◇冗談
「えーっと………。エ、エリナ君だったけ?」
「エレンです。……エリナって誰ですか」
「ごめんごめん。綺麗な顔してて女の子みたいだなって思ってたから。でも似合うよ、エリナって名前も。」
それにエレンっていうのも女の子の名前だよねえ。と馬上のエレンの隣から、呑気な声で女性が話かけてくる。
(いや、そういうあんたも相当性別不詳じゃねえか)
彼は心の中でぼやいた。……体型で、一応女と分かるが前髪で隠された顔立ちから彼女の性別の見当をつけるのはほぼ不可能だった。
「ユーリ君だって相当性別不詳だと思うけれど。」
そうしてそんなエレンの気持ちは彼の後ろはいた、また別の女性によって代弁される。
「そうかなー。ペトラちゃんよりはおっぱい大き」
ユーリと呼ばれた人物の頭に結構な大きさのある岩石がぶつかった為に、彼女の言葉は遮られた。
「…………よく、馬上から投石できたね。」
「おいユーリ、鼻血出てるぞ」
「あらー…貴重な美少女の顔になんてことを。友達にこんなこと言うのは心苦しいけれど慰謝料と治療費を「いや、今のはお前が悪い」「そうだな、お前が悪い」「自業自得だな」「あと美少女は自分で自分を美少女とは言わねえよ」
ハンカチで鼻血を拭き拭きとするユーリに、男性陣から容赦のない言葉がふりかけられる。しかし彼女はさして気にした様子なく、「はいはい…」とだけ応えた。
*
ユーリという名前は、エレンにも覚えがあった。
確か、104期の前の代で幾年か調査兵団の志願者がいない年が続いた為に、今この兵団でエレンと一番期が近い人物だ。
大人びた面持ち、少しくたびれた雰囲気から察するに、ペトラやオルオよりも年上なのかもしれない。訓練兵団に入団したのが少し周りよりも遅かったのか。
………その年唯一の調査兵団志願者で、主席。討伐28・討伐補佐15………通称、天才。
「おい、天才。」
「そのあだ名やめてったらやめて下さいよオルオ君。蹴っ飛ばしますよ。」
「蹴っ飛ばすのは俺の方だ。ちんたら進んでるんじゃねーぞ」
「ふむふむ、これは牛歩戦術と言いまして「てめえはなにと戦ってるんだ」
…………ユーリの腰の辺りをオルオが軽く蹴飛ばす。「パワハラだ、パワハラ。」という気の抜けた反応がなされた。
(天才≠チて割には雑に扱われてんな)
古城に辿り着き、いの一番に進められた掃除の最中であった。エレンはペトラと共に仕事をこなしていた為にそこそこ平和なリヴァイ班としての一日目を過ごしていたが、運悪くコンビになったユーリとオルオは別なようである。……あまり、仲が良くないのか。
(いや違うな。)
その様を見ながらエレンは考える。
「てめーみたいなクソガキはミケ分隊長のとこで甘やかされてれば良いんだよ。なにこんなとこに来てんだよ」
「と言われましても。呼ばれたものは仕様が無い。」
「言い訳すんなよ。」
「殴りましたね。法廷で覚えておいて下さいよ。オルオ君が生涯働いても払えない額の慰謝料をもぎ取りますからね。」
(オルオさんが一方的に嫌ってるだけっぽい。)
イライラとした調子でなにかといちゃもんを付けるオルオに大して、ユーリは飄々としたものである。
「………あまり、ユーリを虐めるなよ。」
「虐めてねえよ、しつけだ。」
見かねたグンタがオルオに声をかける。「そうだそうだ、もっと言ってやってグンタさん」とユーリがそれの太鼓持ちをした。
「まあ……でも。オルオが言うことも一理ある」
「エルド君まで私を虐める。悲しくて悲しくて震えるね。震度5くらい。」
「いや、そういうことじゃなくて。」
ユーリのつまらないボケをエルドは華麗にスルーする。突っ込んでもらえなかった彼女はややもの足りなさそうだ。
「ミケ分隊長はお前を気にかけてるように思えたからな。手放すのは渋られたんじゃないか」
ちょっと笑って零されたエルドの言葉に、ユーリはぱちぱちと数回瞬きするようである。長い前髪の向こうで、僅かながら蒼い瞳が見え隠れするのが見えた。
「えっ……い、いやあ。………それほどですが?」
少しどもってから咳払いして彼女は言った。受け答えはいつもの調子だが、頬が少しだけ紅潮してしまっている。
「謙遜しないところは流石天才か………」
「だからそのあだ名やめて下さいよ。末尾に(笑)が見え隠れしてるの分かるんですよね」
「いやー、つけてないつけてない。」
「なに笑ってるんですか」
不機嫌そうになったユーリを見て、エレンの隣にいたペトラがちょっと吹き出す。
