道化の唄 | ナノ

 ◇質問再び


エレンは、頬杖を付きながら…机の上にくったりと腰掛けるクマの縫いぐるみを眺めていた。


『だから…………。うちらのところに来てくれて、ありがとう。』



この数日エレンは、眼前のブロンド色の毛玉を眺めては…なんとなく、ユーリの言葉を思い出していた。


(そう言えば…これ、あの人の大事なものなんだっけ。)


ここに初めて彼女が来た時、この縫いぐるみは大事な人にもらったのだと言っていた。その時は適当に聞き流していたのだが。


(返した方が良いのかな………)


指先で手触りの良い腹の部分を押す。相変わらずそれはくったりとして、エレンの力に応じて力無く揺れた。


(でも返すっていうのは……ちょっと、違うよな。)


人の気持ちにひどく鈍感な性質のエレンだったが、別段特別なところも見受けられないこの熊に意味が無いとは思わなかった。


ユーリは何か思うところがあってこれをくれたのだろう。

正直なところ、エレンは縫いぐるみなんていらなかったのだが。


「ユーリさん、なんでこの班外されちゃったんだろう…」

頬杖をついたままで、エレンは呟いた。


(せめて、一言礼くらい言った方が……)


とは思うが、今の彼は自由に動けない身である。公舎へと一人で行く術すらない。

どうにもならない、と投げやりな気持ちになってエレンはひとつ溜め息を吐いた。







しかしながら、思いがけず彼が調査兵団の本部公舎へと訪れる機会が巡ってくる。

壁外調査が明日に迫った日のことだった。エルヴィンに呼ばれたリヴァイに従って、エレンはその場所へと訪れる。


一通り団長と兵士長の言葉の応酬があるので、エレンはぼんやりと彼らの言葉に耳を傾けていた。

やがてこちらにも会話が振られ、明日の壁外調査における自分の役割などが繰り返して指示された。


(いよいよ壁外に行くのか……)


とエレンはなんとはなしに考えた。少年時代あれほど焦がれた場所に行くというのに、今ひとつその実感が湧いて来ない。

しかし、心身はひどく緊張していた。エルヴィンはプレッシャーをかけ過ぎないように言葉を選んでくれているらしいが、それでもエレンは自分の言葉や態度が硬くなっていくのを隠すことが出来なかった。


「……………顔色が悪いな。」

まあ、無理もないか。とエルヴィンは少し笑ってそんなエレンに言葉をかける。


「そうだ。折角地下の部屋から外に出たんだから…少し、ここら辺を散歩してみたらどうだ。」

「……。おい、エルヴィン。」

その提案を諌めるように、リヴァイが彼の言葉を遮る。

それに対してエルヴィンは、「そう神経質にならなくても良いじゃないか。」と人の良さそうな笑みを浮かべて応えた。


「どうせ私たち二人は話さなくてはいけないことがまだある。その間エレンに退屈な思いをさせるのも悪いからな。」

「悪い悪くないの問題じゃねえよ。お前は危機感が無さすぎるんだ。」

「この建物内なら何かあってもすぐに対処可能だろう。なに…明日から忙しくなるんだ。少し羽を休めることも必要だ。」

落ち着いた口調でエルヴィンは言う。そして、驚くほどに綺麗な顔をしてエレンへと微笑んで見せた。







(………………って言われても、正直行く場所も無いし暇なんだけど。)


団長室を後にして、エレンはぼんやりとした気持ちで長い廊下を歩む。

窓から見える景色は気持ち良く晴れ上がっていて、青い空は高い場所で円く留まっている。石の壁には金色の木漏れ日が当たり、それが揺らめくのが眩しかった。


(北塔3階の……一番奥。)


確かユーリは、自分の部屋をそこだと言っていた。


行ってみようかな、と思う。


恐らくこれを逃したらゆっくりと話せる機会ももうあまり無い。

………彼女と話したいことなんて、エレンはとくに無い筈なのだが。


(でも………)


