骨の在処は海の底 | ナノ
 暗闇でダンスを

「なんて…ことを…………。」


膝をついていた自分の頭の上、背後から言葉をかけられたことによって…スネイプはようやく自室にヨゼファの侵入を許していたことに気が付いた。

いつものような不法侵入まがいの魔法陣では無いらしい。開いた扉から、灰色の薄い光が差し込んで来る。注意深い彼にしては珍しく扉の鍵をかけ忘れていたようだ。

スネイプの突発的な自傷を目の当たりにしたヨゼファは息を呑んでいた。それとは対照的に、彼は全身を脱力させては首を折れ、ただただ血を流す自らの腕へと視線を落とし続ける。


「………スネイプ先生、すぐに手当しましょう…。」


ヨゼファの声が、濁った薄闇に閉ざされた空間の中で零される。

その間も…印を抉る為にナイフの刃を皮膚底まで入れたと言うのに……その為では無い、闇の印が齎す痛覚によって肉と神経とが著しく苛まれた。


彼女はスネイプの視線と自らのものを合わせる為に膝を折ってくる。その際にひときわ鋭い痛みが黒い印の内側に走った。彼は堪え切れずに呻き、再度手中のナイフを昏い闇の中へと掲げる。

しかし白い刃は掲げられたままで振り下ろされることは無かった。ヨゼファがそれをスネイプの掌ごと掴んで中空に留め、彼が自分を傷付けることを阻止している。


ヨゼファに掴まれた腕はビクとも動かない。彼女の指型を皮膚がはっきりと感じるほどにその力は強かった。馬鹿力め、と苦い気持ちで思う。


「スネイプさん…ナイフを離しましょう。」


ヨゼファはゆっくりと言い聞かせるように言う。暫時の沈黙と共に、お互いピクリとも動かぬまま静寂が訪れた。やがて彼女は大丈夫です、とそっと囁いてくる。

ゆっくりと指の力を緩めると、それに応じてヨゼファがナイフを受け取り、掌中でくるりと一回転させてどこかへ消し去ってしまった。


「見ない方が良いですよ。」


ヨゼファは鈍い色の血液に塗れたスネイプの傷痕をそっと掌で覆う。「見ると、もっと痛みますから。」と続けた言葉は声にならない吐息が合わさって掠れていた。


「さあ、瞳を閉じて下さい。ゆっくりと深く呼吸をして……」


素直に従い、瞳を閉じて深呼吸をした。室内の色濃い闇が肺の底へと落ち込んでいく。

大丈夫ですから、とヨゼファが耳元で同じ言葉を繰り返した。スネイプは肉体が虚脱で満たされるのを感じ、そのままゆっくりと彼女の胸元に頭を預けた。







「良かった、そこまでひどい傷じゃないですね。」

スネイプの手を取り、清めた傷口を見下ろしたヨゼファは明るい口調で言う。

血液が拭われた彼の腕には、依然として例の黒色の刻印が蠢くようにして存在していた。ナイフで皮膚と肉を抉った為に大きく欠損していたが。それでも確かに、そこに在る。

ヨゼファは特にそれを気にする様子は無く、室内の棚からヒョイヒョイと慣れた手付きでいくつかの薬品と処置の為の道具を取り上げ再び彼の傍へと戻ってくる。


……………初めて入ったヨゼファの部屋は、彼女の印象の通りに緩い空気に満ちていた。

壁一面を埋めている棚には多様な色彩の粉塵若しくは液体がガラス瓶に蓋をされて収まっていた。彼女の専門から察するにほとんどが顔彩を兼したものだろう。純粋な薬物とは異なって、その色は鮮やかだった。

