道化の唄 | ナノ

 ◇挨拶


ユーリは、机に伏せた状態から勢いよく半身を起こしたリヴァイに驚いて思わず「わあ…」と気の抜けた声を上げる。

椅子に腰掛けているリヴァイをしばし傍から見下ろしていると、彼もすぐにユーリの存在に気がつくようだ。なんとも目つきの悪い形をした瞳で視線を送られる。

そのままで少しの時間が経過した。………どうやら流石のリヴァイ兵士長も寝起きはあまり頭が回らないらしい。


(あんまり寝てないのかな…)


と心配になりながら、ユーリはかけてやろうと思って広げていた毛布を畳んだ。


「すみません、起こしちゃいましたね。」


畳み終わった毛布を机の上に乗せて、軽い謝罪をする。未だ眠りの淵から完全には帰ってこれないらしい兵士長は、口の内側で何事かをぶつぶつと呟いた。


「話、聞いてますか?………私がこの班員から外された話。」


早々に古城から去らなくてはいけないユーリは、手短に話を済ませようと本題を切り出す。

リヴァイはしばらくの間ユーリの頭を通り越して明後日の方向を見ていたが、やがて「ああ」と寝起き独特の掠れた声で応答する。


「…………先ほど、エルヴィンからそれに関する書簡が届いたところだ。」

「そうですか。それなら話は早いですね。」


傍にあった白い磁器製のポットを引き寄せつつ、ユーリは兵士長を見下ろしては笑いかける。

無造作に置かれていた彼のカップに中身の紅茶を注いでやった。冷めているらしく、湯気は上がらない。

どうぞ、と言えばリヴァイは素直にそれを受け取った。

昼下がりの気怠げな太陽が、その真っ黒い髪を照らしている。白い光が差し込む空間の中でその艶やかな黒はよくよく際立った。


「……短い間ですが、お世話になりましたね。色々と至らず申しわけありませんでした。」

リヴァイの隣に腰掛けながらそう言えば、彼は「……………。お前って意外と腰が低いよな。」と呟きつつカップに注がれた紅茶を一口飲んだ。

相変わらず特徴的な飲み方をするな、とユーリは繁々とその様子を眺める。


「兵長やその他良い先輩の教育の賜物です。礼儀正しく笑顔でいれば、そこまで悪い噂も立たないことをこの一年でようやく理解しましたよ。」

「………噂なんか気にするなよ。天才だろ、胸張っておけ。」

「ははは…。まあ…あれはご存知のように半ば馬鹿にされて呼ばれているようなものなので。」

「馬鹿には…してねえだろう。別に。」

「そうですかね。」

「お前は自分を過小評価しすぎなんだよ。実力はあるんだ、堂々としていれば良い。」

「ありがとうございます。………兵長にそう言っていただけると、嬉しいですよ。」


つくづく良い人だよなあ、と考えながらユーリは机に肘をついて頬杖する。彼の横顔はやや不健康に白かった。


「………………。お前を…今回、班員に選んだのは俺の独断だった。」

ふと、リヴァイがこちらを見ないままで口を開いた。エルヴィンは、それを快く思わなかったみたいだがな、と付け加えて。


ユーリは「そうですか。何故です?私が美少女だから?」と我ながらつまらないと思う冗談を交えて続きを促す。

リヴァイはその冗談は無視し、「やりやすいんだよ。よく分かるだろう、お前も。」と応えた。


「へえ……。」

「……ドブみたいな匂いがする臭え場所だったが、お前も俺もあそこが故郷だ。あそことここでは自然の摂理がまるで違う。その違いに助けられることもあるが、面倒なことも正直多い。……同じくドブ臭い感性を持つ人間の存在は…正直、ありがたかった。」

「ふふ、私…臭いですかね。お風呂には毎日入ってるんですが。」

「ああ、くせえな。」

「貴方女の子に対してひどいこと仰る。……でもその話に則ると、リヴァイさんも私と同じドブくせえ人間ってことになりますよ?」

「当たり前だろ。」

「そんなにご自分を卑下なさらなくても。リヴァイさんだって自分を過小評価しすぎですよ。皆貴方のこと、すごく尊敬しているのに。」


ユーリは自然と穏やかな声で言う。

嬉しかったのだ。

地下街での生活や思い出に殊更の愛着を見出すことは出来なかったが、それでも眼前の男性がそう言った心象を抱いてくれたなら、それだけで地下での生活に価値があるように思えた。



太陽の白い光を裂くように、黒い蠅が一匹飛んでいた。眠気を誘うような不快な音に、リヴァイはひとつ舌打ちをするらしい。

ユーリもまた蠅の方を横目でちら、と眺めた。徐ろに懐から紙を取り出すと、ゆっくりとした仕草でその蠅を包み込む。


窓の外へと紙の中の蠅を逃がしに立ち上がったユーリの背中を見送りながら、リヴァイは「……なあ。」と声をかけた。

「なんでしょう。」

ユーリは振り返らずに応える。


「お前とエルヴィンの、関係はなんだ。」


単刀直入なその問いかけに対してユーリは特に驚かずに、立て付けの悪い古城の窓を開けては燦々と光が降り注ぐ空気の中へと蠅を放してやった。

………彼女が黙っているのを良いことに、リヴァイは言葉を続ける。


「明らかに、お前に対してのエルヴィンの様子はおかしいんだよ。ずっと思っていた。奴は隠そうとしているようだが俺にはよく分かる。今回もそうだった。壁外調査直前に班の構成が変更されるなんて普通は聞かねえ話だよな。」


