◇約束
会議はすっかりと日が沈んだ時刻に開かれた。
その際ナナバは、いつもの幹部たちの顔ぶれに混ざるユーリの姿を発見する。
(おや)と思い、その方に小さく手を振って笑いかけてみた。………しかし無反応である。彼女はどこかぼんやりしては、何事かを思い巡らせているようだった。(………あれ?)とナナバは些か不思議に思っては首を捻った。
「ユーリが持ち帰った装置の鑑識が終了した。」
テーブルの上に置かれた、銀色の装置を囲むようにしていた面々に向かってエルヴィンが発言を切り出した。
それを受け、皆は兵団の長の方へと顔を向けたり、または装置に視線を落としたまま彼の言葉に耳を傾けていた。
装置は……一応磨かれてはいたが、細かい傷が幾分か目立つようである。ナナバはそこからユーリの方へとチラ、と視線を戻す。暗い室内の中、彼女の顔には前髪の影が深く落ち込んでいた。疲労が色濃いのだろうか、顔面の蒼白さが幾分か際立った。
「結果としては、例の巨人殺害の時間帯においてのレコードに使用痕跡が認められた。……これで、壁内にスパイが存在する可能性は限りなく黒になった訳だ。」
一同は沈痛、あるいは表情を変えずにエルヴィンの言葉を聞いていた。辺りは静かで、誰かの衣擦れや関節が小さく鳴る音がいやによく聞こえた。
「裏切り者の存在が確定したことには正直暗鬱たる気持ちにさせられるが……これで我々は迷わず次に進むことが出来る。……………ユーリ、地下街までわざわざ行ってもらってご苦労だったな。皆も労ってやってくれ。」
エルヴィンの発言を受けて、一同はちら、と視線を動かしてユーリの方を見た。
しかし、当のユーリ本人は今しがた話の中に自分の名前が出てきたことに、まるで気が付いていないようだった。相変わらずぼんやりとした様子で、どこかの中空を眺めては黙ったままである。
「…………ユーリ?」
虚ろな反応のユーリの方へと、不思議そうにエルヴィンが声をかけた。「ユーリ、呼ばれてるよ。」とナナバもそっと呼びかけ、ようやく彼女は我に返ったようにハッとする。
「すみません…。ちょっと、疲れているみたいで。申し訳ないです。」
「まあー、そりゃ疲れるよ。だってほぼほぼ地下街から日帰りでしょ?むしろ立ったまま寝てないだけ立派立派。」
ハンジが場にそぐわぬ明るい声でユーリをフォローしてやるので、辺りの空気は少し和らいだものになる。
「……………同じく地下街の地理に詳しいリヴァイに行ってもらっても良かったんだがな。彼は些かやり方が荒っぽい。」
「荒っぽくて悪かったな。その方が格段に手っ取り早えだろうが。」
「それにお前はエレンの面倒があるだろう。丸一日古城から離れられては困る。」
そしてエルヴィンとリヴァイが言葉の応酬を重ねた。
…………ナナバの目から見たユーリは、やはり著しく消耗してしまっている様に思えた。表情にいつものような明るさは無く、ただただ紙のように白くなった皮膚、乾燥しているのか剥けて血が滲んでしまっている唇が目に付く。
会議の内容は、やがて次の壁外調査における作戦の地ならしへと移行していった。
一応、ユーリは先ほどよりは意識の状態が明確になってきたようで…話を振られれば相槌を打ち、自分の役目を確認しているようだった。
それを見届けてナナバはようやくホッとした気持ちになるが、今度はまた別のことが気にかかるようになる。
彼女の上司であるミケの、いつも以上に寡黙を貫き通す姿だった。
ユーリがこの会議に召集されるのは初めてのことだ。平素のミケの性格を考えれば、時々何かしら彼女へ向けてのフォローや助言があってもおかしくはないのだが。
だが、ミケは黙っていた。
そして、ユーリの方を見ようともしていなかった。
*
「ユーリ。」
会議が終わり一同が思い思いに散っていく中で、ナナバはユーリのことを呼び止めた。
それに応えて彼女が振り向くので、「初めての会議お疲れ様。緊張したでしょ?」とにこやかに声をかける。
「ええ……。まあ。でも大丈夫ですよ、お気遣いありがとうございます。」
はは、とユーリが空笑いしては言葉を紡ぐので…ナナバはスッと人差し指を伸ばしてその唇に触った。
そして「ここ、切れてるよ。」と呟くようにして言う。
「お手入れに熱心な君にしては珍しいじゃない。髪も全然櫛が通ってない。」
ナナバの発言に、ユーリは一瞬面食らったようにした後に…また「はは…」と曖昧に笑ってみせる。
そして黙ってしまうので、二人は少しの間沈黙したままで互いのことをじっと見つめ合う。
「………………。お腹、減らない?」
静寂を打ち止める為、ナナバは問い掛ける。
唐突な質問にユーリは不思議そうにするが、やがて「いえ……あまり。」と答えた。
「そう、でも甘いものは別腹だよね?」
我ながら強引な持って行き方をする、とナナバは喉の奥で笑ってしまいそうになった。状況についていけてないユーリの腕を取り、そのまま引っ張って歩き出す。
「………この前話していた、美味しい紅茶とケーキがあるお店にでも行かない?奢るからさ。」
「いや……でも。もう夜ですよ。」
「何も食べてないでしょ、ユーリ。ちゃんとお腹に入れとかないとさ。………それにもう行けなくなるかもしれないじゃない。私たちどっちかが、次の壁外調査でいなくなっちゃうかもしれないんだよ?」
ユーリが逃げないように、弱くはない力で腕を握ったままナナバは歩き続けた。
彼女は特に抵抗する気配は見せなかったが、未だ「いえ………でも。」と戸惑ったような声を上げている。ナナバは一度立ち止まり、振り返ってユーリの方を見た。
目を細めて、微笑む。
ユーリとの短くはない付き合いの中で、こう言う時にどうすれば良いのかは分かっていた。
「約束したじゃない。一緒に行くってさ…。」
ゆっくりと言い聞かせるように言えば…やがてユーリも、「………そうですね。」と小さな声で応えた。
ナナバは暗い廊下を再び前を向いて歩き出した。程なくして後に従っていたユーリが隣にやってくるので、掴んでいた腕を離し、掌に繋ぎ直してやる。
しかしながら彼女はやはり心ここに在らずと言った体で……ただ、なされるがままナナバに従っていた。
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