◇助言
「…………ちょっと、急すぎない?」
古城から去るために荷物をまとめるユーリへと、同室のペトラが声をかける。
「そうだねえ。」と相槌を打ちながら、ユーリはトランクの方へとポイポイと私物を投げ込む。………とは言っても、彼女は自分の持ち物と呼べるものをほとんど持っていなかったので、その作業は直に終わりそうであった。
「何も今すぐ出て行かなくても……。壁外調査までもう一週間も無いのよ?終わってからでも良いと思うんだけど…」
「私もそう思うよ。でも…まあ。上からの命令だからさ、仕方ない。」
「それに壁外調査も別行動…。ユーリ君、よっぽど何かやらかしたの?」
「心当たりないなあー…。」
「無いんじゃなくてありすぎてどれか分からないだけでしょ。」
「おおっ、ひどい。」
ユーリはケラケラと笑ってはペトラの言葉に応えた。そうしている間にも、彼女が過ごしていた部屋の一角は綺麗に片付き、すっかりと生活の気配は消え失せていってしまった。
「ねえ…ペトラちゃん。」
シーツが剥がされた裸のベッドへと腰掛けたユーリが、ペトラの名を呼びかける。
開けた窓からは沙耶とした風が吹き、彼女の長く垂れた前髪を揺らした。
ペトラは「なに」とそれに応える。
相変わらず、どこか不可思議な笑い方をユーリはする。
けれど、最近は随分穏やかに笑ってくれるようになった気持ちがした。それはペトラを安心させると同時に、どこか寂しさを感じさせる。
「お父さんに、手紙のお返事書いた?」
「え…?」
そして言われた予想外の言葉に、ペトラはその大きく丸い目をパチパチと瞬きさせる。
ユーリは立ち上がり、ペトラの傍までやって来る。そして、いつの間にか手にしていた少し燻んだ薄紅色のマフラーを彼女の肩へとそっとかける。
「きっと心配してると思うから、書いてあげたら良いんじゃない。」
……未だペトラが父親への手紙の返事を書いていないことを見越してか、気の抜けたような軽い口調でユーリは言った。
黙ったままでいるペトラにユーリは再び笑いかける。
そして首に巻いてやったマフラーを整えてやりながら、「ペトラちゃんのだけ出来たから持ってきたの。まず一番に、貴方の分を作りたかったんだ。」と少し恥ずかしそうにしながら言った。
皆の分はまだだから、内緒にしててね。と続けて、ユーリは一歩後ろに退く。
「じゃ」
軽快に片手をひとつ上げ、ユーリは別れを告げた。いかにも軽そうなカバンと、ややくたびれたクマの縫いぐるみを小脇に抱えて彼女はアッサリと部屋を後にする。
(…………つくづく、感傷とかそう言う感情に無頓着な人ね。)
ペトラはユーリが出て行った扉をぼんやりと眺めては、溜め息を吐く。
……部屋が、随分と伽藍としてしまった気持ちがする。二人でいた時は些か窮屈に感じたのに…どう言うわけか今一人でいると、やけに余分なスペースが目立って落ち着かない。
窓の外で、赤く染まった葉が風に煽られ枝から離れていく。その様を少し眺めてから、ペトラは机の前に据えられた椅子にゆっくりと腰を下ろす。
父親の手紙を読み返した。
この壁外調査が終わったら、久しぶりに顔を見せてみよう。そんなことをぼんやりと考えながら、彼女はインク壺の蓋を捻っては開ける。
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