◎ ソーダ水の泡沫
(if学生時代)「え………?」
メイドのサラは小さな声で呟いた。
もう長い間その中を改めたことが無く…利用する人間もまるでいない部屋のドアが細く開いている。室内の窓も鎧戸が閉め切られているはずなのに、ドアの隙間から廊下に漏れ出でるのは透明色の夏の光だった。
誰かが中にいるのだ。長年閉め切られていた窓を開け放して、爽やかな初夏の風を室内に招き入れている。
細く開いていたドアの間に掌を忍ばせ、隙間を広くする。中を覗けば、予想した通りに室内には人影があった。椅子に腰掛けて何かの書籍の中を覗き込む彼の横顔を認め、サラは大きく息を呑んだ。ほとんど悲鳴のような声を上げたと言って良い。
それに応じて、彼は顔を上げてこちらを見る。逆光によってその
面 には影が落ちていたが……、間違いなくそれはこの部屋の主
だった者の姿である。
(嘘、だって亡くなったのは一体何年前だと)
中途半端に開いた扉の前、立ち尽くしていたサラの方に彼はじっと視線を注いでいた。やがて立ち上がり、こちらへと近付いてくる。
ようやく、それが
彼ではないことをサラが理解するのと、
彼女が口を開くのは同時だった。
「ただいま。」
優しげに微笑んで、彼女は久方ぶりの帰宅を知らせる挨拶をする。
「……ヨゼファ、さま、、お戻りになっていたんですね。」
未だ胸中での驚きを残しつつ、サラはこの館の主人の一人娘へと呟く。そうしてハッとしては「おかえりなさいませ。」と急いで返事をしては頭を垂れた。
ヨゼファは笑みをくすぐったそうにしては、「サラ、髪伸びたね。」と掌を伸ばして結い上げた髪を撫でてくる。
「ヨゼファ様は髪を切ったんですね。」
弄らせるままにして、彼女の指先の低い体温に感じ入りながら返答した。
「それから、声が。」
続きを口にせず、彼女をじっと見つめる。ヨゼファは少しだけ首を傾げて、どこか意味ありげに笑った。
「サラと話すのは本当に久しぶりだね。」
「ええ…。でも、癒者様に行っても治ることがなかったのに。一体どうして」
「私はね、サラにようやくありがとうって言えて嬉しいの。私の部屋を夏休み中にいつも掃除してくれてたのは貴方だよね。」
ヨゼファはサラの質問には答えず、笑顔のままで言ってはローブのポケット…帰ってきたばかりの彼女はまだホグワーツの制服だった…の中を何やらごそごそと探った。
「はい、どうぞ。」
差し出されたのは、掌サイズの白い紙の巾着のようなもの。捻って留めたところに金色のリボンがどこか誇らしそうに留まっている。
「ホグワーツのお土産だよ。」
クッキーなんだ、とサラが尋ねる前に彼女はその中身を告げる。
「ヨゼファ様がご自分で作られたんですか?」
「私だけじゃないけれど。友達にお菓子作りが上手い子がいてねえ。それから
薬草に詳しい子…飾りの呪文が上手い子も…皆で学年の終わりに
厨房で作ったんだ。」
「みんなで……」
「そう、みんな。」
サラの言葉を繰り返しては脇を通り過ぎ、ヨゼファは部屋の外へと軽い足取りで立ち去っていく。
憑きものが落ちたかのように、彼女の表情は明るくさっぱりとしていた。
相変わらず痩せぎすで背の高さが目立つ後ろ姿を、どこか呆然とした気持ちで見送ってはため息をする。
「ヨゼファ様、」
口ぶりからすると友達が出来たのだろうか。一体この一年間で何があったのかと思うほど、明るく社交的な少女になって彼女は帰ってきた。
(……そして)
ますますそっくりに……
と、微かに呟いて頬に手を当てる。
再び無人となった室内へと視線を向けた。この部屋の主が亡くなってもう何年だろうか。……15年。それはヨゼファの年齢と比例した。まるで自身の娘に命を明け渡したかのように、彼はひっそりと息を引き取っていったのだ。
ヨゼファは自分の父親を全く知らない筈で、昔は両親どちらにも似ていなかったのに。ホグワーツに入学して
家に戻ってくるたびにその面影は父親に似ていった。