ユーリは窓の方からリヴァイの元へと戻りながら、その言葉に耳を傾けていた。辺りは静かだった。リヴァイの少し低い声だけが、古城の石の壁に響いて空気の中に留まる。


「増して周到な性質のエルヴィンだ。俺はどうにもそれが不自然でならねえよ。」


窓の外では雲がゆっくりと高い空を移動しているようだった。時折太陽の光が遮られ、二人の間に灰色の影を落としていく。


「…………。あの人は、私のお父さんなんですよ。」


そして、ユーリはぽつりと彼の質問に簡潔に答える。

隠しても仕様がないことだと思った。どのみち、頭と勘が冴えているこの兵士長は答えに行き着いてしまうだろう。


しかし正直に事実を話したのにも関わらず、何故かリヴァイは面食らったような表情をした。

そして、「………………マジかよ。」と呟く。


「マジです、大マジ。多分ね。」

「どっちだよ…。」

「それを証明する手立てはありませんからねえ。私がお父さんの存在を知ったのも随分最近ですから。」

だからお互い距離の取り方がわからなくてぎこちないのかな、とユーリは発言しながら考えた。

しかし、二人の不仲の原因はそういう簡単なことだけではない気もした。………もしくは、父親は単純に自分を好きになれないだけかもしれない。理由もなく。

理由がない。それはユーリにとっては辛いことだった。生理的嫌悪だけは、頑張ってもどうにかなるものではない。


「に、似てねえな…。」

すっかりと目を覚ましたらしいリヴァイがユーリのことをまじまじと見ながら素直な感想を口にする。


「当たり前です。あんな性格の悪い人間二人もいたらこの兵団はしっちゃかめっちゃかですよ。」

「お前も大して性格良くねえだろ…。」

「まあねー…。そこは否定しません。」

ははは、とユーリは笑った。………リヴァイは笑わなかった。何故かいつもより難しい顔をして、こちらを眺めている。


「なんです。顔が怖いですよ。」

「……生まれつきだ、放っておけ。」

「いや、そういうことじゃなくて。…………何か聞きたそうな顔してますね。」

「聞きたいことと言うか…………。……………………。」


リヴァイはそこで一拍置き、「お前ら二人、仲悪いのか。」と簡潔ながら直球な質問をする。

ユーリがその言葉の意味を考えるようにゆっくりと瞬きをする間、リヴァイは更に言葉を続けた。


「俺は良好な父子関係の基準っていうのは良く分からねえが…どう見ても薄利すぎるだろう、お前たちの関係は。俺はユーリとエルヴィンがまともに会話しているところすら見たことがねえぞ。」

「そりゃあ…隠していましたからね。家族の存在は彼にとっては不利です。守るべきものはこの兵団だけで手一杯でしょうし。」

そこで一度言葉を区切り、「でもね、」とユーリは続けた。ゆっくりとした口調で、自分の声を確かめるようにしながら。


「…………薄利であっても、私たちが親子であることは確かですよ…。それはなんとなく、分かるんです。」

「……。そういうもんか。」

「ええ。だから…彼の私に対する行為の中にも、よくよく探せば愛情がある筈だと………。」


そう、思っているんだけれど。

でもずっと、それは見つけられないままだなあ。



(愛って、なんなんだろう。)



「でも、それはきっとどうでも良いことです。……最初のきっかけはどうであれ、お父さんの傍にいることは私が選んだことなんです。私をまともな世界に連れ出してくれた義理だってあります。だから自分が行き着く先はどこであれ…付き合うつもりでいますよ。」


まるで良い人みたいな事を言うな、とユーリは自分の発言をどこか他人事のように考える。

ユーリは自分の心が決してこの言葉だけでは割り切れないことが分かっていた。様々な疑問や不安がある。

だが、嘘ではない。真実には未だなりきれないが。それは確かなことだった。



「じゃあ…そろそろ失礼しますね。壁外調査が終わったら、また遊びに来ていいですか。」


ユーリは立ち上がりながら、軽い別れの挨拶を述べる。

リヴァイは座ったままで、「ああ。」と応えた。



「お前が生きてたらな。」

「生きますよ。私みたいな性格が悪い人間は簡単には死なないんです。」

「根に持つなよ…。」


ユーリは小さく声を上げて笑う。そして、「リヴァイさんはやっぱり……。良いですね。」と微かに呟く。


「…………お前もそこそこ、良いと思うぞ。」

「嬉しいですね。こんなに沢山褒めてくれるなんて…リヴァイさん、もしかして私のファンですか。」

「…………………………………………。お前は冗談のセンスをもう少し磨いた方が良いな。」


精進しますのでそんな顔で見ない下さい、とユーリは苦く笑った。

やはりリヴァイは笑わなかった。

いつかこの人を笑わせるほどに面白いことを言ってみたいものだ、と考えながら、ユーリはゆっくりと部屋から立ち去る。

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