◇納得
「触るな。」
壁上で意識を失いかけていた父親のところへと駆け寄って、肩を貸そうと手を差し伸べた時だった。
その時彼から放たれた言葉は微かながらも非常に鮮烈であり、ユーリの脳裏に焦げ付くような感覚を齎した。
(………………………。)
行き場を無くした手を中空に留めていると、エルヴィンはちら、と娘の掌を横目に見る。
「汚らしい。」
あまりにもか細い声だった所為で、騒然としていた周りの兵士たちには聞こえていなかったらしい。
だが、ユーリは確かに聞いた。朦朧としながらも自分への嫌忌だけは忘れない父親の言葉を。
空中に縫い止められたままの自分の手を眺める。巨人の血液と泥とで、元の皮膚色が分からない程に汚れていた。
(確かに、汚い……。)
妙に納得した気分になりながら、ユーリは固まっていた身体を解すようにそれをヒラヒラと動かす。そうして触らないから安心しろ、と父親へと行動で示してやった。
…………それ以上言葉を交わす暇もなく、兵団の長である彼は別の兵士たちの手によって処置がなされ運ばれていった。
それをただただ見送りつつ、ユーリは少し肩を竦めた。
そうして先ほど新兵の少女…例のレイス家の隠し子だ…から受け取ったものを懐から取り出し、今一度中身を改める為に包んでいた布をそっと解いた。
ミケの掌は、既に肉が変色して浅黒くなっていた。ここから元の彼の姿を彷彿することはとても出来そうにない。
「はは………」
ユーリは心弱く笑う。
そうして、自分のことを世界で唯一綺麗だと言ってくれた人は本当に死んでしまったのだなあ、としみじみと実感した。
*
そっとドアの隙間から、ユーリは室内を伺った。
だが既に灯りが落とされている時間帯だった為に、中の様子はまるで分からない。室内の人物はもう寝ているのだろうか、起きているのだろうか。それすらも……。
……彼が腕を失ってから数日と経っていないのにも関わらず、日が高い時は様々な人間がここに出入りしてはその身体を休ませることはさせなかった。
ユーリも勿論リヴァイに連れ立たれて彼の元に訪れる用事はあったが…結局、行くことはしないでいた。
(私の顔なんか見たら、貴方余計に具合悪くするでしょ…)
ユーリは先ほど街で購入した鉢植えに視線を落とす。………見舞い用に、綺麗な花でも買ってやろうと思っていたのだ。
だが、どういうわけか今自分の腕の中にあるのは花も色気も無いこの植物である。明らかに選択ミスをした。これがユーリからの見舞い品であることを差し引いても、父親が喜ばないことは容易に察しがつく。
(いや……。どちらにせよ、あの人は私からものを贈られたところで迷惑にしか思わないんだから。)
(でも…………。)
ユーリは店の隅に追いやられていたこの鉢植えの姿を思い出し、少し力を入れて抱き直す。
「大丈夫。貴方は私がちゃぁんと可愛がるから…ね。頑張って、一緒に春を迎えよ?」
そう囁いては結局…ユーリは細く開けていたその扉を閉じ、鉢植えを持ったままで元来た廊下を引き返す。
足音を立てずに歩きながら、ユーリは今一度笑った。
……兎にも角にも、父親がこの世に命を繋ぎとめてくれたことに安堵した。嬉しいと思う。
だが、彼はいつもどうなのだろう。
ここに来てからというもの、ユーリは父親から頼まれた仕事によって何度か死にそうな目に合ってきた。
その度に、彼は何を思ったのだろう。
少なからず、生き延びたことに安堵をしてくれた?それとも死んでしまえば良かったのにと思った?
(いや、どちらでも無いのだろうな……。)
何も感じなかったに違いない。
お父さんは、私に興味がない。
*
そしてユーリは浅い眠りにつく。
幸せな夢を見たらしいが、内容は目を覚まして数分後には忘れてしまった。
それでも誰の夢かはよく覚えていた。それすらも忘れることが出来たら良かったのに、と心から思った。
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