骨の在処は海の底 | ナノ
 夢路

スネイプ様、

 こういう時の書き出しは、親愛なるセブルス、と書いたほうがいいのかしら。

 もちろん今も昔も貴方は私の愛しい人だけれども。

 気づいていたかしら?私はこれでも貴方に気を使っていたのよ。本当はもっともっと気持ちを伝えたかったわ。

 さて…前置きはこのくらいにして………

 無事にフランスに到着して今日で一週間。到着したばかりは慌ただしくて、お手紙を書くのが今日になってしまいました。

 ボーバトンは相変わらず美しい学校よ。ホグワーツよりは戦争の被害も少ないから、もう元の通りの学校生活に戻っているの。

 授業も昔と変わらず、生徒たちもホグワーツの学生と同じくらいに可愛らしいわ。

 とにかく、今私は元気で、こうして貴方に手紙を書けることが嬉しいと思う。

 貴方を想って穏やかな気持ちになることを、もう随分忘れていたような気がするから。

 今だから言いますが、本当は、二度と会えないと、会わないだろうと思っていました。

 返事をください。待っています。

 ヨゼファ


* * *

 
 手紙を受け取らせていただいた。

 梟から受け取って、夕食後にでも読もうかと考えたが、結局その場で開封することにした。

 君の字は縦に細く性格のせわしなさがよく表れている。

 ホグワーツは学校としての形を取り戻しつつある。生徒たちの姿も少しずつ戻ってきた。君の不在を残念に思う者も少なくはないだろう。

 私も…君にはもう二度と会えず、会わないだろうと思っていた。

 しかし忘れてしまいたいとは不思議と考えなかった。君と過ごした時間の中には多くの後悔があることは事実だが。

 簡単に忘れられるものならば何ごとも苦労はしまい。

 セブルス・スネイプ


* * *


 スネイプ様、

 お手紙を待ち遠しく思っていました。返事をもらえるかもらえないか不安で、まるで私は女学生のように期待と不安で胸を痛めていたのよ。

 無事にこうして貴方からの返事を手に取り、そうしてすぐに返事を書いています。

 喜びをうまく隠すことができずにごめんなさい。でもそれは仕方がないことでしょう。

 ホグワーツに生徒が戻ってきたと聞けてとても嬉しいわ。貴方は相変わらず立派に先生を務めていることでしょう。

 街でイギリスの品物を見かけるとついつい立ち止まります。私は混血だけれど、やはり故郷はあの国だと今しみじみと思うの。

 そして今この時間、恋しいかの国にいる貴方はどうしているのだろうかとつい考えてしまいます。

 本当なら直接会って話がしたいわ。移動の制限など無視してイギリス行きのボードキーを手に入れてしまいたい。

 会いたいです、

 私の愛しい人へ

 ヨゼファ


* * *


 親愛なる人へ、

 ホグワーツでの出来事は全て順調で、生徒も教師も元の生活に戻りつつある。

 日常が戻ってきたことに安堵を覚えるのは不可思議なことだ、この学校での退屈な日々をひどく疎ましく思っていたというのに。

 生徒たちも教師も、皆相変わらず間抜けで喧しく無遠慮だ。だから……

 君がいないと寄る辺ない。会いたいと同じように思う。

 私はもう、嘘を言うのをやめよう。虚栄や意固地な気持ちでない本心を、少しずつ理解できるようになってきた。

 自らも他者をも傷つけておくような嘘を吐きたくはないのだ。許されるのならば、ひとつずつの時間を大切にしていきたい。

 とても会いたい。

 パリでもロンドンでも、ホグワーツだろうとボーバトンだろうと、どこでも構わない。今すぐに会えたらどんなに………

 今も、君のことを考えて辛い気持ちになる。

 本当に後悔ばかりをしているのだ。

 どんな言葉を尽くしても許されないことをした。

 一生をかけて償おう。

 愛している。嘘ではない。

 セブルス・スネイプ
 







 早朝…日曜日だと言うのに…スネイプは目を覚まし、ぼんやりと天井を見つめていた。

 この部屋で眠りから覚める度に、ホグワーツでの日常が戻ってきたのだと様々な種類の感慨を抱く。

 そして再び目を閉じ、「なんだ、」と呆れたように呟いた。


「馬鹿め、また無茶なことを」


 繋がった手の先、ヨゼファもまたスネイプが横たわるベッドに頭だけ預けて眠っていたようだった。彼の声で目を覚ました彼女は弱々しく微笑み、「だって」とくすぐったそうにする。


