骨の在処は海の底 | ナノ
 シンメトリー 01

(賢者の石/ハロウィンの夜)



「はー…、忙しいわ……」

そう言いながら…全く忙しそうではない間の抜けた声で…巻いた大きめの羊皮紙をいくつかにカルトン、それに製図道具…と中々の荷物を持ち、ヨゼファはホグワーツの長い廊下をパタパタと移動していた。


今夜はハロウィンである。廊下をほとんど走っていた彼女へと、生徒たちが「先生お菓子!」と当たり前のように要求してくる。

ヨゼファは呼び留められる度に立ち止まり、律儀に「はいどうぞ、良いハロウィンを。」と用意していた菓子の詰め合わせを笑顔で子供たちへと渡していく。そして陽気な衣装を着た可愛らしい子供たちから、何かしらの悪戯をされる前にさっと逃げていく。

どうにも彼女は軟派な性格の所為かこういった時のターゲットになりやすかった。いつもなら程々に付き合うのだが、今は悪いと思いつつも先を忙してもらう。


「ああ、イベント事の度に私の魔法陣は大活躍よね……。少し勤務外のお給料を考えて欲しいものだわ。」


毎度のイベント時、ヨゼファの予定はきりきり舞いになる。

それはもう慣れたので構わないのだが、今年はそれに加えてホグワーツのあらゆるゲートの守護強化が指示されていた。

恐らくハリーが入学したことに由来する、悪いもの・・・・に対する校長の配慮だろう。新年度始まって最初の大きな催事である。平素とは異なる浮き足立った空気はアクシデントに弱く、混乱を生みやすい。

魔法陣は術者がその場を離れても陣が消えない限り効力が続く。守護に関しては適した選択と言えるのだろう。


(それにしても指示の通達が随分突然だったわね。)

(何か急を要するような事態になってしまったのかしら。)


ああ、とヨゼファは思わず声を上げた。


「この学校、広過ぎるわ……!」


今更のことにしみじみと思い至り、彼女は感慨深く呟いた。

そして女子トイレの前の角へと至った時、腹の辺りに鈍い衝撃を覚えて「うぐ、」と低く呻く。


見ると、自分と同じように小さく呻いた少女が一人。身体の小ささとあどけない雰囲気から恐らく一年生だろう。


(あら、ハーマイオニー。)


勿論のこと彼女には覚えがあった。ヨゼファは生徒の顔と名前を覚えることが得意だったし、一年生の中でも群を抜いたハーマイオニーの優秀さは教員間でも度々話題に上るほどであったからだ。

しかし…その可憐なアンバー色の瞳には大粒の涙が浮かんでいた。正面衝突したヨゼファの腹の衝撃からだろうか。

勿論のことヨゼファは焦り、「わ、わあ…だっ大丈夫!?」とワタワタとして彼女の両肩に手を置く。しかし少女が泣き止む気配は無い。


「不注意で本当にごめんなさい…。どこが痛い?顔?身体?それともお腹?」


ヨゼファはその顔を覗き込みながら言葉を重ねる。

………ハーマイオニーは首を左右に振った。

しゃくりあげてしまっている彼女の言葉を待ち、ヨゼファは屈んで視線を合わせる。


「痛くない……」


と少女は辛うじて伝えてくる。

ヨゼファは少し首を傾げ、「そう…良かったわ。」と応えた。そうして「じゃあどうしたの?」と続けて尋ねる。

彼女は口を閉ざし、赤くなってしまった目尻から涙を流し続ける。

ヨゼファは少しだけ笑い、その栗色の癖毛を撫でてやった。


「今夜はハロウィンよ。大広間のご馳走は食べに行かないの?」


優しく語りかけると、ハーマイオニーは何かを言いたげにこちらをじっと見つめ返してくる。

なんとなくの事情を察し、ヨゼファは「そう、」と相槌を打った。


「それじゃあ私の部屋にいらっしゃい。アルノ・ラエルのお菓子をもらったばかりなのよ。」


彼女へと真っ直ぐに視線を返しながら誘いを持ちかける。

少しだけ俯いたハーマイオニーの小さく白い掌を取り、ヨゼファは元来た道を引き返してゆっくりと歩み始めた。







泣きじゃくるハーマイオニーの言葉を拾いながら、ヨゼファは少し困った表情を浮かべて笑った。

そしてざっくりとした模様のジアンカップに紅茶を注いで供してやりながら、「それは大変だったわね……。」となんとも微笑ましい気持ちで相槌を打つ。


「もう男の子なんて大嫌いよ…!野蛮でずさんで下品なんだから!!」

「まあまあ…素敵な男の子だって沢山いるわよ。」

「いるわけないわ!」


きっぱりと自分の言葉を否定されてしまい、ヨゼファは「オゥ…。」と小さく呟いた。


「第一学校は勉強しに来るところよ。わっ、私……だから頑張ったのに……それを、あんなひどいこと……」

「そうね、貴方はいつも頑張ってるわ。私たちも皆感心してるのよ。」


生徒の言葉に応えてから、ヨゼファは「エクレアはショコラとカフェ、どっちが良いかしら?」と尋ねる。ショコラと答えられるので、机上の皿をキュと指でひと回ししてサックリとした生地に包まれたエクレアをその上に出現させる。


