◇告白 1
ユーリの残す着衣は、下着と袖のないシャツのみになっていた。
ミケと向かい合う形になって彼の膝の上に腰を下ろしているその腿は、青い月光に照らされていよいよ白くなるように思えた。
その場所見下ろせば、身体と同じようにいくつかの痕が走っている。切り傷のような簡単なものもあれば、引き千切ったようにして皮膚に凹凸を作っているものもあった。
ミケがそこを眺めていることにユーリは気が付いたらしい。
………瞳を軽く閉じて、彼女は何かに耐えるようにした。
腿に触れ、ゆっくりと撫でた。当たり前だが、掌に彼女の身体に刻まれた悪意の歴史が伝わってくる。
ユーリのシャツは本当にくたびれていた。肩紐も伸び切ってだらりとして、辛うじて引っかかって留まっているに過ぎない。
恐らく、簡単にそれを肩から外して脱がせることが出来るのだろう。だが…そこに指先を伸ばそうとする自分の手の上にユーリの掌が伸びてくる。
何かと思ってその方を見れば、彼女は実に気まずそうな顔をして苦笑した。
「なんだ。」
今度は声に出して問いかけてみる。
ユーリは何かを戸惑っているのか、愛想が入り混じった苦笑を浮かべ続けた。…ミケは些か不愉快になって、視線でその心象を示す。
「あ、あの………。」
それに気が付いたらしいユーリがようやく発言する。しかし視線は泳ぎ、ついにミケからは逸らされて、先ほどまで撫でられていた自分の腿へと落とされていく。
「………あ、す…みません。で、でも……や…っぱり、やめません?」
そしてつっかえながら言葉を紡ぐ。…………その提案に、ミケは思わず眉根を寄せた。
「お前…今更何を言ってるんだ。本気でそれを発言してるならお前は飛んだ鬼畜だぞ。」
「いやっ…、自分でも何言ってんだ…って感じです、けど……。あ、でも……その。」
ユーリの発言は実に歯切れが悪く、言葉選びにも苦労しているようだった。
「ほら……、私の身体とか、肌って………見てて、気持ちの良いものじゃないですよ。むしろ、気持ち悪い…かも。ミケさんにあんまり不愉快な思いをさせたくない、っていうか。……なんていうか。」
しかしユーリは、焦りと不安がない交ぜになった心象をどうにか訴えようとしてくる。
…………ミケは表情をやや険しくして、自分と視線を合わせようとしない彼女のことを見据えた。
(こいつ、今の今まで何を聞いていたんだ?)
あれほど、馬鹿で低脳でどうしようもないユーリの脳みそのレベルに合わせて根気強く説明してやったのに関わらず。この女は未だに自分を信用出来ないらしい。
「それに、ほら!私が脱がなくてミケさんに満足してもらう方法なんていくらでもありま……っ、」
ミケがユーリの肩を相当の力を込めて握るので、耐えかねた彼女が引きつった音を喉の奥で鳴らす。
痛みに顔をしかめた彼女の肩を自分の方へと寄せ、そこへと噛み付いて容赦をせずに歯を立てた。ついにユーリは悲鳴に似た声を短く上げる。
…………余程痛かったのだろうか。そこから顔を上げて見ると、彼女の目尻は生理的な涙で濡れていた。
だがそれに構わず、近すぎる顔の距離を離さずに思うがままに口付ける。ひどく劣情を煽られるような気分になり、その体の芯の芯まで愛し尽くしたくて、呼吸も忘れて口内を犯した。
離してやれば、ユーリは喘ぐように空気を求めて浅い呼吸を繰り返す。
彼女の肩には、先ほど自分がつけた歯型がくっきりと残っていた。肌に刻まれたどの痕よりも鮮明に浮き上がったそれを眺めて、ミケは微かに目を細める。
「……………必要ない。」
そして呟いた。相変わらず二人の顔の距離はほとんど無く、近かった。
「もう…お前は何もするな。何もしないで、俺に抱かれていろ。」
発した声は自分が想像した以上に低かった。まずいな、と少し思う。却ってユーリを怯えさせてしまっただろうか。
彼女の方を伺えば、予想した通りに不安と怯え入り混じった瞳の色をしていた。………そうなのだ。ユーリは自分に嫌われることを何より恐れている。
(…違う。怒っているわけではない。)
反省して、それを表すために胸中をそのまま呟いては軽く額を合わせてやった。
だが、他の男に教えられた媚びた術などまるで見たくないのは事実だった。繰り返しユーリに伝えたように、彼女が今までどのように生きてきたかなどどうでも良かった。
