◎ 声
ダンブルドアに校長室…そして母から逃してもらった後、ヨゼファは勿論のこと彼の
領域である地下へと真っ直ぐに向かった。
黒々として重たそうな扉には鍵がかかっていた。彼女は手持ちのチョークを用いて固い音を立てながら、迷うことなく馴染み深い魔法陣をその上へと描いていく。
魔法が結ばれた証拠に白く発光する陣へと直ぐに身体を通せば、床に踞り傷付いた指先で何かを懸命に掻き集めようとしてる彼の姿を目の当たりにする。
それが
何かを認めてヨゼファは短く息を呑み、駆け寄っては腕を掴んだ。スネイプがぐらりと首を傾けてこちらを眺めるので、「スネイプ先生、」となるべく刺激しないようにゆっくりとその名前を呼んだ。
「怪我をしています。そこから手を離しましょう……。」
傍へと膝を付き、視線の高さを同じくして呼びかける。彼は無反応だった。「さあ、」と今一度促せば、その大きな掌が冷たく光る硝子片から緩慢に離れていく。
ひとまずヨゼファは安堵して息を吐き、傷付いた掌をこちらへ見せるようにと弱く笑っては促した。
しかし、こちらを深い色の瞳でじっと見つめ返すスネイプから小さな声で「やめろ、」と訴えられる。まともな形にならなかった呟きを今一度拾う為、ヨゼファは「なんですか?」と聞き返しながらも彼の傷の様子を確かめようとした。
「その他人行儀な口ぶりをやめろと言っている!!!!!」
しかし一転して烈しい口調で吐き出された言葉に驚き、彼女は目を見張ってスネイプの方を見た。再びピタリと合った黒い視線は威圧するように自分の瞳の内側を睨めつけている。
「そ…そう……、ごめん…なさい。」
ヨゼファは瞬きを数回してから謝罪を述べるが、覚束ずに吃ってしまう。ひどく久しぶりに自分へと向けられた彼の敵意に、情けないことに気持ちが乱れたのだ。場合によっては先ほど母親になじられた時よりも悲しい気持ちになる。
(いや…さっきだって悲しかった。でも隣に貴方がいてくれたから……。)
「とにかく、怪我を治しましょう…。部屋が少し暗いから灯りを「触るな」
どうにか気持ちを平静に保って言葉を続けるが、自分の手の内にあった彼の掌は引き抜かれ腕は振り払われた。
懐かしい痛みが胸の内に蘇る。確か、初めての彼との接触も似たようなものだった。
軽蔑と敵意、明確な拒絶だけがヨゼファとスネイプが共有するただひとつの思い出である。
「逃げるおつもりか…?」
振り払われた自身の掌をぼんやりと見下ろしていると、低い声で尋ねられた。
いつの間にか彼は立ち上がっていたので、応えて顔を上げてはどう言うことかと尋ねようとする。しかし言葉が形になる前に「ヨゼファ・チェンヴァレン!!」と名前を烈として呼ばれた。
びくりとして目を瞑ると、襟首を強く捕まれて上へと引き寄せられる。不安定な足取りでどうにか立てば、首を絞めてくる力が強くなるので思わず咳き込んだ。自分の黒い衣服にはスネイプの指先から垂れ続ける血液が侵食して、更に深い黒色へと染まっていく。
「分かりやすい贖罪でこんなにも容易く許されるつもりか。……貴様は自分の犯したことから目を逸らしてただただ罪滅ぼしがしたいだけだ。母親に似て浅はかな女だな、吐き気がする。」
ヨゼファはじっとして自分を糾する彼の言葉に耳を傾けた。しかしどうにかこの状態から弁明しようと思い、「そんな…」と零す。だが続く言葉が思い付かない。スネイプもまた彼女の発言を待たずに低い声で指弾を続けていく。
「分かるとも…
優しい優しいチェンヴァレン先生を慕う生徒たちに失望されるのは恐怖だ。母親が貴様を訴える以上、いつそれが公然の事実になるか分かったものでは無い。ことが大きくなる前に水面下で済ませてしまうのが最良の選択だ…姑息だが間違っていない。」
「な、何が言いたいの……。何故、どうしてそんなことを…。」
ヨゼファは掠れた弱々しい声でスネイプの皮肉へとどうにか反駁しようとする。
こんなことはおかしいと思った。彼は確かに態度や言葉の端々が乱暴でヨゼファの扱いも雑の極みだったが、明確に人をなじる発言をこうも多くすることは無かった筈だ。
「セブルスさん、落ち着いて。………どうか話を「聞くことなど、何も無い。」
意味を成さないと分かっていながらも陳腐な釈明を述べようとすれば、スネイプはヨゼファへと顔を至近に寄せながら一音ずつ確かめるようにして拒否を口にした。
………この人はこんなに背が高かっただろうか、とヨゼファは襟首を掴まれたままで場違いに呑気なことを考える。聳える黒い樹木のように、今の彼は頑なだった。
「だ、だって…一体どうしたの?貴方がそんなに怒るなんてよっぽどの理由よ、どうか訳を話してちょうだい。」
「まるで私の人と成りを知っているような口ぶりをされる。それでは貴様の目に映る
我輩とはどのようなものだった?
