◎ シンメトリー 02
(炎のゴブレット/ダンスパーティ)宴もたけなわを過ぎた頃…ふと人の気配を覚えて、ハーマイオニーは流れる涙を拭っては顔を上げた。
すぐ隣にいた人物は訝しそうに腰を折り、階段の途中で蹲って泣いていた彼女の顔を覗き込んでいる。
「………………あら。」
ハーマイオニーが泣いていたことに気が付いたヨゼファは、その表情を少し焦ったものへと変化させる。
それから少しオロオロとして、掌中にあった皿の上から薄紅色のマカロンをひとつ摘んでは…「こ…これ食べる?」と尋ねてきた。
ハーマイオニーはそれを受け取りながら、「ヨゼファ先生…一体このパーティでケーキをいくつ食べるつもりですか…」と涙交じりながら笑ってしまいそうになって尋ねた。
「まだ三つ目だわ。」
「
もう三つ目でしょう。」
「仕方ないわ、ケーキはお酒の肴に合うんだもの。」
「そんな破綻した味覚の持ち主は先生くらいですよ…。」
そうかしらねえ……と言ってヨゼファはハーマイオニーの隣に腰掛けて引き続きケーキをつついて口に運ぶ。
聞いてもいないのに、「ドイツのケーキよ。黒い森のケーキっていう名前なの。」と嬉々と説明してくる様に呆れ、けれども微笑ましい気持ちになって笑った。薔薇色のマカロンはラズベリー味である。少し酸っぱい。
「ハーマイオニーはなんだか水分が足りなさそうね。何か取ってきましょうか?」
ペロリとダークチェリーの“黒い森”を食べ終えたヨゼファは、まだ少し濡れていた彼女の頬をハンカチで軽く拭ってやっては優しい口調で尋ねてくる。
ハーマイオニーは首を横に振り、「大丈夫です。」と答えた。
「それより…私の話を聞いて下さい。今すっごい悪口言いたい気分なんです……!!」
そしてハンカチを持ったままのヨゼファの手を握っては強く訴える。
………彼女は瞳をパチパチとさせてこちらを不思議そうな表情で眺めていたが…やがていつものように穏やかな笑い皺を作り、「良いわよ。」と快諾する。
「場所を変えましょうか?」
自分の身体に巻いていたストールを外気に晒されていたハーマイオニーの肩と腕の辺りに回してやりながら、ヨゼファは尋ねてくる。
そして答えを待たず、いとも簡単に彼女を横抱きにしてみせた。そのまま、黒い靴の爪先でトンと石段を蹴り、ふわりと中空に身体を持っていく。
「先生、それどうやって…」
ハーマイオニーは質問しようと口を開きかけるが、想像以上にヨゼファの跳躍が高かった為に恐怖から唇を閉ざす。
ヨゼファは彼女の身体をしっかりと抱き直し、「ちゃんと掴まっていてね。」と耳元でそっと囁いた。そして丁度足元に来ていた切り出し屋根を足場に、銀色の月に向かって更にその歩みを進めていく。
* * *
「文句言うくらいならなんで最初っから声をかけないのよ!!!なに、私は都合が良い存在なの!!???スーパーの棚の隅っこで売れ残ってる不味いパウンド・ケーキだとでも思ってるのかしら!!!!!???」
「え、っと…………。そんなことないわよ。………落ち着いて。今日の貴方はとっても素敵だったわ…いやいつも綺麗だけれど。」
ハーマイオニーの…もう同じ話が何度目になるか分からない…ロンの愚痴を聞いては宥めてやりながら、ヨゼファはその背中をトントンと摩ってやっていた。
それからやんわりとした口調で、「お酒飲んだわね?私の記憶が正しければ貴方はまだ十四歳の筈だけれど…。」と言ってくる。
今更教師面されるのがなんだか癪で、ハーマイオニーは彼女のことをキッと見上げた。そうして「『今を楽しんで』と言ってのはヨゼファ先生だわ。」と応える。
「そうだったかしら、記憶にないわ。」
「そうやってすぐ惚けて。………大人はそう言うところがズルいわ。」
ハーマイオニーはヨゼファの胸の辺りを一度ペチと叩いてから、彼女から借りていたストールを身体に巻きつけ直す。
ホグワーツの中でも一番に高い場所にある天文台は、その名の通りひどく星に近い場所だった。
