◇励まし
「ねえエレン。遊びに行こうか。」
「駄目です。」
「なんでさ。そんなしけた清掃作業の方が私のお誘いより大事だって言うの。こんな美少女からの誘いよりも!!」
「………いや、前髪で顔見えないんで美少女かどうかは判別し兼ねます。」
「目に頼らず心の眼で見つめてごらんなさい。ほら美少女!」
「掃除が大事って言うよりも、オレ勝手に出歩いちゃいけないって命令されているんで。」
(おおー………。フツーにスルーされた。寂しいー……)
「とりあえずそこにいられても困るんで、邪魔するんならどっか行ってくれますか。」
「そ…そんな…。私ってそんなに邪魔かな…………。掃き出される埃以下の汚物かな……。」
「ええ、汚いですね。そうやって安易に同情引こうとするところとか。」
「おおうっ!ひでっっっ!!!!!」
完膚なきまでにエレンに冷たい言葉を浴びさられ、流石のユーリも言葉を失ってさめざめと涙を流した。
しかしそれが泣き真似だと承知しているらしいエレンは、とっとと出て行けとばかりにユーリの背中を押して追い出そうとする。
「ちょ、ちょっと押さないでよ!何さ貴方、私が嫌いなの!?」
「別に嫌いじゃありません。純粋に、邪魔。」
「え、ええー………。」
話くらい聞きなさいよ、とユーリは今一度焦ったようにエレンを宥める最中、彼はユーリが手にしている大きめのカバンに気が付いたらしい。
彼女の身体を部屋から押し出す力を緩め、「どこか行くんですか?」と尋ねた。
「どこか行くっていうか、帰るのさ。公舎にね。」
今一度彼の方に向き直りながら、ユーリは答える。
「え?」とエレンは不思議そうな声を上げた。「……帰る?」と彼女の言葉を鸚鵡返しにして。
「私さ、この班から外されちゃったのよ。だからもうここからはさよならするから…エレンにも軽く挨拶しておこうと思って。」
元気でね。とユーリはにっこりと笑い、少しだけ首を傾げた。
「……………………。そうですか。」
僅かに間を置いてから、エレンはゆっくりと相槌を打つ。ユーリは首を傾げたままで、「んふ、寂しい?」と尋ねた。
「いえ、全然。」
「おおっ、反応早いね。ちょっと傷付いちゃう。」
ケラケラとユーリは声を上げて笑った。………しかしエレンは笑わない。なんとも言えない微妙な表情をしている。
(この子も綺麗な顔してるよねえ。)
そんなことを考えながら、意思が強そうな彼の目鼻立ちをユーリはしばし眺めた。そしてふと……その大きな瞳の下を縁取る青黒い隈に気がつく。
「……………。最近、ちゃんと寝れてる?」
話しかけながら、頬の辺りに触れようと手を伸ばした。しかしながら、びくりと驚いたような反応をされるので「ごめん。」と謝ってひとまずのところそれは引っ込める。
「まあ−…。寝れないのも無理ないか。初めての壁外調査だし。それにエレンは色々と立場がややこしいからね。」
その発言に、エレンの表情が分かりやすく曇った。
(………………………。)
何か言葉をかけてやろうとユーリは思案する。こういう時、ペトラだったらきっと優しく励ますようなことを言えるのだろう。
しかしユーリにはまるでうまい言葉が思い浮かばなかった。かと言ってリヴァイや他の男性陣のような尻を叩くような行為もできないし、どうしたものかと考える。
……………そして思案の末、なんとはなしに小脇に抱えていたクマのぬいぐるみをエレンに差し出した。
「…………はい、寝れないんだったらこれあげるよ。抱いて寝るとそこそこ良いから。」
若干くたびれてはいるが、それなりに質の良いものなので見た目は綺麗である。ので…もらってもそこまで嫌な気分にはならないかなあ、と思ったのだ。
…………しかし、エレンは滅茶苦茶渋い顔をした。先ほどの不安そうな表情からは脱したものの、あまりにもその顔がしょっぱそうなので若干ユーリは傷付く。
「え……。正直滅茶苦茶いらないんですけど。」
「そう言いなさんなって。今なら特別に500で譲ってあげよう。」
「金取るんですか!??つーか金もらってもいらないんですけど!!!!」
「良いじゃんか。私のクマが抱けないってか。」
「俺の酒が飲めねえのかみたいな言い方やめてくださいよ!つーかその言い方なんか語弊があるんでやばいですって!!」
「おっ、やだね。お年頃だ。」
ははは、とユーリは心の底からおかしくなって笑った。
