◆告解 2
「……………珍しいな。良く懐いている。」
なんだかデジャヴだった。
自分はどうも厩に来るとぼんやりしてしまう傾向にあるらしい。
またしても声をかけられるまで、背後に人物がいたことに気が付かなかった。
「………………あ。ミケ分隊長。………、どうも。」
そう言って、しっかりとした体躯を持つ上司へと形ばかりの敬礼をする。
………辺りに、少し気まずい沈黙が立ち込めた。
そもそもこの上司は無口なのである。ユーリはどちらかというと軽口が目立つ性分ではあるが、彼の前では別だった。父親の前と同様に。
自分を快く思わない人物との会話でも饒舌でいられるほど、彼女は強い精神力を持ち合わせてはいなかった。
助けを求めるように、今しがたまで柵にもたれつつ鬣を撫でてやっていたミケの愛馬へと視線を向ける。
だが今現在彼は自分の主人の方に夢中となっており、ユーリの方など見向きもしない。この浮気者、と思わず内心毒づいてしまった。
「何かご用ですか?だったらすみませんね、探したでしょう。」
早いところこの気まずい沈黙から解放されたいと思い、ユーリは早口に言葉を紡いだ。
「……………………………。馬が、好きなのか。」
だがミケはその質問には答えず、自身の愛馬の顎の辺りを触ってやりながらポツリと尋ねて来る。
「今日は…特に掃除を割り振られているわけでも無いだろう…。」
ミケはこちらを見ようとはせずに、散漫な言葉を投げかけて来るに留まる。
その様を訝しげに思い、ユーリは少し眉根を寄せた。
「別に……。ただ、暇なんで。」
「暇………か。なら執務室に来い。いくらでも暇を潰してやるぞ。」
「い、いやぁ……嘘です。暇じゃ無いですよ、全然…」
あはは、とユーリは心弱く笑った。
…………昨日に引き続き、この上司たちは何なのだろうと心の底から疑問に思った。
何か指示を与えるわけでも、進言をするわけでもなく。薬にも毒にもならないような言葉をポツリポツリと紡いで来るのだ。
「………………い。いえ、好きなんでしょうね。やっぱり。」
今日は、それに応えてみることにしてみた。
少し吃ってしまった。自分の胸の内を晒すことがこんなにも緊張を要するのかと、些か驚く。
「ミケ分隊長の馬は……良い馬ですよ。人の気持ちが分かるみたいです。私は喋るのが苦手なので、それが有難いんです。」
「苦手なのか?良く喋る方だと思っていたが。」
「…………………苦手ですよ…。申し訳ないですが、今だっていっぱいいっぱいなんです。」
ユーリは弱く笑って、今一度ミケの方を見上げた。
今度は思いがけず、青灰色をした彼の瞳と視線が合ってしまう。急いで逸らした。顔を見られる恐怖と共に、人の瞳の中を覗き込むこともまたユーリにとっては恐怖だった。
(………私、いつからこんなに臆病になったんだろう。)
地下にいた時は、何も怖く無いと思っていた。
………自分は強かった。腕っ節も、精神も。自信があったのだ。
でもそれは狭い壁内の更に狭く局部的な場所での話。
この暖かで優しい場所には希望がある。希望ほど厄介なものは無い。可能性を感じて夢を見てしまうから、それが裏切られた時の恐怖も殊更なのだ。
(羨ましくて、憧れちゃったんだろうな。)
(でも、無理でしょ。さっさと諦めて。今ならまだ、傷は浅くて済むもの。)
(……………………………。何度そう思っても、諦められない……………。)
愛されたいだなんて、過ぎた願いを。「……………そうか。それなら、動物を話し相手に選んだ判断は中々懸命だったのかもしれないな。」
ミケの言葉に、ユーリはハッとして思考を現実に戻す。
咄嗟にその方を見てしまうので、今度こそ自分の垂れた前髪の狭間で彼と瞳が合ってしまった。
…………ミケは少し首を傾げ、「随分と鬱陶しい髪型をしているな。」と呟いた。
「こればかりは装置の扱いとは違って何のマニュアルも無いからな。自分で解決方法を探るしか無いんだ………。」
ミケは愛馬の褐色の毛並みをゆっくりと撫でてやりながら、その手つきと同じように緩やかな口調で言葉を紡ぐ。
ユーリはそれを黙って聞いていた。自然とまた、下唇を噛んでしまう。
「ユーリ。焦るな。」
ミケは愛馬から手を離し、こちらへと向き直って静かに言う。
低い声が印象的な人物だなあ、とユーリはぼんやり思った。
「自分のやり方で良いんだ……。それは間違っていない。まずは動物……それで、次は…そうだな、子供とか…年が離れた人間が良いんじゃ無いのか。」
「…………年が、離れた。」
彼の言葉を鸚鵡返して少しの間見つめ返すと、ミケは「ん…まあ。確かに俺もお前とそれなりに年が離れていたな。」と言って苦笑した。
ユーリも何だか小さく笑ってしまった。そのままで、「じゃあ少ししたら、私の話し相手になってやってくださいね…。」と軽い口調を心がけて言う。
……………ミケはそれには応えなかった。
ユーリの胸の内は鈍く痛む。忘れていた。彼は自分のことを良く思っていなかったのだ。また、別の種類の笑いを漏らしてしまう。
そしてユーリは話を切り上げる為に「ありがとうございました。」と礼を述べた。
だが、彼はこの場所から去ろうとはしなかった。
何かを言いかねているようにして、口を僅かに開いたり閉じたりしている。
「…………ユーリ。」
ようやく、意を決したように名前を呼んで来る。
「お前の過去のことを…少し、知っている。………強いられていたんだろう。褒められたことでは無いが、そのことであまり自分を追い込むのも……何かと、考えものだ。」
ユーリは目を伏せて、彼の穏やかな瞳の色から逃れるようにした。
そして自分の方へと鼻先を差し出してきた馬の皮膚にそっと触れながら、また小さく笑ってしまう。
(…………やだ、泣きそう。優しい人だなあ。)
(でも…………、……………。)
ユーリは伏せたままだった瞼を緩やかに閉じて、一度深呼吸をした。
再び瞳を開けて、発言する。声が震えないようにと気をつけながら。
「確かに、自分の身を守る為に…仕方なくって言うのはありますよ……。でもそれが嫌なら、抵抗すれば良かったんです。……矜持を貫いて飢えて死ぬ道だってあります、私は結局どれもしなかったんですから………ねえ、あはは……」
「………………………。」
「やっ……、や、やっぱり。どんなことも……人を傷付けて…殺して良い、理由にはならないと思います………よ。」
馬を撫でてやる自分の手の甲へと伸びる火傷と切削の痕を眺めて、呟く。
気を付けていたのに、隠しようのないくらい声が震えてしまった。
堪えていた涙が頬を滑っていくのが分かる。
………どうやらミケはそれに気が付かないふりをしてくれているらしい。
厩は静かだった。昼下がりの弱い光が、入り口から斜めに差し込んで来るだけで。
リクエストBOXより、
・ナナバさん
・ミケさんの馬と主人公の小説。動物相手なら多少は素直になれる主人公はいかがでしょうか?
から追加させて頂きました。
素敵なネタをどうもありがとうございました。
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