骨の在処は海の底 | ナノ
 幾千光年の孤独

最早、探す・・時に限ってヨゼファがいないのは慣れたことだった。

では何処へ行ってしまったのだろうかと、すっかりと灯りが落とされては無人の彼女の部屋でスネイプは少しの間考えた。


時刻はやがて日付を超える。

ヨゼファの寝所は整ったままだった。壁にはお馴染みの真っ黒く艶のあるローブがかけられている。だから今の彼女は恐らく寝間着で、そう遠くには行かない筈だと…ここで待って一時間強である。良い加減どこかに探しに行こうとスネイプは部屋を後にした。

自信があるわけではないが多少の見当は付く。

いつも几帳面に整えられている筈のヨゼファの机上には製図最中の魔法陣と道具が転がされていた。


スネイプはその魔術に関する彼女の記憶を見ていた。

どのようなものであるかを知っている。

知ってから、ずっと思考することが多かった。しかしいくら考えてもまとまらず、分からないものは増えていく。

だからこの時刻に関わらず、いや…ゴースト以外が寝静まり邪魔が入らないこの時刻だからこそ彼女に会いに来たのだ。







予想したように、図書室…禁書が収められた…の整然と立ち並ぶ巨大な本棚の隙間から暖色の光が細く伸びていた。

しかし別人物、はたまた寮を抜け出した生徒の可能性もある。スネイプは慎重に灯火の傍へと歩を進めた。


(…………………………。)


ほとんどその本棚の裏へと差し掛かった時、小さな歌声が聞こえる。それを聞き届けて、そこにヨゼファがいるとようやく確信を得ることができた。

重たく聳える書架に膨大な量の残酷知識を収めた場の空気に似合わず、彼女は機嫌が良いようである。


(それで…………。)


それは良いとして、これからどうすれば良いのかとスネイプは若干考えあぐねいた。

具体的な用事を有しているわけではない。

…偶然通りかかった体で行けば良いのだろうか。些か間抜けだが。


気配を失せて黙っていると、その小さな歌声の狭間で頁を捲る乾いた音がする。少しの間、黒い書棚越しのそれをただ聞いていた。静かな気持ちになる。

足音を立てずに歩き出し、幾重にも連なる書棚の狭間に彼女が栞のように挟まれた細い通路へ至る。


馴染み深い小さな赤い光を空中に灯して、ヨゼファは書架の中程で階段状の足台に腰掛けていた。少し首を傾げて組んだ脚の上に置いていた書物を眺めていたが、やがてそれを元の場所へと戻す為に立ち上がる。