ヒーローみたいな存在かね?」
『スネイプ先生は、私にとってはずっとヒーローみたいな存在だったんですよ。』------------------- あの発言の際に思い出した自分の惨めな学生時代、そして彼と向かい合って飲んだ苦すぎる茶の味がえぐみを持って蘇る。唐突な吐き気に見舞われた。意思とは反して口角が持ち上がるのを阻止しようとすれば、皮膚が引きつって乾いた痛みが顔面に走った。
「残念ながらそれは間違いだ。第一
あの時も貴様を庇ったわけではない。別に誰でも何でも良い、ポッターに食ってかかる理由があれば私はそれで良かった!!」
スネイプは空いている方の手でヨゼファの顎に掌を滑らせては指を食い込ませる。
今の彼女は認めたくはないが恐怖を覚えていた。別に彼が怖いわけではない、積年の恋慕を募らせた人物から自分の唯一の拠り所を否定されることこそが恐ろしかったのだ。
「私を信じたことが間違いだったな…!少し考えれば分かることだろう……こんなにも単純なことを、どこまでも貴様はお人好しで間抜けだ……っ!!」
皮膚に爪が立てられる。彼の真っ黒い瞳を通じて、少女時代の自分が今の己を見つめているような気持ちがした。
やめて、と思った。見ないで欲しい。孤独な彼女に何も報いてやれなかった自分を。
「私にとって、お前はヨゼファでなくても
別に構わなかった。」
ほとんど距離が無いほど至近で囁かれた彼の低い声が、ゆっくり身体の内側へと沈んでいく。
静かな気持ちになった。まるで真っ黒な海の底へ引き摺り下ろされていくようで、うまく息が出来ない。
そうして…今でもとてもよく覚えている……彼への想いを自覚した時のことを何故か今、思い出した。
初恋と初めての失恋は同時だった。それでもただ一言は伝えなくてはいけない。その為に初めて出会った自分だけの拙く清らかな魔法と思い出を汚して……手に入れたものは大して意味を成さないことしか形に出来ない、この声だけだったらしい………、…。
(行き場を無くした言葉たちは、一体どこへ行くのかしら。)スネイプの指が自分の皮膚と服から離されても、ヨゼファは足元を不安定にせず立つことが出来た。微笑したままで彼を眺めれば冷たく一瞥をされる。
「出て行け。どこへなりとも勝手に帰れ……。」
そして彼はもうこちらを見ることはなく、その黒いローブと同じく頑な色の髪をなびかせ自室へと真っ直ぐに歩を進めていく。
「もう二度と、私の中へと入ってくるな。」
低い声で吐かれた言葉は、静かながらも一徹としていた。
扉を閉める音は大きく、いつまでも冷たい石造りの部屋の中に反響する。彼の気配ばかりが漂うこの場所の、あらゆるところで鳴るようにして。
「…………………………。」
ヨゼファは少しの間立ち尽くすが、すぐにスネイプが消えた扉の元へと近寄りそこへと指先を触れさせる。
バチン、と何かが折れるような音がして皮膚に激痛が走った。
呻き、弾かれた掌へとヨゼファは視線を落とす。火傷をしたらしく肌が爛れて捲れていた。思わず舌打ちをして…彼女はそこへゆっくりと舌を這わす。そうして「そう………、」と呟いた。
「私が
差し上げた例の魔法陣除けを使って