「あんなに熱烈なラブレターをもらったんですもの。帰らないわけにはいかないじゃない?」


 馬鹿め…とスネイプは繰り返し、繋げられた掌を手繰ってヨゼファの身体を引き寄せた。

 彼女の肉体を腕の内側に収めると、何かがあるべきところに収まったような心持ちになる。随分と昔…やはり同じことがあった。その時のように箒に一晩中乗っていたらしいその髪は風に揉まれてクシャリとしてしまっている。頭に掌を回してそこを撫で、よく帰ってきたと心を込めて抱きしめた。


「ヨゼファ、」

「なに?」

「会えて嬉しい。」

「私もよ。」

「愛している。」


 ヨゼファは困ったように笑ってから、「私も……」と小さな声で応えた。


「私、馬鹿ね…。」

 少しの沈黙の後、ヨゼファは目を伏せて呟く。


「私はずっと、お母さんに愛されたかった…。彼女に愛されないなら生きてる意味なんかないって……だから新しい生きる意味をずっと探してたの。」

 ヨゼファはスネイプの胸に頭を預け、頼りない声でポツポツと語る。そんな彼女を抱き直し、いつもしてもらっていたように頭髪を撫でながら耳を傾ける。


「でも、生きる意味なんて必要なかったんだわ。何かを成し遂げないと生きている意味がないなんて馬鹿げてる。母に愛されなくたって、沢山の人が私のことを大事にしてくれていたもの。生まれてきた、それこそが最も尊い生きる意味だと言うのに…私は40年近い年月、そんな簡単なことにも気がつけなかった…。」

「生きる意味ならある。」


 スネイプの言葉に、ヨゼファは残されたひとつの瞳で彼の方を見た。深い青色の中に、子どものように無垢な光がぽっかりと浮かんでいる。


「私のために君は生きるべきだ。私も君のために生きるから……。…これから、死ぬまで…」

「Non, セブルス。」


 眉を下げてスネイプの言葉を聞いていたヨゼファだったが、少しだけいつもの悪戯っぽさが戻ったように微笑む。人差し指を彼の唇に当て、ゆるゆると首を振った。


「死んだ後も私を愛してちょうだい。………。うそ、冗談よ。」


 くすくすと肩を揺らして笑うヨゼファにつられて笑うことはせず、スネイプは彼女をじっと見ていた。


「分かった。良いだろう。」

「え………。」

「君が死んでも私を想ってくれたように。肉体が朽ちようとも、君へ向かう私の愛情は不滅だ。」


 ヨゼファは呆気にとられたようにポカンとしていた。それでも瞳を背けずこちらを見つめ続ける。辺りは静かだった。長閑な日曜日、遠くで鳥の鳴き声がする。

 青い瞳が濡れて光る。ヨゼファは静かに涙を流し、一度頷いた。
 
 冷たい頬を流れる涙をぬぐい、愛している、愛している、とゆっくりと繰り返す。ヨゼファはただ声もなく泣きながら、彼の言葉を黙って聞いていた。






 小さな明かり取りの窓から差した朝日が、薄暗い部屋の中に差し込んでいた。

 机の上に並ぶインク瓶や書類などにも、透明な朝日が優しく降り注ぐ。ヨゼファの薄い色の髪の毛もまた日光に照らされて、ホワホワと柔らかそうだった。


「私ね、行きたいところがあるの。」

 彼女は簡単な朝食を用意しながら、ソファに着席して新聞を読んでいるスネイプへと声をかけた。


「一緒に行ってくれる?」

「どこに」

「ゴドリックの谷よ。」

「…………。」


 新聞から目を離さず応対していたスネイプだったが、場所の名前を聞いて思わず顔を上げてしまう。上げた先で、ニコニコと微笑むヨゼファと目が合った。

 しばし二人は無言で見つめ合うが、やがてスネイプが「なぜ」と簡潔な質問をした。

「リリーとジェームズのお墓参りよ。」

 彼女は笑みに少し不可思議なものを滲ませて言う。それがどういった心理の現れなのか、スネイプには理解することができなかった。また、『なぜ』と同じ質問を繰り返しそうになる。

