骨の在処は海の底 | ナノ
 あなたが待ってる

「良い加減にして頂けないかしら。」


校長室の奥から聞こえて来たヨゼファの冷たい声に、スネイプの胸中僅かにヒヤリとしたものが過ぎる。

気を取り直して、何かの聞き間違いだと思った。今の時間ヨゼファは授業を持っているはずである。そしてこのような硬い言葉を躊躇なく人に…それもダンブルドアに…投げかける人間ではないと、今一度彼女の軟派な性格を考慮する。


「いつまで言い逃れなさるおつもりでいらっしゃるの。まるで馬鹿にされているような気分だわ。」


しかし続く声はやはり聞き慣れたヨゼファのものだった。

一体何があったのかと、スネイプは穏やかならぬ空気を漂わす部屋の奥を慎重に伺った。


布で仕切られた向こう側、校長と恐らく…ヨゼファが会話している部屋へと通じる扉へと足音を立てずに近寄る。そして出来るだけ壁にピタリと身体を添わせ、僅かに開いていた扉の隙間をゆっくりと広げては中の様子を伺った。


(………………………………。)


ダンブルドアと相対している女は、ヨゼファでは無かった。


ひとまずのところ彼は胸を撫で下ろすような気持ちになる。

が、それはほんの一時の安堵だった。ではこれは誰だと思うのと、誰なのか・・・・を理解するのはほぼ同時だった。


後ろ…斜めの角度から見る女の顔をほぼ認めることは出来なかった。だが発言に合わせて変化するその角度から見え隠れする顎のラインや、通った鼻筋が間違いなく彼女の美貌を保証している。


「ヨゼファはもうフランスから帰って来たんでしょう。一体いつまで待たせるの?貴方が私からあの子を遠ざける為に外国に置いていることくらい分かっているわよ、引き抜かれたなんて嘘の情報まで掴ませて。相変わらずの賢しさに舌を巻く思いだわ。」

「嘘ではない、実際にそう言った話はあった。ヨゼファの能力は事実優秀であるからに…」

「能力が優秀?笑わせないでよ、相変わらずアルバスは出来が悪い子が好きなのねえ。素敵よ、教師の鏡だわ。」

「だがマリア、君はヨゼファと十年近く音沙汰無かったろう。一度でも彼女に手紙を寄越したか?住居に訪ねて行ったことは。今更うちの・・・優秀な職員を君の一存に委ねるわけにはいかない。」

「それは貴方が私からヨゼファを隠した所為だわ。」

「いいや、隠してなどいない。一体今まで何百人の生徒がヨゼファの授業を受けてきたと思う、そんなことは無理だとお分かりにならないのか。君が積極的に探さなかっただけだ。」


マリアはうんざりとしたように溜め息を吐いた。

細く長い指で淡い灰色の髪をかき上げるとその横顔が顕になる。似ていないな、とスネイプは改めて思った。母親のように美しく生まれることが出来たのならば、もう少し世界はヨゼファにとって生きやすいものだったのだろう。

だが声は瓜二つで、ほとんど違いがなかった。やめて欲しいと思う。ヨゼファの声で人に対する悪意や棘を表現するのは。


ダンブルドアもまたこめかみの辺りを軽く指先で叩き、小さな溜め息を漏らす。そして今一度マリアへと視線を向けた。


「…………来年度でしたな。確か君の第二子…ヨゼファの年の離れた妹君がこの学校に入学されるのは。儂にはどうも君が彼女にヨゼファを会わせたくないだけに思える。母親とお世辞にも仲が良いと言えないヨゼファが、テレサ・チェンヴァレンに何を吹き込んでしまうのか分かったものではないからのう。」


