐だったヨゼファの作業部屋に、部屋の主人によるけたたましい叫び声が鳴り響く。


そして彼女は蓋をひねって開いたインク壺を思わずそのまま放り投げた。

床へゴツンと鈍い音を立てて落ちた黒いインク壺の口からは、小さなカタツムリが4、5匹のんびりとした様子で顔を出しては外へと這っていく。

ようやく落ち着いたヨゼファは胸の上へと掌を置きながら荒い呼吸を整える。とりあえず害はないものだと分かって安心するが、それにしても何故自分のインク壺からカタツムリが出て来たのか理由が分からずに「なんで…」と呟いて呆然とする。


(また……!あの双子かしらね。)


ヨゼファは思わず額へと掌を持って行ってはげんなりとする。

そしてこのカタツムリを森に帰して来ないと、と思って放り投げたインク壺を拾い上げようと立ち上がったところだった。部屋の扉がノックもなしに開き、平素の物憂げな雰囲気とは異なって満面の笑みを浮かべたルーナが現れた。


「先生!」


そう言って彼女は迷うことなくヨゼファの胸の中へと飛び込んでくる。

おっと、とヨゼファは声を上げて少女のほっそりとした身体を受け止めた。


「ちゃんと届いたんだね、良かったぁ。」

そう言いながらぎゅっとウエストに強い力で腕を回されるので、それを抱き返してやりながらヨゼファは「えっと……。」とルーナの発言に応えた。


「これ、貴方が私に?」


床に落ちたインク瓶の周りをいそいそと這い回るカタツムリたちを視線で差し示して尋ねると、彼女はにっこりと笑みを深くして頷く。


「生き物を転移する方法はまだ教えてないんだけれど……。」

「一発で成功しちゃったよ。」

「そう、すごいわね。ルーナは才能があるんだわ。」

「ありがと、ヨゼファ先生。嬉しかった?可愛いよねカタツムリ。」

「嬉しかったけどちょっと驚いたわ…。今度から生きたものを送ってくる時は事前に知らせてね。」


自分の胸へと頭を預けるルーナの頭を手持ち無沙汰に撫でながらヨゼファはぼやいた。

ルーナは教師からの注意に耳を傾ける様子は無かったが、少し背伸びをして甘えるように頬をこちらにこすらせてくる。


ヨゼファはと言うと…この不思議な雰囲気を纏った生徒からの急なアプローチと愛情表現を嬉しく思いながらも、若干の戸惑いを覚えていた。

彼女は授業こそは熱心に一番前の席で聞いてくれる生徒だったが、今まで積極的に教師に関わろうとする素振りを見せたことが無かったからだ。

いつも静かに、言われたことにコクリと頷いて作業をこなす子だった。時折質問をされることもあったが、それは他の生徒に比べたら微々たるものでしかない。


「先生がさ……次は友達に物質転移する魔法を描きなさいって言うから。だからヨゼファ先生に。」

「私に。」

「そう。あ……まだ先生と私、友達じゃなかった?」

「そんなことはないわよ。友達だわ。」

「良かった。」


嬉しい。

ルーナはそう言ってから、ようやくヨゼファの身体から離れる。


「私、先生と友達になりたかったから。ヨゼファ先生優しいし。」

「それは……どうもありがとう。」

「先生はいつもゆっくり喋ってくれるよね。私が言ってることもちゃんと聞いてくれるし。」

「そう?でもそれは普通のことよ。」

「普通かな。私にそれをしてくれる人は、今までパパしかいなかったよ。」


ルーナはインク壺を拾い上げてヨゼファに渡してやってから、床を自由に這い回るカタツムリを一匹ずつ回収して回る。

その足元の靴が未だ自分のルームシューズであることを認めて、ヨゼファは「ルーナ」と声をかけた。


「新しい靴はまだ買わないのかしら。」

「うん。折角あるのに買うの勿体無いよ。それにこの靴性格良いみたいだし。」

「………。朝に挨拶してくれるの?」

「時々寝ぼけてる時は忘れるけど。それなりに。」

「でもそれルームシューズよ。」

「別に良いよ。友達からもらったものだもん、大切にするよ。」


5匹の小さいカタツムリを手の甲や腕に乗せたルーナは、こちらを見上げて微笑んだ。

ヨゼファもつられて笑うが、「それでも…やっぱり靴は買ったほうが良いわよ。」とやんわり言う。


「ううん、これで良い。」