それは些か高い位置に落ち着いていたらしく、手を伸ばし少しの背伸びをしている。

既にスネイプは彼女のすぐ傍、背後にいた。伸ばされていた腕の先、ヨゼファの掌に手を添えるようにして握る。


二、三拍の沈黙があった。


ヨゼファはその姿勢のままゆっくりと振り返り、曖昧に笑う。赤色の小さな炎に照らされた顔には深い陰影が落ち込んでいた。

彼女の手の甲に触れたまま、その掌中の本を収まっていたであろう空間へと押し込んで戻す。

手を離さず中空に留め、また数拍の時間が沈黙と共に流れた。室内の巨大な柱時計が時を刻む音がへんに大きく聞こえるばかりである。


スネイプの掌を逆に握り直したヨゼファが、ゆっくりとそれを下ろしてこちらへと向き直った。

ちょうど入浴を終えたばかりのようで、髪が湿った光沢を持っている。そしていつかの夜と同じく顔面に化粧の気配はなく、皮膚色の青白さが際立っていた。

彼女の纏う空気こそは静かだったが、表情はどこか楽しげである。軽く夜の挨拶をされた。こんばんは、と。


「こんな時間に出歩いて、いけないわ。スリザリンは5点減点よ。」

「5点?幾ら何でも減点が甘すぎる。」

「それもそうね…禁書棚だし。20点くらい減らした方が良いかしら?」

「有り得ない。」

「じゃあスネイプ先生ならどうするのかな。」

「……………………。150点、グリフィンドールなら500点の減点に処する。」

「分かりやすい私怨を感じるわ…。そんなことしたら点数がマイナスになってしまうわよ。」


あはは、とヨゼファは彼の胸元をポンと叩いて笑った。

つられてスネイプもまた笑いそうになるが、ざっくりと空いた彼女の寝間着の胸元へふと視線を落とし、再び口を噤む。

襟が交差してVの字に交わる箇所から、無機質な黒い記号の羅列が皮膚上僅かに覗いていた。

握っていた掌を持ち上げて袖を下ろせば同じように黒い印が浮かんでいる。ヨゼファもそこを眺め、「いけない…、また皮膚に浮いちゃってるわ。」と軽く溜め息をした。

ほとんど自然な動作で指の先をヨゼファの襟元、覗いていた肌へと滑らせる。

彼女は困惑した表情を浮かべては瞬きを数回した。どう反応すべきか分かりかねているようである。


「…………増えている。」


黒色の魔法の痕を確かめるようになぞっていくと、ヨゼファの白い乳房がそれに合わせて形を変えた。


「記憶の中で、見た時よりも。」


流石に参ったらしい彼女がスネイプの手を掴むのと、彼が緩慢にそこから指を離すのはほとんど同時だった。

ヨゼファは相変わらず困ったように笑い、「よく見てるわ…。」とそれを認める。


「使った魔法の痕跡がそのまま身体に残るからね、後から確認しやすくて便利よ。」

彼女はあくまで軽い様子で応答した。

スネイプはそれには乗らず、「………あれ以降も闇の魔法を行使した…という訳でいらっしゃる。」と片眉を上げて尋ねる。


「仰る通り………。でも繰り返すように、良いものだと思うのよ痕が残るのは。人を傷付けて奪っておいて、痛みも代償も伴わない人生なんて。」


願い下げよね、とヨゼファは瞳を細めて優しい表情をする。それから「安心して。」と続けた。


「私だって痛いのは嫌いよ、血液を使用した魔法陣はダンブルドア先生のご指示が無ければ使わないの。最初を除いては全部、彼が知るところよ。」

「校長が知るところだから一体何を安心しろと。どんな御託を並べてもそれは闇の呪いだ。いつか帰って来れなくなる。」


彼女は掴んだままだったスネイプの掌に気が付いたらしく、軽く謝罪してそれを離そうとする。しかし彼が握り返す力を弱めないので、そのまま二人は手を繋げたままごく近い距離で互いのことを眺めた。



「………………ありがとう。」


暫時した後、彼女は少しこそばゆそうにしながら呟く。


「私の記憶を見てくれたのね。それでもこうして変わらずに優しくしてくれて、嬉しいわ。」


ありがとう…


何かに感じ入るように、ヨゼファはその言葉を繰り返した。


「今の私にとって自分の身体がどうなるかは大した問題じゃないわ。それよりも生きる意味を与えてもらった喜びがある。私はもう、消えてしまいたいとばかり考えていたあの頃に戻りたく無い……。」


