骨の在処は海の底 | ナノ
 赤眼の路上

「ヨゼファ!?」


身体が半分溶けてると思うほどにドロドロに雨と泥に塗れたヨゼファ…ついに気を失ってしまったスネイプを抱えたままの…の姿を認めて、マクゴナガルは悲鳴に似た声を上げた。

彼女はそんな副校長へとバツの悪そうな笑みを浮かべた後、「どうも…こんばんは。そしてただいまです。」と夜と帰宅の挨拶をしてみせた。


「ヨゼファ、帰ってくるのは明日の筈では。」

「いいえ…予定よりも長くなってしまった上に色々と心配事が多かったので、今日のうちに帰らせてもらったんですよ。」


マクゴナガルの背後から声をかけて来たダンブルドアの言葉に応えながら、ヨゼファは彼へも一礼して「ただいま帰りました。」と挨拶する。


「で、君の腕の中で死にそうになっている我々の優秀な魔法薬学教授は一体。」

「………隻眼の樹に触ったんです。多分…直に。」


ヨゼファの言葉に、ダンブルドアは二人の方へと進めていた歩みを止めてハタ、と彼女の藍色の瞳を見据える。


「何です、隻眼の樹…?触ったからと言って何か問題が?あれは魔除けの樹木の筈では。」


状況がいまいち飲み込めないマクゴナガルが質問を重ねてくる。ダンブルドアはそれには応えず、再び歩みを再開させてはほとんど紙のような白色になってしまったスネイプの顔を覗き込んだ。

マクゴナガルもまた心配そうにそれを眺めては、気を失っている彼の額に触れた。そして小さく息を呑み、「なんて体温の低さ……!」と呟く。


「ヨゼファ。対処の仕方は分かるかね。」

「ええ。」

「アルバス、ヨゼファ。話は後にしましょう。一刻も早くマダム・ポンプリーに連絡を…。」

「いや、ヨゼファに任せた方が良かろう。」

「分かりました。それでは…そうですね。スネイプ先生はひとまずは彼の部屋に運ぶのが良いんでしょうか。」

「何を言ってるのですか?医務室に運ぶべきに決まっているでしょう。」

「ヨゼファの部屋で構わんよ。その方が色々と必要なものが揃っている筈では。」


勿論…君が嫌で無ければ。

そう言って、ダンブルドアはヨゼファの瞳の中を再度じっと眺める。

…………彼女は少し肩を竦めて、「嫌ではないですよ。」と応えた。


ホグワーツの校長は頷き、杖を軽く一振りしてヨゼファとスネイプの髪や服をしとどに濡らしていた雨水を取り除いてやる。

ヨゼファはホッとしたように笑い、「助かりました。ありがとうございます。」と礼を述べた。


「何か必要なものはお有りかな、チェンヴァレン先生。」

「ええと…。とりあえず体温を下げる為に冷やすものがありったけ欲しいです。」

「体温を下げる?こんなに身体が冷え切っていると言うのに、これ以上冷やしたら死んでしまいますよ!?」

「いいえ、ミネルバ。今は低体温ですが、これからひどい高熱を出します。」

「何故そんなことが分かるのです?」


自分だけ蚊帳の外のような状況に良い加減苛立っていたマクゴナガルは、強い口調でヨゼファへと質問した。

彼女は言葉に窮したらしく、パチパチと瞬きをして美しい副校長へと視線を向ける。マクゴナガルはヨゼファが口を開く前に続けて言葉を連ねた。


「良いですか、ヨゼファ。貴方はいつでも何でも自分で解決しようと…問題を抱え込む悪い癖があります。口が利けない訳では無いのでしょう?何故人に相談をしないのです。一人で考え込んでも良い答えには決して辿り着けませんよ。」


長い指を一本立て、マクゴナガルは教師らしい口調で若い魔女…顔は老けているが…を諭すように言う。

ヨゼファは無言のままひとつ頷いた。

そのきょとりとした表情にマクゴナガルはなんとも言えない気持ちになる。彼女の性格がこう・・である原因の一端は、少女のヨゼファに気が付くことが出来なかった自分にもあるのではと思えてならなかった。

だから嘗ての彼女に言えなかった言葉をと考える。まだ間に合うのならば…と。


「折角…縁があって今同じ場所にいるのでしょう?何故それを大切に思ってくれないのですか。もっと…私たち…私を、周囲の人間を頼りなさい。」

それを迷惑と考えているのならば貴方は馬鹿です、何も分かっていませんよ。と彼女はピシャリとした口調で言葉を締める。センチメンタルな自身の心情を悟られないように。


ヨゼファはもう一度彼女の言葉を吟味してはゆっくりと頷き、「はい……。マクゴナガル先生。」と言ってはクシャリと笑った。







身体に激痛が走って、スネイプは目を覚ました。

痛みは背中から始まり、脊髄、脳へと至る。あまりの痛みに我慢出来ず呻き、ついに悲鳴に似た声が上がった。

……………バタバタと騒々しい音が扉一枚隔てた部屋の方で鳴る。


(……部屋?扉が自室とは異なる…場所に……)