今ここで自分に向かい合い、自分を欲して、自分だけを愛していればそれで良いと思った。それ以外のことは、本当にどうでも良かった。
今一度その白い頬の形を確かめるようにして撫で、ようやく合った視線を逃さないように真っ直ぐ見据える。
今度は出来るだけ丁寧に、優しくしようと思いながら口付けた。
舌を絡め、ゆっくりと時間をかけてその口内の隅々の形を確認するようにする中で、思う。
いつも、ユーリはこういった行為がひどくぎこちが無いのだ。辿々しいとも言えるかもしれない。生娘と錯覚しそうにもなる。
片手で後頭部を抑えると、もつれた彼女の髪が指に絡む。そしてもう片方の手で、何か言いたげにしているその右手を拘束した。
先ほど見つけた、ユーリが敏感に反応する箇所をなぞり上げれば、予想した通りにその身体がビクリと震えた。やはり、ひどく劣情を煽られる気持ちがする。
一通り満足して、ようやく解放してやれば…ユーリは精も魂も尽き果てたようにして、くたりとこちらに身体を預けてきた。
ゆっくりと、彼女の腕が自分の背中へと回ってくる。
諦めたのか、受け入れたのか。ひとまずはそれを了承の合図と受け取る。今一度強くその身体を抱き寄せては、そのまま腰掛けていたベッドへと雪崩れ込むようにして押し倒した。
その際に、また長い前髪が自分とユーリの間を遮るようにして彼女の顔を隠した。間髪入れずにそれを避けて耳にかけさせる。
「……邪魔だな。さっさと切れ。」
「切れるんなら切りたいですよ。……私だって。」
「別に言うほどお前は父親には似ていないだろう。」
「え………?」
ミケの言葉に、ユーリは数回瞬きをしてはこちらのことを眺める。
……………確かに、顔は似ているのだ。最近はそれがより顕著になった。恐らく、並べば一目で血の繋がりがあると分かるほどに。しかし、問題はそこではない。
「お前とエルヴィンは全くもって似ていない。お前だって、自分自身があんな大層な人間じゃ無いことは分かるだろう。」
「まあ…そりゃそうですが。ミケさんってちょいちょい私のこと小馬鹿にする癖ありますよねえ。」
「小馬鹿になんかしていない、馬鹿にしているんだ。」
「ええ…。」
「ユーリは……お前は、馬鹿なんだ。頭がまるで良くない。エルヴィンのように、要となるところで賢く選択することなど出来るわけがない。」
「…………………。」
「いつも……選択の結果、捨てられる方に肩入れするだろう。だから駄目な方しか選び取れない。」
「……。何ですか、随分意地悪なことを言いますね。」
「別に責めている訳では無い。………逆に言えば、お前は見捨てられるものの気持ちを汲んでやれる。」
訳が分からないと言う表情をするユーリを眺め、ミケは溜め息を吐く。
少し考えて、再度口を開いた。
「ああ…そうか。お前にも分かりやすく言えば…要は…ユーリは、優しいんだ。それはお前自身のもので、父親から譲り受けたものでは無い。」
ミケの言葉を受けて、ユーリは何かを考えるようにしてからゆっくりと瞬きをした。
そして青い瞳をミケの方へと向けながら僅かに顔をしかめて…「優しい……?」と呟く。
「………………。初めて言われた…。」
「それはそうだろうな。お前の優しさは分かりにくすぎるんだ。」
「いや…でも。別に優しくないよ。私は私が一番可愛くてどうしようもない人間だし……」
「まあ…なんだ。色々な優しさがある。……お前が知らないだけで…。」
ユーリはゆるゆると首を横に振る。それから、そっとミケの首の辺りに腕を絡め、距離がなくなった彼の顔へと頬を寄せてくる。
「……やっぱり違うよ。優しいのは、ミケさんの方でしょ。」
そしてポツリと呟いた。彼女が喋ると、その微かな息遣いが肌の上を滑っていく。
「ミケさんがすごく優しいから、私は…ううん、誰だって…ミケさんに優しいんですよ。」
ユーリの少し低めの声を聞きながら、ミケは彼女を抱きしめる力を微かに強くする。
思わぬ反撃を食らったと思う。中々に攻撃力が高かった。
ユーリの首筋に顔を埋め、その匂いで身体を満たす。
相変わらず、夜の香りが色濃くした。だが既に、かつて感じた猥雑さは無い。静かで穏やかで…少しの花と柑橘のような清涼がそこにあるだけだった。
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