黒い本棚と辺りに広がる黒い闇、そして黒い衣服で全身を覆ったスネイプに囲まれながら、ヨゼファはポツリと呟く。

生きる意味、とそれを繰り返せば、そうよ。と彼女は生徒を諭す教師のような口調で返答した。


「貴方にもあるでしょう。」


繋がっていた掌に、空いていた方の手をポンと置いてヨゼファは言う。


「そんなものなど………」


否定しようと口を開けば声は掠れていた。彼女は何も言わずにスネイプの言葉を待つ。


「そんなものは…、失われて久しい……。」


息を吐き、ヨゼファの肩にゆっくりと頭を預けた。労わるように髪を撫でられる。苦笑しているのか、彼女の淡い息遣いが皮膚を掠めた。


「本当に人生はままならないわよね。どうして思うように生きていけないのかしら……不思議だわ。」

「………生き辛いばかりだ…まったくもって。」

「貴方もそういうこと言うのね…。なんだか安心したわ。」


顔を僅かに起こすと、やはり機嫌が良いらしい彼女と瞳が合った。あの夜と同じように自分への愛情を隠さず、親しみを持って頬に触れられる。思わず、目を細めた。


「大丈夫…。思い描いてた未来と今が違うことには意味があると思うの。貴方や私にしか出来ないことが、きっとここにあるんでしょう。」


私はそう考えることにしているの、と呟く落ち着いた響きの声に耳を傾けて、スネイプは瞳を閉じる。

そうして瞼の裏に思い浮かんだのは愛しい女性の死体の傍、呆然と自分を見上げる赤子の姿だった。彼女と同じ澄んだ森色の瞳で、こちらをじっと見つめてくる。


息を呑んで、すぐにまなこを開く。

ごく至近にいたヨゼファと再度視線が真っ直ぐに重なった。彼女は応えて少しだけ首を傾げる。

デコルテから首筋へと至り始めている黒い文様が、皮膚の動きに合わせて微かに歪んだ。

楔で抉ったようなぎこちないその痕が妙に痛々しく感じて、掌でそれを覆う。


ヨゼファは謝り、「見ていて気持ちが良いものじゃないわよね。」と襟を正して自らの闇の魔術を隠そうとする。

それを留め、今一度意味不明な記号へと視線を落とした。間違いなくこれは呪いで、周囲に聳える真っ黒い書架に収められた知識と同様に許されざる魔術だった。


そうして唐突な不安に襲われる。


今の今まで実感が伴わなかったが、ヨゼファが収監された後…何年、若しくは何十年の歳月会うことが適わなくなるのだろうか。

死喰い人の裁判に公平が存在するとは考えにくい。運が悪ければ彼女は一生灰色の塀の中だ。


(そうして………)


また、自分は一人になるのかと考える。


押し黙ってしまったスネイプのことを気にせず、ヨゼファは弱くなった灯りに新しい炎を足す為、追加の魔法陣をサラサラと円形の手帳に描き込んでいる。伏せた目元に深々と睫毛の影が落ちるのが印象的だった。


------------------- これはけじめだと彼女は言っていた。

ヨゼファにはヨゼファの生きる意味と始末の付け方があり、それは他者に関与出来ることではないと充分に分かっている。自分の立場もまた同じようなものだ。


魔法陣が描かれた用紙が浮かんでは燃え上がり、元の炎と合流して金色の明かりを空中へと灯す。

ヨゼファがその具合を確かめるように指先で触れると、合わせて小さな炎はゆらゆらと空中を漂った。


------------------- 自分が望めばいつでも帰ってくるとも、彼女は言っていた。

しかしその望み・・・・を、どのように伝えれば良いのだろうか。


ヨゼファの肌に刻まれた黒い痕から今度は逆に上へと指先、掌を滑らせる。顎へと至り、淡白な色をした唇に親指を触れさせた。

どうするべきなのかはやはり分からない。彼女をどうしたいのか、またどうされたいのかも同様に。


『私にとって、お前はヨゼファでなくても別に構わなかった・・・・・・・・。』


あの言葉は本心では無かったと言い切っても良いのだろうか。自分は都合の良い存在としてヨゼファの感情を利用しているのではないかと、後ろめたい気持ちが心中に重たく広がっていく。


(何故………。)


親指の腹でヨゼファの唇をなぞって考えた。彼女は特にそれを拒否する様子は無く、黙ったままでこちらを深い色の瞳で見つめている。


スネイプにとって恋愛とは、女性を愛するということは即ちリリーを愛することで、それは清らかで神聖なものだった。

だからきっと、ヨゼファに向ける痛みを伴う執念と攻撃性を孕んだ感情はそれとはまた違うのだと思う。

どれほど辛く苦くて思い出す度に空虚な心持ちばかりな初めての恋でも、それだけがただひとつの自分にとって美しい財産と言えるものだ。手放せない。



だから…そうだ。これから先の人生も。十年、五十年、百年でも彼女だけを想い続けて、どれほど愛していたのかを思い知らせたかった。



それでも今ヨゼファを失うのは恐怖で、触れていたいとも触れてみたいとも思う。

だから謝罪をした。



(人を本気で愛し抜くことが、ここまで苦しく業が深いことならば。)

(二度と愛するものかと、心から思う。)




彼女はスネイプの口から漏れた謝罪の意味が分かり兼ねたらしくそれを尋ねるが、最後まで聞き届けることが出来なかった。

気持ちを見透かされている自覚はある。自分の行為のために彼女が傷付くことも考えないわけでは無い。

それなのにどうしても止めることが出来なかった。


この感情は一度昂ぶると歯止めが利かなくなる。

自分ひとりの為に生きて欲しい。自分が死んだら一緒に死んで欲しい。愛するならば全てを犠牲にして愛して欲しい。

その気持ちと願望への変化は、遂に訪れることがなかった。



押し潰すように合わせた唇を僅かにずらし、角度を変えて幾度か繰り返す。

咄嗟に衣服を掴まれる感覚を覚えたのでその上に掌を重ねて握る。ヨゼファの皮膚は唇と同様硬く強張っていた。


舌で唇をなぞってみると、彼女の身体が震えるのが分かった。咄嗟に顔を後ろに退かれるので、阻止する為に空いている方の手で後頭部を抑える。

自身の身体でヨゼファを巨大な本棚へと押し付け、ほとんど肉体同士の距離を無くす。互いに軽装だった為、薄い衣服越しに浅く早い脈拍を感じ取ることがよく出来た。


薄く開いたその唇へと舌を侵入させる。堪え切れなくなったらしい彼女が自らを支える為に縋って腕へと触れてくるので、身体ごと抱き留めた。冷たいその皮膚へと、自分の体温がじわりと沁みていくのが実感を伴って分かる。

