道化の唄 | ナノ

 ◇お伺い


まだ夜が開けない薄闇の中を、ユーリはゆっくりとした足取りで古城から公舎へと帰る道を辿っていた。


今日はいよいよ壁外調査だ。と…いうわけで、日が高くなる頃には自分は壁外にいることになるのだが……。

ここに来てから、ユーリは少なくない回数壁の向こう側へと赴いていた。毎度それなりに緊張したが…所詮はそれなり、というくらいだった。


巨人は怖いし気持ち悪いし、仲が良い友達や上司が死んだり負傷をするのは悲しい。自分が怪我をすれば普通に痛くて辛い。

しかし、それまでだ。壁内で父親に命令された仕事によって死ぬ可能性だって高い訳だし、どこで死ぬのも一緒だと思っていた。


だが今、ユーリは死にたくはなかった。

ここでいなくなっても、逆にいなくなられても…未練しか残らない。


(けど…じゃあどうすれば良いの?私、また傷付きたくない。ミケさんにこれ以上嫌われたくないもの………。)


…………歩く最中、ふと甘い匂いが過る。

ユーリは、この骨に応えるような匂いによく覚えがあった。


(また、この花の季節になったんだね。)


顔を上げると、白く小さな花がほろほろと弁を落とす様が目に入る。

暗がりの中でも淡く光っているような色の薄い花びらに金色の芯。それらが、湿った草の上へゆっくりと落ちていく。


ユーリはその様を眺めて…ひどく堪らなかった。

この名前も知らない花は、彼女にとって全ての幸せな思い出に直結していた。


膝を折り、白く小さな花のことを近くでじっと眺める。

風が吹く度にそれは震えて身を散らしていった。

もうちょっと、とユーリは思った。もうちょっとだけ、咲いていてくれても良いじゃないかと。


「私………。」


自然と、言葉が口をついた。そのままで続ける。


「私、ミケさんが好き。」


呟いて、より強く思い知らされる。

遅い、遅すぎる……やっとの初恋だった。捻くれて、拗れて、遂に咲くことも適わなかった。


「…………優しいミケさんが、大好きなのに。」


風が強く吹いて、花弁が一斉に青みがかった枝から振り落とされる。

粉雪のよう舞い上がった白色は、やがて重力に従ってゆっくりとユーリの足元へと沈んでいった。

ユーリは…宙に舞う細かい花弁の数を確かめるようにしながら、彼から与えてもらった優しさや愛情をひとつずつ、丁寧に思い出した。

そして逆に、今まで自分が様々な人へとやってきたひどいことや言ってしまったひどい言葉を思い出す。


……後悔なんて、無責任なことをしているわけじゃない。


でもこれからの人生の中で、いつまでもどこまでもこの嫌な自分と向きわなくてはならないと思うとほとほと嫌になった。

もういっそ…やはり。この壁外調査辺りで自分の人生から降りてしまった方が良いのかもしれない。


(でも私は生きなくちゃいけない。生きることから、逃げるわけにはいかない。)


「やっぱり…このままじゃ、駄目だよね。」

ユーリは、時間をかけてゆっくりと身体を立ち上げる。


……ミケの優しさを、ユーリは知っていた。

彼は今回の件で、恐らく何かしらの…良心の呵責を感じてしまっている筈だ。

そういう訳にはいかない。自分のことで、彼に何ひとつの責任や枷を負わせてはいけないと思った。


(綺麗な思い出になって…やがて、一切を忘れてもらう為に……)


ユーリは夜明けの近い藤色の空を見上げながら、花弁が散乱して敷き詰められた土の上を歩き始めた。


「……折角ケーキも買ったんだし、ね。」

んふふと笑うと、なんとも言えない気持ちになった。

もっと大きな声で笑いたいような、それと同じくらいの声で盛大に泣きたいような。

でも今はどちらも相応しくないように思う。だからユーリは微笑したままでずっと、歩き続けた。







(はあー……………。)


胸の内で深い深い溜め息を吐いて見せながら、ユーリは左手に持った茶色い紙袋へと視線を落とす。

それから、目の前に聳えるようにして固く閉ざされた濃色の扉を見上げた。


うーん、とユーリは再び胸中で唸り声を上げる。


(私って馬鹿だよなァ…………。そうだよ、そうなんだよ…。普通の人って部屋に鍵かけるんだよね。)


特にユーリの自室には盗まれて困るようなものは無かったし…ユーリが愛すべき金銭たちは全て別の場所にあった…いきなり襲ってくるような非常識な人間も兵団内には見当たらない為、完全に彼女は鍵の管理がおざなりになっていたのだ。


(いや……!いるじゃん、一人!!私この部屋の住人に一回許可なく襲われかけたじゃん!!!………ックソ。今更ながらムカついてきた。)

それなりにしっかりとしている眼前の扉を、ユーリは思わず殴ってしまいたい衝動に駆られた。


…………全くなんなのだろう。一人の人間の為にこんなにも気を揉んで、何も分からなくなって恥ずかしいところばかり見せてしまって。

恋をすれば女の子は綺麗になるなんて絶対に嘘だ。事実自分はどんどん格好悪くて執念深い、嫌な女になっている。


(………………。やっぱり、やめた方が良いかなあ。)


贈り物を拒否されて捨てられた時の何とも言えない空虚さを、ユーリは良く覚えていた。もうそう言った思いをするのは懲り懲りである。しかしながら…今回もまた、その可能性がひどく高いに違いない。


(でもこういう簡単なことしか、私の粗末な頭では思い付かないよ。)


……また、自分の行為がミケの気持ちを傷付けたり、不快な思いを抱かせることに繋がったらどうしようかと思った。

こういうことの正解はいつも分からない。他人の幸せを適えることは、どうしてこうも難しいのだろうか。


(……ノック、しよう。それから名前を言おう。開けてもらえたら部屋の中には入らないで、これを渡すだけ…それで、早く終わらせよう。)