いらっしゃるのね。………ええ、素晴らしいわ。正しい使い方が出来ている。」
静かな声で語りかけ、ヨゼファは傷付いた左手の指先を右掌で包み撫でては離した。元の肌色に戻った皮膚を確認して、瞼をゆっくりと下ろしていく。
「でもね……
たったそれだけのまるで子供じみた理由で私を拒否するなら、それを通すわけには行かない。」
眼を開き、頑として閉ざされた黒い扉を見据えて目を細める。
「やっとここまで来たのよ。……………もう、二度と。」
低く言葉を零し、続けて囁く。
同じ夢と悪夢の中で幾度となく繰り返した言葉を。
*
バチン、と烈しい音が鳴って一瞬中空へ表れた見覚えのある白い光の線が打ち消された。
荒れた息を整える為に深く呼吸をして、スネイプは投げ出されていた椅子へと腰掛ける。
ひとまずは安堵する。どうやら扉に貼付した魔法陣除けは確かに効果があるらしい。
(これで…やっと……、)
瞳をきつく閉じ、額に拳を当てる。
すると先ほどと同じように、且つての自分がこちらをじっと見つめてくる気配を強く覚えた。
……………この
学校で。同じ制服を着て同じものを食べ、同じ空気を吸って同じ心でいる筈だった。
それがいつから別のものになってしまったのか。何故自分だけがひとり、この冷え冷えとした地下室で身体を屈めて瀕死の蛇のように息衝いているのか。
星が落ちてきそうなほどに鮮やかな夜空の景色が、脳裏を掠めていく。
やめろ、思い出させないで欲しいと、すぐ傍に佇む嘗ての自身と同じ容姿をした少年へと訴えた。
すると次に思い浮かぶは、自分の隣にいながらもこちらではなく正面の母親を見据えるヨゼファの横顔だった。
何故こちらを見ない、とその幻覚に訴える。言葉はまるで聞き届けられないようで、ヨゼファは美しい母の言葉に相槌を打って会話を続けていく。
『何故?』自分の代わりに少年のセブルス・スネイプがヨゼファへと問いかけている。だがやはり、それも彼女へは届いていないようだった。
『一緒にいたいと、貴方は確かに言ってくれたのに。』
『何故いつまでも一緒にいると約束出来ないのに優しくしたの?』
『誰に対しても平等に優しいのであれば、僕はそんなものはいらなかった。』
『貴方にとって一番大事なものが母娘の絆ならば、大切になんかされたくなかった。』
『何故?』
『だから僕は、与えて奪った貴方が憎い。とても………。』「………とても…憎い。」
囁いた声は掠れていた。
そう、と思い出す。そうなのだ、と。
この感情は一度昂ぶると歯止めが利かなくなる。
自分ひとりの為に生きて欲しい。自分が死んだら一緒に死んで欲しい。愛するならば全てを犠牲にして愛して欲しい。
己は嘗ての思い出に未だ繋がれたままなのに、それはあまりにも身勝手過ぎる感情だ。
この所為で大切にしたいものすらも大切に出来なかったことをよく覚えている。それでも学べなかった。同じことを繰り返している。
(また、拒否されるのが恐ろしかった………。)
------------------- 思い出したように、左腕に刻まれた印が焼け付くように痛んだ。
(もしも心情を吐露して、応えてもらえる保証がどこにある?)