マリアはゆっくりと腕を組み、僅かに首を傾げてダンブルドアの言葉を吟味するようである。

今やこの部屋の空気は寒々として、冷え切るばかりだった。


「半分当たって半分外れているわ、校長先生・・・・。」


声を低くして、マリアは一音ずつ確かめるように発言する。そして長い髪を今一度かきあげた。窓から斜めに差し込む陽光がその光沢がある髪を弱く光らせる。


「私はね、自分の娘を死喰い人の教え子にする趣味が無いだけよ。…………それにヨゼファはきちんと罪を償う必要がある。」

「……………………。ひとつ言っておきたい、ヨゼファは死喰い人では無いし…彼女もまた君の娘の一人ではないのかね。」

「ええその通り、私たちはチェンヴァレンだわ。だから情状酌量は許されないの。正義を執行する義務がある。」


さあ、


そう言ってマリアは腰を折り、着席していたダンブルドアへと視線を合わせる。

ごく近い距離で、二人は互いの瞳の中を覗き込むようだった。


「私の娘に会わせて頂戴。」


ダンブルドアは瞳だけ動かして斜め上の方を見る。それから扉の隙間から中の様子を伺っていたスネイプへと視線を動かしてはゆっくりと瞬きをした。


「ヨゼファは今、体調を崩した同僚…スネイプ教授の面倒を見ている。通常の仕事に加えて多忙なんじゃよ。だから何度も言うように今回はお引き取りねが「スネイプ。貴方はあのセブルス・スネイプのことを言っているの?」


ダンブルドアの言葉を遮り、マリアはより一層低く硬い口調でスネイプの名前を口をした。

彼女に相対する校長は暫時口を噤むが、やがてそうだと相槌を打つ。


「セブルスが、なにか。」

「なにか……ねえ、…………まあひとつ言わせてもらうのならば、私はアズカバンに収容されるべき全ての死喰い人の情報に目を通しているわ。」

「マリア、滅多なことを仰るな。彼が死喰い人では無いことは既に公式な証明を得ている。」

「ええ、そうね。失礼な発言をお詫びするわ……彼の身の振り方は貴方の管轄で、私に言い及ぶ資格は無いものね。」


スネイプの名前が会話に現れた時から、マリアの声色に静かながらも苛烈な感情が滲んで行くのがよく分かった。

彼女は窓の外、遠くの景色を少しの間眺める。そうして額の辺りに掌を持って行っては頭を弱く左右に振った。


「ああ…信じられないわ。あの子は一体いつまでままごとのように幼稚な恋愛を引きずっているの。能力が無い癖に諦めだけは悪いのよ、だから空回りしか出来ずに人生の全てが徒労だわ。」

馬鹿な、とマリアは吐き捨てるように言った。


ダンブルドアは片眉を上げ、「どう言う意味か、伺ってもよろしいか。」と彼女の発言に言葉を重ねる。


「どう言う意味?そのままの意味よ。この学校の環境は今のヨゼファにとっては最悪ね。これではあまりにも哀れ………可哀想だわ。」

「それは答えになっていない。君は一体セブルスの何を知っていると言うのかね。」

「セブルス・スネイプ教授…ですか………。ええ、勿論・・存じ上げておりますわ。何しろ彼こそがあの子の拗らせ過ぎた恋慕のお相手よ。ヨゼファが……少女の。学生時代からずっと夢見て浅ましい執着を重ねた王子様プリンスですもの。」


背筋の通った正しい姿勢のまま、マリアはダンブルドアのことを真っ直ぐに見下ろしていた。

ダンブルドアもまた逃れずにそれを見つめ返す。

暫時して、彼は静かに口を開いた。


「…………マリア、羽馬車を待たせてある。どうぞお帰りの仕度を。」

「それはそれは…わざわざどうも、ありがとう。」


マリアは皮肉めいた声で応え、軽く肩を竦める。

そして首を傾げては優しく微笑むらしい気配が伝わってきた。


「また…来るわね。」


ゆっくりと静かな声で別れを告げると、マリアはその緩慢な動作が嘘のように機敏に踵を返す。

スネイプもまた急いでその場から離れ、ひとまず校長室を後にして彼女と鉢合わすことを避けた。


しかしそれから自室へと戻るまでの間、どの道をどのように通ったのかまるで覚えていなかった。

頭の中は混乱して、鈍く頭痛がするような気持ちである。







「あら皆、スネイプ先生が遊びに来てくれたみたいよ。」


教室の入り口…木製の扉からのっそりと現われた彼を認めて、ヨゼファは明るい声で言った。

時刻は一日全てのコマが終了した放課の後である。彼女の教室には十人弱の生徒が居残り、何事かの会話に興じながら作業を続けていた。

生徒たちもまた愛想良くスネイプへと挨拶をする。教室内の空気や緩やかで、日が長くなった所為か窓の外は未だ明るい。飴色の光は歪んだ硝子を通して柔らかく室内へと注ぎ込まれていた。


(ヨゼファは……)