嫌いじゃないのだと思う。好きと言い切ることには些か抵抗があるが…………







ユーリに与えられているらしい部屋の扉は、大凡この建物の中で一番古く手入れが行き届いていないように思えた。

明かり取りの為か菱形に小さくくり抜かれた窓から中を覗く……が、硝子がひどく傷付いて曇っている為に室内の様子がまるで分からない。


……………一回、二回ノックをした。返事はない。いないのだろうか。

いないのであればそれで良い。そもそもまだ日が高い時刻だ。部屋にいる方が不自然だろう。

少しホッとしたような…それでいて残念なような気分を覚えながら、エレンは扉から一歩後を退く。


しかし何を思ったか、一度だけ青鈍に酸化している真鍮のノブに触れて、回す。


やはり開かないだろう。そう思っていた。

しかし予想は裏切られ、日に焼けて傷だらけの木の扉は部屋の中へゆっくりと開かれていく。


あまりにも呆気なく、その姿を現した室内は驚くほど殺風景だった。

木桟の格子が十字に嵌った窓はやはり傷だらけで曇っており、鈍い白色の光が斜めに室内に差し込んでいる。

その細い光の中で埃が舞い上がっては反射して、キラキラと光った。


そして光線が最後に落ちる場所……皺だらけのシーツに覆われた簡素なベッドの中心で、ユーリは胎児のように身体を折り曲げて眠っていた。


その姿を近くで見下ろして、まず目に飛び込んで来たのが……袖のない薄い衣服から覗いた、骨ばった肩に斑らに広がる痕だった。

腐った果実を握りつぶしたような、なんとも言えない色をした左半身が一番良く目立つ箇所だったが…よく見ると痕は他の場所にも、至るところの肉に歪な形を描いている。

だが皮膚の上で繰り広げられる痛々しい惨状とは裏腹に、ユーリは気持ち良さそうに寝息を立てていた。


(ひどい痕だな……。過去の壁外調査で負傷したのか?)


見下ろしながら、エレンは丸まって床に落ちてしまっていた毛布を拾い上げる。

広げて、その身体にかけてやるが……その際、彼女に広がる痕のひとつ…大分古いもののようで、既に白色になってた…の違和感に気が付く。


(…………ん、これ……銃槍か…?)


父親が医者だったエレンは、ある程度痕の原因を理解することが出来た。

そしておかしい、と思った。巨人との戦いで何故銃火器による傷が出来るのだろう。それも複数。


首を捻っては、毛布を肩まで引き摺り上げて白い身体と痕を隠してやった。

相変わらず彼女は気持ち良さそうに寝息を立てており、その度に身体が緩く膨らんでは元に戻る。


穏やかな光景だった。昼下がりの白い光に反射して、ユーリの長い前髪が薄く金色に光ってる。

やはり…その前髪は覆うようにして彼女の顔半分を隠していた。


風が吹いて、それらが弱く煽られて揺れる。

細く真っ直ぐな髪だった。


(……………………………。)


乾いた唇が切れて、血が滲んでいる。違和感があった。いつもいやらしい笑みを絶やさない彼女の唇は、確かしっかりと艶があって…兵士ともあろうに、薄く紅が塗られていた筈だ。

そして、出来心だった。エレンはゆっくりと腕を伸ばし、指先で薄い金色の髪に触れる。鼻筋にかかったそれを持ち上げるように、少しずつ、少しずつ避けようと…………


……………指先がしっかりとユーリに捕まえられてしまっていた。驚いたエレンが彼女の掌中から逃れようと咄嗟に腕を振り払うが、想像以上に強い力で掴まれていた為にそれは適わない。


