◎ 刃
冬は遠慮なく進んで行った。
見渡す大空がまず冷気に埋められどこからどこまで真っ白になる。そこから雪は滾々として止め処なく降ってきた。
人間のための畑も動物のための森林も、等しく雪の下に埋もれていく…………
ヨゼファはぼんやりとした気持ちで、トロトロと温かい焔を灯す暖炉を見つめていた。
マントルピースには、この屋敷に住まう家族の写真が綺麗なフレームに収まって所狭しと並んでいる。見上げればキラキラと光るクリスタルのシャンデリアが中空に鎮座し、足元には意匠を凝らして華やかなゴブラン織りの絨毯が敷かれていた。
ホグワーツの簡素な自分の部屋に慣れているヨゼファは、落ち着くことが出来ないままで腰掛けていたふわふわ過ぎるソファへと身を預けた。
(このソファ、起き上がるのに一苦労しそうね。)
なんだか眠気を誘われながら、ヨゼファは静かな気持ちになった。
(知らないソファだわ)
(私がこの家にいた時には無かった。)
「ヨゼファ先生、お待たせをして申し訳ございません。奥様はじきにいらっしゃいますので……」
チェンヴァレン家の女中が言うので、ヨゼファは構わないと笑顔で伝えた。彼女は客人のために新しい紅茶を淹れてきたらしい。
金の釉薬で絵付けした白磁器のカップに注いでもらったものを口に含んで、「美味しい」と正直な感想を述べる。
「サラ、貴方は紅茶を淹れるのが相変わらず上手なのね。」
ポツリと零すと、サラは不思議そうにヨゼファへと視線を向けた。
「失礼ですが、私、ヨゼファ先生と前にお会いしたことがありましたか?」
「いいえ無いわ。驚かせてごめんなさい。」
そう言って、ヨゼファは表情を柔らかくしながら良い香りがする紅茶にまた一口、二口と唇をつけた。
釈然としない表情をしているサラに、「アンジェリカとフランチェスカから噂は伺っていましたのよ、テレサからも。」と何食わぬ顔で嘘を吐きそれらしいことを言う。
マリアの複雑な忘却の呪文により、ヨゼファ・チェンヴァレンという少女は徐々にではあるが確実に人々から忘れ去られていくのだ……。
「優しいメイドさんが家にいるって。羨ましいわね。」
「まあそんなことを…光栄です。」
恥ずかしそうな笑みを浮かべるサラの目尻の皺から、かつてから幾分も年月が経っていることをヨゼファは実感した。チェンヴァレン家の家族であった時よりも今、この家がずっと居心地良く感じるのは皮肉である。
早く家に帰りたいと…………、マクゴナガルが懇切心配して待っていてくれているであろう家に帰りたいと、ヨゼファはぼんやりとした思考のままで考えた。
* * *
「お待たせしてごめんなさいね、ヨゼファ先生」
そしてこの家の美しい女主人の登場である。今現在の自分よりは確実に若く見える
元母親を、ヨゼファはゆっくりとした瞬きの後に眺めた。
「ご用事はなんでしょうか、奥様。」
「つれないのね。もう少し話をしてから本題に入っても良いのに。」
「家で母が待っているので」
「は?」
「冗談です。今は同僚のミネルバと同居しているので…ほとんど母親みたいな年齢ですし。」
「…………………そう。あの方、同じ寮の先輩だったわ。少し厳しい人だから一緒に住むのは大変でしょう。」
「いいえ、何も厳しくありませんよ。むしろ甘いくらい、」
「ふうん、私が知っているマクゴナガルとは随分印象が違うのね。」
「時間が経っているからでしょう。人は変わっていくものですから……」
ふと、向かい合って座るふたりの間に冷たい空気が差し込むのをヨゼファは肌で感覚した。
マリアは切れ長の瞳を細くしてはヨゼファの顔を眺める。
「変わらないものだってあるわ」
微かな囁きを薔薇色の唇が漏らした。
ヨゼファは彼女の口からそのような抽象的なことを聞くのが初めてだったので、少しの驚きを表情に出す。しかし…やがて弱く笑って頷いた。
「そうね…。その通りだわ。」
なぜだろうか、とヨゼファは思う。
血の繋がりが最も強い直子で、同じ家に住んでいた。それなのに分かり合えず気持ちをすれ違わせ、離別した今の方がよほどお互い本音を垣間見せることができる。
改めて皮肉なものだと考えた。
