◇咆哮 2
「ヘイヘイヘイヘイヘイヘイ、こいつァどういうことよぉ。もう日が沈んでんのになんでオタクら動いてんのよ。」
掌だけとなってしまった男の肉片を掴み上げては、間抜けた声でその兵士は質問をしてきた。そして哀れな姿となってしまった彼の一部とこちらを見比べてはハアと溜め息をする。
「よっくもまァこんなキレイな食べ方してくれたよねえ?骨まで食べるとかお行儀が良いんだか悪いだか。」
ったくよォ、と言って彼女は心底嫌そうな顔をしてこちらのことを斜めに見上げてくる。
…………ジークは応えてそれを見下ろしてから、『えーっと…』とゆっくりとした口調で呟いた。
「うわ、貴方喋るんかィ!!!!」
それに驚いたようにして彼女は大袈裟なリアクションを取る。そして小さな声で続けて「オゥ…マジかよ……」と呟いた。
(まぁ……良いか。)
それを眺めながら、ジークは僅かに首を傾げた。
例の装置の解明は先ほど無知性の巨人たちに食らわした男のものだけで事足りるだろう。とりあえず眼前の兵士は相手にせず、さっさと食らうなり潰すなりして終わらせてしまおうと、如何にも面倒臭く思いながら考えた。
『良いよ、それもさっさと食べちゃって。』
そしてその様に周囲へと命じる。
大勢の巨人が動き出したのを見て、女は「ヤベェ」と呟いて持っていた男の掌を素早く懐へと収める。
「ヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイ!!!!!話が出来んならちょっとは会話に興じてくれても良いじゃないかっ!!!!歩み寄る努力をしようよ、暴力と戦争は良くない、こんなのガキの頃に道徳で習うあったり前のことじゃんか???ねえ?????」
女は巨人の上腕へとアンカーを打ち込み、自身を上空へと運んでから、傍にあった木の枝へと動きに幾許かの遊びを持って着地をしつつ訴えてきた。
『話すことは何もないよ。ただただ大人しく食べられてもらえれば、それで良いし。』
「いやぁー……。そっちが良くてもこっちは嫌だよ………。食べられんの痛いし。」
『大丈夫、そこまで痛くしないから。』
「いやいや、そう言って男っつーモンは皆痛くするんだよねえー…。」
あ、貴方が男か女かは知らないし興味ないけど、と彼女は木上で軽く肩をすくめてみせた。
「………兎にも角にも、ね?私は私の可愛い後輩たちとそんなに可愛くない先輩たちの為に、ペロリと食べられてしまった上司に代わって貴方らをどうにかしなくちゃぁいけないんだけど………」
そこまで発言して、彼女は自身を取り囲む巨人たちをグルリと見渡す。
『……………一人でこの人数は、ちょっとキツイと思うよ?』
その様を眺めながら、ジークは耳の後ろをカリと掻いて呟いた。
彼女はヘラリと笑ってから、「ウぅン、私もそんな気がする……」と力無く応答する。
そして今一度ジークのことを斜めに見上げてきた。長く垂れた前髪の間から、彩度の高い青色の瞳が覗いた。
「でも、このまま何もしないでいるのはメチャ癪なんだわァ」
一言そう呟いて、彼女は自身へと掌を伸ばしていた巨人の指の数本ほどを刃で斬として切断した。
その後の行動に躊躇は無かった。別の巨人の瞳へとアンカーを突き立てる。柔らかい肉が潰れる嫌な音がした。それを伝って彼女が巨大な顔のすぐ傍まで身体を運ぶので、巨人の首はおかしな方向へと捻れる。
『自分から顔の近くまで行くなんて、度胸あるよねぇー…』
「そりゃぁねえ、サーカス出身なもんで度胸だけはあるんよ。良く素人のナイフ投げの的とかにもされたしねぇっっっっっ」
自分の方へと向いた巨人の顔から鼻を削ぎ落としながら、彼女はジークに応対した。言葉を発する度に赤色の唇から白い歯が僅かばかりに覗く様が嫌に生々しく、印象的である。
鼻を削がれた巨人が獣に似た声を上げては女の腹の辺りを食らおうと歯を剥きだす。彼女もまたその粘膜に覆われた浅黒い喉の奥へとブレードを突き立て、そのまま舌を切り取る。刃は切れ味が悪くなっている様である、だから叩き潰すようにして幾度も乱暴に執拗に。
