道化の唄 | ナノ

 ◇独り言


部屋の灯りが限界まで細く落とされ、すっかりと闇が空気を満たした地下室内で……ユーリは、ぼんやりと瞳を開けていた。

その視線の先では、濃色の短い頭髪が微かな光を受けて艶やかに光っていた。シーツの白色と対照的なその色は、ぼんやりとした暗闇の中でもハッキリと黒く結晶しているかのようである。


(寝れたかなあ。)


そう思って、ユーリはいつものようにそこをそっと撫でた。

同じベッドの中…隣で眠っていたエレンは小さく身じろいでから、静かに息を吐くようだった。

寝返りを打つので、ユーリは慌ててそこから手を離す。


こちらを向いたエレンは少しだけ眉間に皺を寄せていたが、やがて安らかな顔になって再び寝息を立て始めた。

その光景を眺めながら、ユーリはホッとして少し笑う。そして心から、(良かった。)と思った。


(弟がいたら、こんな感じなのかなあ。)


安心したついでに、エレンの頬をそっと指でつついてみる。寝ているというのに明らかに嫌がっている反応をされるので、ユーリは笑いそうになるのを必死で堪えた。


(…………弟、欲しかったな。)


そう思いながら、ユーリは再びエレンの精悍な顔付きを何とは無しに眺めた。

…………まだ、少年だ。寝ている時はその印象をより強く抱かせてくる。


(いや……。弟じゃなくても良い。兄弟が…いや、もっと言えば……家族、欲しかったな。)


エレンは…自分のことを迷惑に思っている。

それは繰り返し態度で、言葉で示されているのだ。


(だから、今夜で終わりにするね。…………仲良くなりたかったけど。今まで私の自己満足に付き合ってくれて、ありがとう。)


もう一度そっと触れて起きないことを確かめてから、ユーリはゆっくりとエレンの身体を抱き寄せてみた。

常々彼を子供のように扱ってきたユーリだったが、こうして抱いてみると想像以上にその肉体がしっかりと鍛えられているのが分かった。

背だって、実はこの少年の方が大きいのだ。…精神も自分よりずっと強靭なものに違いがない。こうやって気遣うまでもないのだ。


罪滅ぼしのつもりなのだろうか。

自分が行って来たこと、行っていること、行うであろうことの。

そんなものはきっと、お為ごかしにすぎない。


(……………分かってる。)



「でも…。どうか、貴方に優しくするのを許してちょーだいな…」


ポツリと呟いて、ユーリはキュッと一度だけ腕の中の少年を抱き締める力を強くする。彼の短い髪の毛が、顎の下を撫でる感覚がひどく心地良かった。


………すぐに離してやった。そして再びその顔を眺めてみれば、やはり眉間に皺が寄ってしまっている。

最後まで、ユーリは彼の笑顔を見ることは適わなかった。


ははは、と笑う。

笑い声は空虚だった。


「なんかほんと…色々うまくいかねぇー…」


溜め息と共に、吐き出すように言った。

言わなければ良かったと後悔した。

胸の底から突き上げるような痛みが身体中に広がっていく。

こればかりは慣れなかった。………いつまで、経っても。


(痛いの…嫌いなんだよね。我慢は出来るけど。それでも、痛いものは痛い。)


ユーリは身体をずらしてエレンから距離を取り、ゆっくりと瞼を下ろす。

視界の先にいた少年の姿が霞んで、ゆっくりと見えなくなる。

そして、涙が頬を伝っていくのが分かった。一筋、二筋。熱い涙だった。


(幸せになりたい……。)


充分、幸せな筈なのに。

そんなことを考える度にすごく辛くなる。

幸せなんて、自分には過ぎたものだと思ってしまう。


(でも……大丈夫。大丈夫だよ……。)


誰にというわけでもなく、ユーリは心の中で呟いた。


(生きていれば、きっと良いことがある。)


だって、世の中の全てが自分のことを嫌っているわけじゃ無い。

こんな救いようなに人間だって、大事にしてくれる優しい人が沢山いる。

ようやくそれが分かって来たんだ。本当に……気付くのが遅すぎて、遅すぎて…


(幸せになりたい………。皆と、一緒に。)


……………もしも次があるのなら、絶対に優しい人たちを傷付けないで大事にしようと思う。

そしてユーリは指を噛み、ごめんなさい、と考えるほどに軽薄な言葉を何度でも、何度でも胸に描いた。

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