道化の唄 | ナノ

 ◇命令


夜も過ぎて、暗闇の色濃さもひとしおとなった自室。

ベッドへと腰掛けながら、姿見に映るくたびれた自分の顔と姿形を眺めて…ユーリは何だかうんざりとした気持ちになった。

リヴァイ班に所属されて以降、古城で寝起きしていた故にしばらく帰ってなかった自室は埃の匂いが漂っている。


(あ…………。)


腕に巻かれた包帯が、ずるりと落ちて傷が覗く。「あーあ」と小さく声をあげながら、彼女はそれを巻き直すべく今一度解いていった。


(腕って……厄介なところを怪我したよねえ。)

「一人じゃ手当てするの……面倒臭い場所…」

(それに、ちょっと目立つ。……皆から、気付かれないと良いんだけれど。)


シャワーを浴びて薄着となっていたユーリの身体へと、開けた窓から入り込んだ夜風が冷たく触っていく。

露出した肌に残る重なった痕を眺めながら、彼女は一人で「お嫁さんの貰い手は……中々なさそうな身体してるねえ。」と自分に語りかけた。

そして、治りかけていた腹部の傷が再び開いていることに気が付く。じくじくとした鈍い痛みを今更のように感覚し、思わず苦笑した。


(でも………身体の傷は、治るから大丈夫。痕は残るけれど。)


「痛くない、痛くないよ…。」


自分をあやすような言葉を続けて、ユーリは自分の傷の手当てに専念した。


深い青緑色の暗闇の中、彼女は微かに人の気配を覚える。

中々うまくいかない治療をやり直しながら、その気配の様子を伺う。誰かは分かっていた。ただ、この部屋にやってくるとは限らなかった。通り過ぎるだけかもしれない。


自室のドアの前で、彼が立ち止まっている。

ちら、と暗闇に沈むその扉を一瞥してから…ユーリは「空いてますよ…どうぞ。」と力なく言った。


「……………………。」

「何か用ですか。」


音を立てずに室内に入ってきた父親の方を見ようとせず、ユーリは傷の治療を続けた。


「………用。」

「ええ、用が無ければ来ないでしょう、貴方。」

こんなところ。と言いながら、ユーリはようやく顔を上げた。長く伸ばした前髪の間から、女のように白い父親の相貌が伺える。


エルヴィンは…不器用に自分の腕に包帯を巻き、失敗してはまたやり直す娘の姿を見下ろしながら、そっと溜め息を吐くようであった。

ユーリが腰かけていたベッドの隣、彼もまた腰を下ろす。その重みでマットが沈むのをぼんやりと感覚しながら、彼女は目だけで父親の動きを追った。……傷の治療は、ひとまずは諦めることにする。


エルヴィンがユーリのだらしなく包帯が巻きついた腕を取った。

何をされるのかと彼女は訝しげに思ったが、父親はただ単に包帯を巻き直してやるだけのようである。


(…………怪我してきたこと、怒らないんだ。)


黙ったままで自身の傷を包帯で隠していくエルヴィンを眺めながら、ユーリは嫌だな、と思った。

本当に嫌だった。

こんな風に気まぐれに優しくされるから、嫌うことも出来ずにいる。

………時々彼の指先と自分の皮膚が直に触れ合った。どうにもやりきれない気持ちになって、弱く唇を噛む。


「…………そうだな。用事と言うか…伝えることがあってきた。」


綺麗に包帯が巻かれた娘の腕から掌を離し、少しの沈黙の後にエルヴィンは口を開く。

暗闇の中でいやに白く眩しい包帯に視線を落としながら、ユーリは彼の言葉に耳を傾けた。


「今日…例の、実験体の巨人が何者かに殺された。」


抑揚のない調子で事務的に告げられていく言葉を聞きながら、ユーリもまた「そうですか…」と当たり障りのない返事をする。


「確か、ソニーとビーンでしたっけ?名前まで付けて、随分可愛がってたから…ハンジ分隊長にとってはすごく悲しい出来事ですね。」

まあ私にはどうでも良いことなんですけど、とユーリは早々に会話を終わらせようとした。

なんとなく、これ以上父親と一緒にいたくなかったのだ。


(最近………気の所為かと思ってたけど。この人………)


優しいのだ。


それはユーリの気持ちを不安定にさせた。

ようやく冷たくされることにも慣れてきたところである。贈ったマフラーを捨てられたことによって、ある種の諦めも抱くことが出来たというのに。

それなのに、一体どう言うことなのだろう。


(また………期待しているな、私は。絶望するのはもう嫌なのに。)


それは辛いことだった。だから出来るだけ彼を自分から遠ざけたかった。


「用事はそれだけですか。………私は古城に戻るので、何も無ければこれで。」


ユーリは治療の礼だけ軽く述べてその場を後にしようとした。

しかし、立ち上がったところで「ユーリ」と名前を呼ばれる。

振り返ると、自分と同じ色をした父親の瞳と視線がひたと合った。


(……………。何を考えているのかな…。)