「明日は魔法省で尋問でしょう?私がお前を担当してやれたら良かったんだけど。流石にそれは許されなかったわ」
「それはそうね。」
「やましいことがないなら気負う必要はなくてよ」
「やましいこと…無いことは無いわ。」
「私を殺そうとしたこと?」
「ええ……。やましいことのひとつね。」
「後悔している?」
「殺そうと思ってしまったことは後悔していないわ。後悔してもしようがないもの。」
「……………。」
「でも今、貴方が生きていて良かったとは思うの。ソフィアやフランチェスカにアンジェリカから母親を奪うような悪い魔女にならずに済んで、本当に良かった。」
マントルピースに並んだ三人の義妹の写真を眺めながら、ヨゼファは落ち着いた口調で胸の内を打ち明けた。
マリアはそれを静かな表情の
面で聞いていた。その烈とした性格を思えば激昂され一発殴られるか禁止魔法を食らうかしそうなものを、なぜか彼女が纏う空気は穏やかだった。
「お前……、、、不思議だわ。一度も面識がないはずなのに、なぜこうもあの人に似ているの。」
ヨゼファは背筋にぞくりとしたものを覚えた。この女性が自分をかつての伴侶と似ていると言うとき、その目には今まで見たことがないような焔が宿るのを知っていた。
その瞳で見つめられると身体が竦んで動けなくなる。情念の瞳だった。自分の中にいる父親の血肉や魂を欲する彼女の劣情を感じ取って、ヨゼファは恐怖じみたものを感じた。絡め取られて、自らもまた元には戻れなくなりそうで。
「話をしたかっただけよ、貴方は戦争の英雄ですもの。ヨゼファ先生、」
吐息が混ざったような声で囁かれて、マリアの伸ばされた手がかつての娘の頬に触れようとする。
ヨゼファもまたそのしとやかな掌に心を預けそうになるが、寸でのところで身を引いて立ち上がった。
「……………。明日があるので、帰ります……」
痛いほどに動悸する胸を押さえながら、ヨゼファはやっとの思いで声を絞り出す。
マリアは殊更に美しい笑みを浮かべて「そう?」と相槌した。
「またいつでもいらっしゃい、ヨゼファ先生。」
ゆったりとした声で見送りの言葉をかけられる。ヨゼファはそれには応えず、無言のままでその場から姿を消していく……
*
「ヨゼファ、」
長い間魔法省のロビーで彼女のことを待っていたスネイプは、その姿を認めては名前を呼んで駆け寄る。
消耗したヨゼファの肩を抱いて、先ほどまで自分が腰かけていた長椅子に隣り合って座らせた。
彼女はよほど疲れているらしく、促されるままスネイプの肩に頭を預ける。
自然と手を握って、空いている方の手で労わるために腕や肩を摩ってやる。ヨゼファは心弱い笑みを浮かべて礼を述べた。
「なにか……、ひどいことを、、、」
眉間の皺を深々とさせてスネイプは彼女へと尋ねた。ヨゼファは首を横に振る。正直に言え、と半ば詰め寄るが、彼女は笑みを浮かべたまま「本当に大したことないのよ」と応えた。
「でも、やっぱり疲れるのよね。昔のことをひとつずつ思い出して話さなくてはいけなかったから。」
「………………………。」
「貴方の尋問ももうすぐでしょう。わざわざ私のこと待たせたりして悪かったわ、ごめんなさい。」
「謝るんじゃない。私が望んだことだし…心配だった。当然のことだ。」
「ありがとう。なんだか貴方、私のお父さんみたいだわ。」
「……君は父親を知らない筈では」
「ものの例えよ。きっと、貴方……」
「私は君の父親ではない。」
「ふふ、もちろんよ。知っているわ。」
好きよ、と耳元で囁くヨゼファの腰にそっと腕を回す。そして自分もまた同じことを考えた。
「……傷痕がまた熱を持ち始めている。体温もへんに上がっているな。」
顔右に触れて零す。彼女もまたそれを感じているらしく、頷いては困ったように眉を下げた。
「薬は飲んだか。」
「あの苦いの?ちゃんと飲んでるわよ、
先生の言いつけに従って。」
「頓服として利用できるものを後で、夜に持って行く。構わないか」
「それもまた苦いのかしら?……いえ、そのことはさておき…大丈夫よセブルス。私たち、魔法省の人とお茶を飲みに来てるわけじゃないわ。とても疲れるのよ、貴方は今日の夜はすぐに帰って休まなきゃ駄目。」
