道化の唄 | ナノ

 ◇咆哮 1


肉厚とも言える頸が巨体から切り出される。

相当の力と速さで斬撃が加えられたのだろうか。肉片は中空へと放られて、断たれた皮膚から蒸気を伴った血液が活栓のように吹き上がった。

ユミルの…ユミル自身を含んだ巨大な肉体を貪ろうとしていた巨人のうち一体がそれによってグラリと力を失い、城壁から離れて大地へと落下していく。


先ほど吹き上がった鮮血を頭から被ってしまった…しかしながらそのように行ったのは彼女だ…女性は、更にユミルの脛に噛みついていた巨人の眉間のあたりに両掌中の刃を剛と打ち込む。

またしてもそこから浅黒い血液が噴き上がるので、元の髪色も皮膚色も分からないほどに彼女は血塗れとなった。

しかしそれには構っていられないらしい。眉間への斬撃によって一瞬力が失せた巨人の頸を先ほどと同じように肉厚に切り出し、弱い朝日に反射した血液のあぶくが鈍く光る中を掻い潜っては、更にもう一体の両の眼球を瞼ごと執拗に切りつける。

痛むのか命の危険を感じたのか、若しくは自身を鼓舞する為か…巨人が上げた女の悲鳴のような叫び声が冴えた朝の空気の中を朗々とどこまでも響き渡っていった。

それに伴って彼女も女とは思えない太い声で何かを怒鳴り、眼球の形を未だ保ったままで飛び散る肉片を邪魔だと言わんばかりに乱暴に叩き落とす。

自身の腕に噛み付こうとする巨人の咽を掻裂き、頭蓋を割り、瀧のように溢れ出す鮮血と獣のような叫び声、地獄に似た有様の内には天も地も無く、肉と脂と粘膜、泥と光と朝露と。


凄惨の一言に尽きるその様を眺めていた104期生一同の顔は、すっかりと血の気が失せ青白くなっていた。

ユミルを食らう巨人のうち最後の一体の頸を抉り出して蹴落とした彼女は、破竹とも言える勢いを留めずに、彼らが立ち尽くす城壁のてっぺんへと立体起動で駆けるようにしてやってくる。


「良かった……!無事だった…………!?」


しかしながら、開口一番の彼女の声は想像以上に人間味を帯びたものだった。そして104期生たちの顔を確認すると、「うわぁ、」と心の底から安堵したような声を溜め息を吐き出す。

ミケ班と共に行動していた為に彼女が誰だか知っていたコニーは「うぉ、ユーリさん…!!生きてたんスか、」と言ってその方へと駆け寄った。

ユーリもまた彼のことを認め、「いや、もう死んだ死んだ。こんだけ寿命が縮む思いして生きてるワケ無いって……。」と力なく笑いながら応えた。


「ああん、もう……ほんとごめん、ゲルガーからの信号は受け取って貴方らがここにいるのは分かってたんだよ、でもなんかさぁ……夜でも動ける巨人?に囲まれちゃってさァ。こっちの視界も最悪なもんで日が昇るまで迂闊に動けなかったんだよ、丸腰でこんなところに放置しちゃってほんとごめんね……!!」


未だ昂りが解けないのか、ユーリは肩で息をしながら早口で言葉を連ねる。そしてすっかりと血塗れとなり体に張り付いてしまっていたマントを脱いだ。

内側に着用していたジャケットやシャツも勿論のこと鈍い紅色に染まっている。頬へと垂れて来るドロリとした血液を乱暴に手の甲で拭い、彼女は一同へと向き直った。


「…………1、2、3、…………えーっと、元の人数よく覚えてないからなんとも言えないんだけど、全員生きてんの?」


すっかりと役割を果たさなくなったマントを遥か下の地面へと投げ捨てながら彼女はなんとも砕けた口調で104期生たちに質問をしてくる。


「えっと……、あの。一応……、私たちは。」

「そか、そりゃぁひと安心。貴方らを守るのが今回の私たちのお仕事のひとつだからねぇ、それしくったらまた怒られちゃう。いやぁ、怒られんのって嫌だからねぇ、中々糸が通ってくれない針穴と並んで私が世界で一番嫌いなことのひとつだよ!」


ヒストリアの回答に、ユーリはハハハ、と場違いに明るい笑い声で応える。

まるで場に削ぐわないその様相に、一同はなんと言って良いか分からずに口を閉ざした。


「…………………………。ごめん、ちょっとふざけすぎた?」


それに気が付いたのか、彼女は肩を竦めてから謝罪する。

…………少し、辺りが沈黙した。巨人の血液を強かに浴びた彼女の髪からは先ほどからずっと浅黒い液体が雫となって滴り落ちている。髪はぺたりとその肌に張り付いて、長い前髪はすっかりと目元を覆ってしまっていた。