知っているのだろうかと彼は考えた。

今さっきまで最愛の母親がほど近い場所に居たことを。

知らないのだと思う。もしも知っていたら会いに行っているだろう。そしてこんなにも穏やかでいられる筈も無い。


口を開きかけて、噤んだ。

言うことが戸惑われた。それに今は幸いにも…ダンブルドアがマリアとヨゼファが接触することを巧みに回避させてくれている。このまま何事もなく…全てうまくことが運べばそれで良い。それが一番良いことだ……。


教室内に立ち入ったは良いが、そのまま一言も発さない彼をヨゼファは不思議そうに眺めていた。

それから少しだけ首を傾げて笑う。その仕草は先ほど見た彼女の母親とまるで同じものだった。


「あら…もうこんな時間ね。夕飯もあるからそろそろお開きにしましょうか。」


軽く手を打ち、ヨゼファは生徒たちへと教師らしい口調で語りかけた。

揃いも揃って純朴そうな生徒たちは素直に明るい返事をして、指示に従い自身の道具を片付け始める。


「先生、夜の講座の予定は決まった?」

「そうねえ…月末金曜日の夕飯後にしましょうか。自分の寮の子たちにもなんとなく言っておいて頂戴。」

「なんとなくで良いんですか?」

「良いわよ、どうせ揃うのは大体同じ顔ぶれだわ。」


あははと明るい声で笑い、ヨゼファは教室を去っていく生徒一人ずつにまた明日と挨拶をする。


未だ彼らの和やかの気配を残した室内で、今一度彼女はスネイプの方へと向き直った。

少しの間二人はお互いを眺めたまま沈黙するが、やがてヨゼファは生徒の製図最中の魔法陣をひとつ手に取り、ふむと言った調子で視線を落とす。

それを乾燥棚へと収めては杖を取り出し教室の片付けを進めていく。その中には授業で使用する道具の他、セラミックの茶器や菓子皿なども含まれていた。


「何かあった?」


あらぬ方向へ飛んで行こうとする銀色のペンを捕まえてペン立てへと収めながら、ヨゼファは相変わらず穏やかな口調で彼へと尋ねる。そして「深刻そうな表情してるわ。」と続けた。


「……………成る程。」


スネイプは彼女の質問には答えず、一言呟く。


「魔法陣学とお茶会をご担当されていると言う校長の言葉の意味がよく分かった。」

「放課後や休日に課外の講座がある時だけよ。授業じゃないんだから、少しのお楽しみも悪くないわ。」

「無償でよく働かれますな。」

「まあそれは…私の趣味みたいなものだし。授業だけでは伝えきれないものも多いからね、色々と。」


綺麗に清められた室内で、ヨゼファは緊張感無く笑って後頭部をゆっくりとかいた。

そして笑顔を心弱いものに変えては「ねえスネイプさん、」と呼びかけてくる。


「少し散歩でも行かない?最近ようやく暖かくなってきたし……」


外の方が、きっと話しやすいんじゃないかしら。


そう言って、彼女はスネイプの肩を軽くポンと叩いた。







「身体の具合はもう大丈夫?」

その質問に、スネイプは頷くだけの答えを返した。

だがこれではあまりに淡白過ぎたと思い直し、一言謝罪をする。………色々と、と付け加えて。


「別に謝られるようなことは無いわよ。心配しないで。」


ヨゼファは明るく返答する。

その笑顔を認めて…スネイプは彼女があの夜のことに意識的に触れないでいるのだとぼんやり確信した。

それは彼にとっても有難いことだった。

だが同時に自分の気持ちを見透かされているのが分かって、胸がつかえる。


『何しろ彼こそがあの子の拗らせ過ぎた恋慕のお相手よ。ヨゼファが……少女の。学生時代からずっと夢見て浅ましい執着を重ねた王子様プリンスですもの。』


……………あの発言の真相は分からない。娘とまともな交流を持っていなかったであろう母親マリアがいたずらに深読みをした可能性は高い。自分の娘が死喰い人へと身を堕とすことになった原因を他者の中に探す気持ちも、理解は出来ないが想像するのは容易かった。


(だが…もしも真実ならば…)