大きめの窓から差し込む光はやはり濁った灰色である。雲の畝りはいよいよ不穏なものとなっていた。どうやら夕立が近いらしい。


「………っ、」


痛みを覚えて顔をしかめる。

スネイプの傷口に刷毛で薬物を引いていたヨゼファは困ったように笑い、「無理に傷付けるからですよ。少しだけ沁みますから、我慢して下さいね。」とおかしそうに言った。


「この学校の森の最北にある隻眼の樹から精製した薬です。悪いものの目を眩まして、弱めてくれる力があります。」


ほら、と言ってヨゼファは彼の痕が抉り切らなかった黒い刻印を指先で示す。見ていると、それは次第に薄くなり遂には消えて見えなくなった。

スネイプはそこへと視線を下ろしたままで、「………こんなものは子供騙しに過ぎない…。お前の魔法はいつもそうだ。」と呟く。

ヨゼファは笑みを心弱いものにして「そうですね…。」とそれに同意した。


「仰る通り……これは所詮目眩ましの薬ですから完全に印が無くなった訳ではありません。定期的に塗って、祝福儀礼を施した布で保護してあげて下さい。」


ヨゼファは言葉を続けながら、幾何学じみた魔法陣が薄く記された包帯でスネイプの傷と今は見えなくなっている闇の印を隠していく。


「これが…何になる。何の解決にもならない…。」

「そんなことは無いです。ちゃんと意味はありますよ。」


処置を終えたヨゼファは優しく応え、スネイプの腕から掌を離した。


眼前の彼女の方へとゆっくり顔を上げ、スネイプはぽつりと「ヨゼファ、」とその名前を呼んだ。

ヨゼファはそれに応えて「はい、なんでしょう。」と返す。



「お前……何故こんなこと・・・・・を知っている?」



今しがた手当てされた場所を示しながら、一言ずつ確かめるようにして彼女へと質問した。

ぼたり、と重い水音がした。大きな雨粒が窓へとぶつかる音だ。遂に雨が降り出したらしい。


ヨゼファが小さく息を呑む音を、スネイプは聞き逃さなかった。


椅子を蹴って立ち上がり、彼女の腕を強く掴んで引き寄せる。そうしてその内側へと、ある悪意・・・・を込めて杖を突き立てた。

ヨゼファが表情を歪めて悲鳴を上げる。その反応に確信を得て、スネイプは彼女の腕を覆っていたフィンガーレスの長い手袋を引き裂くように奪い去った。



やはり、思った通りにそこにあった・・・


自分と同じく、死を色濃く彷彿とさせる闇の、漆黒の、呪われて許されない痕が。



「やはり…貴様っ……!!」

スネイプはヨゼファの胸ぐらを掴み、そのまま彼女の身体を力付くで壁一面の顔彩棚へと叩き付けた。ガラス戸が衝撃に激しく震え、飛び出した瓶はけたたましい音を立て床の上で砕け散る。


「スネイプさ、」


何か弁明しようと口を開きかけたヨゼファの喉元へと、スネイプは黒い杖先を突き立てて強く牽制する。彼女は言葉を飲み込み、続けることは無かった。


貴様、何者だ・・・・・・。」


出来うる限り圧を込めた声でヨゼファへと問い質す。


「やはり…ヨゼファ・チェンヴァレンの名を語った死喰い人の残党か……っ」

続けた声は僅かに掠れていた。


「答えろ!!!!」

押し黙る彼女を揺さぶり、叫ぶ。



(信じ始めていたのに)



ヨゼファの色濃い青色の瞳とスネイプの黒に塗れた瞳が、ごく間近でお互いの中身を見据える。

彼女はひどく困惑しているようだったが、やがて無言のまま弱々しく首を横に振った。


「いいえ……。」


彼女の声は小さかった。耳を澄まさないと聞こえないほど…まるで、嘗てのヨゼファ・チェンヴァレンのように。


「私はヨゼファ・チェンヴァレンです。」


しかしスネイプの記憶の中の彼女と異なるところは、声量は小さくともその言葉にはっきりとした意思が滲んでいたことだった。


「私は、ヨゼファ・チェンヴァレンとして死喰い人になりました……。」


ヨゼファの静かな声の背景に、窓を打つ雨の音が重なる。


「そうしてそこから……逃げ出したの。」


彼女はそっと目を伏せてから再度顔を上げ、どこか自虐的な笑みを浮かべた。

暫時そのままで見つめ合ってから……スネイプはようやく杖を下ろし、ヨゼファの押さえつけていた掌を乱暴に離した。

安堵したらしい彼女が、細く長く溜め息を吐く。

襟を正す…手袋に覆われていない彼女の手はへんに白く、妙な気分になる。短い髪もまた淡い明かりに照らし出され、今日の空のように鈍く光っていた。


「私の家…特に母のマリア・チェンヴァレンがとても力の強い闇祓いであることはご存知でしょう。あの方・・・は母の力に懸念を抱いていた。しかし私を使うことをすぐに思い付き…。……精神も肉体も脆弱だった私の魂はさぞかし隙だらけで、彼にとって扱いやすいものだったんでしょうね…。」


雨の隙間から差し込む色の無い灯りをぼんやりと見据えながら、彼女は言葉を続けた。

湿った光明が逆光となり、その目元に影を落とし込む。表情が伺えなくなるが、口元だけはいつものように弧を描いて笑っていた。


「私はあの時…自分のことで手一杯でした。思考する冷静さも、大切なものに対する誠意すらも持ち合わせていなかった……。」


スネイプに押し付けられた棚に寄りかかっていたヨゼファは、ようやくそこから身を起こす。

そして外気に晒されたままだった彼の腕を取り、捲られていた袖を下ろしてやってはボタンをひとつずつ留めていく。留め終わってこちらを見上げてきた彼女の表情は、不思議と穏やかだった。


「ずっと……あの時に、貴方を闇の中に置き去りにしたことが心残りだったんです。だから嬉しいわ。こうやってもう一度出会い直すことが出来て……。」

…………本当に。


雨音に紛れていくヨゼファの声を聞きながら、スネイプは彼女が闇の陣営に加わった時のことを思い浮かべた。


歳の頃から推測すると、まだ在学中だったのかもしれない。自分と同じく緑と銀色のタイを締めた制服姿のまま、かつての監督生だったルシウスに連れ立たれてに引き合わされるヨゼファ。

ヴォルデモート卿はヨゼファの長い髪を一房、労わるような手付きで取っては微笑んだのだろう。そうして当時の彼女の心にひどく堪える優しい言葉をかけたに違いない。


周囲を黒衣の死喰い人に囲まれ、背後のルシウスにそっと双肩を掴まれ耳元で囁かれる。眼前の彼の赤い瞳と応対しながら、弱く笑って頷くヨゼファの姿はありありと想像することが出来た。

何故なら自分も、所詮は同じもの・・・・だったから。


世の中には、正しいことを正しいままに行えない人間がいる。崖底に滑り落ちていくだけと分かっていながら、その道を選ばざるを得ない人種がある。

その者たちの気持ちを、日が差す道を歩んで来た人間は決して預かり知ることは出来ない。

雨が降り注ぐ薄闇の中で相対する、黒衣を纏った二人の孤独な影法師の気持ちなどは。永遠に。




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