◆歓迎 2
「え………なに。なんですか。」
そしてまるで状況についていけない人物が今夜もう一人誕生した。
自室の古びたベッドから辛うじて半身を起こしているが、寝間着姿のユーリは突然の大勢による訪問に焦ったようにする。
「やだ何ここ。ちょっとボロすぎない?」
「新米兵士なんだから当たり前だろうが。第一入団して一年も経ってないのに個室っていうのがどうかしてる。俺が新兵だった頃なんかなあ……」
「ゲルガー、あんたの昔話なんて誰も聞いてないし聞きたくないよ。」
リーネが冷たく言い放ち、持ってきたワインのボトルをドスン、とベッド脇のサイドテーブルに置く。その際に側に置かれていた銀色の空き缶を一瞥し、「………ゴミはちゃんと捨てなさいよ…」と溜め息を吐いた。
「いえ…。それ、ゴミじゃなくて………いや、すみません。捨てます。」
頭が事態の処理に追いつかないユーリは、混乱しながら空き缶を机の上から除こうとする。
「いやいやリーネ、ゴミじゃないって言ってるじゃないか。ちゃんと話は聞いてあげなよ。」
しかし銀色の空き缶はナナバによってヒョイと取り上げられる。
ぽかんとした顔をするユーリを見下ろし、ナナバはにこりと綺麗に笑ってみせる。そして、「…で、この空き缶、大事なもの?」と尋ねた。
「えっと……大事なものと言いますか…花瓶代わりに…使ってまして。」
「花、活けられてないけど?」
「あー、最近はちょっと…花を活ける余裕がなかった、というか。」
「ふうん、花好きだったんだ。」
意外意外、とナナバは呟いてはペトラが持っていた空のグラスの内ひとつを取り上げる。
「今日さ、飲み終わったらこっちを使いなよ。空き缶じゃあんまりに色気ないし。」
透明のグラスをなすがままに受け取りながら、ユーリは「はあ……」と答えるしかない。
「ねえ……これ、なに?皆どうしたの?」
そしてユーリの頭はやはり自分が置かれた事態を理解することができなかった。
助けを求めるように友人のペトラに小声で尋ねれば、彼女は手の内にあった食器類を机の上に置いてはユーリの右隣、ベッドの上に腰掛けた。
「聞いてないの?今夜ユーリ君が入団した歓迎会をやるって。」
「いやいや、聞いてない聞いてない。」
「あれ、ですってよ。ナナバさん。」
「うん、だって言ってないし。」
「言ってくださいよ!」
「いや…だって言ったら逃げるでしょ、君さ。」
その回答に言葉を詰まらせたユーリの左隣へとナナバが腰掛けた。
そして思わずその場から立ち上がりかけたユーリを制するように腕を引き、元の場所へと再び座らせる。
「まあ…決まったのが今日の昼過ぎくらいだったからさ…私の班の人間とミケ、後はペトラに少し引っ張ってきてもらったくらいだけど。」
「私も来たよー。暇だったからさ。」
「君はただ何かにかこつけて騒ぎたいだけでしょ…」
笑顔で自身を指差すハンジに対してナナバを呆れたようなコメントを送る。
ハンジは特に意に介した様子はなく、歩を進めてユーリの傍へと寄り、「前髪長いねえ。」とその容姿に関して端的な感想を述べた。
「ええっと…まあ、生まれつきなんです。」
「うそお?」
「あ……ごめんなさい、うそです。」
ユーリのぎこちない応対に、ハンジは声をあげて笑った。そして一方的に彼女の掌を掴んでは上下に軽く振って握手する。
「まだあんまり話したことなかったよね。でも優秀な子っていうのは聞いてたよ?これからの活躍に期待してるね。」
よろしく!とハンジは極上の笑顔をユーリへと送った。
その真っ直ぐな笑い方を、ユーリは数回の瞬きをしながら見上げていた。
(………ここの人たちって、皆……すごく楽しそうに笑うなあ。)