そしてユーリは、ゆっくりとしたテンポで「おーはよぉ…。」と呟いては半身を起こす。……もう既に、その目元はしっかりと前髪に隠されて見えなくなっていた。


「やだぁー…。許可なく女の子の素顔を見ようだなんて…エレンたら意外とエッチだねぇー。」

ニヤニヤと笑いながら、ユーリは胡座をかいては空いている方の手で頬杖をつく。そして垂らされた前髪の間から、エレンの顔をじっと覗き込んでくる。


「い…いや。素顔を見る事のどこがエッチなのかよく分からないんですけど…。」

「貴方くらいの歳の男の子は皆エッチなものよぉー…」


ははは、とユーリは軽快に笑って見せた。………恐らく、いや確実に寝ぼけているのだろう。いつも以上に言っていることが意味不明である。


「ちょっとユーリさん…しっかりして下さいよ。というかなに真昼間っから寝てるんですか。今勤務時間中ですよね?」

「私はおやすみもらってるのよお。ちょっと先日勤務外出勤してねえー…。その手当…。ああ、ねむ。つかれた…」

「だからって鍵もかけずに爆睡するのはどうかと思いますよ。壁外調査前なのに幾ら何でも抜けすぎ…」

「……………………。」


ユーリは未だぼんやりとした様子で、エレンが入って来た半開きになっている扉を眺める。

どこからか吹き込む弱い風に煽られて、それはもの悲しい音を上げながら僅かに動いていた。


そのままでユーリは、「いや…鍵かけてなかったのは、わざと…かも。」と呟いた。

当然エレンは「は?」と応えて、ついでに手を早く離すように促した。


「この期に及んで、来てくれるかなー…って思ってたのかも…………ね。まあーでも、エレンが来てくれたから、いっかあ。」


ユーリはのんびりした口調で言いながら柔らかく笑う。

少しだけ首を傾げて嬉しそうにするその様は、どういう訳かいつもより随分と幼く見えた。


「ん……そうだ。それで…エレン。何しに来たの?」


暫時続いた沈黙に終止符を打つようにユーリは尋ねてくる。


「えっ……」とエレンは一瞬言葉を詰まらせる。なんと言っていいものか、いまいち整理がついていなかったのである。

その様をユーリは不思議そうに眺めていた。…………そして思いついたように、「まさか本当にスケベ目的だった?」等としれっと言ってくる。思わずエレンは勢いよく吹き出した。


「はあーーーーーーーーーーっっっ!???バーーーーーーーーーッカじゃないですかあ!?いや、というか馬鹿でしょ、馬鹿なんでしょ!?このバァァーーーーーーーーーカ!!!!」

「んもう寝起きなんだから大きい声出さないでよ。なに、カルシウム足りてないの。常々そうだとは思ってたけど。小魚をお食べ。」


ははは、とユーリは実に愉快そうに笑ってみせる。エレンは心底イラついて、こんなところ来なければ良かったと本気で後悔した。


「………っていうか、良い加減…手、離して下さいよ。あと…出来れば、服………。上に、ちょっと、こう…………。」


不機嫌全開でそう言えば、ユーリは「………ごめん。」と素直に謝って掌をエレンから離した。そして、自分の外気に晒された肩の辺りを眺めては……もう一度、「ごめんね。」と呟いた。


「いや。別に……謝らなくて良いですよ。」

床に丸めて置かれていたカーディガンを拾い上げて羽織るユーリへと、エレンは言葉をかける。

彼女は「そう?」と応えては釦をひとつずつ丁寧に留めていた。


「オレが……今日、ここに来たのは……。なんというか……お、お礼…?世話になってないこともないから…。壁外調査に行く前に……折角だから、いや…偶然暇が出来て……えっと、あれ?」


言いながら、エレンはひどく恥ずかしい気持ちになる。そしてどんどんと言葉が迷子になっていた。彼のそんな様を、ユーリはベッドに腰掛けながら微笑して見守っている。


「いや……あれだ、とにかく!!!なんか困ってることあったら言えよ!今借り返とかねえと気持ち悪いだろうが!!!」


半ばヤケクソになって、エレンは怒鳴るように訴える。ユーリはキョトリとしながらその言葉を聞いていたが、やがて「うーん…。」と言いながら天井の方に顔を向けた。


「そうだねえ…。」

考えるようにした後、ユーリは「じゃあ…質問に答えてくれる?」と呟くように言った。


…………何を尋ねられるのかと、エレンは思わず身構えて彼女の言葉を待つ。

しかしながらそれとは対照的に、ユーリはのんびりとした声で「あのねえ…」と切り出した。


「レモンとイチジク、どっちが好き?」


唐突なその問い掛けに、エレンは暫時固まる。そして、「へ?」と頓狂な声を上げた。

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