それに伴って、甲高い絶叫が彼らの口から上がる。辺りの静けさは一変して阿鼻叫喚の図となった。
面倒に思ったジークがそろりと長い腕を女の方へと伸ばすが、どうやら彼女の狙いは今ここにいる巨人たちを倒すことには無いらしい。
一体の顔…(なるほど、先程の男をより多く食らっていた個体だ)を破られた柘榴に似た…それこそ取り返しのつかない状態にしたことに満足したのか、迅速に頸を削いでは傍の民家の壁へとアンカーを突き立てる。
そして彼らの腕から逃れる為に素早くコーナーを曲がり、あっという間に姿を消して行ってしまった。
……………消えた方角を見ると、そこは鬱蒼と樹々が茂る森だった。
その方角を眺め、ジークは顎の辺りを触ってしばし考えを巡らす。
『………放っといても良いんだけど、結構強かったよね…彼女。』
この謎の装置の使い方もうまかったし。と呟いて、ジークはまた耳の裏をカリ、と掻いた。
『5体くらいでいっか………うん、多すぎ?でも用心に越したことは無いよね。』
そう言って、促すようにして彼らを女が消えて行った森の方へと差し向ける。
指示を与えられた巨人たちは、ゆっくりとした足取りで彼女が潜伏する森へと歩みを進め始めた。
『泥試合に持ち込んだつもりだろうけど…しんどいのはそっちだよ?………まぁ、頑張れ。』
黒々とした森を一瞥し、ジークもまた歩き出す。掌中の装置を見下ろしては、『しっかし面白いこと考えるなー…』と呟きながら。
*
空気は冷たいというのに、脂汗と冷や汗が止まらなかった。
そしてその汗の匂いに引き寄せられて、小蝿が鈍い飛行音を鳴らしながら近づいてくる。
……………ありえない、とユーリは思った。追ってくるとは予想できたが、まさか五体もの巨人を差し向けるとは。
(えぇー…なに、あの人たち暇なのォ……?)
クソ、と小さな声で悪態を吐く。
おっといけない、と口元を抑えるが……もう、自分の口の悪さを諌める人物はいないことに思い当たって心弱く笑った。
(まぁ……でも、今の厳しい状況は悪くはないのかもね…私にとって。勿論良くもないけれど。感傷に浸ってる暇も無し。………正直全然実感湧かないよ。ミケさんはもうすでにゲルガーたちと合流してるような気すらするし。)
………しかしながら、自分の懐に入っているのは間違いなく彼の掌なのである。
つい昨晩まさに自分の身体に触っていた指が、もうすでに硬く固まり始めては布越しに皮膚…乳房の上、その奥の心臓へと冷えた感覚を齎していた。
(…………………………………。)
班から離脱して囮となったのはミケの独断だった。
マズい、と思ったのかゲルガーが「お前はついて行け、さっさと終わらせるんだ!!こっちも人が足りねえ!!!」とユーリへと怒鳴る。
頷いて彼女は愛馬を方向転換させてミケの後へと続いた。
……しかしながらミケは随分と馬を奔らせているようで、既に彼とユーリの距離は随分と隔たっていた。
「待ってよ、ミケさん…!!」
と思わずユーリは叫ぶが勿論それが彼に聞こえる筈は無い。
遠ざかって豆粒のようになりつつある彼の背中を見失いつつもどうにか同じ方向へと向かうが、何かに怯えた愛馬はやがて前進を拒否する様になった。
仕方がないと思いその背から降り、「後で迎えに来るから待っててね。」と落ち着かせてやる為に黒い鬣を一度撫でる。
そして今度は自らの脚で、鈍色の夕焼けが斜めに照りつける大気の底を泳ぐようにして疾り…奔って…………白濁した斜陽と迫り来る青い宵闇の狭間で響き渡った、彼の叫び声を聞いた。
ーーーーーーーー空間を掻き毟るが如くだった。
それが今もなお遠く近くに残響して、むしろ冷静さを取り戻した今こそまざまざと、すぐ傍で叫ばれているように。
(…………私の、名前…?だ、ったよね………。)
ユーリは口元を抑えていた指先で、そっと自分の唇をなぞった。
この場所は、彼からの愛情深い口付けを最も多く受けた場所。………それが二度と行われることが無いのが、未だ信じられなかった。
ハァ、と溜め息を吐く。