その箇所を抑えて呻く。薬を、と波打つカットが施された例の硝子瓶へと手を伸ばす。だがそれは取り落とされ、鈍い音を立てて床へと転がっていく。中身は空だった。
(全部が思い込みと勘違いで……悪い想像の通り、真実に自分はひとりで………)
空虚な色をした器を、覚えがある青白い掌がそっと拾い上げる。
幼い自分がそれをこちらへ渡してくる。受け取ると、自らと同じ色の瞳と視線が混ざり合った。
『…………僕は。助けてと言うことも出来ないの…?』静かに言い渡された言葉に、胸の内側で引き裂かれるような痛みが走る。
少年の姿の自分へと掌を伸ばして触れようとするが、それは既に周囲の暗闇と同化して形がなくなっていた。
空の器を血液が未だ止まらない両掌で握り締め、額へと持っていく。冷たい容器を皮膚へと擦らせ、名前を呼んだ。
「ヨゼファ………ッ、」
それは浅い呼吸と変わらず、形にもならないような叫声だった。
それでも彼女に聞き届けられるのだろうか。いつものように、
まるでヒーローのように自分の元へ駆け着けてくれるのだろうか。
「た、助けてくれ…、………!」
ほとんど悲鳴のような声を上げれば、何かが震えて唸るような低い音が遠くから聞こえてはやがて近くにやってくる。
それが何を意味をするのかスネイプはもうよく分かっていた。中空から柳の葉のように沙耶とした光の枝葉が垂れ、馴染みのある複雑な文様を描いていく。
一度中心に強く収束して、その中から彼女が姿を現した。
空の容器を握り締める彼のことを一瞥し、そして扉へと貼付された自分の魔法を拒否する為の陣を目を細めて眺める。
「……………魔法陣は。所詮術者の気の持ちようの魔術だと、私は貴方に言ったわね。」
こちらへと抑揚なく言葉をかけながらヨゼファは扉の傍まで歩み、羊皮紙に描かれた反魔法陣へそっと指先を滑らせる。触っても安全だと確認出来たらしく、彼女はそれを剥がし折り目に沿って丁寧に畳んだ。
「だから今…ここにいる私はセブルスさんに招き入れてもらったのよ。貴方が心で私を望んでくれたから、この反魔法陣が無力化された。」
こちらへと向き直り、ヨゼファは彼の傍へと静かに戻ってくる。反射的にスネイプは立ち上がり後ろへ退く。しかし彼女に強く腕を掴まれてそれ以上の後退を許されなかった。
「待って………。」
しかし掌の力と正反対にヨゼファの声は弱々しかった。
その表情からは笑みが消えていた。こちらを握ってくる指先が微かに震えている。
それでも無理に後ろへと退がった。だがすぐに壁へと追い詰められる。真っ黒く湿気た部屋の壁、そして黒衣の魔女に挟まれて身動きが取れない。
「お願い……逃げないで………、」
やはり、その力と視線の痛いほどの強さに相反して表情と声に余裕が無かった。
ヨゼファは空いている方の掌をスネイプの頬の近くまで持って行くが、触れようとはしない。躊躇して中空に留め、元の位置へと戻していく。
そして小さな声で「………私は家には帰らないわ…。」と彼女は呟いた。決して、と続けて。言葉は押し潰されて、聞いているこちらの方が苦しくなる。
今一度瞳の中を覗き込まれた。ピタリと視線を合わせることを、いつでも彼女は恐れない。
「ねえ……もしも貴方が
本当に望んでくれるなら、私はアズカバンの脱獄だってなんだってしてみせるわ。貴方が呼んでくれるならいつでも…すぐに、どんなところからでも。」
スネイプは自然と立っていられなくなり、壁へともたれたままズルズルと床へと沈む。それに合わせてヨゼファも鈍色の床板に膝をつき、今度は彼の双肩を掴んで言葉を連ねていく。
「
私が、誰の為にでもわざわざフランスから帰ってくると思う?真夜中に豪雨の中、いるかどうかも分からないたった一人を探して森の奥まで分け入るとでも思った?お生憎ね、私はそこまでお人好しじゃないわよ……!!」
自分の肩に食い込む掌の力はいよいよ強く、指が皮膚にめり込んでくるのが分かる。痛かった。だがそれよりもヨゼファの面……初めて見る、まるで怒りに似た表情に威圧される。真っ青な瞳に黒々とした焔が灯っている錯覚に見舞われるほどの。
「私にはね、脱獄のリスクの拷問も辱めも大したことではないの。磔の呪文も吸魂鬼もまるで怖くない。
貴方が望むならば骨も肉も犠牲に出来る、そう…執念が私にはある。……ねえ…なんでだと思う………?」
皮膚が触れ合うほどの距離、初めて聞くような低い声でヨゼファは続けていく。
まるで知らない人間と相対しているようだとスネイプは思った。彼女の特徴である軟派な態度も、気の抜けた笑顔も穏やかに纏う空気もここにはまるで見当たらない。