そんなことを言うな、と胸の内で抗議した。
彼女の腰を抱いていた片腕の力を強くして、その傷付いた身体を自分の元に引き寄せた。ふいと馴染み深い香りがする。
「君は昔からずっと…同じ香水を変わらず使っているのか……。」
なぜか今、場違いにそんな言葉を口にした。
*
「お母さま………」
テレサが気遣わしげにマリアへと声をかけた。
マリアは机に広がった書類に視線を落としたままで「外でお母さまと呼ぶのはお止しなさい」と抑揚なく言った。
「ごめんなさい。…でも、スネイプ先生の尋問の時間をもう30分も回っています。」
「だから?」
「チェンヴァレン卿は彼の尋問官ではないのですか」
「ええそうよ、不本意ながら。」
「なら…。スネイプ先生はもうずっとお待ちですし……」
「関係ないわ。待たせておけば良い!!」
マリアはひどく苛立ったらしく、机の上に広がっていた書類を掌で払いのける。軽い羊皮紙はバサバサと宙に舞って魔法省内の彼女の
執務室の床に広がった。
「ああ……。もう、本当に……尋問すら馬鹿らしい。アルバスの庇護が無くなった今、とっととアズカバンに送ってやれば良いのよ。」
マリアは淡い色をした髪の乱れた部分を整えては燻る怒りを鎮めようとしているようだった。その声は低く、攻撃性に満ちていた。
「どうしてやろうかした、あの男。」
低い声で呟いて、彼女は踵の高い靴を鳴らして執務室を出て行った。残されたテレサは、その筋の正しい背中を不安な心持ちで見送ることしか出来ずにいる。
* * *
「お待たせしてごめんなさいね。」
そして、打って変わっていつもの美しさが過ぎる艶花のような笑顔である。
時間を一時間強も押して現れた自らの尋問官に…しかもそれはマリアである…スネイプは募った恨みをぶつけるような重たく鋭い視線を投げかけた。
「形だけのものですから楽にして頂きたいわ。
どうせお前には問われるべき罪は大してないもの。アルバスにちゃぁんとお礼を言わなくっちゃダメよ。」
白い毒蛇のように甘やかな口調で言葉を続けながら、マリアは狭く簡素な室内でスネイプと机を挟んで向かい合う座席に腰掛けた。
「………。それは結構。」
スネイプは端的に応える。
「私の方からも貴方に聞きたいことがある。構わないか。」
「構うわ、お前が私に質問する権利は無くってよ。」
「驕りが過ぎる口調をやめたまえ。随分と偉くなった
つもりでいるらしいな。」
二人は互いの瞳の中へと一直線に鋭い視線をぶつけ合った。
スネイプはうんざりとした気持ちになる。マリアの瞳の色はヨゼファと寸分違わず同じなのだ。
彼女たちが全くの別人物であれ、その色で攻撃性を帯びた視線を自分に投げかけたことが許し難かった。心の内側に、積み上げてきたヨゼファとの思い出に、土足で踏み込まれているような気持ちになる。
「ヨゼファをどうするつもりだ。」
「お前の知るところではないわ。」
「何様のつもりだ」
「その言葉をそのまま返すわ。尋問官は私よ、質問は許されない!!」
マリアが平手で机を打ったので、強い音が冷たい石造りの部屋に反響した。彼女は大袈裟に、うんざり、と言った様子を見せつけるために肩をすくめる。
「ヨゼファは見る目が無いし、貴方も見る目が無いわねえ……。」
彼女は意地悪く言って、赤い唇で緩やかな笑みを形作った。
「ヨゼファに同情でもしたのかしら?確かにああ言った出来が悪い女はある種の殿方の庇護欲を誘うんでしょうね。私には理解できないけれど。」
「…………。貴方はひどいことを言われている自覚はおありだろうか。」
「さあ。例えばどう言った?」
「自分の子どものことを悪く言うんじゃない!!!!」
淡々とした受け答えに徹していたスネイプが、打って変わって怒鳴り声を上げた。マリアは眉間に皺を刻んで眼前の男への憎悪を隠さず表情に出した。しかしそこに僅かな困惑が含まれていることをスネイプは見逃さなかった。
「結局のところ、貴方はヨゼファを支配したいだけだろう。思い通りにならないから仕返しに揺さぶりをかけてみる。生殺しの状態で傍におきたいだけだ……。まともな人間の感覚ではない。」