もし彼が自分に会いたくないのなら、名乗った時点で無視してくれる筈である。その時にびくりとも動かないであろうこの扉の様を…考えるだけで、相当しんどかったが。

お願い、ちょっとだけの隙間で良いから扉を開けて…その淡い色をした瞳に、自分の姿を映してほしい。心からそう思った。


深呼吸をして…固く握った掌を、ユーリは目の高さほどに構えた。


(震えるなよ、私…。笑顔でさよならをしなきゃ。ミケさんとの関係に、何の未練も遺恨も残しちゃ…駄目なんだから。)


指先が白くなるほどに握る力を込め、呼吸が浅くなるのを懸命に堪えて…ユーリはゆっくりとその固い扉を、叩こうと……


(………………………。)


握った拳を、解いた。

あるいは、もしかしたら、と思って……開いた掌で鈍い色のノブを握った。


回して、押す。

重たい扉は何も難しいこともなく、ユーリがいる空間を室内へと繋げていった。


ユーリは思わず、はは、と笑った。それで、やっぱり泣きたくなった。


「私って…もしかしていつも難しく、考え過ぎ?」

そして誰に対してでも無く、呟いた。







「おはようございますミケさん。ご機嫌麗しゅうー?」

腰に巻いた短い制服の腰布をペラと無理やり広げながら、ユーリは貴婦人風のふざけた挨拶をしてみた。


………ベッドにようやく半身だけ起き上げたミケは、寝癖がついて一房跳ねてしまった髪の辺りをわしわしと掻いてから一度大きく欠伸をした。

それから寝起き独特のかすれた声で、「…お前に叩き起こされた所為であまり麗しくない…………。」と辛うじて呟いた。


「だって鍵開いてたんですものォ。」

「…………。鍵が開いてたらお前は上司の部屋に勝手に入るのか。」

「それが嫌なら施錠ちゃんとしましょうよお。良いじゃないですか、減るもんじゃナシにぃ。ケチ臭いこと言わないでくださいよ。」

ユーリは口を尖らせて反論するが、やがて気を取り直してにっこりと笑い、持って来た紙の袋をちょっとだけ持ち上げてみせた。


「ほら、朝ご飯お持ちしましたよ。シトロンのケーキなんですが…甘いもの苦手じゃなかったですよねえ。」

ミケはしばらくユーリとその袋をじっと交互に眺めるが…やがて、ゆっくりと時間をかけて彼女の掌中からその袋を受け取った。


「………その心は?」

そして自分の手の内に収まったそれを眺めながら、ポツリとした口調で言う。

「ご機嫌取りですよお。」

ユーリが笑ったままで答えると、ミケもまた思わず笑ってしまうようである。


「………………。相変わらず正直だな…。」


しみじみとした口調で彼は言う。その低い声は、ユーリの心をいたく堪らない気持ちにさせた。


ミケが、網目のように皺が寄ってしまった袋から、薄い黄色の砂糖がかけられたシトロンケーキを取り出した。ピンク色の胡椒が一粒乗っかっているのがいやに鮮やかに見える。


「……今食べるんですか。」

ユーリは傍にあった椅子に腰掛けながら、正直な感想を口にする。

せめて歯ぐらい洗ったらどうかなーとは思ったが、兎にも角にも彼の胃袋に収まってくれるならそれで良いだろう。と考えて、それ以上は口にしなかった。


「………今日は忙しい。今食べないと食べる機会を見失いそうだ…。」

呟きながら、ミケはベッドの上で軽く胡座をかいてふた口ほどでシトロンケーキを食べてしまう。

「………機会を見失うと…本当にロクなことがない…」

食べながら呟いた彼の声はひどく小さかったので、ユーリには聞き取ることが出来なかった。

しかし今の彼女はミケの豪快な食べっぷりの方に多大なる関心がいっていたので、それを聞き返すことはしないでいた。


「今日、良い天気になりそうですねえ。」

白い光が遠くから辺りを照らし始めたので、ユーリは目を細めて窓の向こうを見る。

ミケがふたつ目のシトロンケーキを食べながら「そうだな。」と相槌を打つ。


「……まだ、少し時間があるな。」

すっかりと手の内のものを食べ切ると、壁に引っ掛けてあった簡素な時計を確認しながらミケは言った。

そしてユーリの方をちら、と見てくる。

彼女もまたミケのことを見た。そして緊張した。今、彼の青みがかった灰色の瞳に自分はどう言う風に映っているのだろうか。


「……ユーリ。お前に、見せたいものがある。……………付いて来い。」


ミケはゆっくりとした口調でそう言うと、床へと足を付けて起き上がる。

そして、暫し自分の掌中を眺めてはじっとしていた。

彼は何か言いたげにしながらユーリのことを今一度見下ろす。


「け…。怪我は……。平気、か。」

そして、やっと…という様子で言葉を漏らした。

ユーリが何も返さないでいると、ミケは「地下街に…行った、先日の…。」と付け加えた。


「………お気遣いなく。まだ抜糸してませんが、しっかり縫ってもらったので傷口が開くことはありませんよ。」

ユーリはそれに愛想良く答える。……同時に、ひしひしと辛い気持ちになった。


(ミケさん…まだ、私に優しくしてくれるんだ。)


しかし、かなり無理をしているに違いない。……気を遣わせてしまっているのだ。この期に及んで。


(私、やっぱり駄目な奴だなァ。)


……そしてユーリは立ち上がり、「じゃあ、行きましょうか。身支度なさるでしょう?少し外で待ってますね。」と明るい声を心がけて言った。

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