こちらこそ、と言いながらユーリはハンジの手を握りかえす。
その掌は日頃の苦労からか赤切れて、ややゴツゴツとした肌触りだった。
「急だったからあんまりちゃんとしたもの準備できなかったのよ。ほら、ケーキもお店で一番人気の買えなかったし。」
「俺がわざわざ買って来てやったんだぞ、文句言うな!」
「オルオがグズグズしてなければ買えたかもしれないでしょ。最後まで買い出しに行くの渋ってたくせに」
「当たり前だ、誰が好き好んで対して好きでもない奴のぶへっ」
ペトラが投げた先ほどの空き缶がオルオの頬へと直撃した為に、彼の発言は途中で遮られた。
文句言わないでさっさとケーキ出してよ、とあくまで冷たい彼女のことをオルオは非常に恨みがましそうに見つめる。そしてこんな面倒臭いことの元凶はお前だぞ、と言わんばかりにユーリの方もひと睨み。思わずユーリは肩をすくめて溜め息を吐いた。
「なんでまた……こんな、急に。」
それぞれの兵士の手の内にグラスが行き渡る中、ユーリは小さな声で呟く。それは隣にいたナナバに聞き届けられたらしく、「ああ、それはね…」と応える。
「なんかミケとエルヴィンがふたりでそんな話をしてて。私がそれを聞いて、やるなら今しかないなあ、って思って今に至るわけよ。」
(ミケ…さんと、父さんが………?)
ふ、とユーリはミケの姿を探して辺りを見回す。長身の分隊長は存外早く見つかり、ユーリのことを一瞥しては軽く頷いた。
「それにしても急すぎませんか。今じゃなくても。」
「じゃあいつなら良いのさ。そんなこと言ってると機会を逃し続けるでしょ。」
ねえミケ、とナナバはユーリの上官へと話を振る。彼はやはり無言のままひとつ頷くに留まる。
「ねえ、だからユーリは大人しく歓迎されてれば良いの。はい、病み上がりだから一杯だけだよ。」
そう言ってナナバはユーリが持たされていた透明のグラスにワインを注いでいく。ワインの種類はロゼだった。
(…………歓迎。私、歓迎されてるのかなあ。)
突然の歓迎会に、驚く気持ちと同時に疑う気持ちが湧いてしまう。
急に不安になったユーリは隣にいるペトラへと視線を送る。彼女はそれに気が付いては「どうしたの?」と小さく首を傾げて微笑んだ。
「…………。急に押しかけちゃったのは、悪いと思ってるわよ。」
ペトラはユーリの視線の意味を勘違いしたらしく、謝罪の言葉を述べる。しかしその顔は相変わらず楽しそうに笑っていた。
「でも今日はユーリ君が主役なのよ。今夜くらい私たちと一緒に楽しくしてちょうだいよ。」
ねえ、と彼女は愛情深い呼びかけを語尾につけてユーリのことを見つめ返す。
……榛色の丸い瞳の中の自分の姿を眺めながら、ユーリはゆっくりとひとつ頷いた。
狭い部屋の中で皆やや窮屈そうにしながらも、会話を楽しんだりユーリの様子を興味深そうに伺ったりしている。
今まで過ごしてきた殺風景な自分の部屋とはまるで違う場所みたいだ、とユーリはぼんやりと考えた。
どこかで乾杯の掛け声が上がっている。ユーリはそれをまるで他人事のように聞きながら、従ってグラスを掲げる。続いて、グラス同士が触れ合う高くて澄んだ音が辺りに響いた。
(…………なんか、変な感じ。)
ユーリは今の状況だけでなく、自分の感情もまた脳内で処理できずにいた。
(でも………。)
「ありがとう、ございます……。」
………今は、その一言しか言えなかった。
窓の外の月は昨晩よりも少し身を細らせている。だが、相変わらず糸のような光の帯を室内へと運び続けていた。
ささやかな宴は、まだ始まったばかり。
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