骨の在処は海の底 | ナノ
 孤独な戦場

重なった緑色の葉から金色の光が溢れて降りてくる。

眩しくて、スネイプはその方へと手をかざしては思わず眉をしかめた。


………そして、九月初日である。

ヨゼファがいなくなってから五年が経ったある日の。


彼は生徒から興味本位な視線を向けられて冷やかされるのも、人混みの喧騒も好きではない。

だから平素は新たな学期の初日、その数日前に個人的な方法でホグワーツへと到着していた。


しかし今年はそう言うわけにはいかない。

スネイプは真っ赤な列車に即して伸びるコンクリートのプラットホームの上を、挨拶をしてくる生徒に淡白ながらも一言ずつ応え、そそくさと逃げていく生徒などなどを適当にあしらいながら真っ直ぐに歩いて行く。


背の高い灰色の頭を彼は探す。よくよく見覚えのある彼女のことだから、すぐに見つかるだろうと考えていたが……中々に探し出すことが出来ず、どこか懐かしい徒労を強いられていた。

大勢の生徒、その父親母親の人だかりでホームは埋められている。明らかにそれらとは異なる存在なのだから、発見に苦労を要することもない筈である。


ホームの後ろから先まで、細長い空間の一通りを疲れて段々とイライラしながら彼は歩んだ。よもや既に車内なのかもしれない。

それだと面倒なことになる。コンパートメントひとつずつを覗き込むのは流石に気が引けた。ほとんど不審者である。


別段、待ち合わせをしているわけではない。

ヨゼファからに連絡を取る手段は勿論のこと無かった。これは彼女の釈放の情報をいち早く手に入れていた校長からスネイプへの指示である。


どちらかと言うと彼は乗り気ではなかった。いざとなるとどんな顔をして対面すれば良いのか分からない。

だが、この日を待っていたのだ。それは間違い無い。


客室車両が終わり、白い煙を空へと巻き上げる真っ赤な列車の先頭にほど近い場所へと至る。背後の喧騒から取り残されたようにここは人気がなかった。


そこに、背の高い魔女がぼんやりとして一人立ち尽くして居た。

髪を切らずにいたらしい。

夏の気配が未だ色濃い緩い風が吹くと、長い髪がぱさりと弱く揺れた。


その佇まいはすっかりと緊張感がなく、このまま強く押せば間違いなく線路へと落ちるだろう。

すぐ背後にスネイプが立っても彼女は気が付く気配がない。ただただよく晴れた青い空を泳ぐ一羽の鳥を眺めている。


少しの躊躇いを覚えた。

しかし、ゆっくりと手を伸ばして彼女の手首を後ろから掴む。


ヨゼファは驚いたらしい。びくりとしてからこちらを振り向く。

だがスネイプもまた驚いていた。息を呑み、その手首を確認するように掴み直す。


……………細かったのだ。普通の細さではない。


振り返ったヨゼファは彼の姿を認めて惚けた後、ゆっくりと目を細めて草臥れ果てた表情に喜びを滲ませる。


「…………驚いたわ。」


長い髪が風に煽られるのを掌で抑えて、彼女はほとんど吐息のような声で話す。


「あまりにも素敵な人だから、どこかの俳優さんかモデルかと思った…。」


ああ驚いた、と胸を撫で下ろすその指も節が目立って痛々しかった。だが表情や言葉は穏やかで、よくよく覚えがある落ち着いたものである。


「くだらない…冗談を。」

その枝のような手首を離せないままに、彼はつかえながら言葉を返す。


「私が貴方に冗談言ったことなんてあったかしら?いつでも大真面目なのに。」

ヨゼファはゆっくりとした語調で応えた。それから「久しぶりね、元気だった?」と言っては少し首を傾げる。スネイプはそれに頷き、「そちらは。」とだけ返す。


「見ての通りよ。」

「老けたな。」

「私が老けてるのは元々よ。」

「老け方が加速している。」

「ひどい………。」

「あとは…増毛に成功したのか。」


そう言ってようやく手首から掌を離しては、彼女の長く伸びた髪を一房持ち上げる。

ヨゼファは苦笑しながら、「だから別に禿げてたわけじゃないのよ…」と困った表情を浮かべた。


「それよりも…ねえセブルス、私この列車乗るの本当に久しぶりだから勝手がよく思い出せないんだけれど……。ここってもしかして乗車口じゃない?いつまで経っても乗せてくれる気配ないから焦ってたのよ。」

