◆了承
ミケの分隊に所属されたユーリは、想像以上に早く周りに馴染んだ。
…………地下街の劇場、女神の百合≠ゥら保護された人物であることを覗けば、至って普通の人間であるように見えるほどに。
だが、ミケはどうにもユーリを取り巻く空気に胡散臭さを感じずにはいられなかった。
人と付き合う上で………悪い印象を与えないように立ち回るのが得意なのだろう。かといって決して心の本当のところを見せることは無く…………。
「ああ、ミケ分隊長だ。」
そんな思考を巡らせていたある日、ミケはユーリにふと呼び止められた。
声は頭上からかけられ、彼がその方へ反応する頃には彼女は既に地面…ミケの目の前へと着地していた。
……………立体起動の自主練中だったらしい。随分と使い慣れている仕草から、そう言えば彼女は主席だったのだと……思い出す。
「お疲れ様です、分隊長。」
ユーリはにっこりと唇に弧を描いてミケの事を見上げた。
………動いているうちに熱くなったのか、ジャケットを脱いだ軽装をしている。そのことに思い当たったらしい彼女は「ああ、こんな格好で失礼しましたね」とまったく悪びれる様子無く謝罪した。
「……………ここには、もう慣れたか。」
このままでは仕様がないと思い、ミケは差し障りないことを質問する。ユーリはにこりと笑ったままで、「ええ、それはもう。」とやはり差し障りなく応えてきた。
「自主練は、いつも一人なのか。」
「そんなことないですよ。先輩の胸を借りることもあります。」
嘘だな。
ミケは直感した。…………ユーリと言う人間は、一見人当たりの良い性格なので人間関係を良好に運んでいるが………その実、誰にも心を許していないことが、ミケには手に取るように分かった。
練習も、何をするのも一人なのが常なのだろう。何故ならこの女は誰も信用していないから。
「では……。俺が、お前の練習に付き合ってやろうか。」
そうして、当たり前のことのように持ちかけてみる。………瞬間、ユーリの表情が強張った。
だがすぐにいつもの薄ら笑いのような不可解な表情に戻り、「レベルが違い過ぎて話になりませんよ。お忙しいミケ分隊長の手を煩わせることはありません」とするりと流されてしまう。
だが、一瞬でもユーリのにやにやとした笑い方を遮れたことが、ミケには愉快だった。
しかし……………
(そして相変わらず、この匂い…………)
調査兵団に入ってしばらく経つというのに、未だにユーリの身体からは地下街独特の忌むべき匂いがした。
溝の匂い、病の匂い、臓物の匂い。そして何よりミケの敏感な鼻孔を刺激したのは血の匂いだった。紛れもない、犯罪の匂いだった。
「お前…………。休日に、あまり、見かけないが………どこで、何をしているんだ。」
得体の知れない者を身近に置く行為は、慎重な性質のミケを不安にさせた。
故に、わざと彼女を揺さぶるような質問をしてみる。
しかし……ミケが持ちかけたこの問いに対して、ユーリが再び笑顔を崩すことはなかった。
「基本的に部屋にいますよ。インドアなので。」
「そうか……誰と過ごしているんだ。」
「一人でいることが多いです。」
「何をして………?」
「大抵は本を読んでいますね。」
「どういった内容の本だ」
「いやだ、ミケさん。」
ユーリは、ぽん、と軽快にミケの胸の辺りを叩いてみせた。そうして、朗らかに笑ってみせる。
「あまり女の子のプライバシーを詮索なさらないで下さいな。これから先の情報は有料になりますよ。」
声色を一段明るくして、彼女は言う。唇には相変わらず楽しそうなカーヴが描かれている。しかし前髪の隙間から覗く青い瞳は爛々としていた。
そう………そこだけは、楽しそうな声色、軽快な仕草とはまったく真反対に、何者をも拒むようにして……強く厳しく光っていた。
二人の間に、一迅の風が吹く。それはユーリの長い前髪を揺らして、冷たい光を孕んだ青い瞳を露にする。
…………気を取り直すように、ユーリは優しく目を細めて見せた。
しかし、ミケの表情は強張ったままだった。ユーリはそんな彼に一礼しつつ、「足を止めてしまって申し訳ありませんでした分隊長」との謝罪を述べる。
そうしてあっという間に脇を通って、ミケから遠ざかって行ってしまう。
すれ違い様に、「では、また…………」とだけ言い残して。
*
「お前の目から見て………。どう思う。」
ある日の夜も更けた頃、執務室で作業を続けていたミケは…同じく仕事に勤しむナナバに尋ねてみる。
