道化の唄 | ナノ

 ◇預言 1


「げっ、」


周囲の気配を伺いながら、調査兵団の公舎構内を素早く移動してたコニーである。

だが相当に気を付けていたのにも関わらず、曲がり角出会い頭にバッタリと人と出交してしまった為に思わず声を上げてしまう。


向こうもまた急に飛び出してきたコニーに驚いたらしい。「おわ…」と間抜けな声を漏らしては、こちらの顔をまじまじと見つめる。


「ごめん、大丈夫?怪我はなかったぁ?」


声を聞いて、コニーはようやくそれが誰かを理解した。

ユーリは濡れた髪を首にかけたタオルで適当に拭いながら、いかにも気が抜けた声色で彼へと話しかけてくる。どうやらシャワーを浴びた直後らしく、シャボンの香りが仄かに漂ってきた。

………この人間はつくづくよく分からん、とコニーは思った。

ウドガルドの城壁の天辺で巨人の血液に頭から塗れた豪腕でグロテスクな印象、上司たちと声を潜めて会話を交わしては音もなく立ち去っていく影のような印象、そして今の間の伸びた有様。

それぞれが一致せず、ちぐはぐとしか思えなかった。


「いや…こっちこそ。不注意で申し訳ない…です。」


慣れない敬語を一生懸命に使いながら、コニーは左右を間違えないように殊更気をつけて敬礼をする。

しかしユーリは「いいよぉ、別に敬礼は。」と言って少し肩を竦めた。「見ての通り完全にオフだからね、今。」と付け加えて。

そうしておもむろに耳にかけていた長過ぎる前髪を元の場所に戻す。なのでコニーは彼女の顔について、瞳が青色だったことくらいの情報しか認められなかった。


「いや、今バリバリ勤務時間内……っスけど。」

「私は昨晩チョット時間外に仕事したからねえ、おやすみもらってんのよ…とはいえ、休んでる場合でも無いからもう少ししたら戻るけど。」


ユーリはクァ、と猫のように欠伸をしながらコニーの言葉に応対した。

そして相変わらずの長い前髪の間から探るようにして彼を見下ろし、「で……勤務時間内の貴方はコソコソとどこ行くつもりだったのぉ?」と意味ありげで楽しそうな表情をして聞いてきた。


(やべえ…!)


コニーは分かりやすく動揺を顔に出し、「ちょ、ちょっと便所に…ハハ」と上手とは言えない嘘をつく。

ユーリは少し考えるように「んー……?」と首を傾げて斜め上を見る。それから「トイレはこっちの方向と違うんじゃなぁい。」と言っては「ん?」とニヤとした表情のままでコニーの顔を覗き込んでくる。