銀色、白色、青色と思い思いの色彩を灯す細かい光の粒を見上げながら、彼女は切ない気持ちになって溜め息を吐く。
「先生は良いですよね…そうやっていつも落ち着いてて。きっと好きな男の子とも老夫婦みたいに順調な……ってあれ、先生って恋人とかいないんですか?若しくはいなかったんですか??」
未だ抜け切らない興奮とアルコールの所為で、ハーマイオニーの思考とテンションは目紛しく変化する。
どうやらヨゼファはそれに付いていけないらしく、目を白黒させながら「えっと……」と言葉に窮していた。
「ヨゼファ先生に好きな人がいるとしたら校外よね。この学校で先生の歳に丁度良い相手はいないし………。」
この時、ハーマイオニーの脳内から当然のようにスネイプの存在は弾き出されていた。
そうして元より近かったヨゼファとの距離を更に詰め、「ねえ、教えて下さいよ。」と至極楽しい気持ちになって尋ねる。
「あ……!そうだ、ルーピン先生は?仲良かったですよね、同級生だし。」
「い、いいえ…。リーマスとはブリテン大魔法使い甘味の会の会員同士なだけで。」
「何ですかその頭悪そうな会!?」
ハーマイオニーの追及にヨゼファは苦笑いしては、「貴方が好きな男の子と無事恋人になったら…そうね、教えてあげても良いわ。」と言っては逆方向に移動して距離を再び広げる。
「…………………。そんな日は来ないわ、あんな適当でどうしようもない男。」
「分からないわよ?貴方はとても魅力的で賢い女の子だから。ロンは少し自分に引け目を感じてしまっているのかも……。」
「そんな……そんなこと。ただ鈍感なだけよ。」
「それは大いにあるかもしれないけれど。……私は少しロンの気持ちが分かるわ。」
でも貴方たちなら大丈夫よ、とヨゼファは少し縺れてしまっていたハーマイオニーのシニヨンを整えるようにして撫でてくる。
彼女はそれを甘受しつつ、「またそうやって逃げるんですね…」とポツリとした声で呟いた。
「じゃあ…。ねえヨゼファ先生。先生が生徒だった時、三大魔法学校の対抗試合でなくても…何かダンスパーティーはあった?」
自分の髪から頬を滑って元の場所へと戻っていくヨゼファの掌を名残惜しく思いながら、ハーマイオニーは尋ねる。ヨゼファは笑い、「ええ、あったわよ。」と答えた。
「ヨゼファ先生はその時に誰と踊ったの?」
きっと答えられても自分が知らない人だろうな、と思いつつもハーマイオニーは質問を重ねた。
彼女は少し考えるようにして星が一面に撒かれた空を見上げる。そしてまた困ったように笑うので、今度ははぐらかされないように…「これくらいは答えて下さいよ。」と念を押した。
ヨゼファは肩をすくめてから、こちらへと視線を移してじっと見つめてくる。ふと、その瞳の色が透明な夜空と同じ色であることを思い出す。
「誰とも踊らなかったわ。」
そうして寄越された言葉は呆気ないほどに短かった。
え、とハーマイオニーは思わず聞き返してしまう。
「言葉の通りよ。私には好きな男の子がいたけれど誘う勇気が無かったの。そのまま当日になってしまって…それでも少しの期待を込めて会場まで行くだけは行ったけれど……結局…というところね。今日みたいに隅っこで大人しくケーキを食べながら、綺麗な服を着た皆がクルクル踊るのをぼんやりと眺めていたわねえ…。」
ヨゼファは二人が立っている場所と星空を隔てる柵に寄りかかりながら、何かを懐かしみつつ言葉を連ねていく。
再びその視線は夜空遠くの白い月へと移っていた。彼女の短い髪が夜の風に弱く煽られている。横顔の表情は穏やかだった。
ハーマイオニーはなんと言葉をかけて良いか分からずに、ストールを今一度身体に巻き直す。その気まずい雰囲気を感じ取ったのか、ヨゼファは「気にしないで頂戴。もう大昔のことだから笑い話よ。」と掌をひらひらとさせた。
「まあ…でも。今日の貴方の寂しさとかイライラしたこととか。そう言うのも全部十年経てば…いいえ下手をしたら一週間後には同じように笑い話になるわ。良いわよね……青春って。辛いことも嬉しいことも全部宝ものだわ。」