「リリーのお墓参りに貴方もうずっと行っていないわ。そうでしょう。」

「…………。」

「貴方の一番大切な人ですもの。今の素敵な貴方を見せてあげましょうよ。」

「…どういうつもりだ。」

「ふふ、思った通りの反応だわ。でもこういう思い立った時じゃないと、中々行かないでしょう。」

「別に…そういうわけでは。」

「そういうわけではあるでしょう。行った方が良いと思うわ、リリーも貴方に会いたがっているもの。」

「そんなことは…」

「あるわよ。会いたいに決まってるでしょう、貴方も、リリーも。私には分かるのよ。」


 ヨゼファはスネイプへと紅茶が入ったカップを差し出す。受け取って、オレンジ色の水面に寄る辺ない自分の表情を認めて彼は溜め息をした。


「君は一度言い出すと聞かないからな、、」

「そうよ、よく分かってるじゃないの。」


 ヨゼファは機嫌よく応じながら、朝食の準備が整った卓へとスネイプの手を引いていく。それに逆らわずついていきながら、「だがひとつ訂正してほしい。」と彼は言った。


「なに?なんなりと。」

「私が一番大切な人は君だ。」

「………。」


 向かい合って着席したヨゼファがはたと瞬きをしてスネイプを見つめる。「覚えていてほしい」と念を押すと、彼女は眉を下げて笑った。


「無理しなくて良いのよ、セブルス。」


 この上なく優しい声色でヨゼファは言う。スネイプはかぶりを緩やかに振り、「そういうことを言うな。」と彼女を嗜める。


「ヨゼファ、君こそもう無理をしないでくれ。」


 ヨゼファは困ったように笑っている。どう反応すれば良いのかを分かりかねているらしい。


「冷めないうちに食べよう。君が作ったものが私は好きだ。」

「朝食だもの、簡単なものばかりよ。でも…どうもありがとう。」



 …朝食は珍しく沈黙のうちに進んでいった。緩やかな朝の光の中、ヨゼファはぼんやりと中空を見つめている。その様が絵画のように美しいとスネイプはぼんやりと思った。


(ヨゼファほど美しい人はこの世にいない。)

(前にも、後にも、永遠に現れない。)

(この世でたった一人…唯一の………)







 冬の割には本当に天気の良い日だった。日当りの良い場所にささやかに咲く花に、水の魔法が燦々と降り注いでいる。恐らく墓所を美しく保つ仕掛けなのだろう。金色の陽の光と水の飛沫と、薄紅色の花の香りが巧みに溶け合って、スネイプの瞳は不思議な恍惚を覚えていた。


 リリーとジェームズ・ポッターの墓石は白く磨かれ、沢山の花が供えられていた。生花がみずみずしくまだ若いことから、日を空けずたくさんの人が訪れていることが見てとれる。

 ヨゼファは近くの花屋で買った美しい空色の花を墓前に備えている。墓前に跪いて何事かを祈る彼女のことを、スネイプは後ろからただ見下ろしていた。

 立ち上がったヨゼファはスネイプの方へゆったりと振り返り、手招きをして墓前の傍へと導く。引き寄せられるように彼女の隣に改めて立って、リリー…大切な女性が眠る白い墓石を見下ろした。

 目を閉じ、ほんの僅かに残された美しい記憶へと繋がってみる。彼女と共に過ごした時間は自らにとってかけがえのない宝石のようだった。唯一と言っていい子供時代の美しい思い出。


『セブルス』


 名前を呼ばれることは勇気だった。くだらない世の中でも少しは生きていこうと思えたから。


 目を開くと、隣にいたヨゼファの姿は見当たらなかった。彼女・・と二人きりにしてくれたのだろう。その気遣いに、胸が痛んだ。


(リリー……)


 彼女と結ばれる時を延々と夢見た日々を思い出す。心から愛していたのだ。嘘で塗り固められた己と言う存在の中、それだけは真実だった。


「ありがとう。」


 心からの言葉をただ一言呟いた。


「私は婚約をしたよ。」


 そして続けて言う。


「君のように、幸せな家庭を……優しい子どもを…」


 胸が詰まって言葉にならなかった。彼女がいなくなってしまった事実にもう何度目になるか分からない絶望を味わう。幸せな家庭のこれからも、優しい子供の行く末も知らずに亡くなってしまったのだ。若く美しく、更に幸せになるために生きることができたと言うのに。

 思わず声に出して許しを乞うた。自分が幸せに近付くことは紛れもなく罪だと感じて。


 ……気のせいか、誰か小声で歌を歌っているような気がする。夢のなかの歌がこの世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらにまぎれ込んだのかと耳をそばだてる。