「当たり前だこの馬鹿。ここが客室車両に見えるのかこの馬鹿たれ。」

「あんまり馬鹿って言わないでちょうだい。………ああ、日差しと貴方の言葉が厳しい所為で倒れそう…。」

「倒れたら置いていく。」

「冷たいわね。」

「ホグワーツまでは徒歩で来い。」

「徒歩で!?」


スネイプはなんだか非常に馬鹿らしい気分になって、踵を返しては正しい乗車口の方へ足早に歩き出す。

ヨゼファは「あらら、」と些か焦った声を上げては彼の後に続くらしい。首だけ動かして振り返り、モタモタするなと言葉をかけた。

だが彼女は存外重たい鞄を持って歩むのに苦戦しているらしい。どうやらアズカバンにいる間にも懲りずに私物を増やしては帰ってきたようだ。


溜め息を吐き、スネイプは彼女の元に今一度戻った。無言のままでその掌中から四角い鞄をひったくるようにして持ち上げる。

だが持ち上げた先で腕を止め、ゆっくりと瞬きを数回行った。

ヨゼファは彼の様子を不思議そうに伺っては、「重いでしょう?私が持つから良いわよ。」と言って自分の鞄を受け取ろうと手を伸ばす。


「こんな……」


しかし彼女を無視してスネイプは思わず言葉を口にした。


「こんな、たかがこれだけ・・・・・・・を持つのにも苦労するのか………………!?」


ヨゼファは眉を寄せて訝しげな表情をする。

だがそれに構わず、スネイプはほとんど空の鞄を右手に、痩せ細った彼女の腕を左手に掴んで歩む速度を速くした。


…………アズカバンでの服役は当たり前だが過酷なものだろう。しかし予想に反してヨゼファはその人格を違えず呑気な性分を保ってくれていたようである。それには安心した。

だが、間違いなく身体は憔悴しきっていた。それは彼の心理を不安定にする。


ヨゼファと言えば…


おおよそ華奢だとか儚げとかそのような形容詞には無縁の人間だった。

かつての彼女は間違いなくスネイプよりも力が強かったし、その妙な逞しさに呆れながらも頼り甲斐と安心に似た包容力を覚えていた。


(そして…………)


スネイプは、ヨゼファの身体をゆったりと覆っている黒いローブの下の身体を想像するのが空恐ろしくなった。

恐らく……記憶の中では緩やかな曲線を描いていたその肩には骨が浮き出て、脇腹の肋骨も痛々しいほどの有様だろう。


彼女の腕に強く抱かれ、豊かな胸に頭を預けて深く呼吸をするのが好きだった。

それはどうやら幸せな時間だったらしいことを思い知る。


ヨゼファの肉がほとんど無い腕を強く握り直した。

相変わらずその皮膚の温度は冷たくて、ゾッとするような心地になる。







ひとつの個室に彼と向かい合って座ると、ヨゼファは会話もそこそこにしてぼんやりと外の景色を眺めた。

動き出した列車の外では子供たちに別れを惜しむ家族が、室内では久しぶりの対面に浮足立つ生徒たちの話し声、そして空気を震わす車軸の音などが割れるように響いて騒々しかった。

しかしそれもどこか遠い場所での出来事のような気持ちがして、なんの感慨も抱かずに頬杖をついて…ゆっくりと流れ出した青空とその下の景色をただただ眺めた。

少しだけ開け放した窓から風が吹き込むと、いつの間にか随分と伸びてしまっては痛んだ髪がパサパサと煽られる。


「鬱陶しいな。」


ポツリと向かいから低い言葉をかけられるので苦笑した。

スネイプの黒い髪もまた静かな微風に僅かに揺れるので、そこへ手を伸ばして耳にかけさせる。

彼はこちらを暫しじっと見つめていたが、すぐにかけられた髪を元の位置に戻していく。せっかく綺麗なんだから…顔、もっと見せれば良いのに。呟くが、あえなく無視されてしまった。