マリアが口を挟む隙を与えないようにスネイプは言葉を切らずに続けた。
「ジョン・ルブラン……、いいや、
フランスの言葉で言えばヨハンネス・ルブラン氏ですかな。写真を拝見しましたがなるほど、驚くほどヨゼファと似ている。どちらも中性的な顔立ちだ。だが彼女は彼ではないし……例え彼であっても貴方がしていることは許されない。」
机を挟んで腰掛けていたスネイプは立ち上がり、敵意を隠さず冷たい視線をこちらに向けるマリアへと近付いた。
彼女は深々と溜め息をした。「本当に……」低い声が艶やかな唇から漏れる。
「お前は何様のつもりなの。昔から私たち家族の問題にカササギのように嘴を挟むわね?面の皮が象のように厚いとお見受けするわ。」
「失礼ですが。貴方が何を言われているのか私には分かり兼ねますな。」
「は?」
「ヨゼファは貴方の家族ではない。」
腰を屈め、スネイプはチェンヴァレン家独特の深海に似た瞳の奥を覗き込む。
「私の家族だ。」
マリアの青い瞳の奥で、瞳孔が鋭く収縮するのが見て取れた。彼女は椅子を蹴って立ち上がり、杖も使わず素手でスネイプの顔を殴打した。
「
お前なんかに!!!!!!!!!!!!!!!」
悲鳴のような声をあげてマリアは怒鳴った。
スネイプは蹌踉めいては垂れてきた鼻血を乱暴で手で拭う。頬に皮肉めいた笑みを浮かべて「左様、」とマリアの予想を肯定する。
「そう、その通りだ。
私などに。……ヨゼファが愛しているのは貴様ではない。
私だ、
私だけだ。」
黒い杖を抜き、マリアを牽制しつつも口ぶりは挑発をやめなかった。スネイプは実に気分が良かった。長い間疎ましく思っていた恋敵に、今こそ勝利を宣告できるのだと思えば心はひどく高揚した。
「貴様は自分がしたことを分かっているのか、ヨゼファを突き放しては気まぐれに愛情に似て非なるものを投げつけて…!!よくもあの人のことを傷付けてくれた、私の大切な家族を」
そして、マリアに対して怒りをぶつけながらも不意に自らの幼少のことが思い出された。自分をないがしろにした両親のことを、惨めだった青年時代の日々を。
「フランスから戻ってきたヨゼファを優しく迎え入れ、温かい言葉をかけて、強く抱きしめれば全て許されるなどと決して思わないでいただきたい。確かに子供とは中々親を憎むことができない。愛情を探し、生みの親を愛することを倫理的に宿命付けられている。だからこそ、それが行えないことがどれだけ辛く不幸なのか……貴方には分からんでしょうな。」
静かな激昂が胸に差し込む。それはじわじわと広がって心の柔らかい場所を引っ掻いていくような痛みに変わった。
「私は貴様を許さない。ヨゼファの代わりに永遠に恨んでやる、彼女の負の感情は私が負担する。」
杖をスと懐に収め、スネイプは踵を返してマリアに背を向けた。もう話すことはなにもないと考えた。
「さようなら義母上殿。ヨゼファには永遠に会うことは叶わないと思っていただきたい。もちろん私とも。二度と相見えることはありますまい。」
スネイプは振り向き様、ただただこちらを睨めつけるばかりのマリアへと言葉を吐き捨てては形式ばかりの尋問の場を後にした。
* * *
………再び着席したマリアはしばらくの間、今の今まで不吉な面影を引きずっていた男が腰掛けていた向かいの椅子を無言で眺めていた。
眺めていくうちに、彼女は色々な気持ちにさせられた。さほど長くもない時間の出来事だったが、そこから目を逸らして瞼を伏せるまでの僅かな間に彼女の心臓は痛ましいまでに虐待された。
嫉妬、不安、憤怒、憎悪、あらゆる感情が露わに嵐のような勢いを持ってマリアの身体の中を荒れ回った。
『君は少し人間を単純に割り切りすぎているんじゃないのかな。正義という名のもとで。』「…………分かっているわよ。」
いつ思い出してもヨハンネス…ヨハンの声は優しい。
女のように白く細い指で丹念に花を育てていた姿をよく覚えている。そうしている時…庭の片隅で細々と仕事をこなしている時だけが、彼にとってチェンヴァレン家で唯一平和で幸せな時間だったのかもしれない。