相当に不快だと思うのだが、何故か彼女はその髪を掻き上げることはしないらしい。そのままにして、血液を滴らせるままにしている。


「でも…まぁ、なんにせよ無事で良かったよ。怖かったっしょ?」


ユーリは笑って、背丈の低いヒストリアやコニーの頭を撫でようとするが…自分の掌がドロドロに汚れていることに思い至ったのか、それをやめて手を元の位置に戻した。


「一応聞くけどさァ………。ナナバさんとか…ヘニング、リーネ…あとゲルガーは生きてんの?」


そして、ポツリとした口調で問いかけてくる。

言葉に詰まるヒストリアたちの様子から答えを察知したらしいユーリは「そ、仕方ないね。」と短く返事をした。



「…………チっ。なに、また巨人が来るよ…。しかもいっぱい。ムカつくわぁ……、こちとら真剣も真剣なのに揃いも揃ってギャグみたいな顔しやがって………」


先ほどよりも一段声を低くして、彼女は遠方を眺めながら言葉を零す。


「ねえ、取り急ぎ今の現状…主にあの城壁に張り付いてた巨人について説明してほしいんだけど。彼女?彼?まァそれはどうでも良いけど……アレは貴方らを守ろうとしてたよね。だからひとまずは討伐を見送ったんだけど………。」


ユーリは白い朝日を背負ってこちらにやって来る巨人の群れから、辛うじて城壁に捕まっているユミル…そして今一度104期生たちに視線を戻す。

その際に、彼らの先頭にいたヒストリアの空色の瞳と、その汚れた髪の隙間から僅かに見える青い瞳からの視線がぶつかった。


「どういうこと?……新手の奇行種なの?」


そう言いながら彼女は残された最後のブレードを柄へと装填するので、ヒストリアは「駄目……!!」と思わず声を上げた。

それに応じて、ユーリは驚いたようにして彼女の方を見る。


「あ、あれは…彼女は………私の、私たちの友達なんです……!!!殺さないでくださいっ……!!」

「ハぁ??友達ィ?????」


心底訳が分からないという声色でユーリはヒストリアの言葉を鸚鵡返した。

しかし……すぐに思案するように顎の近くに指を持っていく。そして何かに合点がいったらしく、「なるほど。」と呟いた。

なるほどネ、と彼女は繰り返して小さく独り言ちる。その際に口角が上がり、汗と血液と泥とで汚れきった皮膚の隙間から白い歯が覗いた。

ヒストリアはその様子を不思議そうな表情をして眺める。


「オーライオーライ、分かった。巨人が味方になってくれるんならこの上なく心強い。………きっと、もう少ししたらリヴァイさんたちも来てくれるよ。それまで持ちこたえれば良い訳よね、余裕っしょ!」

安心いたせ!とユーリは先ほどと同じように場違いに明るい声で一同へと声をかける。


「何故なら今貴方らの目の前にいる美少女兵士にして調査兵団唯一の真人間ユーリちゃんは、多分今の調査兵の中で四番目に強いのよ?ちなみに三番目はミカサちゃんで二番目はリヴァイさんね、でもって一番目は………」


彼女は小さく首を傾げ、また白い歯を見せてニヤと笑う。

徐々に高くなり始めた虹色の石鹸球のような太陽がそれを爽やかに光らせた。


「ご飯を準備してくださる炊き出し部隊の皆さまですよ?はいっ、ここテストに出ます、覚えておいてネ。」


何故なら空腹は人間にとって一番の敵だからねぇ、と言いながらユーリは懐から何かの包みを取り出した。

そして自身の一番近くにいたヒストリアへとそれをポンと手渡す。


「落としちゃったらいけないから、ソレ持っててもらって良い?」


そう言っては軽妙な笑顔を浮かべ、ユーリは今度こそ新しい刃を柄へと装填した。

「え…?」と小さく声を上げながら、ヒストリアは包みの中を改める為に薄汚れた布の下を覗こうとする。


「あっ………!!中見ない方が良「きゃぁぁぁあっっっっっっ!!!!!!!」


それをユーリが止めるのと、ヒストリアが中身が何かを知ってしまうのはほぼ同時だった。

驚いたヒストリアが思わず掌中のそれを放り出してしまうので、石畳にバウンドした包みの中、布の下からズルリと中身が這い出て来る。


……………それを目の当たりにしてしまった一同は息を呑んだ。

ユーリだけは小さく溜め息をして、それを拾い上げてはまた布で包み直す。


「………驚かしてゴメンね。これは…さっきまで、私と一緒にいた上司の手首。結構大きい人だったのにこんな抱えられるくらいのサイズになっちゃってさァ………。全く。」


おかしな形で指の関節が固まってしまっていたその掌がしっかりと隠されるのを確認すると、ユーリは「あーぁ、」と小さな声を上げた。


「………まぁ。世話になった人だから、一応コレッくらいは持って帰ってあげたいのよ。だからさ…悪いけど、預かってもらっても良いかなあ。」


よろしく、とユーリは今一度それを…今度はコニーへと手渡す。しかし彼が非常に嫌そうな顔をするので、その包みはまたヒストリアの掌中へと収まっていくこととなった。


「じゃ、運が良ければまた後でね。」


もしもの時は私のも片手くらいは持って帰ってねェ、とユーリはまたニヤリと笑った。そして城壁を蹴って、既に周囲へと群がり始めた巨人を迎え撃つ為に落下していく。

それを見送りながら、ヒストリアは腕の中に置かれた誰かの腕を無意識に抱き直す。


……………確かに、太くいかにも逞しい指だった。

だが既にそこから元の人間の面影を読み取ることは難しい。

それは布越しでも伝わるほどに、ひどい冷たさを伴っている。

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