部屋の中は沈黙だった。


元来…この人との会話は自分が一方的に喋ることによって成り立っていたのだと、ヨゼファは思い出す。

何かを話そうかな、と思うが何も話すことが思い付かなかった。

スネイプ以外の誰かと相対していたのであれば、ヨゼファもまた気を遣ってそれなりに会話をやり取りしたのだろうが。


……別にいつでも無理をしているわけではない。ヨゼファは収監される以前は…いや、今もきっと人と話すことが好きだった。

だが今は草臥れていた。こう言った時、自分の心理を汲み取ってくれる彼の存在は有難いと思う。


どこかから聞こえてくる生徒たちの楽しげな会話と車軸が規則的に軋む音が流れる中、窓の外では雲が往き、日が陰ってはまた顔を出す。

風景の顔色もまた次から次へと移り変わっていった。遠く海岸に沿って斜めに入り込んだ入江が見えた。崩れかけた城跡がその傍にポツリとある。


「…………広いのね。」

「なんの話だ。」

「世界よ。周りを囲む高い塀も吸魂鬼もいないし…きっとその気になればどこにでも行けるんだわ。」

「それは肯定しかねる。」

「そう?」

「ほとんどの人間が生涯で至れる場所など、ごく限られたものだ。」

「なるほど……。」


ヨゼファはささやかに微笑して瞼を下ろす。夏の名残がそっと頬を撫でていくのが心地良かった。

ふと瞳を開けると、コンパートメントに開いたガラスの窓から女生徒が数人室内の様子を伺っているのが目に入る。


「貴方のファン?」


笑って目配せしながらスネイプに尋ねると、彼は「いや、」とムッツリと即答した。


「どちらかと言えば、用事があるのは…」


そうして低く呟きながらこちらを見つめ返す。ヨゼファはスネイプの視線を指先で受け取ってから「私?」とその指を自分へと向ける。彼は頷いては駄目押しのようにこちらを軽く指差した。

ヨゼファは暫時、落ち着かない様子で室内を覗き込む彼女たちの方を眺める。勿論のこと、その際に視線はピタリと合った。


「ああ………、」


ヨゼファはポツリと零しては立ち上がって扉の傍へと歩み、開ける。

ずっと中の様子を伺っていた割に彼女たちはそれに驚いたらしく、小さく声を上げた。こちらを見上げては立ち尽くし…「えっと…」と言葉を探しては気まずそうにする。


「……………。間違ってたらごめんなさい、私もしばらく学校を離れてたから。ミチルとアリシア…であってるわよね。」


ヨゼファは軽い溜め息で硬直した空気を流し、少女のうち二人へと声をかけた。


「随分と背が伸びたわ。………それに綺麗になって。」


誰だか分からなかったわ……。とヨゼファはほとんど独り言のようにして囁く。


「わ…私たちも、最初は先生が誰だか分からなくて………」


アリシアが友人たちと顔を見合わせながらも、ようやくこちらへと言葉を返す。

恐らく、彼女たちは馴染み深い教師の相貌の変化に戸惑っているのだろう。そう思いながら、ヨゼファは痩せ細った自らの体型を隠す為にローブの襟元を締め直す。


「そうね…五年経つもの、無理ないわ。」

「………五年間、何をしてたんですか…?」

「北極でシロクマに勉強を教えてたわ。思いの外飲み込みが早くて、なんとそのうち一匹がオックスフォードに合格したのよ。」

「え、本当ですか。」

「嘘よ、本当は南極でシャチのオーケストラ団に参加していて。」

「は?」

「とまあ色々あったわ、五年間。貴方たちはどうしてたの?元気だった?」


ニッコリと笑ってはポカンとこちらのことを眺める少女たちへと聞き返す。

ふと、そのうちの一人の顔に目を留めてはハッとした。髪は淡い灰色、瞳は深い青色である。そうして寮を他の二人と同じくしているのを、首元を行儀よく留めたタイの赤色が示していた。

