道化の唄 | ナノ

 ◇指摘


自分のことが嫌いだった。



「いつもの服はどうした。」

春も終わりに近づいていたある日…こちらを見ようともせずに、机前に着席して書類へと視線を落としたままのエルヴィンが問うて来た。


ユーリは数回ほど瞬きをして、「いつもの…って。」と聞き返した。………何となく、彼の質問の理由は分かっていたが…。

エルヴィンの問いの通り、ユーリの服装は平素の白い開襟シャツではなく、襟が詰まった黒色の薄いニットだった。

それを引っ張りながら、「似合いませんかねえ。」ととぼけた反応をしてはみる。


「…今は初夏だ。あまり相応しい服装とは言えないな。」

「そっ…そうかな。これくらいなら普通ですよぉ。サマーニットなんてのがあるくらいですし。皆、お洒落感覚で着たりするもんですってば…。」

「だが、それはお前にとって逃避だ。」


的確かつ鋭利な父親の指摘に、ユーリは言葉に窮して黙り込む。

……エルヴィンは相変わらず娘のことを見ようとはせず、何かを考え込むように斜め下へと視線を向けている。


「傷痕を見えなくしたところで無くなる訳ではない。」

「……………………。」

「それにここに馴染めない原因は単純にお前の性質と性格の問題だ。見てくれを気にする前に省みる点は幾つでもあるだろう。」

「………………………………。じゃあ。それじゃあ…私がちゃんと良い人になったら、皆と仲良くすることが出来る…?」


ユーリは、辛うじて発したその言葉に続けて問いかけたかった。

……貴方にも、好きになってもらうこと、出来る?


どちらにしても、エルヴィンはそれに答えてくれることは無いだろう。そんなことは分かっている。

だが予想に反して、父親は少しの間を置いた後にゆっくりと口を開いた。


「それはお前次第だ。」


毒にも薬にもならない回答だったが。それでも、自分の言葉を無視しないでいてくれたことにユーリは安堵した。


「少なくとも、今のお前と懇意になりたいと思う人間はいない。」


しかしながら釘を刺すことを忘れない。この人間には一日に一回は娘に嫌味を言わなくてはいけない決まりでもあるのだろうか。

窓の外では鮮やかな水色の空が瑞々しい光を室内に運んでくる。それが眩しく目を細めながら、ユーリはこの話を切り上げる為に小さく空笑いをした。







自分のことが嫌いだった。

綺麗な身体と心にひどく憧れた。

地上に来てからというもの、自分以外の人間は全て清らかな存在に見えて、物凄く卑屈な気分になった。


だが…それはどうやら間違った考えだったらしい。

傷口が目に見えないだけで、皆等しくどうしようもない寂しさや痛み、それに伴った醜さを抱えている。その痕の深さは、大小で比べられるような生易しく簡単なものではない。


複雑で、歪で、こじれて、絡まって。

巨人なんかより、人間の正体の方がよっぽど複雑で怪奇と謎に満ちている。



(エレン)


貴方は今、眠れているのだろうか。

天井の板の目を数えて堪えるような夜から貴方が解放されますように。



(お父さん)


この人もまた、眠れているのか分からない。

貴方は弱いところは、誰かが受け止めてくれているのだろうか。



(リヴァイさん)


班員が全員いなくなってしまったこと、一人で堪えていますね。



(ナナバさん)


私の、優しい女神様。



(ミケさん)


…………………、……。



いなくなってしまった皆には感謝とお別れを。

生まれて来てくれて、ありがとう。またどこかで。



ひび割れが入った姿見には、袖のない服を着た自身の白い肩と…そこに刻まれた赤銅色の痕が印象的に浮かび上がって映っている。

……やっぱり、自分のことを好きにはなれないけれど。それでも、嫌わずにはいてあげようと思う。自分に一番近しい自分に嫌われてしまうなんて、なんだか可哀想だって…、そんなこと。



小さく溜め息をして、ユーリは机上に放り出されていた銀色の細い万年筆を手に取った。

頼りない蝋燭の光に照らされて、瀟洒な輪郭がとろけるような飴色に光っている。

そして、自分の父親の名前がそこに刻まれて浮かび上がっていた。

………無理にひったくってこなければよかった。こんな見る度に苦しくなるようなものなんて。


それを指先で玩びながら、よく手に馴染んで既にボロボロと呼べる日記帳を開く。

書くことは、数日ほど前から決まっていた。忙しくて中々書けずにいたが。…でも、書く意味ももう無くなってしまったように思う。

それでも記すだけ記しておこうと考え直した。折角…だから。


書き終えて、日記を屑篭に放った。積年の自分の念のようなものを含んでいる所為か、それは重たい音を立てて黒い穴の奥へと姿を消した。


「うん。」


そう言ってユーリが心弱く笑うのと、施錠せずにいた部屋の扉が開いて、廊下の冷たい風が流れ込んでくるのはほぼ同時だった。

ハッとした彼女は床に丸まって落ちていた薄手のカーディガンを拾い上げては羽織り、肌の露出を無くした。


「おや。」


室内に入って来た人物の姿を認めて、ユーリは自然と穏やかな気持ちになる。……穏やかだったが、堪らなくもあった。


「おこんばんは、ミケさん。」


挨拶ついでに、軽く片手をあげる。彼がこちらに近付いてくるので、上げたまま…「敬礼、した方が良いです?」と、いつも注意されるので一応の質問をした。


「いや。」


ミケは答えて、中空に上げられたままだったユーリの掌を受け止めるように捕まえる。


「………今は勤務時間外だからな。」


呟くようにそう言って、彼はユーリの手を握ったままで傍のベッドに腰掛けた。

自分のものと繋がるユーリの掌へと視線を落とし、ミケは「そのままで良い。」と呟いた。


「うん……。」


ユーリは握り返して応えた。


「そのままで、いますね。」

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