彼は朦朧とした意識の中で、一体ここは何処なのだと不安になった。


バアン、とこれもまたけたたましい音を立ててその扉が開いた。そこには何やら持ちきれない薬瓶や恐らく調剤最中だった薬が入った乳鉢、それと書籍やら何やらを腕に抱えては取り落としつつこちらへと駆け寄ってくるヨゼファの姿があった。

その扉の向こう…ランプの灯りでその輪郭が薄ぼんやり照らされた…に見覚えがあった。暗闇と定かでない視界の所為で、まともな観察すら出来ないのに関わらず。

ここには…彼女がいない時間繰り返し通っていたからだ。そうして彼は、今まで至ることが出来なかったヨゼファの私室に自分が寝かされていることを理解する。


彼女は腕の中の荷物を床に下ろしては膝をつき、スネイプの顔を覗き込む。そして口内を確認した後に「…………反応が早い、もう始まったのか」と息継ぎ、低い声で呟いた。


「セブルスさん、聞こえますか…?」


そして語りかけてくるが、痛みがまた波のように押し寄せてきた為にスネイプは応えることが出来なかった。


「………………っ、これが終われば大分楽になります。頑張って…!!」


ヨゼファはスネイプの掌を握っては調剤の途中だったらしい例の乳鉢の中身を確認した。だがこちらも準備が整い切ってないようである。苦しみの渦中の同僚とその中身とを見比べ、彼女は短く頭を振っては今一度元来た扉の方へと戻って何かを取ってこようとする。

しかしそれはスネイプが彼女の掌を強く握り、この場に留めたことによって阻まれた。

…………ヨゼファは彼のことを見下ろし、困ったように笑っては何かを言おうとした。しかし彼の痛みはさざ波のように小さなものから、海底深くから巻き上げられる大きな畝りに似たものへと変化する。その所為で我慢出来ない声を上げ、彼女の手を握る力もまた強くなった。

ヨゼファは再度スネイプのすぐ傍に膝をつき、口元に何かを押し当ててくる。指だった。自分の親指をその薄く色が失せた唇へと触れさせ、「噛んで下さい…!」と指示している。


「痛みに耐えかねて舌を噛み切る可能性があるわ、早く!!」


言われるがままにその指を口に含んで歯を立てた。身体の痛みに耐えかねて、食い縛る力を強くする。彼の痛覚を分け与えられたヨゼファもまた堪え難い痛みに声を潜めて呻く。


地獄の底を転がされるような苦痛に気を失っては取り戻し、また失う。だがこの痛みに自分の生を強く感じたのは何故だろうか。


やがて痛みが引いてくるので、ヨゼファの指を噛む力を緩めた。彼女はゆっくりと口内からそれを引き抜いていく。

そして弱く笑われる気配がした。…………それを懐かしいと思った。高々一ヶ月強会わなかっただけなのに関わらず。


「お疲れ様……。」


と言って汗に塗れた髪を軽く撫でられるので、繋がったままだった彼女の掌を自分の方へと寄せる。そこもまた、どちらのものか分からない汗によって湿っていた。

辛うじて開く目で、ヨゼファの指を確認する。幾度も歯を立てた所為で皮膚が裂けてひどい有様だった。赤い痕はその指をぐるりと囲み、彼女の血液を色濃く滲ませては光っている。







「……………服が。」


ポツリとした呟きが聞こえたので、ヨゼファは顔を上げて息も絶え絶えな同僚の方を向く。そして「ああ、」と笑って応えた。


「汗でひどい有様だったので着替えをさせてもらいましたよ。…………。心配しないで下さいね、こういう時に魔法は便利ですから。一瞬で終わりましたよ……、っと。でも貴方の部屋から適当に服を拝借しましたので。なんというか…ごめんなさい。」


笑顔を心弱いものに変えて、ヨゼファはスネイプの額に浮いていた汗を冷やしたリネンで拭ってやった。

ひとつの山場を越えてヨゼファは安心していたが、それでも彼の身体はひどい熱に侵されていた。……水をガラスのコップに汲み、それを飲ませる為に身体を支えて起こしてやる。