「外に行くときとか、運動するには不向きだわ。」

「確かに。でも大丈夫だよ、多分いなくなった靴がそろそろ帰ってくる頃だから。」


彼女ののんびりとした語調でそう言われると、不思議とそうなのだろうか…と思ってしまう説得力があった。

ヨゼファは「そう……」と返しつつ、明日になってもまだルーナがルームシューズのままだった時は必ず新しい靴を買わせようとぼんやり考えた。


ドアのノブに手をかけて去る間際、ルーナは今一度ヨゼファの方へと振り返って「先生、」と呼びかける。


「なに?」

「もう一回、さっきみたいにぎゅっとしてくれる?」

「もちろんよ。いつでもどうぞ。」


ヨゼファは笑って腕を広げるが、ルーナがこちらにやってくる気配がない。

少し首を傾げるヨゼファへと、ルーナは手の仕草で少し屈むように指示する。それに従えば、ようやく彼女はこちらへとやってきては低くなったヨゼファの肩に頭を預け、首に腕を回した。

そして耳元で、ポツリと囁く。


「ママがいるところ、可愛くしてくれてありがとう。喜んでくれたみたい。」


ルーナはヨゼファの頬に軽く口付けてから、軽やかな足取りで部屋を後にした。

ヨゼファは少女にキスされた箇所にそっと触れ、再び少しだけ首を傾げる。


(不思議ね。)


………彼女自身、元より教師を志していたわけではなかった。

今でもこの職業に自分は向いていないとつくづく思うことが多い。けれど時折、このように思いがけず嬉しいことがある。


(子供ってやっぱり心が綺麗なんだわ。時々それが眩しくて、いたたまれない…。)


インク壺を机の上に戻し、ヨゼファは非常に心弱い笑みを漏らした。







「ルーナ?」

ヨゼファに用事があってその部屋へと赴いたハーマイオニーは、ちょうどそこから出てきたプラチナブロンドの少女へと言葉をかける。

応えて彼女は振り向き、ニコリと笑った。


「ルーナもヨゼファ先生に用事?」

「うん。」


簡単に返事したルーナは、自らの腕や掌に乗せたカタツムリを指先で軽くつつく。

………あまり軟体生物が好きではないハーマイオニーはそれを見て顔を引きつらせた。


「ねえハーマイオニー。」

「な、なに?」

「ヨゼファ先生って、おっぱい大きいよね。」

「はぁ!!?」

「今まであんまり考えたことなかったけれど。実際触ってみると気持ち良かった。」

「実際触ってみると!!???」

「あ、スモモのジャムが舐めたいな。ちょっとキッチンに行ってくるね。」

「ちょっと待って、何の話かさっぱり分からないんだけど!?」


ハーマイオニーはさっさとその場から歩き出すルーナを呼び止めようと言葉をかけるが、それはあえなく無視される。

なので遠ざかるほっそりとしたシルエットへと、「とりあえずお願いだからキッチンに行く前にカタツムリは逃がして手をよく洗ってね!!??」とほとんど悲鳴のような声で呼びかけた。

それがきちんと聞き届けられたかどうかは判別不可能だったが。

一人廊下に残されたハーマイオニーは、チラと目的の場所、ヨゼファの部屋の扉へと視線を向けては唸り声を上げた。


(どうしよう…。今までそんなこと意識したことなかったけれど…言われてみれば、確かに。……大きいかも。)


そしてハアと息を吐いては馴染み深い教師の貌を思い浮かべる。


(先生って、恋人とかいるのかな。)


そう考えると同時に、つい数日前に頭を悩ませていた彼女とスネイプの関係についての疑惑が唐突に思い出される。

だが…どうもあの二人が仲睦まじくしている様子が想像できない。しかしながらそれでも注意して観察していると、確かに二人は行動を共にしていることが多いのだ。


(大体ホグワーツもおかしいのよ、教員が年寄りばかりで。………ただ歳が近いから仲が良いだけよね。きっとそうだわ。)


ハーマイオニーは軽く咳払いをしてから、控えめなノックを扉へと行う。

いつもと同じように低く落ち着いた声がそれには応え、ようやく彼女は気持ちを安心させてはホゥと息を吐いた。



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