白く形の整った指の持ち主であるミケの友人は、忙しく羊皮紙の上で動かしていたそれをしばし止めてから、ゆっくりと声をかけられた方を眺めた。
「どう、とは。」
ナナバの問い掛けに、ミケはしばし口を噤む。いつものことだが、どうも言葉少な過ぎたらしい。
しかし……どういう訳か、今のミケには彼女の名を直接口にする行為が躊躇われた。
「…………例の。俺のところに新しく来た奴のことだ。」
ので、やや遠回しにその人物のことを匂わせば、ナナバはああ、と納得したような声を上げた。
「ユーリのこと?……私もよくは知らないなあ。まだあんまり話したことないからね。」
ナナバは再び手元の書類に視線を落としては、当たり障りの無い答えを返す。
ミケは何も応えずに、じっとそれに耳を傾けていた。
「でも悪い子じゃないんじゃない。ちょっと掴みどころが無くてとっつきにくいだけで……」
「何故そう思う。」
「さあ。………勘かな。」
ナナバは何かを思い出すように柔らかく微笑んだ。……それがミケには不可解だった。ミケにとってのユーリは胡散の香りに満ちた人物だったが、どうもナナバの認識はそれとは違うらしい。
「それに、新兵からしたら掴みどころが無くて取っ付きにくいのはミケも同じだと思うけど?」
「そんなことはない。」
「…………。そう?」
ナナバはどこか悪戯っぽく笑った。形の良い唇が綺麗に弧を描いていくのを、ミケはぼんやりとして眺める。
「なに………。君はそういうことはあんまり気にしない性質かと思ってたけど、気になるんだ。」
「なにがだ。」
「あの子のこと……ユーリのことさ。」
「…………………。」
ミケは黙った。どういう訳か、ミケの危惧はナナバに誤解して受け取られてしまったらしい。弁明しようかと考えるが、彼は自身がこういう釈明が苦手であることを知っていた。ので、「いや……そう言う訳では。」と言うに留める。
「うーん。確かに、言われてみれば変なんだよね。新兵にしては結構年もいってる……私たちに比べたら勿論若いが………けど、それにしても大人びすぎている。あの年の子が、ああも人を食ったような性格になるものかなあ。」
「…………………。」
「考えても栓の無いことかもしれないけど、私はどうにもユーリが気掛かりだよ。人当たりは良いけど、まったく友人を作ろうとしないし。馴染んできてくれてるようでも…いつもなんだか、寂しそう。」
ナナバはひとつ溜め息をする。どうやら、ミケよりもナナバの方がユーリに対して思うことが多いらしい。ミケは、旧知の友人の生来である優しい性分を思い出しては小さく溜め息した。
「話を聞いたところによると、父親が調査兵団の兵士だったみたいでさ……訓練兵時代に優秀な成績だったのにも関わらず、うちの兵団を志望した一番の理由はそこにあるみたいだけど……」
「………………?」
ふと、ミケはナナバの発言に疑問を覚える。
今のところ、ユーリの出自を知っているのは、例の事件に関与した憲兵とエルヴィン、そしてミケのみである。
…………ユーリに調査兵の父親がいることなど聞いたことがない。それどころか、彼女にはまともな肉親が存在するかどうかも疑わしい。
(これも………嘘か。)
だが、こんな嘘はつく必要は無い。
………同情をひこうとでも考えたのだろうか。だが………それは、どこかあの女らしくない気持ちがした。むしろユーリは、そう言ったセンチメンタルな感情を人から寄せられるのを嫌うタイプのようにミケの目には映っていた。
(では………嘘ではなく、これはむしろ………。)
ミケは、黙った。そして、考えた。思考を続けるうちに、彼は胸の内のどこかが痛む感覚を味わった。
「週末に………。俺の班は飲みに行こうと思っているんだが。」
そしておもむろに切り出してみる。
どうにも疑り深く、ナナバのように純粋な気持ちで人に接することの出来ない自分の性質を恥じながら。
「勿論ユーリにこの誘いは断られたが。お前が言えば、奴も来るかも知れない。」
ミケの言葉を、ナナバは組んだ両掌に顎を乗せて聞いていた。ミケはどこか気恥ずかしいのか、しきりに自身の顎髭を撫でている。
「ユーリを……連れて、来てくれるか。」
お前も、と付け加えれば、ナナバはなんでさ、と簡潔に返す。お前がいないとユーリとの会話に困る、と正直にミケが答えれば、ナナバは笑って了承の意を示した。
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