「………最初は本当にみんな彼女をすごい、と思って天才≠チて呼んでたんだけどね。」
そしてエレンの耳元にそっと囁きかけた。
「ユーリ君はあんなキャラクターでしょ。すっかりからかわれる材料になっちゃったのよ。」
笑いを押し殺した、しかし楽しそうな声色である。オルオとは違い、ペトラはユーリのことを気に入っているようであった。
「あったりめえだろ、末尾に(笑)つけずにだーれがてめえを天才だなんて呼ぶか。どうせ噂だけが一人歩きして実力が無えタイプだろ。今回の作戦では足引っ張らないように気をつけろよ。」
「ちょっとオルオ、リヴァイ兵長が考え無しに人を指名すると思うの。ユーリ君は事実優秀だから選ばれたのよ。変なやきもちから邪険にしちゃ駄目でしょ」
ペトラの言葉には、リヴァイに対する信頼と今回の班に選ばれたことに対する自負とが滲んでいた。……真面目で、きちんとした女性らしい。会ってからの時間はまだ少ないが、エレンはペトラには好感を持っていた。
「そうそう、その通り。ペトラちゃん、もっと言ってやって。」
………反して、ユーリに対してはどうにも馴染めそうになかった。ペトラの背後に隠れて、オルオに見せつけるように彼女を後ろから抱き締める。……結構効果があったようだ。オルオの額に青筋が浮かぶ。
「ああそうだエレリン君」
「エレンです」
「んふー、わざと。」
「……………。」
ペトラの背後から顔を出して、ユーリがエレンに話を振る。その口元は緩やかに弧を描いていて、彼女が上機嫌であることを表していた。
「君は巨人になれるんだよね。」
ペトラから離れて、ユーリはエレンの傍にくる。……その問いかけに、エレンは「ええ…まあ。」と気の無い返事をした。審議所から、繰り返し繰り返し質問されたことだったので、正直なところエレンはうんざりとした気持ちになった。
「すごいね。聞いたよ、皆を救ってくれた英雄だって。」
…………しかし、彼女の声色に邪気は無かった。本当に心からすごいと思っているらしい。エレンはどう反応したら良いか分からなくなり、ただ口を閉ざした。
「んん、なんだか元気ないなあ」
エレンの顔を覗き込むようにしてユーリが零した。「別に元気が無いわけじゃ……」とエレンは呟く。
「うんうん、エレン君疲れてるみたいだしお茶にしよう。疲れてるときは甘いものが一番なんだから。」
そこでぽん、と彼女は両の手を打ち鳴らして言った。「……てめえが草臥れただけだろ」とオルオの呆れたような突っ込みが。
「……勝手に決められるものじゃないだろ。」
「どうせ兵長に提案したら却下されますよ。あの人掃除のことについては粘着質だから、休憩なんて言ったあかつきにはおかんむりですって。」
「………だからといって許可無しに休憩したらもっとおかんむりになると思う。」
「そこはもう……連帯責任連帯責任」
「巻き込むな!!」
グンタの反応をユーリは満足そうに聞いていた。ペトラはその様子を見て、またおかしそうにくすくす笑う。
「ユーリ君、随分と元気がいいのね。」
彼女が話かけると、ユーリは「そりゃあもう。」と笑顔で応える。………元より脳天気そうな人物に見えるが、今日はひとしおらしい。
「今までずっと一番新米だったんで、後輩ができたのがなんだか嬉しくって」
そう言ってユーリはエレンの方へちら、と視線をやる。相変わらず唇には弧が描かれている。……頬もまた、少しだけ赤く染まっていた。本当に嬉しいらしい。
そんな彼女の様子に、なんだかエレンは気恥ずかしくなって目を逸らした。
「やっと私より下っぱがきてくれたーなんてね。」
「したっぱ!!??」
しかし次になされた発言に、思わず声が漏れてしまう。ユーリはそれを至極楽しそうに受け止めた後、「んふふ、冗談冗談。」とちょっとだけ肩を竦めた。
「いや冗談じゃないですよね」
「冗談ったら冗談なのよ。さっエレン、お茶にしよ。」
「巻き込まないで下さいよ!!」
強引に肩を組まれたのを、思わず振りほどく。ユーリは「ショック、愛を拒否された」と全然ショックじゃなさそうに言う。
「……冗談、冗談だったら。」
唄うように呟くユーリを横目にエレンは溜め息をした。けれど、ここ一週間ほど重たい溜め息じゃないような。弱く笑いながら彼は、そんなことを考えた。
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