◇残響
「クソッ………!」
回廊を歩きながら、ユーリはぶつけどころのない苛立ちを持て余して思わず声を上げる。
だが……泣き虫な自分にしては珍しく、瞳の奥に涙の気配は微塵も無かった。
ただ情けないと思った。
格好悪くて、どうしようもない。
与えられる愛情は無いと再三言われているにも関わらず、まるで駄々っ子のようにずっとずっと聞き分けられずにいる。いつかは応えてもらうことが出来ると、まだ期待してしまっている。
無いものは無いのに。それが裏切られれば八つ当たりのような真似しかできない。自己中心的で、わがままで、幼稚で。とても…いつか書物から学んだ愛の形とは程遠い。
(すべてを我慢し、)
(すべてを信じ、)
(すべてを耐え忍びます…………。)
「そんなの、無理だって!!!!!」
いつの間にか走り出していた所為か、ユーリの声は引き絞るような嫌な音となって唇から溢れた。
足を止めて乱れた呼吸を整える為に膝に掌を置き、息を浅く吸っては吐いてを繰り返す。
「私には、目的の為に何かを捨てるなんて出来ないよ…!!!自分も、皆も、っ………お父さんも…、全部大事なんだもん、どれかを犠牲になんてしたく無いっ………!!!」
どれだけ父親に愛想を尽かそうとしても、その度に彼の青白い顔に陰影と共に刻まれた深い悲しさが思い出されて、胸が抉られるように痛む。
どうにかして、少しでも。といつも思ってしまう。
(ミケさんやナナバさんが私にしてくれたように、私には貴方の寂しさを…これっぽちほども、取り除くことは出来ないの…?)
どんなに厭われても、必要とされなくても…孤独の中に、大事な人を一人ぼっちにしておくなんて出来るわけがなかった。
それに、見放されて捨てられる悲しさは身に染みるほど知っている。
どこにも帰る場所がなく、どこにも行けず、人生の袋小路に停留するのがどんなに辛いことか。
捨てられた後だって人生は続くのだ。明日に希望が抱けない、苦しいばかりの生を全うしなくてはならない。
「嫌だ……!そんなところに一人で行っちゃわないでよ、私だってお父さんがしてくれたように、貴方のこと助けてあげたい…!!」
………それともやはり。自分のような存在が人に何かを与えることが出来るなんて、烏滸がましい考えなのだろうか。
(分からない……。でも…)
何も出来ないからって、何もしないことは絶対に間違っている。
「負けるもんか、」
「畜生ぉおおぉお!!!!!!!」
誰もいないのを良いことに、ユーリはあらん限りの大声で怒鳴っては再び走り出した。
一日の終わりへと傾き始めた陽の光が、彼女の揺れる輪郭を赤く照らし出す。
それによって作られた影は細く長かった。けれど確かにユーリの足から地面へと黒々とした形を描き、長い回廊からようやく脱した彼女の後へと、付き従っていく。
*
傾き始め、幾許かの朱色が混ざった鈍い陽光を菱形に区切られた窓から受けながら…エルヴィンは、暫し黙っては何かを考えていた。
…………先ほどから、ずっとそうして動けずにいる。
考えることが、多すぎた。
考えなくても良いことを、考えなくてはいけなくなった。
「はは………」
彼は如何にも心弱い笑みを漏らしては、ハッとして自身の口元をゆっくりと掌で覆う。
「…………………。」
それを離して、自分の掌中をじっと見た。それから、ひとつ溜め息を吐く。
「…………面と向かって言われると、中々応えるものが…あるな。」
エルヴィンの呟く声は小さいながらも、伽藍とした埃臭い部屋の中ではよく響いた。
それが微かに残響する音を聴きながら、彼は目頭の辺りをそっと指先で抑えた。
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