道化の唄 | ナノ

 ◇確認


ふと、腰の辺りを捕まえられてその場からさらわれる。

手の甲、親指の付け根。歯を立てようとしていたエレンは、思いがけないその衝撃によって喉から引きつった声を漏らす。


「大丈夫?舌噛んでないよねぇ」


そして、よくよく聞き覚えのある声で頭上から言葉をかけられる。

まさかと思いその方を見上げれば、予想通りの人物……自分を片腕で抱えるようにして、今まさに立体機動を展開しているユーリの瞳と目が合った。


(……………いつの間に。)


ユーリは唇に人差し指を当て、口の動きだけで(静かに、静かに。)と指示をする。そして、手の仕草でガスの噴射量を最小に調節するように示す。

…………意味が分からなかったエレンは、暫しじっと彼女の顔を見る。中空をそこそこのスピードで飛んでいたので、金色の髪がたなびいて彼女の顔立ちを初めてそれなりに確認することが出来た。


(………………………?)


どこかで……見た顔のような気がした。もしくはこれと似たようなものを。

しかしユーリが再度ガスの噴射量を抑えるように促してくるので、その思考は一旦中断された。


………従って、エレンはその通りにする。

ユーリはまた唇の動きだけで「ありがとう。」と礼を述べてくる。そしてエレンの腰の辺りを抱いたまま、連れ立つようにして方向を転換する。


(静かに飛ぶ人だな。)


傍で飛んでいて、初めて気が付いた。今のユーリはほとんどガスを吹かすことをしていないのだ。だから飛んでいる時にほとんど音がしない。先ほどさらわれるまで彼女の存在に気が付けなかったのも道理と言うわけだろう。


(けど…ガスを吹かしていないのに、何故一定のスピードが出る…?)


ユーリは一際太い巨大樹をぐるりと回り込んで、また進行方向を変えては木の幹にアンカーを打ち込んだ。

その際に謎は解けた。彼女は方向を転換する際、ブレーキの役割を果たす逆射出を一切行わないのだ。

至極器用に、アンカーと自分の姿勢制御だけで目的地へと身体を運んで行っている。ブレーキをかけない為に、再発進及び加速の為の射出が必要ない。そして速度のロスも。

起動音もガスの消費も最小限に抑えられる至妙で合理的な技法だと、エレンは場違いに関心に似た気持ちを抱いてしまったt。


「………偉い。良く、そこに噛み付くのを我慢してくれたよねえ。」


曲芸でもするように身体に幾許かの遊びを持って、ユーリは一際鬱蒼とした茂みの中に浮かぶ枝へと、取り合えずの着地をした。


「……………。どうしてユーリさんがここにいるんですか。確か班をクビにされた筈ですよね。」

「クビじゃないよぉ、失礼な。戦略的人事異動と言ってよねえ。」

「それクビっていうんですよ。」

「うっさい、おだまり。」


ユーリはエレンの方へと斜めに視線を寄越しながら、不機嫌そうに言う。そして少しの間の後、ゆっくりと唇に弧を描いた。


「……私はね、リヴァイさんとバトンタッチする体で貴方らの後を付いてきてたんだよ。こっそりね。」

「こっそり?」

「そうよォ。」

「な、なんでまた……合流すれば、良かったじゃないですか。」

「だってそういう命令だったんだもの。」

「命令…?………それじゃあ…つまり。皆が殺されるのを黙って、ただ見てたって言うんですか…!?」

「そうそう。もしもの時にエレンを連れて逃げるのが私が請け負った命令だからさ…。私、逃げ足だけはリヴァイさんより早い自信あるんだよねえ。………で、その私が応戦して怪我しちゃったら仕様が無いっしょ?」


まあ、もしもの時なんか来なきゃ良かったんだけど…ねぇ。


そう言ってはユーリは苦笑して肩を竦めた。

………そのいかにも軽い態度に、エレンは一際の憤りを覚えて彼女を鋭く睨みつけてしまう。だが、それにユーリは気が付かないらしい。もしくは気が付かないフリをしているのか。

とにかく彼女の関心は最早エレンにはなく、やや離れた場所で虚ろな空気を纏っている女型の巨人へと集中していた。


「良し……。女型は私たちの場所を未だ見失ったままだね。………このまま、逃げよう。」

そして呟きながら、ユーリは再びエレンの腰の辺りを捕まえて立体機動に移ろうとする。

しかし、エレンは彼女に従って再び身体を預けようとはしなかった。………ユーリが訝しそうに再度こちらを見る。そして「エレン?」と呼びかけるようにした。


「………。今逃げて、どうするんですか。」


エレンはユーリの長く垂れた前髪の向こう、青い瞳を真っ直ぐに見据えて尋ねる。ユーリはしばしそれを見つめ返すが…やがて、小さく息を吐いてまた肩を竦めた。


「さあ?今はもう撤退命令が出てるからそうするだけ。それから先はもっと偉い人たちが考えてくれるんじゃない。」

「考えてくれるんじゃない、ってそんな…あんまりに無責任な…!俺たちの今まさに目と鼻の先に女型がいるんですよ!?」

「そりゃあ見れば分かるよ。貴方が言うように目と鼻の先にいるからさァ、危ないじゃん。早く帰ろうよ。」

「このまま放っておいたらもっと犠牲が出ます!あいつは俺と同じように人間なんです…逃がせばまた正体を見失ってしまう……!!」

「逃がせば…って。まるで捕獲できるようなこと言うねぇ。最強の兵士長様ですら虚を突かれて逃したって言うのに。」

「します…俺が!!今ここで撤退してもまた同じことの繰り返しなんです、それじゃ駄目なんだ!!!」

「……………………………。」


ユーリは…今一度、エレンの瞳の中をじっと覗き込んでくる。

暫時二人は沈黙した。

ユーリは、ちら…と赤くグロテスクな女型の巨体へと視線を移す。そのまま、「リヴァイさんは……。そのことについて何か、言ってた…?」と呟くようにして訪ねた。


「自分で…選べ…、と。」

ありのままをエレンが答えれば、ユーリは「そ。」と短く返す。


「そんなら今からのエレンの行動はエレン自身の問題だねえ。責任も貴方にある。…若しくはそれを促したリヴァイさんに?私は自分が怒られなきゃそれで良いからね。エレンの意思に任すよぉ」


ははは、とユーリは場違いに軽快な笑い声を小さく上げた。彼女があまりに呆気なく自分の説得に応じるので、エレンは思わずポカンとして口を開けてしまう。


「でもね。」


………言葉を続けたユーリの視線は再びエレンへと戻されていた。

相変わらずヘラリとした表情をしていたが、どこか声色が硬質で鋭くなったのをエレンは本能的に知覚する。


「私も一緒に…と言いたいところだけど、嫌でしょ?リヴァイさんを呼んでくるから、それまで我慢出来るかなぁ。」


そのまま、ユーリはエレンの双肩へと掌を置いた。…そして強く掴む。否応無しに、視線を同じ高さに合わされた。至極近い場所で視線がぶつかり合う。


「良い?一人で戦おうとしちゃ、絶対に駄目だよ。」


言い聞かせるようにゆっくりと発言したユーリの視線が、ほんのひと時烈しい光を帯びた。彩度の高い彼女の青色が瞼の裏にまで焼け付くような錯覚すらする。

………エレンは自分の意思とは裏腹に、首を縦に動かさざるを得なかった。

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