それを殊更に感じたのは髪を切ったからだろう。母親の美しく銀色に長い髪を真似て伸ばしていたのは皆が知るところだった。伸ばしていた時はその重みで真っ直ぐだった髪が、切り落として軽くなったことによってふわふわとした緩い癖を形作っている。
*
部屋に戻ったヨゼファは学校から持ち帰ったトランクを開け、多量の荷物たちに埋もれていた手帳を取り出す。やや歪な魔法陣が黒いなめし皮の刻まれた手帳をパラと開いては、
『もう家に帰った?』
その一言が羊皮紙上で滲んだインクのように浮かび上がっているのを認め、胸の奥を掴まれたような気持ちになった。
やがて驚きがじんわりと解けて温かい気持ちになる。双子帖で文字のやりとりを行う自分の魔法が成功した喜びと、バカンスの最中もこれで連絡が取り合える嬉しさと、単純な懐かしさが重なったような気持ちに。
(まだ別れてから数時間しか経ってないのに)
『さっき帰ったよ。セブルスは?無事に帰れたの。』
『おかげさまで』
『大丈夫?疲れてない?』
『疲れた。』
『そう、よく休んでね。』
『さあ…休めるかどうか』
『どうしたの?』
『僕は自分の家が嫌いだ。』
着替えもせず、荷物から引っ張り出したインクと羽ペンで立ったまま手帳上での応酬をしていたヨゼファだったが…スネイプからの一言に、返事を書く手を止めては少し眉を下げた。
彼の家族の話は時々聞く。自分の手元に視線を落としてポツポツと話すその姿が思い出され、ヨゼファはいたたまれない気持ちになる。
『何かあった?』
暫時の思考の後、短い言葉をしたためる。羊皮紙の上に乗ったインクがじわじわと紙の中へと沈んでから少し待つが…先ほどのようにすぐ返事がくることはなかった。もう、双子帖を閉じてしまったのかもしれない。
『別れたばかりだけれど、』
それでもヨゼファは続けた。自分の髪と同じく淡い灰色の羽ペンをゆっくりとインク壺の中に沈める。…手紙のやり取りをしている人物からの、去年のクリスマスプレゼントだった。よくよく青いインクを吸ったそれを持ち上げて、また続きを。
『近いうちにどこかに遊びにいかない?』
『明日でもいいし、来週でもいいから。』
『ケーキを焼いて持っていくわ。』
返事は数日待っても来なかった。彼の筆跡が認められない双子帖を開いては溜め息をする、その行為をヨゼファは何度となく繰り返しては良くない予感を覚え始めていた。
*
「お久しぶりです。」
「やあ、これは。しばらく見ないうちに随分大きくなられましたな。」
「大きいのは元からなんです、どうもありがとうございます。」
「立派に育たれて、お母様も鼻が高いでしょう。」
「だと良いのですが。」
「ご趣味は何を?」
「音楽が好きで。ドメネクやピサロなどをよく。ホグワーツには大きなレコーダーがあるんです。私よりも大きいくらいの。」
「随分と古いものを聴かれますね、今度うちでコンサートをするので是非。」
「喜んで。演目はなんでしょう?」
「それはいらした時のお楽しみに。」
「素敵です、待ち遠しいですわ」
夏至に毎年開かれるチェンヴァレン家の社交を交えた大きなパーティーだった。
屋敷の大広間で如才なく立ち回るヨゼファのことを認めては、サラはやや心配になる。
「ねえ…」
配膳室に戻り、居合わせた同僚の女中に声をかけた。
「ヨゼファ様、なんか変じゃない?」
「変?そうは思わないけれども。」
「だって、この一年で本当に人が変わったみたい。前まではパーティなんて大嫌いで、家でやる時は部屋に閉じこもって夕飯も食べなかったのに。」
「逆よ逆、変だったのは前でしょう。おしみたいに喋らなくて。ようやく普通になったのよ。良いことじゃない。」
サラの不安な気持ちをよそに、同僚は明るく笑った。
「正直チェンヴァレン家の娘としてはあまりに…という感じがしていたけれども、これで少しは奥様の肩の荷も降りたのかもね。」
それでもサラの気持ちは晴れなかった。無理をしているのではと気がかりだった。
(似ている…)
病気が一段と悪くなる直前の、彼女の父親に似ていたのだ。
* * *
「ミス・チェンヴァレン?」
「………はい?」
ヨゼファがハッとして返事をすると、眼前にいた男性はやや困ったように眉を下げた。