口内の形を確かめながら時間をかけて歯列や上顎を舐めて舌を絡ませると、腕を掴んでくる力が強くなった。少し離して鼻や額、頬を触れ合わせてから今一度ヨゼファの後頭部から首にかけてを掴んで気が赴くままに唇を食む。


更に互いの肉体を密着させる為にヨゼファの膝を割って脚を踏み込むと、今まで動けずにいた彼女が弾かれたようにスネイプの両肩を掴んで自身から遠ざけた。


そこで二人はごく近い距離で互いの顔を見つめ合う。

肩で呼吸をしているヨゼファの表情はひどく弱々しく、こちらを掴んでくる掌の力もまるでいつもと比べ物にならないくらい虚弱だった。

暫しスネイプは初めて見る彼女の覚束ない有様を観察する。ヨゼファは微かに頭を振って、小さな声で「なに……どうしたの、」と辛うじて言葉を発した。


「いや………。」


幾許かの沈黙を経て、彼もまた微かな声で応対する。


「そんな……、そんな顔をするのか。」


そうして、辺りはまた沈黙した。


呼吸が落ち着いたヨゼファは俯き、「あまり見ないで………。」と片掌を顔の前に翳して滲むように目尻が赤い顔を隠す。

彼女の言葉を待つ間、その手を掴んで下ろさせた。再び露わになったヨゼファの頬に掌を触れて、こちらを向かせる。


「その…ごめんなさい、嫌なわけじゃないの……。ただ、……この歳で恥ずかしいけれど…私、経験が無くて。」


彼女は瞼を下ろして、大きく深呼吸をした。

今一度瞳を開き、こちらを見上げては困ったように笑う。


「…………胸が、痛いわ。」


ゆっくりと胸元に頭を寄せられるので、後頭部に手を添えてそのまま抱き寄せた。

無機質な時計の音が、暗闇の中にひとつずつ転がされていく。彼は眼を閉じ、その音を少しの間数えていた。


身体を離し、ヨゼファの腕を引いて無言のままで歩き出しす。

後を追うように、彼女が灯した小さな明かりが中空を揺らめきながらついてきた。金色の灯火を空いている方の手で掴んで揉み消し、暗闇の中へと更に歩を進めていく。







上と下の状態で二人は互いの瞳の中を覗き合い、そして動かないままで幾分かが経過していた。

やがてヨゼファは可笑しそうに笑っては「どうしたの?」と彼に尋ねる。

それでもスネイプが押し黙っているので、彼女は重力に従い自らの方へと垂れていた黒い髪へと手を伸ばし、耳へとかけてくる。


髪に触れ撫でられた時に思わず嘆息した。それから「いや……、」と小さく言葉を零す。


「…………迷っている。これで、良いのか…。」


ヨゼファは相変わらず笑ったままで、「そう、」と相槌を打った。


「大丈夫よ、無理してやることでも無いでしょう。」


安心して、と彼女は労わるようにスネイプの背中に腕を回してポンと一度軽く叩く。

そして身体を起こそうとするので、それを留めて今一度自分のベッドへと沈めた。「そう言うことではなく、」と応えながら。


「……………。こんなことが、自分に許されるのか…と………。」


時間をかけて言葉を絞り出し、また口を閉ざす。ヨゼファと瞳を合わせれば彼女は瞬きをゆっくりと数回した。それから何かを言おうと唇を開く…が、結局声を発さずに目を伏せる。