こそばゆそうな笑みを浮かべ少し首を傾げたヨゼファは、感慨深げにハーマイオニーへと視線を向ける。
「……今日の貴方は本当に素敵よ。可愛いわ、お姫様みたい。」
そうして呟き、深い赤色の紅が引かれた唇でゆっくりと弧を描く。
彼女に可愛いと言われると、…一年生の時からそれはいつも…ハーマイオニーはひどく胸が高まるような嬉しい気持ちになる。
(ずっと…ヨゼファ先生は……。)
その穏やかな性質やつまらないユーモアのセンスは、幼い頃に読んだ児童書の所謂善い魔女を連想させる。それが自分は好きなんだと思った。
「あーぁ…。」
そう声を上げ、少し距離があった二人の間を今一度詰めてヨゼファの腕をギュッと抱き締める。
自分よりも背が高い彼女を見上げれば、不思議そうな表情をした顔と瞳が合った。失礼だとは思いながらも、ハーマイオニーは(老け顔…。)と度々スネイプが彼女を揶揄する際に使用する言葉を思い出して笑ってしまった。
「先生が男だったら良かったのに。……そうしたらあんな鈍感でバカな分からず屋を好きにならずに済んだわ。」
「あはは、どうもありがとう。けれども私はつまらない大人だから貴方には少し退屈だと思うわよ。」
「ヨゼファ先生だったら変な意地を張って好きな女の子を悲しませたりしない筈だわ…。」
「………………。それに教師と生徒じゃ難しい話よ。私はクビになりたくないし。」
「魔女の癖にそうやってすぐ現実的なこと言うんですね。」
「ごめんなさいね…っと、でもどちらにしろ私は女だわ。…………すごく残念だけれど!」
ヨゼファは至極愉快そうに声を上げて笑う。
その明るい表情を眺めながら、ハーマイオニーは不覚にも胸のどこかが締めつけられるような思いがした。
黒い空には疎らに花火が上がる。どうやら夜は更に深くなり、煌びやかな宴もまた続いて行くらしい。
色濃い夜に浮かぶ橙色の火花を眺めながら、ヨゼファは「ああ、音楽も再開するのね…」と言って瞼を下ろす。
同じように夜風に耳を澄ますと、遠くから管楽器の音色が運ばれてくる。
ヨゼファはそれに聞き入り、「アーチボルド・ジョイスだわ。………私とても好きなの。」としみじみ呟いた。
そして自然な動作でこちらへと片掌を差し出す。その白い掌と彼女の穏やかな笑顔を眺めていると、ヨゼファは悪戯っぽく笑って視線を返して来た。
「『
あなたの夢』に。お手をどうぞ、姫。」
誘われてそっと手を差し出し、重ねる。ヨゼファは嬉しそうに握り返してくれた。
「喜んで、王子!」
応えて、ハーマイオニーは迷うことなくヨゼファの胸の中に飛び込んで行く。
そうしてぎゅっとその身体に腕を回して笑った。
(ヨゼファ先生が男だったら良かったのに。)(そうしたら私、きっと一世一代の恋が出来たわ。)*
「あら、起きてたの。」
のっそりと壁から出現したヨゼファは、相変わらずの能天気な笑顔で「おはようかしら?それともおやすみ?」とスネイプに尋ねてくる。
「………守護霊の気配がした。鯨だ。」
彼はその質問を無視して端的に言葉を返す。ヨゼファは「ええ、」と応えて頷いた。
懐から細長い杖を取り出した彼女はチ、と何かを呼ぶように小さく動かす。
暫時して薄暗い地下室が白い光で満たされ、ヨゼファが構えていた杖先へと収束した。部屋ひとつ軽々覆うほど…相変わらず体積が巨大な守護霊である。
「音楽が好きな子なのよ。今夜は随分満足出来たみたいね…。」
彼女は上機嫌に呟き、杖をまた元の場所へと収めていく。
たけなわを越えた地上での宴だが、それでも未だ続くらしい。ゆっくりとした曲調の管楽の演奏も同じように。
「何の用だ。」
尋ねるとヨゼファは小さく笑い、「パーティに予想した通りに姿が見えなかったから。お土産を持ってきたのよ。」と言っては深い緑色のボトルを渡してくる。
