◇恐喝
「……………………。」
ノックも無しに店の中に入って来た人物が兵士だと確認してから、男はつばきを吐いて迷惑だという意思を示した。
ドアから僅かに漏れる逆光を背負った兵士は「はは…」と小さく笑う。体型と声からして、恐らく女だろう。
扉が閉まって室内は天井の梁に吊るされたランプの灯りだけになる。地下街独特の煤けた赤色の照明の光が反射して、彼女の金色の髪が飴色に光った。
「なんだよォ………。別に憲兵にお世話んなるこたァうちはやってねぇーよ。帰んなぁ」
「…………………。」
兵士は応えず、彼が頬杖をつくカウンターを挟んでその正面に座る。……ようやく顔の輪郭が見えたが、なんとその前髪が異様に長い。その髪の向こうから、品定めするようにこちらを眺める青い瞳が覗く。
彼女はゆっくりとした口調で、「違うよぉ…」と言った。
「違う。私は憲兵じゃないよ…。ほら、ね。」
そして胸元に収まった自由の翼のエンブレムをトン、と指し示す。男は興味なさげに「へえ」と応えた。
「じゃあ…その、国民の英雄の調査兵様が…こんな地下街の臭い店になんの用?」
彼女は指先で自分の唇をそっとなぞった。二人以外誰もいない店の中で、得体の知れない油に塗れて回るファンの音だけがやけに大きい。
…………女が、その白い指を前髪へと滑らせる。長く垂れた髪を耳にかけるので、その顔が露わになった。男は訝しげにその様を見守る。
女は溜め息を吐いた。そして「大分昔だし、忘れてるかぁ」と呟いた。私は覚えてるけどねぇ…と付け加えて。
「あ、あぁー……」
そこで、ようやく彼は合点が行ったように声を上げた。
「んだよォ…めちゃ久し振りじゃねえか。てっきり死んだと思ってた。確かにあそこで金髪はお前だけだったな。」
ええとなんだっけ。確か斧使いの…と思い出すように呟く声に被せて、彼女は「ユーリ」と言った。
「今はユーリっていう可愛い名前が付いてんの。ま、覚えなくても良いけど…」
「ふーん。それにしても…おめーなんだよその格好。コスプレ?」
「んなわけねーでしょ。こちとら正規の手続きに則って調査兵になったわけ。天下御免でこの服に腕通してんのよ。」
「うっそぉ」
「うそじゃないねぇー。…………というわけで貴方、おいおい私がなんでここに来たか分かるんじゃないの?」
そう言って、ユーリは小さく首を傾げては男からの返答を待った。
彼は頬杖を解き、「さあ………分からん。」とだけ言う。
「分かんないの?相変わらずバッカだねよえ。」
そう言いながら、ユーリはカウンターに腕をついて身を乗り出した。男とユーリの顔がごく至近の距離となる。……………良い匂いするようになったな、と彼は思った。一丁前に、地上の匂いを纏っていやがる。
「うちらの装置がここにあるでしょう。私はそれを回収してくるように命令されたんだよォ。」
ユーリが男の薄いシャツの胸ぐらを掴み自分の方に引き寄せるので、二人の顔はほとんど触れるほどになった。
男はゆっくりと瞬きをする。…………なんだか、劣情を煽られているような気分になった。そして小さな声で「……なるほどなァ。」と呟く。
「心当たりがあるっちゃぁ…ある。良いぜ、話しても。おめーには色々と世話になったからな…。」
含みを持して発言すると、ユーリの表情が分かりやすく曇った。恐らく彼女はこの言葉によって生々しく過去を思い出したのだろう。それは男も同じだった。
先ほどまで薬物の副作用の所為でひどい虚脱感に苛まれていた身体が、芯の方から熱くなっていく感覚があった。………快感。静かな興奮である。彼はひどくたまらない気持ちになった。
「けどよ、それなりのお願いの仕方っていうのがあるだろうが。」
「……………はぁ?うちらのもんを勝手にパチっといて何言ってんの。頭大丈夫?」
「別にパチってねーよ。トロスト区の事件の直後に持ち主を失くしてたもんを拾っただけだよぉ…。あの装置は中々便利だからな、欲しがる奴も多い…」
「へえそう。……だからその落し物を引き取りに来たって言ってんのよ。話聞いてますかァ」
「てめぇこそ頭湧いてんのかよ。まともな人間みたいな口きいてんじゃねーぞ。これだから兵隊は嫌いなんだ。殺すか脅すかの脳しかねぇーのかよ。」
「それはお互い様っしょ。どうでも良いからとっとと要件に答えてくれないもんかね。」
「馬鹿はお前だよ。地上で何教わってきたんだ?飛んだ礼儀知らずになって帰ってきやがって…」
あんなに可愛がってやったのによォ…と呟きながら、傍に転がっていた銃の洗い矢をおもむろ手に取り、その先端で彼女の胸元に留まる自由の翼をゆっくりと潰すように押した。
翼は、ユーリの乳房の形に合わせて歪んでいく。「いた……」と彼女が小さく声を上げた。
「…………やめてよ、折角の制服が汚れちゃう。なに、お金の話をしているの。」
「金?金なんてなんの価値があるんだよ、この無法地帯で。」
二人は潜めるような声で言葉を交わした。
男は、ユーリの声に僅かに焦りの気配が混ざるのを聞き逃さなかった。…………この女、恐怖している。強がってはいるが、且つて刷り込まれた教育からはそう易々とは抜け出せないらしい。
その実感は男をまた興奮させていった。………残っているだろうか、と思う。自分が彼女に刻んだ痕は。この白い皮膚を未だ斑らに汚してくれているだろうか。
洗い矢を離してやった。予想した通り、鮮やかな白と青で刻まれていた羽が煤で黒ずんでしまっている。
「……………分かったよ。」
ユーリが、男のシャツから掌を離して身体を引いた。そして細くゆっくりと、時間をかけて息を吐く。
「でもこのままじゃ出来ない。………こっち来てよ。カウンターが邪魔だし。」
「なに、ここでやるのかよ。」
ははは、と男は笑った。ユーリは笑わなかった。心底嫌そうな顔をしている。………が、嘗て彼女の特徴とも言われた、良く研がれた刃のように抜き身な反応は無い。組織に所属するようになって、どうやら随分と丸くなってしまったらしい。
「別に良いでしょ…。どうせ客も来ないんだろうし。」
「馬鹿にすんなよ。まあ来ても俺は良いけどなぁ。」
「早くしてよ。次の壁外調査までに装置の中身を確かめないといけないんだから…」
「は?なんで俺がてめぇらの都合に合わせなくちゃなんねぇんだよ。」
今度は、男がユーリのタイで結われた襟元を掴む番だった。細いタイは彼女の首に食い込み、それに合わせて喉の奥で引きつったような音が鳴った。
無理に寄せた身体を背中から捕まえ、更に自分の方へと近付ける。首筋を強く握りなぞって、頬の質感を確かめては指を食い込ませた。懐かしい感覚である。思わず目を細めてしまった。
「お前の方が、来いよ。」
そう言って、唇に歯を立てて噛み付いてやる。突然のことに、ユーリが声を上げて痛みを訴えた。血が滲んで垂れてくるのでそれをじっくりと舐め取ってやる。
そのままで、正義を象徴する制服に身を包んだ彼女の身体を、カウンターの内側へずるりと引きずり込んだ。
相変わらずその背景ではファンが規則的に回り続けている。唸る様に、地を這う様に耳障りな音を吐き出しながら。
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