「失礼ですが、今の私の話を聞いていましたか?」
「いいえ、ごめんなさい。もう一度話してもらえますか?」
「ですから……、」
男性は同じ内容を話しているらしいが、どうにもヨゼファの耳には横滑りで集中することができなかった。
それに彼も気がついたようで、呆れたようにしながらヨゼファから遠ざかっていった。彼女はため息がてら(退屈…)と胸の内で呟いては周囲を見回す。慣れない愛想を振りまく行為に、体と心はそろそろくたびれ果てていた。
まだら模様の石で作られた巨大な柱に寄りかかり、光の結晶をキラキラと周囲に零している巨大なシャンデリアを見上げる。(綺麗)と思って目を細めた。(ダイヤモンドみたい)透明な宝石はスネイプに似合うだろうとぼんやりと考えながら。
着飾った人たちの囁き声がさやさやと耳に触っていく。(みんな噂が好きなのね)自分の評判がここでは全く良くないことをヨゼファは知っていた。ヨゼファの母親は既に遠く、大勢の人の輪の中心になっては花のような笑顔を振りまいている。
そして視線を元に戻せばやはり同じように着飾った人たちがめいめいに話す姿が。それは遠い異界の景色のように、ヨゼファには馴染みのないものに思えた。
もう、誰もヨゼファのことを気にかけてはいなかった。彼女はそろりと大広間を抜け出し自室へと戻る。扉を閉め、結った髪を下ろして化粧を落とす。窮屈なドレスローブを脱ぎ捨てて寝間着に着替えてしまえば、ようやく深呼吸ができる気持ちがした。
(……………………。)
そして、ドッと悲しい気持ちが溢れてきた。自分はこれから一生チェンヴァレン家の人間として馴染めない社交界で生きていかなければいけないと思うと不安で仕方がない。
机上に置かれた黒い手帳を開く。代わり映えしない白いページを眺めれば、悲しい気持ちはより一層深まるのだった。
*
机上に開かれた手帳を穴が空くほど見つめながら、スネイプは羽ペンを構えたままじっとしていた。
吐く息は荒く、心臓は波打つ。目頭には涙が溜まって、これから自分が為すことを考えると情けなさと期待で見る間に視界が滲み出す。
意を決して、彼はペンを紙の上へと触れさせた。たった一言を静かな気持ちで書いていく。書き終わるとインクがするすると紙に染みて、吸い込まれるようにして見えなくなった。
動悸が痛いくらいの胸を抑えて、荒い呼吸を鎮めるために口元に手を当てた。当てたところで、強い力でグッと後ろから掴みかかられたので思わず声をあげる。
(違う、掴みかかられたんじゃない)
後ろから凄まじい力で抱きつかれているのだ。(まったく)と思う。(少しは間くらい置いてくれよ)
「ヨゼファ、痛い……」
「あっごめんね」
ヨゼファは焦ったようにスネイプの身体を解放した。
「………。早く来すぎじゃないか」
「だって一週間も何も連絡なかったんだよ?それで一言だけ『会いたい』なんて言われたら飛んで来ちゃう。」
「別に飛んでこなくて良い…。君は忙しいんだろ。」
「全然忙しくないよ!」
ヨゼファは勢いよく言った後にハッとして口を塞いだ。その様にスネイプは溜め息して首を横に振る。
「気にしなくても良い。両親はいないから。」
「そうなの。」
「ずいぶん前に出てって…。今夜は二人とも戻らない。」
スネイプはヨゼファの髪に残った宴の香りを覚えて不快な気持ちになる。彼女は不思議そうな表情でスネイプの顔を見つめては、その視線に誘導されて乱雑に物が散らばってる床を見下ろした。
「夕方くらいからひどく怒鳴り合ってた。途中から具合が悪くなって聞かないようにしてたから、あんまり覚えてないけど。」
「…………………。」
ヨゼファは眉を下げて悲しそうにした。まるでスネイプの感情に同調しているような表情に、不思議と胸の内が安堵するような気持ちがする。
手を引かれ抱き寄せられるので、瞼を下ろして行為を甘受した。抱き留められるときに少し眉をしかめて「酒臭い」と言えば、ヨゼファは「ごめん」と苦笑して謝った。
「すぐ呼んでくれたら良かったのに。」
「いいよ、、どうせヨゼファは忙しいから」