ユーリとコニーは暫しそのままでお互いを見つめ合う。彼は額から冷や汗が垂れるのを感じつつ、ただただ苦く笑うことしか出来なかった。


「まあ迷っちゃうよねぇー、分かる分かる。この建物変な増築の仕方してるからさぁ。」


だがユーリはすぐに笑い方を人が良さそうなものにして、コニーに理解を寄せるように数回頷いてみせる。

そして自然な動作で彼の手を取って、「こっちだよ、案内してあげる。」と言っては軽やかな足取りで歩き出してしまう。


「いやっ…違くて、」


コニーはなすがままになりつつも弁明を口にする。ユーリは不思議そうに彼の方を振り返り、「え?トイレ行くんだよね。」と確認してくる。


「あっ…、そ、そうだけどそうじゃなくて!!」

「え?なに、ここで漏らされたら私嫌だよ。」

「いや漏らさねえから!」


コニーは勢い余ってユーリの手を振り払うが、すぐに我に返って「あっ、スイマセン」と謝る。

彼女は特に気にした様子もなく、「………ううん、こっちこそついはしゃいじゃってゴメンね。」とやや申し訳なさそうに言う。


「はしゃいで?」

「そうそう……。私の下の代って何年か新兵がいなかったから。だから先輩ヅラできたのがチョッと嬉しくってさぁ。」


ユーリはニコニコとしながら、未だ水分を含んだ髪を今一度タオルで拭った。

コニーはその様を眺めながら、「随分妙な時間に入浴するんスね…?」と呟く。


ユーリは「夜に入りそびれてね。」と応えながら苦く笑った。


一日くらい入らなくても死ぬわけじゃあるまいし、とコニーは今一度首を捻った。

夜に仕事をしていたのなら、今は睡眠時間に充てた方がよっぽど効率的だとは思うのだが…やはりユーリもその辺りくらいは女性らしい側面があるらしい。

その時のコニーは、ユーリが昨晩のうちに処理をした仕事は書類の整理くらいだろうと考えていたのだ。


「あ、」

ユーリは一度離したコニーの掌を再び握って持ち上げながら、何かに気が付いたように声を上げる。


「ねえコニー君、ここ怪我してる。」


そして彼の袖を少し捲って、傷口が固まり始めていた引っかき傷を指差した。

…………コニー自身もそれに気がついていなかったので、「おわ、マジだ。」と呟く。


「もう血は止まってるけど、一応保護しとく?」


また傷が開いたらきっと痛いもんね、そう言ってユーリは小さくまとめられた救急道具をどこからか取り出して、ピッとコニーに示した。

「風呂上がりで良かった、ちょうど私が取っ替えるのに使ったものの余りがあるから」

と愛想良く言いながら。


自分の傷口が手際よく隠されて行く様を見下ろしながら、コニーは「慣れてますね…」と思った感想をそのまま口にした。

ユーリは可笑しそうにしながら、「そりゃあねえ」と言う。コニーは彼女のV字に開いた襟元から覗く傷跡の腐ったような肉色を認めては、「あ、すいません…ス、」と実に気まずい気持ちになりながら謝罪した。


「良いよぉ、全然気にしてないからさ。……でもこんだけ怪我しても私は結構長いこと手当が下手でね。今の貴方みたいに、よく人のお世話になってた。」


白い包帯で隠されたコニーの傷口の上を、ユーリは細長い形の爪先でクルクルと軽くなぞった。

そして「早く良くなりますようにー」と呟いては緩慢な動作で手を離す。悪戯っぽく笑う少し厚みのある唇がいやに印象的だった。


それからユーリは、ちょうど二人が佇む廊下の脇にポッカリと浮かんでいた窓へと視線を向けた。

秋らしい黄金色の光が斜めに差し込んでは、床に敷かれた鈍色の石を白く照らしている。


「………ね、コニー。私はね、貴方がコソコソとどこに行こうとしてたか、分かる気がするよ。」


そこをゆっくり横切って落ちていく紅色や黄色の枯葉を眺めながら、ユーリはポツンと…しかし当たり前の会話の延長線上にその言葉を置いた。

コニーはコニーでハッとするが、ユーリは特に咎める訳でも苦言を呈す様子でも無かったので、そのまま何も言わずに…彼女のほとんど前髪で隠された白い顔を眺めていた。

ユーリは首を傾げてそんなコニーの方を見る。そして「お気の毒だった。」と呟く。「貴方のお母様。」と続けて。

まさに渦中の出来事・・・・・・に触れられ、彼は脳髄の奥に真っ白い何かが爆ぜた感覚を知覚した。反応して、身体が弾かれたように動く。だがそれを制する為にユーリがコニーの顔面近くへと掌を翳し、彼の動きを留めた。

ユーリの女性にしてはやや大きめな掌の指と指の間で、コニーのオリーヴ色の瞳と彼女の薄氷色の瞳がぶつかり合った。

前髪が形作る色濃い影の中でチャチなガラス玉のように鮮やかに光る瞳には、不思議と威圧の気配は無かったが…それでもユーリは硬い口調で「ダメだよ。」とその姿勢を保ったままで言う。


「今のうちらにとって…立体機動がまともに扱える人材は最早貴重な部類なの。今貴方が単独で行動して何かがあったら、皆がすごく困る。」


ユーリは掌をゆっくりと下ろして、コニーの顔を探るように眺めた。

そうして言葉を続ける。


「分かんないことが多すぎるよね。誰が味方で誰が敵かもまるでね、だから迂闊なことウゴぅあっ」


だがコニーのタックルとも頭突きともつかない攻撃をまともに受けた彼女はなんとも言えない声を上げてそれを中断する。

彼は間髪入れずに自分の行く手を遮っていたユーリの脇を通り抜けて走り去ろうとするが、呆気なく腕を捕まえられた為にそれは構わなかった。


「すみませんス、悪いけど離してください!!やっぱオレ行かないといけないんです!!!」

「いやいやちょちょちょっと、貴方私の話聞いてたぁ?大体ハンジさんにも止められてたでしょ、」

「オレの行動がバカだって自分だって分かってますよ!!でも行かなくちゃいけないんです、後でなんでもしますからこの手を離してください!!!」


力一杯そこから逃れようとしているのにビクとも腕を離してくれないユーリへと、コニーはなりふり構わずに正直過ぎる言葉をぶつけて訴えた。

ユーリは明らかな戸惑いを表情に浮かべるが、やがて何かを考えるようにして古びた木の桟で区切られたガラス窓を今一度見る。そして暫時経過後、コニーへと向き直っては掴んでいた腕をゆっくりと離した。