--------------------幸せな結婚ではなかった。
幸せにしてあげることなんて出来ないと分かってはいたのだ。それでも自分の幼稚な愛情を手離したくなかった。
故郷に戻る手段を奪って、結婚の儀式を結んで子どもを作り。どんなことをしてでも彼の全部を手に入れたかった。
それなのにヨハンは決してマリアのものにはなってくれない。彼の草臥れた表情はいつもどこか遠く…
故郷の街を流れる長い河を思い浮かべているようだった。
そうして早すぎる死によって、永遠に手が届かないところへ行ってしまったのだ。
(私、
あの子に嫉妬していたの。)
自分はヨハンから何も残されなかったのに、あの子は身体の中、血肉となった彼に抱かれている。
その証拠に、一度も会ったことがない父親の仕草や表情にふとした瞬間驚くほど同じなのだ。顔が全く似ていないのは少女期の時だけだった。今は生き写しである。
『これはヨハンが育てていた花よ!!!』 あるクリスマスの日に、彼が育てていた花を手折った娘の頬をしたたかに打った。
その夜、ずいぶん昔に死んだ白いサモエドの毛布を埋めた場所で死んだように動かずにいる娘の姿を認めた。
………風邪をひくのでは、などという配慮よりも…また、胸の内に嫉妬心が起こった。
ヨゼファは母親である自分よりも、よほどあの白い犬の方に懐いていた。その犬にも自分は嫉妬した。
「だから……、これからは、、、少しは……優しくしてみようって…………」
片手で目を覆って呟いた。
今までできなかったそんなことを、果たして自分はできるのだろうか。
(できるわ、私なら。私はいつでも正しいことをしてきた。闇を祓う生業を誇りに思っている。)
『自分が正しいという気持ちは、必ずひとを裁こうとする。』『ひとを裁けるのは神だけだろう。神というものがいるのならね。』「そんなこと言われたって分からないわ、ヨハン」
ヨハンが生きている時には耳を貸さなかったその言葉を今ありありと思い出す。彼が何を言いたかったのか、もうマリアには分かっていた。けれども理解するわけにはいかないのだ、それは今までの自分の人生を全て否定することになる。
「だって……!!誰も私に、人の愛し方なんて教えてくれなかったもの、、、!!!!」
こんな気持ちになるならば、ヨゼファなど生まなければ良かったのだろうか。
それとももっと前、ヨハンを解放してフランスに戻してやるべきだったのか。
だがそんな後悔は全て無駄だ。全て遅すぎる。
最も愛しい二人をただ傷付けることしかできず、心を通わすことは叶わず、二人ともが自分の
腕からは離れて失われてしまった。
全て徒労で、空回りだ。自分が生きてきた意味とは、これから生きていく意味とはなんなのだろう。
年ばかり重ねて、それでも人生の目的は分からない。
だが、全ての人間がそうなのかもしれない。人生の意味を探し、探し続けて見つけることができないままその生を終えていくのが人間なのかもしれなかった。
「お母さま、そろそろ私は家に戻りますが………」
長いことぼんやりとしていた所為か、傍にテレサがいたことに気がつかなかった。もう、時刻はてっぺん近くに至っている。マリアはいつものように済ました顔で娘を一瞥し、「ごくろうさま。」と労った。
「ええ、お母さまもお疲れさまです。」
テレサは微笑み、軽く頭を下げて部屋を後にしようとする。愛娘の背中に、マリアは「ねえ、」と声をかけた。テレサは振り向いて返事をする。
「お母さまのこと、好き?」
尋ねると、テレサは急な質問に面食らったらしく首を傾げる。だがやがて不思議そうな表情を笑みに変えて頷いた。
「ええ、もちろん。尊敬する私のお母さまですもの。」
マリアもまたつられるように柔らかく笑い、「そう」と相槌を囁く。
「テレサ、いつもありがとう。」
礼を述べてからマリアは立ち上がった。娘の隣に並び、その手を引いて歩き出す。
「今日は私も戻るわ。………一緒に帰りましょう、私たちの家に。」
連れ立って歩き出す二人の美しい魔女の足音が、冷たい夜に重なって響いていく……………
prev|
next