「忙しくないよ、全然。」
ヨゼファはスネイプの身体を少し離し、彼の目を真っ直ぐに見てから再び床をへと視線を落とす。
「セブルスよりも大事な用事なんてひとつも無いのに。」
「そういう事言うなよ。僕は…そんな価値のある人間じゃ……」
「そうやってずっと我慢しててくれたの。本当に貴方ってそう言うところ、優しすぎる。」
ヨゼファはスネイプの身体を抱き直した。いつものように強すぎる力で。
「別に優しくなんかない……。」
「ひねくれ者なんだから。」
そんな事ない、と弱々しく否定しながら、ヨゼファの言葉に耳を傾ける。彼女は子供をあやすように胸の内のスネイプの頭を撫でていた。白いネグリジェに頬を擦らせれば、滑らかな肌触りに弱く鳥肌が立つ。
ああ、寝間着すらこんなに高そうな服を着て…やはり住む世界が違う人だな、とスネイプはぼんやりと思った。だがそれと同時に自分と彼女は似ていることも知っている。似た者同士に不幸だったが、それでも一緒にいると不幸も和らぐような感じがした。ちょうど今の、自分の気持ちのように。
*
「ヨゼファは綺麗だな…」
スネイプ家の狭く小汚いベッドの中で、彼は思ったことをそのままポツリと口に出した。すぐ隣で横になっていた彼女も起きていたらしく、「え?」と応える。
「最近、大人っぽくなった。」
スネイプは目を細くてしヨゼファの青白い頬を撫でた。彼女は目を閉じてそれに感じ入る。
「もう15歳は大人の仲間だもの。」
「君はどんどん美人になるから不安だ。……縁談がすぐにまとまってしまいそうで。」
「安心して、そんなこと言ってくれるの貴方だけなのよ。だからもっと言って。」
ヨゼファは分かりやすく上機嫌になってスネイプの胸の内側に身体を寄せてくる。背中に腕を回して溜め息をした。首筋に顔を埋めて皮膚に唇を触れさせれば、今度は彼女がやんわりと深呼吸をする。
「そうだな…もう、大人だ。」
小さな声で呟くが、それはしっかりと聞き届けられていたらしい。ヨゼファは少し考えるような表情をするが、やがてスネイプの唇に触れるだけのキスをした。
顔が触れ合うほどの距離で二人は見つめ合う。ヨゼファは微笑んでいた。
「うん、おいで。セブルス…」
スネイプは何も応えず、彼女の青い瞳をただじっと眺める。だがしばらくしてかぶりを振り、「やめとく……」と弱々しく言った。
「こんななし崩しみたいなの、嫌だ。」
「あらそう?そんなものなんじゃないかな。」
「な、なんでそんなに落ち着いてるんだよ。僕が馬鹿みたいじゃないかっ」
脇を拳でつついてやれば、ヨゼファはくすぐったそうに笑う。
「落ち着いてなんかいないのよ、すごくドキドキした。でも私、セブルスが好きだから…」
ヨゼファはそこで口を噤み、はにかんだ笑みを浮かべた。心なしか耳が赤くなっている気がする。
「…………………。」
スネイプもまた口を噤み、気恥ずかしさと多幸感がない交ぜになった自らの感情の大きさを抑えるように掌を胸に置いた。
「あ、………ありがとう…。」
やっとの思いで言い慣れない謝礼を零し、スネイプは再び口をつぐむ。
二人は暗闇の中で少しの間沈黙した。
そっとヨゼファがスネイプの肩に触れるので、促されて胸に頭を寄せる。彼女はスネイプの黒い髪を丁寧に撫でてから耳にかけさせる。頭にキスを落とし、小さな声で「愛している」と愛情の言葉を呟いた。
スネイプは…先ほどとは違う種類の熱っぽさを目の奥に感じて眉根を寄せる。ヨゼファの胸中で瞼を下ろすと、その熱が頬をするりと滑るのが分かった。
頷いて、彼女に同じ言葉で応える。
本当は、ずっとこうしていたかった。だがもうすぐ彼女は自分の家に戻ってしまうのだろう。この状況がお互いの家族に知れることは避けたかった。
短い幸福な時間を全身で感じ取るため、スネイプはヨゼファの身体を力強く抱き返した。彼女が笑う気配がする。スネイプも微笑むが、またひとつ、涙が頬を滑っていく感覚を覚える。
(初めて………)
愛してくれた人だった。その恩に報いるためになんでもしようと心から思う。