それを受け取りながら、「随分…楽しんだようだな。」と最早早朝とも言える時間帯を指していた時計の方を眺めながら呟いた。
「ええ、楽しかったわ。」
彼の嫌味に気が付かないのか敢えてスルーしているのかは定かではないが、ヨゼファはそう言ってスネイプが腰掛けていたソファの隣へと腰を下ろした。
「それはそれは…踊る相手が碌にいないのにも関わらず。」
「……………。決め付けは良くないわよ。」
「間違ってはいない筈だ。」
「どうかしら。」
そう言って表情を悪戯っぽくさせたヨゼファの肩を無言で殴る。「オゥ、」と彼女はその衝撃に呻いた。
「相変わらず乱暴ね…。ドメスティックヴァイオレンスだわ。」
「貴様と家庭内になった覚えはない。ただのヴァイオレンスだ。」
ヨゼファの言葉をざっくりと一蹴しては、もらったものを開栓したものかとラベルを眺める。すると、それを貸すようにと手でチョイと仕草された。……彼女の片手にはスクリューがあった。
「それにしても生徒たちの晴れ着姿は可愛かったわ。見ておいたら良かったのに。」
「毛ほども興味がない。」
「思いやりが無い先生ね…。」
「お優しいヨゼファ先生とは違って。」
「…………………。揚げ足ばかり取るんだから…。」
ヨゼファはハア、と溜め息を吐きながらスクリューの刺さったコルクを静かに引き抜いた。
それからポツリと「ああ、男に生まれれば良かったわ。」と唐突に呟く。
「…………どうした。男に生まれても貴様が救いようの無い老け顔である事実は変わらん。」
「そうでも無いわよ…。もう、顔と年齢がそれなりに一致する年だわ。」
「いや。最近また白髪が増えた。」
「嘘!?そんなことないわよ。」
「髪色が薄いから気が付かないだけだ…。」
呟きながらヨゼファの灰色の髪を吟味するように眺めては弄る。毛質が柔らかい。
やはり白髪が増えているな、と確認してから乱したそこを適当に整えて今一度彼女の顔を見る。なんとも言えない困ったような笑顔を浮かべていた。
グラスをふたつ用意してヨゼファへと渡す。それを受け取った彼女は、夜明け色の液体を瓶からそこへと無言で注いだ。
「ああ…またアーチボルド・ジョイスね。そろそろ楽しい夜も締めかしら……。」
満たされては差し出されたグラスを受け取り、流れる音楽に耳を澄ます彼女のものに少しだけ合わせてやる。キンと冷たい音が辺りに小さく響いた。
「『
夢』に乾杯ね。」
ヨゼファはそれに応えつつ微笑み、グラスに口を付けて夜明けの味を吟味する。
そして何かを思考してから再び唇を開いた。
「…………ねえ。私と踊ってくれませんか、姫。」
「………………………。お断りいたしますわ、王子。」
スネイプもまた口当たりが軽い白のワインを飲みながらヨゼファの言葉を毎度のようにざっくりと一蹴する………が、どうもこれは彼女のツボにハマってしまったらしい。その身体を二つに折り、ブルブルと震えて顔を抑えては精一杯に笑いを噛み殺している。
「…………………。そんなに面白かったのか。」
「お、おもしろ、い…なんてものじゃ………。」
ああ、苦しい…。とヨゼファはようやく顔を上げて肩で息をしつつ目尻の涙を拭った。
それからワインをもう一口飲んでは未だ収まらない可笑しさを小さな笑い声で表す。
「貴方といると本当に退屈しないわね…。毎日楽しいわ。」
ヨゼファは身体をこちらへと向けてはそろりと目を細くした。
クシャリとした笑い皺が浮かぶ。これは明るい笑顔だ。
彼女の笑顔一辺倒の感情表現の幅も、スネイプは短くない付き合いの中で既に理解するようになっていた。
彼女はこちらへ掌をスと差し出してくる。そして一音ずつを確かめるようにして、今一度言葉を紡ぐ。
「セブルス。どうか私と踊ってくれませんか。」
その白い指先と、笑顔を緩慢に見比べて…彼はようやくひとつ頷いた。そうしてゆっくりと掌を重ねては、握る。
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