「隻眼の樹は………魔除けの樹では無いのか…。」


喉が渇いていたらしく、ゆっくりながらもコップの中身を全て飲み切っては手の甲で口を拭うスネイプが質問してくる。

彼の身体をベッドに戻し、自分もまた腰掛けていた椅子の背もたれへと身体を預けては…「ええ…魔除けです。」とヨゼファは応えた。


「あの樹には、『悪いものの目を眩ませて力を弱める』強力な力があります。……特に地に根を張って生きている時は凶暴なまでに。」

ヨゼファは脚を組み、そこで言葉を切った。その先の言葉に少し躊躇してから、溜め息をする。


「だから、悪いもの・・・・である私たちにはとても危険なんですよ……。」


少しの沈黙の後、彼が弱く息を吐くのが分かる。その青白い皮膚の輪郭を、ランプの鈍い灯りがなぞって光らせていた。

その沈黙が無性に重たく思えて、ヨゼファは「えっと…。」と言っては後頭部を軽くかいた。


「あの……。シーツとか…一応新しいの出しましたけど…臭かったりしませんか?」


スネイプは無言で何も応えて来なかった。

参った、とヨゼファは思う。どうも自分はよく喋る割に言葉選びが下手だ。声が扱える扱えないに関わらず、きっとコミュニケーションが下手糞なのだと思う。


彼は脱力して瞳を閉じていた。

その服の胸部にある小さな胸ポケットに、ヨゼファは四角に畳んだ羊皮紙を忍ばせる。なんだ、というように彼が瞼を薄く開けてこちらを見つめて来た。


「……。魔法陣避けですよ。私は…今まで歳が近い同僚がいなかったし…その。貴方のことが嫌いでは無いので、よく部屋に遊びに行きたくなってしまうんですが。でも多分…それはあんまり良いことじゃないですよね。これを扉に貼って拒否の気持ちを思えば、私の陣を弾けます。」


ヨゼファはゆっくりと、一音ずつを確かめながら彼への言葉を紡いだ。

………嫌だな、と感じた。近付かないで見守ることだけが愛情を示す手立てだなんて…と。


(でも貴方は私の聖域だから。…………心が赴くままに愛することは、どうしても出来ないね。)


シーツの上を、何かが滑る微かな音がする。沈黙で満たされた室内ではそれすらもいやに大きく感じられた。

指先に触れたものを見下ろすと、彼の湿った掌がそこを握っていた。緩く目を細めてから、そこを素直に握り返す。


「………………。ありがとう。」


瞼を下ろして礼を述べると、思った以上に自分の声は掠れてしまっていた。

今一度きちんと瞳を開き、半眼になってしまっている彼の黒々とした虹彩を覗き込む。そのままでもう一度礼を述べる。今度は震えて、やはりまともに言葉が伝えられないのがもどかしくて、一人で可笑しくなって笑ってしまった。

スネイプの額に空いている方の手で触れて温度を確かめる。少し熱が下がったように思えて、ほっとした。


「聞きたいことが……。」


喋ることはまだ辛いようで、彼はいつも以上に言葉少なである。ヨゼファは頷いてその言葉を待った。


「何故………、お前は…、一体何が………目的で。」


繋がった掌の内で、取り急ぎの処置をした親指に触れられる。…その所為で、塞ぎ切らない傷口がじくりと痛んだ。

ヨゼファは「そうですね……。」と呟く。難しい質問をするな、と弱った気持ちになった。実際の答えは実にシンプルなものなのだが………。


「なんて言うんでしょうね。私が何者であるとか…目的とかを説明するのは難しいですよ。……貴方が納得する答えを提供出来る自信も無いし。」


話しながら、繋がった場所から彼の熱がどんどんと自分の身体へと注ぎ込まれているような気分になる。


(柄にもなくて仕様がない。)

(きっと私は今緊張している。………まるで女の子みたいに。)


「でも、強いて言うなら…私は貴方の味方ですよ。」


ずっと…………。

呼ばれたらすぐ傍に。

望むことを。


散漫に言葉を零し、ヨゼファは堪らない気持ちになって額に拳を当ててはきつく瞳を閉じた。

心の中にぐるぐるとした図象が蠢いて浮かんでくる。それは自分の胸部に刻まれた黒い魔法陣の形によく似ていた。


(私の人生は、諦めと我慢の連続ね。)


それでも良いと、どうして言い切ることが出来ないのだろうか。


(優しい人間になりたい。)


彼がどんなに自分以外の女性ひとを愛していても、思い通りにならなくても。それでも大切にしていくことが出来る優しい人間に。


「私は…、今度こそ善い魔女に…………」


……耳に触れる微かな寝息で、彼がようやく安らかに眠ることが出来たのだと理解する。


せめて、良い夢を。

それしか願ってあげられない。


私は無能で、無力で、

ずっとずっと…………

何年も昔から、生まれた時から。

ずっと…………



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