自分の発言に対して表情の渋さを増しつつ、少しばかり頬を赤くする少年が実に可愛いと思えた。
手を伸ばし、自然とポンポンとその硬めの茶色い髪を数回ほど軽く撫でた。
掌を離すと、エレンは実に怪訝そうに、顔にデカデカと呆れとも苛立ちともつかぬ感情を描いては「…………なんですか?」と尋ねてくる。
「そ、そこまで邪険な顔しなくても…」と、ユーリは今度こそ本当に泣きそうになりながら弱々しい声を漏らした。
「いや…さ。壁外調査前じゃない。幸運にあやかろうと思ってね。…エレンでも拝んでおくか、と。」
御利益御利益、と言いながらユーリは更によしよし、と言った感じでエレンの頭を撫でる。彼はやめてくれと言わんばかりの顔をするが、行為を拒否することはしなかった。
「いや…訳分かんないんですけど。」
「訳分かんなくないよ。エレンはうちらにとっては幸運の象徴、ラッキースターだからさ。」
まあ、なんというか……希望というか。縁起が良い存在なんだよね、とユーリは続ける。
………エレンはどうやら手にしたクマをユーリへと押し返すことを忘れているらしい。
すっかりとその腕の中に収まっている相棒の姿を眺めながら、ユーリは(バイバイ、エリー。)と胸の内で別れを述べた。
「別に………そんなんじゃ、ないですよ。」
エレンが、やや単語に支えながら言葉を返してくる。
「ああ、あんまり気にしないで。こっちで勝手にそう思ってるだけだからさ。」
参った、余計なプレッシャーをかけてしまったとユーリは自分の言葉を反省する。つくづく人と関係を築くのが苦手な自分にはうんざりとしてしまう。
「でも………なんというかさ、今まで人間が巨人に勝つなんて絶望的だったわけじゃん?正直調査兵団の中にもそれなりに倦怠の空気が漂っていたと私は思うよ。でもエレンが来てくれたお陰で僅かだけど希望が生まれて、皆がまた自分たちの行為に自信が持てるようになったんだ。」
その言葉を取り繕うために、更に無益そうな励ましの単語を並べようと試みる。
「私は純粋にそれが嬉しかったし……どんな結果に至るのであれ、エレンは存在だけで充分な価値があるからさ…」
喋りながら、なぜ自分はこんな陳腐な言葉しか持っていないのだろうとほとほと嫌になった。
もし、自分の言葉がエレンを更に追い詰めてしまったらどうしよう。
ここに来たばかりの時の自分みたいに、心をまるきり閉ざしてしまったらどうしよう。
何が正解が全くわからなかった。こういうことを皆は一体どこで教わって、自然に行えるようになるのだろう。
「だから…………。うちらのところに来てくれて、ありがとう。」
でも、この発言はユーリの正直な気持ちだった。それ以上の言葉の持ち合わせは残念ながら今の彼女には、無い。
「…………………………。」
エレンは黙ったままだった。相変わらず、意思が強そうな金色の瞳をこちらに向けてはいたが。彼が何を考えているのか、ユーリには推し量ることはできなかった。
「……………じゃ。そろそろ私は行くね。」
こういう時にグズグズしても仕様がないと思い、ユーリはあっさりと話を引き上げて眼前の後輩から一歩距離を置く。
エレンは「あ…はい。」と小さく応えるに留まった。
「あ、そうだ。」
部屋の扉へと向かう最中、思い出したようにユーリはエレンの方へと振り返る。クマのぬいぐるみを繁々と眺めていた彼が若干面食らったようにこちらを見た。
「私の部屋。公舎北塔3階の一番奥なんだ。何かあったら、おいで。」
それだけ言い残して、今度こそユーリは部屋を後にした。
…………恐らく、また彼に会えるのは壁外調査が終わった後だろう。
リヴァイや、エルドを筆頭とする班員に護られ更には巨人化の能力を持ち合わせているエレンはともかく、自分自身がしっかりと生き残らなければ再び相見えることは適わない。
「うーん…。頑張ろう。」
古城の暗い廊下を歩みながら、ユーリはいかにも頑張る気力のなさそうな声で呟く。
呟きながら、うっすらと瞳を隈に縁取られた少年の顔を今一度思い描いた。
(…………ダメだね。先輩失格、失格。)
溜め息を吐いて窓から外を眺める。空は相変わらず白く晴れ上がって、眩しい光をこちらへと投げかけてきていた。
しかし、城の内部は暗かった。そこかしこの隅に闇を溜らせて、逃がそうとしないらしい。
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