◎ 孤独を繋いで
「やー、すみません。どうも……待たせちゃいましたか?」
バタバタと慌ただしく扉を開けて校長室へと入ってきた人間が、ガシガシと短い髪をかきながらこちらへと向き直る。
(…………女だったのか。)
そう考えながら、スネイプは何の感慨も抱かずに彼女の方を眺める。
ダンブルドアからは、自分の学生時代の寮友で現在この学校に教員として勤めている者を紹介すると言われていた。心当たりはほとんど無かったが、学生時代にまともに会話した連中はほとんど同性だったことからてっきり男だと思っていたのだ。
「なあに、おしゃべりに興じていたら時間などすぐじゃ。……その様子だと、また生徒にお付き合いなされていた。」
「ええ、まあ…。本当に申し訳ないです。今日は用事があるから早く帰ってもらおうとは思ったんですが。」
「生徒が熱心なのは良いことじゃよ。」
その人物はバツが悪そうにしながら、今一度ダンブルドアへと謝罪を繰り返す。
(しかし………こいつ、誰だ?)
異性の寮友の顔を思い出しても、目の前の女のような人物には思い当たらなかった。
そもそも見るからに毒気が無く鈍そうなこの女が、機知に富むスリザリン出身なのかも怪しくなってきた。
「さあ…こちらが今日君に紹介したいと言っていセブルス・スネイプ先生じゃ。ホグワーツで魔法薬学の教鞭を取って頂く。」
ダンブルドアの掌に促されて、女が初めてスネイプの方へと視線を向ける。……瞳は深い青色だった。纏った如何にも緩い空気と異なり、幾分か冷たい色をしている。
女はパチ、と一度瞬きをしてからすぐに表情を和らげて口を開いた。
「私の寮友だなんて言うから…誰かと思ったらセブルスさんでしたか。」
「……………。申し訳ない、生憎だが私はお前を覚えていない。」
「あはは…、ハッキリ仰るところなんかは学生時代ママですね。まあそれも仕様が無いですよ、私は印象が薄い人間でしたから。」
ねえ校長先生、と彼女はダンブルドアへ人が良さそうな笑みを向ける。彼もそれを受けてにこりと笑った。
「セブルス、こちらはヨゼファ・チェンヴァレン先生じゃ。今現在、魔法陣学…とお茶会を担当なさっておる。」
「いやっ……そんな、研究会をお茶会にしてるつもりは無いですよ!ただお菓子を持ってきてくれる生徒が多いだけで……。」
(ヨゼファ………?)
確かにその名前には聞き覚えがあった。そうして、非常に薄ぼんやりとした輪郭がようやく記憶の中で形を結ぶ。
「ああ…」
と自然に声が出た。今一度、だらしなく笑っている眼前の女のことを見据える。
そして「老けたな…。」とそのままの感想を口にした。
「………………。」
ヨゼファは暫時固まってから、苦く笑ってダンブルドアに目配せをする。
校長はそんな彼女へと、「ヨゼファは老けてもチャーミングじゃよ。」とフォローになってないフォローをした。
「……………。後は、髪が薄くなった。」
「切ったんです!!禿げたみたいに言うのやめてくれません!!!??」
「なんだ…更年期障害か、噛み付いてくるな。」
「私は貴方と同じ年ですけど!!!?」
(……………………。)
しかし、決定的な違和感はそこでは無かった。
性格や雰囲気がまるで違う。長く重たかった髪と共に、全ての憑き物も切り落としてしまったように今の彼女は屈託が無かった。ほとんど学生時代とは別人である。
「セブルスは元生徒とは言え教師としてホグワーツに携わるのは初めてじゃ。面識のあるヨゼファに色々と面倒を見て欲しいんじゃよ。」
「ええ校長先生、勿論です。任せてください。」
「いえ……。そう言うものは私には必要ありませんが。それくらいは自分で学びます。」
「そう言うでないセブルス、君に必要なことだ。淡々と職務を全うすることだけが目的に至る道と思っているのなら…それは間違いじゃよ。」
スネイプはダンブルドアのことをさっと冷えた目で見据えた。
…………この老人は一体何を言っているのかと思った。しかし今はダンブルドアに頼るしか道は無いし、なんだかんだで彼が言うことはいつも正しいのだ。