………ヨゼファは周囲に悟られないよう、微かな嘆息を行なう。


「元気だった?じゃないですよ…!行き先も教えてくれなかったのに……、…しかも急に帰ってきて。」

「先生、そのやつれ方が普通じゃないですよ。本当は何があったんですか?はぐらかさないでちゃんと教えてください。」

「ねえ先生…どこにいたんです?私聞いたんですけれど、ダンブルドア先生もヨゼファ先生がどこに行ってしまったか知らなかったんです。そんなこと可能なんですか、校長先生が分からない場所に行くなんて……」


ヨゼファは黙ってアリシアとミチルの言葉に耳を傾けていたが、視線はずっと青い瞳の少女にピタリと据えられてしまっていた。

彼女もまたヨゼファのことを見つめ返していた。整った顔をして……それは彼女・・の母親に瓜二つだった。成長したらそれ以上に美しくなるのかもしれない。


ヨゼファは笑みを心弱いものにして、「ごめんなさい。」と今や自分の袖を細い指で掴んでは言葉を訴えてくるアリシアへと謝った。ミチルにも。


「…………ごめんなさい、私が五年間何をしていたのか…今ここで教えるのは難しいわ。でも貴方たちはいずれ知ることになると思うの。隠そうとして隠せるものじゃないし…。」


でも……、また会えて嬉しいわ。


ヨゼファは目を細めてから、ゆっくりと腕を広げては今一度少女たちへと向き直る。

少し様子を伺ってから首を傾げて「さあ。」と促すと、アリシアが逡巡しつつもこちらへひとつ歩みを進めてくれた。


少女のほっそりとした身体を抱き寄せて、思わず溜め息をしてしまった。考えてみれば、人を抱擁することもされることも五年ぶりなのだ。

ポン、と昔に比べて幾分か広くなった彼女の背中を軽く叩く。ミチルにも同じように抱擁と軽いキスを行なった。


そうして青い瞳の彼女へと向かい合う。

流石に抱き締めず、笑顔で「初めまして。」と挨拶をした。


「二人の後輩かしら?仲が良いのね。」


と尋ねれば、ミチルが「あ、そうだ…」とどこかぼんやりとしていた様子からハッとしたように気が付く。


「テレサはヨゼファ先生と会うの初めてだったよね。そうです先生、彼女はテレサ・チェンヴァレンで……テレサ、こっちは魔法図象学のヨゼファ先生。」

「ヨゼファ先生…?」


テレサは細く綺麗な声で名前を繰り返しては、また痩せ細った魔女のことを眺める。そうして「苗字 ファミリーネームは?」と先輩二人に尋ねた。………視線はヨゼファを見上げたそのままで。


「ああ、ごめんね。いきなりファーストネームで呼ぶのは抵抗あるよね。ヨゼファ先生は………、あれ。待って……」

「忘れたの、アリシア。先生の苗字はね………、………………。」


少女たちは口を噤み、しばし考え込んでしまった。

ヨゼファは苦笑して、「仕様がないわよ。思い出せないのは・・・・・・・・。」と気まずさと申し訳なさをない交ぜにした表情でこちらを伺う生徒二人をフォローする。


「教え子のシロクマを守るためにセイウチと戦った時にファミリーネームを齧られちゃったの。だから…テレサ。ヨゼファで良いのよ。私の苗字は深い海の底に沈んで久しいから。」


ヨゼファが明るく笑って言えば、テレサもつられて笑顔になった。そうして「じゃあ…ヨゼファ先生、」と幾分緊張が解けた様子で名前を呼んでくる。

「はい、なんでしょう。」と返せば、「よろしくお願いします。」と頭を下げられた。


「あら、礼儀正しい子ね。偉いわ。」


思わず感心して目を細める。そうしてヨゼファも美しい少女へ軽く頭を下げ、「こちらこそよろしくね。」と挨拶した。


「…………さて、貴方たち。そろそろ戻らないと他の友達がつまらない思いをするでしょう。また学校でゆっくり話をしましょうね。」


三人に自分の席へ戻るように促すと、すっかりと明るい表情になった少女たちは素直に従って軽い別れの挨拶と共に自分たちの車両へと戻っていく。

ローブの裾を翻して元気良く遠ざかっていく姿が妙に可愛らしく感じて、ヨゼファは表情を穏やかにしては微笑んだ。



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