いや、真実では無いにしろ。

どちらにせよ、自分の衝動的な行為は彼女のことを傷付けたのだとは思う……


「……………。ホグワーツは良い学校よね。今更だけど、こんな贅沢な環境で学生時代を過ごせるのは幸せなことだわ。」


傾き始めた飴色の太陽をかざした掌の指越しに眺めながら、ヨゼファはのんびりとした口調で言ってはこちらを振り向く。

弱い風が、彼女と自分の黒いローブをひらと揺らして過って行った。二人の黒色の姿は、遠目から見たら夕陽に浸された影法師のように見えるのだろう。


「貴方はこの学校は好き?」

「………………さあ。………いや、あまり。」


ヨゼファの青い瞳を一瞥し、短い言葉で答える。彼女は「そう、」と言って目を伏せた。


「私も特別好きというわけではなかったわね、そう言えば。」


小さな声で呟き、ヨゼファはまた前を向いては柔らかい緑色の草上をゆっくりと歩き続ける。

スネイプはその後ろに従っていたが、やがて横に並んだ。彼女との身長差は然程大きくない。近くにある顔はよくよく覚えがある草臥れた有り様で、唇には濃い色の紅が引かれていた。


「だがどうせ家にも居場所は無い。」

「その通りだわ、違いない。」


彼女は苦笑して応え、瞳だけ動かしてスネイプのことを見た。それから「でも今、私はここが好きよ。」と上機嫌に言葉を続ける。


「教師なんて勤まる訳無いと思っていたんだけれどね…それでもやっぱり、戻って来れて良かったわ。」

「その割には一ヶ月強も断りなく留守にされたりする。」

「断りなくなんて。………ああ、そうね。悪かったわ…ごめんなさい。」


もうしばらくはいなくならないわよ、とヨゼファは眉を下げる。だがスネイプは表情と声色を硬くしたままで、「そんな保証がどこにある。」と彼女の返答を突っぱねた。


「本当よ、流石にこれ以上授業のコマを開けるわけにいかないわ。試験に間に合わなくなっちゃう。」


ヨゼファのことを追い越して先へと歩き出したスネイプへと彼女は歩幅を大きくして追い付き、二人は再び横に並んだ。


「それに貴方の体調も心配だわ。また今回みたいなことになってしまったらと思うと気が気じゃなくて…。」


はあ、とヨゼファは溜め息を吐いて今一度スネイプの肩を軽く叩いた。

それからゆっくりと掌を離し、「なんにせよ…嬉しいことが多いわ。」と呟く。


「ここにいて貴方にもう一度出会い直すことが出来たもの。折角仲良くなれたんだから、一緒にいたいと思うわ。」


ねえ、とヨゼファは彼の顔を覗き込んで同意を促してくる。

スネイプが鬱陶しそうな顔をしてみせると、彼女は反対に可笑しさを噛み殺して苦笑するらしかった。そして相も変わらず楽しそうにして会話を続けていく。


「貴方の授業、低学年の子からはスネイプ先生が怖いって愚痴をよく聞くけれど。専門にちゃんと勉強したい子たちからの評判はすごく良いわよ、ここまで魔法薬学の確かな知識がある先生は今までいなかったって。」

「それはどうも、心ないおべっかを。」

「またそう言う卑屈なことを。どうして素直に人の言葉を受け取ることが出来ないのかしら。」


ヨゼファは肩を竦めてから、「ああ…そっちじゃないわ。こっちよ。」と言って自然な動作でスネイプの掌を取って進行方向を変えていく。

しかしすぐにそれは離された。やはり意識して微妙な距離を置かれているのだと彼は実感した。

だが、それでもヨゼファは自分への嫌悪は持ち合わせていないようだった。恐らく彼女は元より人を嫌ったり憎んだりすることが苦手なのだろう。


(……あるいは…。……………)


だが前と変わらずに自分との会話に興じようとしてくれるのは有り難かったし、それは彼にとって居心地が悪いものでは無かった。

ほとんど生まれて初めてだったのかもしれない。まともに人間へと信頼を寄せることが出来たのは。陳腐で好きではない言葉だが、言うならば友情に近しい感覚を覚えているのかもしれない。


(いや…だが、それならば何故)