す、と視線をずらして相変わらず毒の無い笑みを浮かべる女…ヨゼファの方を見る。彼女は腑抜けた表情で笑い返してきた。この知能が低そうな人間とこれから何かと関わらなくてはいけないかと思うと目眩がする。
「まあ……そう言うわけで。これからよろしくお願いしますね、スネイプ先生。」
ヨゼファが手を差し伸べてくる。一瞬の躊躇の後、それを握り返した。………少し、驚く。瞳と同様、そこも想像以上に温度が低い。
改めてその目の色を見る。
真っ青だった。まるで海の底に沈められていくような気分になって、空恐ろしい。
*
「う……嘘でしょ…………。」
スネイプが去った校長室で、ヨゼファは唸り声を上げて椅子の上に崩れ落ちる。
その姿をダンブルドアは愉快そうに笑いながら眺めていた。
「校長先生、貴方はなんて嫌な人なんですか……。私は今先生が悪魔に見えますよ…。」
「別に儂がセブルスを強引に引き込んだわけでは無い。彼も君と同様、儂に助けを求めてきたクチじゃ。」
「うへえ………。その節は、どうもご迷惑を……………。」
「なあに構わん、生徒に慕われるのは嬉しいことじゃ。」
ダンブルドアは笑い、ガクンと項垂れたままのヨゼファの頭をポンポンと数回撫でた。
それから「アンジェリーナのサブレ、食うかの?」と尋ねる。彼女は顔を上げないままで「頂きます……。」と蚊の鳴くような声で呟いた。
「…………まあそう渋るでない。君はセブルスのことが嫌いでは無かったろう。」
「そういう言い方するの、ほんと意地悪ですよ先生は……。」
ヨゼファは固いサブレをカチリと前歯で噛みながらぼやくように言う。
美味しいですね、これ。と感想を付け加えて。
「私の人生は本当に……なんと言うか、諦めと我慢の連続ですよ。彼がここに来たことによってまたそれを思い知らされました…。」
「……………………。諦めなければ良いし、我慢しなければ良いんじゃ無いかの。」
「校長先生みたいな老けてもチャーミングで素敵な魔法使いだったらそうしたでしょうね。」
「そう褒めるでない、照れる。」
ヨゼファは苦笑してから、よっと小さく声をかけて身体を椅子から起こした。
少しだけ目を細めたダンブルドアへと、彼女は「大丈夫ですよ…。ちゃんと校長先生の仰せのままにします。」と手をヒラヒラとしながら毒気の無い笑顔を向けてくる。
「きっとこれは神様がくれたチャンスです。だから私は彼が思う通りに目的に至る為、出来る限りサポートしたい…。」
「……………セブルスが思う通りに?」
「だって彼が未だに貴方の元に留まるのは……。生き残った男の子…ハリー・ポッター…そしてそのお母様の為でしょう。」
ヨゼファは静かにそう言ってから、窓の外へと視線を送る。
木立から溢れてくる金色の光が、彼女の色味の薄い灰色の髪を鈍く光らせた。
ああ、とダンブルドアは考える。
彼女はずっと昔のままから芯の部分は変わっていない。髪型や表面的な人格は多少とも変化があったが。
この校長室の中、思い詰めた表情で身体を小さくして自分の前に座っていた、あの学生時代とまるで変わりがない。
「私は今度こそ善い魔女になるんです。魔法は人を幸せにする為にあるものだから…。」
ヨゼファはニコリと笑ってから、「それでは失礼しますね。」と部屋を後にした。
ダンブルドアは肩を竦め、「別に…今だって充分良い魔女だと思うがの、」と傍の肖像画へと声をかける。
絵画の中の男性は眠そうな表情でこちらを一瞥するが、特に何も応えて来なかった。
「それに…他人をいくら幸せにしたところで、自分が幸せでなくてはまるで意味があるまい……。」
浮かぶのは、ヨゼファの腑抜けた…場合によっては乾き切った笑顔だ。
卒業後間も無く大勢の者と同様に姿を晦ませ…そうしてボロボロの姿に成り果ててここにやって来た雨の夜も彼女は笑っていた。
空虚に全てを諦めて。けれどもようやく楽になれたと、どこか安堵しきっては穏やかに。
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