「ずっと傍にいて…ヨゼファ……。」
「うん…。貴方の影のように傍にいるわ。だからセブルスも私から離れないで。」
「分かった。離れないでいるよ…君の影のように……」
そして身体の境目も無くなって、二人で闇の中に溶けていけたなら。
「愛している……」
心からの言葉をヨゼファの胸の内に吐露する。だがこの重たい感情はそんな一言では表しきれなかった。
顔を上げて彼女の色が薄い唇に口付ける。淡い吐息が弱く頬を滑った。
「……セブルス」
どこかスネイプの様子がおかしいことに気がついたらしく、ヨゼファが彼の名前を呼ぶ。
「ヨゼファ、」
スネイプはヨゼファを抱き直し、再び唇を重ねた。口内を優しく舌で愛撫し、自らの大きすぎる感情を伝えていく。指と指を絡ませ合ってしっかりと繋ぎ止め、愛情をひたむきに受け止める彼女に一層劣情を募らせながら、早くひとつになりたいとその時を待ち焦がれた。
「僕は君のものだ。」
互いの唾液で濡れた唇を拭いもせずスネイプは呟く。ヨゼファは目を細めて頷き、乱れた彼の髪の毛をそっと手で梳いた。
「良い子ね…。」
穏やかな声で彼女は零し、「愛しているわ。」と続ける。
ヨゼファの愛の告白にこの上なく満たされた気持ちになり、スネイプはゆったりと瞼を下ろした。繋いだ手はそのままで。暫しの静かな眠りについた。
*
「ヨゼファ…さま……?」
メイドのサラは眼前の光景に目をパチパチさせてヨゼファに相対していた。
そして彼女に手を引かれて共にチェンヴァレン家の長い廊下を歩んでいた青年は、サラの視線を避けるように不機嫌そうな顔を背ける。
「ど、どなたですか?」
サラが尋ねると、ヨゼファは笑顔で「ボーイフレンドよ。」と返した。
「夏休みだもの。恋人を家に招くくらい良いでしょう、サラ?」
「え…っと。奥様のご許可は………」
「あら!お母様が自分の恋人を家にお招きになるのに一度だって私の許可をとったかしら?」
「つまり奥様のご許可は取っていないと…。」
「貴方が黙ってくれていたらお母様は知らないですむわ。お帰りになるまでだけよ。」
ヨゼファは青ざめたサラへと朗らかに応対すると、顔色の悪い青年の方を振り返っては「優しいメイドのサラよ。ご挨拶は?」とまるで親が子供にするように促した。
青年は無言で会釈するだけに留まる。
「セブルス、せっかく家に来たんだからお茶をして行って。そうねえ、私の2番目の部屋に案内するわ。あそこは陽当たりがいいから。」
「自分の部屋がふたつあるのか…?」
「あまり使ってないのを含めると4つね。後は衣装部屋を合わせると5つかしら。」
「い、いつつ………」
セブルスと名前を呼ばれた不健康そうな青年は自らのほつれた袖口が急に恥ずかしくなったのか、掌で隠そうと試みている。
だがヨゼファはそれに気が付かず、その掌を取って「行きましょう。」と上機嫌に笑いかけた。
「お嬢様。お茶は私が運びましょうか?」
「良いのよサラ。私が勝手に人を呼んだんだもの、私がやるわ。」
「いいえ…でも。お客様ですから。」
ちょっと困ったようにサラが笑うと、ヨゼファは笑顔をいよいよ華やかなものにした。「ありがとう。」と心からの礼を述べる彼女には、母親とはまた違った美しさが宿り始めている…とサラは気が付く。
廊下の向こうへと遠ざかって行く二人を見送りながら、サラはホッと溜め息をする。
(私の杞憂だったみたい。)
今のヨゼファが病が悪化する直前の彼女の父親に似ていると感じたことは。
だが、似ていないわけではないのだ。最近はより一層顔がそっくりになって、どこか中性的で不思議な雰囲気をまとっていた。
(…………………。)
サラは、今日突如として現れたヨゼファの恋人のことをよくは知らなかった。
だが恐らく彼のおかげでヨゼファは声を取り戻し、本当の笑顔を手に入れることができたのだろう。
「良かったですね、ヨゼファ様。」
サラは小さく微笑み、お茶を用意するために厨房へと歩を進めた。
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