少し膝を折って自分と視線の高さを合わせたユーリから、コニーもまた逃げることはせずに、濡れた前髪の奥にチラと覗くその瞳をじっと眺めた。

…………何故か、彼女は自分の話をきちんと聞いてくれるだろうと言う安心感があった。

それは恐らくユーリがコニーと同じようにあまり賢くない人種に分類されることに由来するのだろう。この性質の為の苦労を、よく分かってくれている。


「ね、ラカゴ村にはもう誰も何もないことは散々確認したよね。一つずつの家の天井裏から床下まで。」


コニーは無言で頷く。

そうして「分かってるよね…。」と念を押してきたユーリに、「…分かってます。」と応対した。


窓の向こうで風に煽られた梢が形作る光と陰が、彼女のハッキリとした顔立ちの側面をなぞりながら形を変えていく。

どこかで何者かが雑談に興じるような明るい声がささやかに聞こえてくる。

だが二人が佇む廊下は静かだった。


「貴方の故郷にもう一度舞い戻ることによって得られる収穫なんて期待できないし……行っても無駄で、何にもならないと思うよ。」


ユーリはそれを受けて当たり前の事実を滔々と述べるが、その声色にコニーを咎めるような響きはまるで無かった。

だから特に萎縮することはせず、彼は先輩兵士の少し低めの声で紡がれる言葉を黙って聞いていた。


「………それでも、これはきっと大事なことなんだろうね…。」


彼女はコニーに話しかけるというよりは独り言のように零してから、小さく一度頷いた。

そして「よし、」と呟いては姿勢を正す。コニーは何がよし、なのかよく分からなかったので、訝しく思いながら筋の通った彼女の身体を眺める。


「良いと思うよぉ。私は貴方みたいに真っ直ぐな人が好き。」


ユーリはニッコリと笑って、何やら嬉しそうにして言った。

唐突に褒められたコニーは面食らい、そのまま何も反応出来ずにいたが…彼女は構わずに彼の双肩に掌を置く。

相変わらず見え辛い素顔だったが、それでも嬉しそうに瞳が細くなっているのが分かった。

…………変に、母性じみたものを感じる。コニーはどういうわけか懐かしい気持ちになった。


「でもね、それなら私も一緒に行くよ。今のコニーをここから一人で外に出すことは出来ない。」

「はっ?……いや…。え、それは流石に悪いんで良いです。大丈夫ですよ、オレ逃げ足だけは早いんで。」

「危険だからっていう理由だけじゃないの。お分かり?」


悪戯っぽく質問されるが、コニーにはなんのことだかさっぱり分からなかった。

なので「いや、訳分かんないので教えてください。」とそのまま口にすれば、彼女は「んふ、分かんないンならそれで良いんじゃない?」と殊更楽しそうに返事をした。


「それにね、兵団の人に無断で外出したことがバレたら私の所為にすれば良いんだから。あらゆる意味で二人で行動した方がコニーにはお得よ……。元より貴方らの行動は上司の私の責任のひとつだし。」


ユーリが再び手を引いて歩き出すので、コニーは逆らわずに従った。

隣に並びながら、コニーは「上司?」と自分よりも少し背が高い彼女へと話しかける。ユーリは「そうよぉ」と機嫌良く答えた。


「私はつい最近貴方ら新兵を任されたの。これからよろしくねえ。」

「ふーん…。じゃ苦労しますね、オレら結構面倒な事情の奴らが多いんで。」

「全然気にしないで良いよぉ、苦労が無い仕事なんて無いんだからサ。」


ユーリは安心させるように快活な表情で笑いかけてくる。……思ったよりも彼女は陽気で人が良い性質らしい。

今の状況が状況だけに、そのふざけた態度がコニーには有り難かった。


ふと彼女が立ち止まり、「あ、でも流石にちょっと準備してきて良い?このまま外出たら風邪ひいちゃう。」と言って自分が着ていた薄手のシャツを引っ張って示した。

コニーは「ああ、」とそれを眺めて言う。「そういや風呂上がりでしたっけ。」と続けて。


「待っててね。一人で行っちゃダメだよ。」


掴んでいた後輩の腕を離しながら、ユーリは念を押すように言葉をかけてくる。コニーはひとつ頷いて了承した。ユーリは笑って「ありがと、」と礼を述べてくれる。


コニーは…昼下がりの光に照らされた彼女の髪が淡く反射している様を眺めながら、「あの……やっぱオレ、もし今回のことがバレてもユーリさんの所為にはしませんよ。」と立ち去ろうとしていた彼女へポツリと声をかけた。

ユーリはその発言の意図が分からなかったらしく、不思議そうな表情をした。しかし黙って、彼の言葉の続きを待つらしい。


「でも…なんていうか、オレ一人で怒られんのは正直キツイんで、一緒に怒られて下さい。」


言ってて恥ずかしくなり、コニーはユーリの顔から斜め下へと視線を逸らす。

窓から差し込む陽光が、古い石造りの床へと鈍く照り返すのが眩しかった。


ユーリは「それは名案…」と言ってコニーの頭を二、三度軽く叩いては、可笑しそうにくつくつと笑った。

「一緒にごめんなさいだねえ。」と、彼女は幼い少女のような口ぶりで言う。「まあ見つからないようにするのが一番なんだけど、」と肩をすくめつつ付け加えて。

そうして差し出された拳にコニーもまた軽く拳を合わせて、不思議と愉快な気持ちになりながら「そっスね」と小さく相槌を打って、笑った。

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