ユーリは一度頷き、「なんですか」とゆっくり返事をした。


「お前には何が見える…?」

「………は?」


ユーリは思ったままの感想を口にする。

こちらの伸ばした前髪の裏側、瞳の奥を見据えながらエルヴィンは「そのままの意味だ。」と言って立ち上がった。

一歩踏み出して近付いてくる彼を避けるように、ユーリは思わず後退りをした。

エルヴィンは何かを考えるように自分の顎の近くへと指を持っていく。(白い指だな)とユーリは何となくの感慨を抱いた。


「……………お前にも分かるように言い方を変えるか。この犯罪について、お前は何を思う。」

「犯罪?巨人を殺したことが罪になるんですか。至極真っ当な行為じゃないですか。」

「それは壁外での話だ。」


ユーリはちょっとだけ笑い、「さあ、そんなこと知りませんよ…。」と相変わらず興味が無さそうな反応に徹する。


「私は巨人に対してはまだまだ素人なので…なんとも。人とのお付き合いの仕方の方が、よっぽど知識も経験も豊富なくらいですから…?」

そうですよね、お父さん。とユーリは確認を取るように父親へと語りかける。………彼は無反応だった。


「…………と言うわけで、そこら辺は私に聞かれても困ります。」

ユーリは薄着だった身体に服を重ねながら、もう一度話を切り上げにかかる。


「ああ…でも……。」

服に袖を通すと、先ほどエルヴィンに巻いてもらった包帯はすっかりと視界から姿を消した。

「私にやっつけて欲しい人がいるんなら、早めに言ってくださいね。」

………ようやく目立つ白さが見えなくなって、ユーリはなんだかホッとする。

「私にも予定があるんです。遊びたい盛りでもありますし…」


しかしながらホッとしたのも束の間、ユーリの腕はエルヴィンに再び掴まれた。

傷口に鈍い痛みが伝わり彼女は小さく呻く。そのまま引き寄せられるので、ユーリは仕方なく父親の傍へと身体を近付けた。


「ユーリ。…………お前のリヴァイ班での仕事は終わりだ。もうあそこからは外れろ。他に仕事を与える。」


唐突に、そして一方的に低い声で告げられた父親からの言葉に、ユーリは一時反論を忘れる。…が、すぐに気を取り直して「何故です…?理由は。」と言葉を返した。


「まだ私があそこで仕事を始めて数週間しか経っていませんよ。何も成果をあげてませんし、逆にミスもしてません。私がリヴァイさんの班から外される理由が見当たりませんね。」

「……………命令だ。」

「……………………。」



ユーリは父親をじっと眺めた。それが、彼女が出来る唯一のエルヴィンへの訴えだった。

…………ユーリは、リヴァイ班を離れたくはなかった。

彼女にとって、リヴァイは口は悪いが…堅苦しい人間よりはずっと一緒にいて楽な存在だった。

元よりペトラとも親しかったし、他の班員とも徐々に打ち解けてきたところである。


(そして何より………エレン…。)


彼は、ユーリにとって初めての後輩だった。

何かを、してやりたかった。少しでも彼が楽しい気持ちになれるような…そんな………


(でも………。命令か。)


それは、ユーリが従わなくてはならないものだった。

ここで暮らしていく上で最低限守らなければならないルールである。だからユーリはゆっくりと頷き、父親の命令を飲んだ。

その様子を、エルヴィンは瞳の奥に青白い光をそっと宿しながら眺め続けている。


「………忘れていたよ。」

そしてエルヴィンはユーリの腕から手を離す。そのままで彼女の肩へと掌を置いた。

…………ユーリは困惑の表情を隠そうと努力しながら父親を見つめ返す。月の明かりがその端正な顔に深い陰影を描いていた。


「お前は結構、情に厚い人間だったな。」


肩の上にあったその手が、頬の近くまでやってくる。ユーリの皮膚に直接触れると、何かを確かめるようにそこをゆっくりと撫でた。


「だが、流されるなよ。……くれぐれも。」


それだけ言い残し、エルヴィンはそっと指を離した。

思わずユーリはそれを留めるように彼の手を捕まえそうになるが、勿論のこと思い留まった。





…………エルヴィンが去った室内で、ユーリは今一度ベッドの上へと身体を投げ出す。


(古城には………帰らなくて、良いか。)

どうせ班を外された身である。急いで戻る必要性も無くなった。

(荷物もそんなに無いし、壁外調査が終わった後で良いかな…行くの。)


「あ。」

しかし、ユーリは思わず声を上げる。


(エリー…置いてきちゃった……。)


愛用のクマのぬいぐるみのことを思い出し、ユーリは溜め息を吐く。

あれは、ユーリの傍に必要なものだった。だが……


(後は……エレン…。)


向こうにとっては迷惑なだけなのかもしれない。

だが、ユーリはとにかく彼のことが気にかかって仕方がなかった。


(まだ私、貴方の笑った顔が見れてないよ。)


ユーリは枕を抱き寄せてはそこに額を擦らせた。

ひんやりとした布の感触が頭を冷やすようである。

今夜はこれを縫いぐるみの代わりにしよう、そんなことを考えながらユーリは枕を抱き直しては瞼を下ろした。

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