道化の唄 | ナノ

 ◇会話 2


「ねえヒストリア。」


呼びかけられて、ヒストリアはハッとしてユーリの方を見た。

彼女は「随分ボーッとしてるね。」と言いながら小さく首を傾げてこちらを見つめ返す。


「ほらさ、好きなの選んでよ。ゆっくりで良いからさァ。」


そう言って、ユーリは暗い店内の中で淡く光るようにしてガラスケースの中に鎮座するケーキの方を掌で示す。

もう、窓の外はすっかりと夜だった。青い闇の中で、黄色い街灯が羽虫を周りに呼び集めては燃えている。


「多分どれも口に合うんじゃ無い?多分この街で一番美味しいお店だと思うからさ、ここ。」


ねー、と言いながら、ユーリはカウンターの内側にいた赤い巻き毛の女性へと人懐こい笑みを向ける。

彼女もまたにこやかにそれに応えるので、二人は可笑しそうに笑い合っていた。


「今日は連れがいるのね?」


ヒストリアがぼんやりと静かな佇まいの菓子類を眺めている間、二人は世間話をするようだった。

赤い巻き毛の店員が愛想よく砕けた口調でユーリへと話しかける。

……仲が、良いようだった。聞くとはなしに彼女達の会話が耳に入ってくる。


「そうそう、だから持ち帰りじゃなくてここで食べていくよぉ。テラス空いてる?」

「知っての通り夜はガラガラよ。好きなところを使って。」

「んふふ、ありがと。」

「…………そういえば、ちょっと前にユーリを連れてきた…あの綺麗な人ね、」

「ああ、ナナバさん。」


ナナバ、という名前を聞いてヒストリアは勢いよく面を上げる。………その痛ましい最後は脳裏に焼き付いて、嫌でも忘れられるものでは無かった。

だがそんなヒストリアとは違い、ユーリは特に顔色を変えずに取り乱した様子も無い。声のトーンも同じ調子で、会話を途切れることなく運んでいる。


「そうそう。元気?結構贔屓にしてもらってたから顔が見えないと寂しいわ。」

「うーん…………。まあ、ちょっと遠くに行くことになっちゃって。」

「あら残念。」

「まあ代わりに私が来たげるからサ。」

「ナナバさんの方が良いわぁ。ユーリじゃ目の保養にならないもの。」

「おぅ、もういっぺん言ってみなさい。」


二人は小さく笑い合った。

店内にはヒストリアとユーリ、そして巻き毛の彼女しかいなかったので、微かながらその笑い声はよく通った。


「まだ決まらない?」


一通り応酬を終えたようで、ユーリがヒストリアへと再び話しかけて来る。

ヒストリアは何も返さなかった。上品で可愛らしいケーキを囲んだガラスケースへと置いていた自分の掌が、情けなくも微かに震えているのが目に入る。

堪えるようにぎゅっとそこを握るが、それが収まってくれることはなかった。


「沢山あるから迷うよねえ、分かる分かる。」


それにユーリは気付いていないのか気付いていないフリをしているのか、構わないでヒストリアの肩を抱き寄せながら明るい声で言葉を続ける。


「じゃあスミレのにしようよ、私の一番のオススメだからさぁ。」


スミレのひとつずつよろしくね、とユーリが巻き毛の女性に注文をした。

抱かれた時に触れ合った彼女の皮膚は少し熱かった。どうやら、普通よりも体温が高いらしい。


続けてユーリは「寒くなってきたから紅茶にはワイン入れて…あ、ちょっと甘くしてもらっても良い?それからひざ掛けも持ってくね。」などなど、細かい注文を加えていた。

彼女が喋る度に、背中に触った柔らかな乳房が微かに震える。声は、女性にしては低めだった。


「分かったわ、後でテラスに持って行かせるから。…料金は少しオマケしたげるわ。」

「ありがと!愛してるよ。」

「………また来てね。」

「勿論。」



ユーリは一度ヒストリアから離れ、店員の女性と抱擁、そして軽く口付けを交わす。

振り返った時に、また前髪の間から青い瞳が覗いた。それを少し細くして、ユーリはヒストリアへと笑いかけた。


「行こう?」


そう言って掌を差し出される。

………少しの躊躇の後にそこを握った。ユーリはそれを引いて、店の奥にポッカリと空いていた扉へと彼女を導いていく。


「あそこを上がるとテラスになるの。今の時間は夜景が綺麗だよ。」


ヒストリアはずっとユーリの言葉を無視しているのに関わらず、彼女は声をかけ続けてくれた。

何とは無しに振り返れば、巻き毛の店員と瞳が合う。

………彼女はゆっくりと目を伏せて視線を逸らした。その佇まいはひっそりとしていて、仄かな寂寞が滲んでいた。

もしかしたら、分かっていたのかもしれない。ナナバがここに来ることが無くなった本当の理由も、ユーリも同じように彼女の前から姿を消してしまう未来が近しいことも。







「上のフロアはちょっと良いホテルになってるからね、建物の感じが変わったでしょ?」


乳白色の石の上に絨毯が敷かれた階段を上がりながら、相変わらずユーリは返事が返ってこない言葉をヒストリアへとかけ続けていた。


やはり、二人の掌は繋がったままだった。

踊り場の壁に十字にくり抜かれた窓には色硝子が嵌っていた。そこから青い闇に包まれた光が床へと斜めに差し込むので、毛足の長い絨毯はしっとりとした光沢を帯びる。

青色の光の内側を通り過ぎる際、ふとヒストリアは「あの、」と声を上げた。ユーリはこちらを振り返らずに、「なぁに?」と返事をする。


「随分、仲良いんですね。」

「ああ、さっきの彼女? そうそう。出会ってからの日付は浅いんだけど、妙に気が合ってさ。」

「………………私たち、って…いつ死ぬか分からないじゃないですか。それなのに、一般の人と懇意にするのってなんだか…お互いに不毛な行為に……思えますけど。」

「まあねー。それも一理ある…」


相槌を打ってから、ユーリは踊り場の上でクルリと身体の向きを変えてヒストリアの方を見た。

どこからか、ムスク系の良い匂いが香ってきた。遠くの方で食器が触れ合う音がする。このホテル内の何処かにあるレストランからのものだろう。

だが、ここは静かだった。まるで世界から切り取られてしまったように。


「でも生きてる時間が短いからこそさ………。好きな人には好きって、出来るだけ沢山伝えておきたいじゃない。」


ねえ。


ユーリはヒストリアの顔の横を通り越して、どこか遠くを眺めながら呟いた。

そうしてまた、足音を立てずに階段を昇り始める。


「……………。さっきの人…恋人なんですか?」

ヒストリアが尋ねると、ユーリは「違うよ?」と前を向いたままで答えた。


「私から見ると…あの人、ユーリさんのこと好き…みたいでしたけど………。」

「あは、彼女面食いだからね。それは間違ってないかも?」


でも、私にはもう好きな人がいるからなぁ…………。


ユーリは小さくそれだけ零して、もう口を開くことはしなかった。

彼女が黙れば、辺りは恐ろしいほどの沈黙に包まれる。

沙耶と弱く風が流れ込んでくる。先程のムスク系のものとは別の匂いがどこからか運ばれてきた。清涼とした、柑橘に似た香りが。

ああ、と思った。

これはきっと、ユーリが空いている方の手で先程から大事そうに抱えている、鉢植えの草からの香りだ。

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