それへと疑問を呈する心の声に蓋をする。考えてはいけない領域だと思った。


「ヨゼファ」


名前を呼ぶとすぐに愛想の良い返事がなされた。

二人が歩を進める方向はなだらかなすり鉢状の草原だった。その中心には丸い湖がぽっかりと口を開け、橙から青色に近付く空を映し出している。


「寝かされている時、机上にあった魔法陣を見たが…。見たことがない図象だったな、あれは。」

「ああ、あれ……。そうね…今校長先生と研究を進めてる魔法陣のうちひとつだわ。」

「どの様な?」

「ロクでもないものよ。でもあれも私の魔法陣だし、あるからにはきちんとどんなものかを調べなくちゃいけないわよね。」


ヨゼファは眉根に皺を寄せてうんざりとした表情を作る。それから…多分貴方にも直に詳しく話すことになるわ。と小さく付け加えた。

彼女は足元の小石を拾い上げては湖へと軽快に放った。小石は四回ほど水面で自身を跳ねさせてはぽちゃりと沈んでいく。


「…………自分の魔法なのに、自らの理解が及ばないとは。」

「恥ずかしながらその通りだわ。でも魔法陣って多分そう言うものなのよ、全てはハートなんて不安定すぎるもの次第なんだもの。…………。狭い円の中でぐるぐる迷って出口を無くしてて……私の魔法は私自身みたいだから、見ていてイタい。向き合うのはしんどいわ。」


そう呟いたヨゼファの横顔は珍しく物憂げな様子だった。

それを認めて、スネイプは胸の内側で充足を確かに覚える。

緩いように見えて堅固なその心の内側を見せてもらえたのは、彼女からもまた信頼を寄せられている証なのだろう。


ヨゼファはこちらへと向き直り、「それで……」と切り替えるように言葉をかけてくる。


「………、ああ、さっきよりは顔色が良くなったみたいね。貴方の用事を伺うわ、何かあった?」

「………………。いや……」


応えながら指を、ヨゼファの髪へ滑らせてみる。当然彼女は些か戸惑うらしいが、それを止める様子は無くただただ困ったようにして笑っていた。


「もう良い……、どうでも良いことだ。」

「…………そう?」

「髪を…切ったな。」

「よく分かったわね。似合う?」

「大して変わり映えしないからどうとも言えない。」

「お世辞でも似合うって言って欲しいものだわ…。」


まあ…そう言う気遣いが無いところが貴方の良いところね。とヨゼファは片目を瞑ってみせた。


「ヨゼファの…お前の学生時代を最近思い出した。」

「今まで忘れてたの。これっぽちも?」

「当然のことながら。これっぽちも。」

「はい……、ああ。そう…。」

「髪は随分と長かったが……」


何故、と尋ねながらゆっくりと彼女の髪の柔らかさを認め、自分の指へと絡めていく。

ヨゼファは「そうね」と呟いて少し口を噤んでから、その質問に答えるらしかった。


「………元より伸ばした理由は母との約束がきっかけよ。あの人も髪が長くてね、社交の機会には洒落た髪飾りで綺麗に結ってみせてたわ。ロンドンの老舗のジュエリーショップにわざわざこさえてもらっているらしいの。いつか私にも作ってくれるとすごく小さい頃に言ってくれたから………それを真に受けて、髪の手入れにだけは丹念なく伸ばし続けていた訳。健気で可愛らしいでしょ?」


彼女は話しながら、スネイプの掌から逃れる為に少しずつ身体を後ろへと退く。それを留めず、彼もまたそろりと腕を下ろして元の場所へと戻した。


「本当は髪飾りなんてどうでも良かったんだけれど。母が私との約束を覚えていてくれたなら、スーパー・マーケットで売ってるような安物でも何でも構わなかったのよ。でも…まあ。私はもう家族に顔向け出来る立場じゃないしね……」


そこまで語って、ヨゼファは「あら、やだ。」と言ってどこか恥ずかしそうに口元へと指先を持って行く。


「つい喋りすぎたわ。」


昔話に浸る年でも無いのにね…と言って、ヨゼファは薄い水色と橙色が混ざる空を見上げて気持ち良さそうに深呼吸をした。


「この場所はね、学生時代の…友達がいない可哀想なヨゼファちゃんの秘密の場所だったのよ。すり鉢状で奥まってるからいじめっ子にも見つからないし、静かですごく綺麗。……週末の晴れてる日は一日中ここでぼんやりしてたものだわ。」

「道理で姿が見えないことが多かった訳だ。」

「そう言うこと。」


日陰者には逃げ場が必要だからね、と言いながらヨゼファはのんびりとした様子で瞼を下ろした。

湖上に留まっていた白い鷺が、穏やかな桃色に変化した空と同じ色彩の湖面からゆっくりと舞い上がる。暫くは名残を惜しむように低く湖の上を飛んでいたが、やがては北を差して目的の地に到達すべく出発して行った。