ほんの一瞬だけ、ひどく寂しげな表情をされた。

ハッとするが、すぐにヨゼファは元の通りの穏やかな笑顔をこちらに向けてはそっと両腕を伸ばしてくる。

何かと思い反応出来ずにいると、彼女は笑みを苦笑に変えては「ほら、」とその腕を広げてみせた。


「さあおいで、良い子のセブルス。」


目を細めて、ヨゼファは自分へと優しく呼びかける。

深く息をして、瞳を閉じた。

そうして首に腕を回して寄せられるままに、彼女の身体へ自分の身体を重ねる。まるで深い海の底へとゆっくりと引き込まれていくような心地だった。


ヨゼファの体温はその印象とは異なり低く冷たい。

再会を果たして初めての接触、握手の瞬間の印象は未だに色濃かった。だが既に今は自分の体温が移り、それを感じることはない。







正直なところ、良い年をしてほとんど童貞と処女であった二人で臨んだ行為は中々に難航した。

しかし何かしらのアクシデントがあるとヨゼファは毎度ひどく可笑しそうに笑いを噛み殺し、「ひどいものねえ、」と楽しげに言った。

そう言うところなのだと思う。


不思議と気持ちは落ち着いて、安心していた。

彼女の腕に抱き寄せられるのは好きだった。もっと強く抱いて欲しいと言えば、それじゃ痛いでしょうと返される。

けれど、痛くして欲しかった。

反対に抱き寄せて胸元に顔を埋める。


男を知らないヨゼファの肌はやはり緊張してひどく強張っていた。

時折堪え兼ねて辛そうに漏らす声と、自分の名前を小さく呼ぶ声を覚えておこうと思う。


「素敵な人」


ヨゼファには時折そう呼ばれることがある。思えば彼女はいつでも自分を肯定することしか言わなかった。


せめて応えたいと、思うことを胸中で何度繰り返しただろうか。

しかしそれはどうしても言葉にならず、ただヨゼファが苦しむほどにその身体を求めるだけだった。







「そろそろ起きないと。」


既に一度自室に戻って身支度を整え終えていたヨゼファは、ベッドの脇に膝をついてスネイプの耳元で囁いた。ついでに柔らかな黒い髪をそっと撫でて。

それに応えて彼がゆっくりと瞳を開ける。ヨゼファは自分好みの黒色をじっと見つめては笑い、「おはよう。」と朝の挨拶をした。


未だ頭が回っていないらしい彼は、そのままぼんやりとこちらを見つめ返してくる。

大丈夫?と訪ねて彼が横たわる傍に腰掛けると、奇妙な呻き声で返事がなされた。

思わず笑い、「朝ご飯食いっぱぐれるわよ。」と言っては手を引いて起こしてやろうと試みる。……が、どうにも起き上がる気配がない。

何かを小さな声で訴えてくるので聞き取るために彼の顔へと耳を近づける。


「……………起き上がれない。」


腰が痛くて、と付け加えられた言葉を聞いて、ヨゼファはどうしても我慢出来ずに盛大に吹き出した。

睨まれているのを肌に感じるので、どうにか笑いを抑える為に口元を掌で覆うがそれでも収まらずに身体と横隔膜がブルブルと震えた。


腕の内側、ちょうど皮膚が薄い箇所を力一杯抓られた痛みのお陰でどうにかそれは鳴りを潜めるが、堪え切れず目元に滲んだ涙を拭ってヨゼファは再び彼のことを見下ろす。


「こういうのって、普通男女逆なんじゃない?」


そう言えば、明らかに気分を害したようで眉間の皺を深めては寝返りを打って顔を背けられた。

まあまあと白いシーツの隙間から覗く黒い頭をポンポンと軽く叩く。


「……………………。お前が丈夫すぎるだけだ。」

「それはあるかも。昔から頑丈さだけが取り柄なのよ。」


今日の授業はいつからと尋ねれば、午後からだと返される。それなら良かった、とホッと胸を撫で下ろす。


「何か食べれそう?取ってくるわよ。」

言葉をかけながら、この部屋で唯一の明かり取りの窓へと視線を向ける。白い光が細く垂れてくるのが眩しくて、思わず目を細めた。


ふと腰にゆっくりと腕が回されていくのに気が付く。自分よりも幾許か温かい彼の体温を背中に覚えるので、「なんだ、起きれるんじゃない。」と苦笑した。

耳元を淡く呼吸が掠めていく。何かを躊躇ってから、スネイプは小さな声で呟いた。


「………………、……帰って来てくれ…。」


ヨゼファ、と名前を呼び、それきり彼は黙る。

彼女は瞼を下ろし、自分の身体を抱いていたスネイプの青白い腕に掌を添えて握った。


「愛しているわ、セブルス。」


返事の代わりに素直に気持ちを伝えると、抱かれる力が強くなった。首筋へと彼の頭が預けられていくのが心地良い重みになって伝わってくる。


そうしてやはり胸は痛かった。

いつでも心根は苦しくて、やり切れない気持ちになる。



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