耳元に唇が寄せられる。一度、耳殻へと口付けられるのが分かった。肩を掴まれていた掌は離され、いつの間にか身体を抱かれている。
この言葉を、生まれて初めて受け取った。
二本の腕で痛いほどに力強く抱きしめられるのも、ヨゼファが初めてだった。
溜め息を吐き、その胸に力なく頭を預ける。
彼女の腕に抱かれている時の安堵は何なのだろうかと、黒い雨の夜を思い出しながら考えた。最早馴染み深いインクと香水、そして古ぼけた太陽の香りが混ざり合って弱く漂ってくる。
まるで先ほどから言葉を発することが出来ない自分とは正反対に、ヨゼファは同じ言葉を幾度も囁いて繰り返した。
目を伏せると、彼女の黒い衣服の下にある柔らかい肌と心臓の拍動を感じることが出来た。そこに皮膚を擦らせれば、女性らしい曲線が合わせて形を変えていく。
自らもその身体へと、ひどく時間をかけて腕を回した。先ほど自分へと触れようとしたヨゼファと同じように躊躇して、それでも我慢出来ずに強く、更に自らの傍へと寄せる。
髪を撫でられた。名前を呼ぶとすぐに返事が返ってくる。繰り返して呼べば、その度に幾度でも。
「愛しているわ。」
それは最早彼女の為に言葉と言うよりは、スネイプを安堵させる為の慰めだった。
ヨゼファは彼の気が済むまで同じことを繰り返しては母親のように背中を撫で、愛情深い仕草で髪へと触れ続ける。
「素敵な人……。」
掠れた声でヨゼファは囁き、彼の額に軽く口付ける。
…………スネイプは奇妙な気持ちになった。今まで生きてきて、ここまで人に求められることがあっただろうか。
何故、と思う。
彼女が自分に好意を抱いたきっかけについては強く否定した。それでもヨゼファは全身からこちらへと愛情を向けてくる。
なにがこの魔女を魅き寄せたのだろうか。己すらも預かり知らないところ、ヨゼファの中で…自分は一体どんなに重要な人間だったのだろう。
やはり奇妙だった。
人間というものは、人と人との関わりというものはどこまでも奇妙で、計り知れない。
ヨゼファは少し身体を離し、こちらを眺めては微笑う。
もうその周囲に纏った空気は穏やかで、いつものように彼女だった。
そして罰が悪そうに「……ごめんなさい。驚かせたわ…」と謝ってくる。
謝罪をするのはこちらの方だとスネイプがぼんやりと考えた。だがそれは言葉にも行為にもならなず、ただヨゼファのことを見つめ返す。
彼女はその視線に応えて表情を優しくして眼を細めた。目尻にくしゃりと笑い皺が浮かぶ。
「セブルスさん……。さっき、母から私ことを庇ってくれたわね。………すごく嬉しかった。」
ありがとう、と呟いたヨゼファはスネイプの掌を取り、彼の手の内の傷口を指先でなぞっては癒していく。時折「痛くない?」とこちらを気遣いながら。
「やっぱり貴方は素敵だわ。……ずっと変わらない…私の憧れで、ヒーローよ。」
ああ、とヨゼファは少し自虐的な笑みを浮かべ、元の状態に戻ったスネイプの手の甲へと口付けた。
やがて彼女は傍に転がっていた空の硝子瓶を拾い上げ、何かを確かめるように観察しては再び口を開く。
「思い返してみれば…私は自分のことをあまり貴方に話さなかったわね。……話せるようなことがあまりないの。恥ばかりの人生だから。」
ヨゼファ静かな口調で語りながら杖を取り出した。自分のこめかみの辺りをその先で弄り、白く半透明の煙を絡ませこちらへと示してくる。
「……私の最も醜くて人に見せたくないものよ。でも、今の私を形作ってくれた記憶だわ…。」
彼女は杖先を漂う記憶を空の容器へふわりと収めていく。白い煙は硝子瓶の中で緩やかに彷徨い、蠢いた。
「貴方になら見せても良いと思う。……少しでも、その不安を取り除くことが出来たら…。」
そう言ってヨゼファは、満たされた硝子瓶と先ほど扉から取り去った魔方陣避けを手渡してくる。
……………腰を上げてここから立ち去ろうとする彼女の袖を引いて、スネイプはヨゼファをこの場所に留めた。
か細い夜の光に白い面を照らされた魔女は心弱く笑い、傍に戻っては未だ床に座り込んだままの彼の隣へと同じように身体を沈める。
そして二人で、ただひとつの小さな明かり取りの向こうで夜色の雲が流れていくのを眺めて過ごした。
時折額を合わせお互いの鼻や頬を愛でるようにして、掌の繋がりを確認しては握り直しながら。
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