「こんなこと人に話したの初めてだわ。………ほんと…不思議ね。」


白い鷺が夜へ向かう空の中へと溶けて霞んで行くのを見送りながら、ヨゼファは独り言のようの呟いた。それを聞きながら、スネイプはなんとはなしに…学生時代、もう少し彼女と話しておけば良かったと考えた。


(いや、話そうにも話せなかった。ヨゼファには声が無いから……。)


だがそれは言い訳だとも思う。彼もまたあまり喋る方では無く…だが、それでも何が言いたいのかを懸命に汲んでくれていた存在をよく覚えている。その有り難さを、当時はまるで理解することが出来ずにいたが。


「貴様の母親を…一度見たことがあるが。」

「へえ………そう。」

「正直、高慢で嫌味な女という印象しか受けなかった。……髪を切って正解だ。お人好しの老け顔の方がまだ好感が持てる。」

「老け………っ、そんなに老けてるかしらね。貴方以外にそんなに言われたこと無いんだけれど。」

「少なくとも母親よりは年寄りに見えるし……。恐らく周りは気を遣われていたのでは。」

「スネイプさんもちょっとは私に気遣いして下さいな。」

「気遣いがないところが私の良いところなのでは?」

「貴方ってあまり喋らない割に人の揚げ足だけはここぞと取りに来るのねえ。」


げんなりした表情を浮かべるヨゼファを横目にして、スネイプは愉快な気分になった。……晴れ晴れしいとすら思う。

そして穏やかな気持ちのままで、黒い森の向こうへと沈みかける太陽の滲んだ光を眺めては細く長く息を吐いた。


「スネイプさん、そろそろ帰りますか。」


ヨゼファに促され、鏡のような湖に背を向け二人は元来た道を戻り始めるが…その際スネイプは、「私はあまり自分の姓が好きでは無い。」と淡白に伝えた。

彼女は「そう?」と応えた後、意を汲んだのか「了解。これからは名前で呼ぶわね、セブルスさん。」と穏やかに返す。


引き伸ばされた二人の黒く長い影法師、それからその先にある学校ホグワーツをスネイプは眺めた。


やはり、自分は彼女のようには…ここに戻って来れて良かったのだと素直には思えない。しかし何かの意味はあるのだと考える。在りし日から随分と草臥れては良く喋るようになった寮友と再会できたことも。

そして…今のヨゼファとの居心地の良い関係を出来るだけ長く続けさせようと、その気遣いを汲む。それが恐らく、今自分が出来る唯一の彼女を失わない方法だ。



(しかし…やはりどうしてもあの時に逃してしまった言葉を受け取らなくてはならない。)

(今一度、夢の中でかつてのヨゼファに会うことは適うのだろうか。)




城に辿り着く頃には、すっかりと空は藍色になり白く小さな星もまた弱く光り始めていた。

しかし、スネイプはある一定の場所から動くことが出来なくなる。

ヨゼファはまだ気が付いていない。不思議そうな表情で立ち止まってしまった彼のことを眺めてから、今一度巨大な城門の下を眺める。

そして、彼と同じようにその場所から根が生えたように動かなくなった。


咄嗟にスネイプはすぐ横に並んでいたヨゼファの掌を強く握った。しかし、それが握り返されることは無い。

ただ彼女の視線は、黒く積まれた巨大な石城を背景にしてこちらを眺めている女一点へと集中していた。


…………マリアは自分の斜め後ろにいたダンブルドアへと目配せをしてからこちらへと向き直り、スネイプのこと…そして自分の娘の掌を捕まえている彼の指を、チラと冷たく一瞥する。そして再びヨゼファのことを認めては弱く溜め息を吐いた。


「久しぶり、ヨゼファ。」


腕組みをして、彼女は固く低い声で娘へと呼びかける。それからヨゼファからの返事を待たずに、少し首を傾げて言葉を続けた。


「随分と……老けたわね。」


スネイプはヨゼファの掌を握る力を痛いほどに強くした。だがやはり彼女がそれに応えることは無い。その指先に力は無く、だらりとしていた。

未だヨゼファが彼からの呼びかけに応じなかったことなど、一度も無かったと言うのに。



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