「努力を笑われるのは悔しいわよね。」


銀色の小さなフォークを渡してやりながら言葉を続ける。

-------------なんともこのくらいの年の子たちの悩みごととは可愛いものだと、真剣に悩んでいる本人たちには悪いと思いつつも可笑しかった。


「でもね…まだ一年生になったばかりなんだからそんなこと言わないで、皆とお友達になってあげて頂戴。」


ハーマイオニーは少しの間こちらへと視線を向けて来る。それを受け止めてから「どうぞ召し上がれ。」とエクレアを薦めた。

その端っこを小さく切り落とし淡い色の唇へと運んで行く彼女の様を見て、ヨゼファは「美味しいでしょう?」と上機嫌に尋ねる。

コクリと無言でハーマイオニーは頷くが、やはりまだ納得いかないという表情で再び口を開いた。


「…………。規則を破る人なんかと仲良くするくらいなら、友達なんかいらないわ。」

「ノンノンハーマイオニー。学校で友達を作らないことはとっても勿体無いことよ。異性の友達も大切に…男の子を好きになることだって、かけがえのない宝石のような経験だわ。」


ヨゼファはハーマイオニーと話しながら、なんとはなしに自分の学生時代へと思いを馳せた。

…………勿論規則を破る行為などはせずに、彼女の灰色の七年間は波風無く順当に終了した。表向きは。

しかし破らなかったものは学校の規則などと言う大して意味を持たないものだけだった。それ以上に大切な何かがあることは充分に知っているし、それに憧れて…しかし叶わず、その挙げ句正しい道から滑落した。

もし、一緒に規則を破っては可愛い秘密を共有してくれる人間の一人でもいたならば…彼女の学生時代、ひいては人生も違うものになっていたのかもしれない………。


「少しの規則違反くらいは大目に見てあげなさい。目くじら立てる必要も無いのよ。」

「ヨゼファ先生…!?先生なのにそんなこと言って良いんですか?」

「ああそうね、良くなかったわ…。でも…友達とベッドの中にお菓子を持ち込んで空が白くなるまでお喋りしたり、ボーイフレンドと学校をこっそり抜け出して遊びに行ったり……そう言う…ちょっとだけいけないことはすごく楽しいことよね。教科書には載っていないけれど大切なことだわ。」


ヨゼファはソファの背と肘掛に身体を預けながら笑顔で言葉を紡ぐ。

そうして何を言ってるんだか、と我ながら呆れた。生徒の手前こうしていつも知ったかぶった態度を取っているが、その実自分がとても未熟な人間であることを余計に思い知る。


「ハーマイオニー、学校は勉強をするだけの場所じゃないわ。どんなに成績優秀、品行方正でもそれだけじゃダメね、貴方はつまらない大人になりたいですか?」


私みたいな…と言う言葉を飲み込んでは、今を楽しんで!と付け加えてニッコリとする。


未だハーマイオニーの円い瞳は仄かな赤色に縁取られたままだった。それでも彼女は大丈夫だとヨゼファはなんとなく思う。

この聡明な少女には、自分で自分を律する強さと人を思いやる優しさが備わっていることは明白だった。きっと明日にでも自分をからかった男の子との仲直りを果たすに違いない。


(それに、子供は大人が思う以上に子供じゃないわ。とても沢山のことを識っているし、考えている。)


コクリと一度頷き、ようやく笑顔になった愛らしい彼女の未来はどんなものだろうとヨゼファは考える。

………そもそも、教師などと言う立場自体が自分には過ぎたものなのだ。子供を導くに必要な人格も資格も何も無い。けれども沢山の人生、その一番綺麗な色をした時代に関われることを幸せに思う。


「可愛いわね…。」


心からの気持ちを小さく言葉にすると、眼前の少女は分かりやすく頬の色を桜色に染める。


「落ち着いたら大広間に行くと良いわ。早く行かないとご馳走がなくなっちゃうわよ。」

「はい……。ヨゼファ先生。」


ありがとうございます、と小さな声で言われるので何だかこそばゆい気持ちになる。

そうしてヨゼファは空になっていたハーマイオニーのカップに紅茶を足してやろうかどうしようかと少し考えた。


しかし…ふと。壁に規則性無く留められていたメモ…自作の魔法陣である…へと視線を寄越す。

平素は描いた青いインク色のまま、水紋を三重に重ねた曲線が巴になって交わる陣である。同じものの数が十枚弱ほど。

そのうち数枚がずるずると回転して形を歪め、やがて深い青色から真紅へと変色して行く。変色した陣は中心に一度強く収束した後、生物の眼球を形作ってその赤い瞳を大きく見開いた。


「先生、それ…なんですか?」

ハーマイオニーもまた魔法陣の変化を眺めながら訝しげに尋ねてくる。


(陣が反応したのは三枚……。驚異ではないけれどそれなりに危険な事態ね。)


ヨゼファは生徒の質問には答えずに、変化した魔法陣に視線を留めたままで首を傾げつつ考えた。


「…………。やっぱり大広間に戻るのはもう少し後の方が良いわね。私が戻るまで、この部屋で少しだけ待っていて頂戴。」


カップへと紅茶を足してやってから、ヨゼファは今一度ハーマイオニーの柔らかな栗色の髪を軽く撫でた。

なるべく穏やかな口調を心がけたつもりだが、彼女は僅かな緊張を察知したらしい。少しの不安がその整った顔立ちの中に滲んでいく。


「大丈夫よ、すぐに戻るわ。」


それまで、この部屋の扉を開けては駄目よ。

そう念を押し、彼女が次の質問を自分へと投げかけてくる前にヨゼファはするりと自室を後にした。



そしてハーマイオニーは一人ヨゼファの部屋に残される。

彼女は今一度真っ赤に変色してはこちらをじっと見つめてくる魔法陣をチラと眺めては、先ほどまでヨゼファが腰掛けていた一人掛けのソファーへと視線を移した。


「ヨゼファ先生……」


急に心細い気持ちになる。彼女はその後を追うようにして部屋の扉を開け、そっと薄暗い廊下へと踏み出していく。



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