 随分と昔、雨の黒い森で同じ幻聴を聞いた気がする。だがこれは幻聴ではないと確信できた。魂で聞いているのだ、彼女の声を。


「ありがとう…。」


 もう一度繰り返す。彼女は本当に優しく変わらないと思った。ゆっくりと頷いて、その声が言わんとしていることを受け取る。そして一度だけ振り返っては白い墓から遠ざかった。探さなくては、と呟きながら。


(私の愛しい人を)

(私の帰るべき場所を……)


* * *


 墓所へと向かうマロニエの並木道の脇に置かれたベンチに、ヨゼファは足を組んで腰掛けていた。スネイプの姿を認め笑顔を浮かべては隣に腰掛けることを薦める。


「ここは良いところね。」

「だが寒すぎる」


 スネイプは隣には座らず、早く帰ろうとヨゼファに促す。寒さが彼女の傷跡に応えることを気にしての行動だった。

 ヨゼファは「そうね」と応じて立ち上がる。彼女の冷たい手を握って助けてやれば礼を言われた。

 そうしてふと、このように気遣い気遣われることのできる関係を愛おしく思った。ここまでの長い道のりも同時に思い出されて、溜め息が出る。


(愛して愛されることは奇跡だ)


 なんとはなしに姿眩ましをすぐには使わず、背の高いマロニエの並木道を手を繋げて歩く。ヨゼファのゆっくりとした歩調に合わせて少しずつ。彼女はスネイプの気遣いを分かってか、小さな声で礼を述べた。


(掌中に残されたただひとつの幸せを決して手放してはならない)


 ヨゼファの肩を抱いて歩みを続ける。在りし日よりも随分と痩せてしまった肢体を皮膚から感じ取り、彼女の積年の孤独を考えた。冷たい時代を生き抜いて、よく今、隣に立っていてくれていると思う。


(私とリリーとの関係は紛れもない悲劇だが、もう良い、これで良いのだ。)

(私がリリーと結ばれたとして、一体誰がヨゼファを孤独から救えると言うのか。)


「君は今幸せか」


 沈黙が続く中で、ポツリと尋ねる。


「ええ、幸せだわ。」


 穏やかな声色ですぐに返された言葉に心の暗い痼が解けるような気持ちがした。抱いた肩を寄せて、耳元に唇を寄せる。


「私は君を守りたい。決して傷つける存在ではなく…あらゆるものから守って…、傍にいたい。」


 囁いた言葉に返答はなく、ヨゼファはただ斜め下を見るに留まっていた。しかしやがてこちらを見て、微かに頷く。


 貴方を愛してるわ、セブルス


 ヨゼファはほとんど聞こえない、唇の動きだけで…何度となく紡いでくれた愛の言葉を贈った。自分も同じ気持ちであることを応えては、ローブの中へと彼女を招き入れた。マロニエの通りから姿をくらます刹那、首に腕を回してきた彼女から接吻を受ける。目を閉じそれを甘受しては、ああ、早くフランスから帰ってきほしいものだと心から願った。


* * *


 誰もいなくなった墓所では、針のような枝を空へと伸ばす樹、苔むした石畳の上、または遠くに見えるうらびれた教会の屋根に、雲の隙間から列を乱さず細い光が降りてきていた。

 真白い墓石の傍、草木の葉末に宿っている露が音もなく光っては落ちる。まるで誰かの涙のように……


 




 ヨゼファはそれからフランスで忙しなく働いていたらしく、一度として帰ってくることはなかった。

 だが手紙のやり取りは続く。そして膨大な量の手紙がひとつの引き出しには収まらず何度となく拡張魔法を使用しなくてはいけなくなった頃、ようやく帰国決定の知らせが届いた。



 待ちに待った日、列車から降り立ったヨゼファを迷いなく抱きしめて「おかえり」と伝える。

 ただいまと力強く抱き返してきては彼女は言う。ひとしきりの時間人目を憚らずプラットホームで抱き合って過ごした後、お互いなんだか気恥ずかしくて苦笑する。


「帰ろう。」

「ええ、帰りましょう。」


 言葉はそれだけで足りた。お互いの心が喜びで満たされているのを覚えて胸がつかえるのを咳払いで誤魔化す。 
 
 腕を差し伸べるとヨゼファが不思議そうな顔をするので、「腕を」と促した。彼女はまた照れたように笑みを浮かべては腕にそっと手を回す。その際に彼女の鞄を空いた手で受け取っては、ゆっくりと歩を進めた。幸せと共に。



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