それなりに生きていれば最後の時に思うことは色々あるだろうに、よりにもよってミケが今際の際に口にしたのはユーリの名前だった。
その為にそれ故に、自分はこれから一生涯彼の断末魔、その言葉に囚われ続けるのだろう。
(………全く。これで嫌でも貴方のこと忘れらんないじゃんか。まぁ…忘れるつもりもなかったけどサ。)
今一度ユーリは心弱く笑った。
…………鬱蒼と茂った陰気な樹々、灰色の葉の隙間から辺りの様子を伺う。
森に放たれた巨人は間違いなくユーリの気配を察しているらしく、五体が五体ともすぐ周囲を脚を引きずって彷徨っていた。
ユーリは軽く舌打ちをした。
確かに森は立体起動には打って付けなのだが、何分時間が時間なのでこちらの見通しが最悪である。
だが火でも灯そうものならばすぐに居場所を悟られてしまうだろう。
(………………うーん。)
ユーリはそっと姿勢を変え、ほとんど装置を利用せずに三つ先の大木の方へと枝を伝って静かに身体を運んだ。
身軽さは彼女の強みのひとつだった。こういう時はサーカス出身で実に良かったと思う。火と同様に、装置の起動音も十分に彼らに自分の場所を知らしめる要因になってしまう。
(………………。良いよ、私結構我慢強いから。根比べは望むところでございます?)
ユーリはそっと目を細める。
こういう時にジタバタしても泥沼にハマるだけなのは、経験上よく分かっていた。落ち着いて焦らずに流れに身を任せてみる。そうすれば、いつかは必ず水面に浮かび上がって太陽を拝むことが出来る。
(……………太陽か。光…。)
暖かい光を思えば、それは優しい彼の貌へと結びつく。
本当に、うんざりとした気持ちになった。
せめて………これ以上に犠牲は出ないで欲しいとユーリは切に願った。
先ほども思ったが、今は状況が状況なだけに悲しんでいる暇はないが…実感が伴った時、自分は確実に打ちのめされる。
だが間違いなく犠牲は更に多く、膨大に…もしかしたら自分も含めることになるのだろう。
(…………嫌な世の中。なんで皆が幸せに生きることが出来ないんだろ。)
心底嫌な気分になって、ユーリは今一度舌打ちをした。
*
だから、城壁のてっぺんに彼らの姿を認めた時に心底安心したの。
確認を取れば、ウドガルド城に逃れた104期生はなんと全員生きているらしい。
…………こんなにも誰かの無事が嬉しかったことがあっただろうか。
切羽詰まった状況にも関わらず、胸の中が幸せで目一杯に満たされるような気持ちになった。
ミケさんは、丸腰で戦場に身を置かなくちゃいけないこの子たちのことをすごく心配していたから……
(ミケさん……!!良かった、皆生きてるよ………!!!)
身体から滴る巨人たちの血液も気にせず、ユーリは彼らのところに走り出して力一杯抱きしめてしまいたくなった。
しかしそれは自分の身体の汚れを思い出して我慢し、
「……本当に良かった………。」
と心の内を口にするに留めた。
………だが自分の軽薄な物言いでは、この気持ちは彼らにまるで伝わらないのだろう。
(でも……それで良い。)
今まで通り、私は適当でだらしなくてどうしようもない兵士で良いのだと思う。
先輩になったからと言って、敬愛する上司が随分と多くいなくなってしまったからと言って、無理に自分を変える必要も無い。
ミケさんにナナバさんに、ヘニングとリーネ、そしてゲルガーにそれぞれのやり方があったように、私にも私のやり方があるし……それは間違ってはいないのだろう。正解でも無いだろうけど。
(まあ……でも。あんなに素敵なミケさんが好きになってくれた私だよ…?自分にそこそこの自信を持っても、まァ許される筈。)
そして眼前のこの子たちは、ミケさんがずっと身を案じていた…彼の、そして私の可愛い後輩で部下だった。
彼らが見ていてくれるなら、精一杯頑張って兵士の務めを果たそうと思う。
適当でどうしようもないけれど、ちょっとは格好良く貴方たちの目に私の姿が映ったら、良いかもね。
道化の唄 第三章 Rondo
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