◆歓迎 1
またやってしまった、とミケは溜め息を吐いていた。
その溜め息が殊更深かった為、執務室にいた一同は顔を見合わせては首を傾げる。
しかしミケにはそんなことを構っている余裕は無い。再び、深い溜め息。
(またやってしまった……。細心の注意を払っていたのにも関わらず……)
昨晩の自身の行動を思って、ミケは消え入りたい気分だった。
例の過ちを繰り返すまいと己に誓い続けていたはずである。それが…なんとまあ、自分の意思は薄弱なことか。
そして、改めてユーリという存在が自分にとってなんなのかを考えてみる。
勿論、奴を可愛く思う気持ちはあった。少しずつではあるが心を許されて、嬉しかった。
(だが………)
ここまで来ると、ただ単にひとりの部下として目をかけてやっていることとは訳が違う。
(やはり…………)
ミケは三度溜め息を吐いた。信じられないという気持ちが胸の内に広がる。だが、それが今の彼にとっての真実だった。認めざるを得ない。だから彼は……どこか覚悟めいたものを心に抱く。
(せめて……誠実に、自分の心の持ちようと……奴に、向き合ってやらねば………)
「失格だな」
そんな言葉がミケの唇の端から漏れた。
ちょうど側にいたハンジがそれを聞き取ったらしく、「なにがさ」となんの気はなしに質問して来る。
「いや………。俺は、ユーリの上官としては既に失格している。やはり……ふさわしくなかったんだ。」
事情の分からないハンジは、彼の言葉に首を傾げるしかない。
しかし…それは偶然にも、ハンジの斜め背後にいた人物の耳にも届いたらしい。
「今朝から具合が悪そうだとは思っていたが…なんだ、そんなことを悩んでいたのか。」
お前らしくもないな。
そう言われて、ミケは初めてそこにエルヴィンがいたことに気が付く。
は、と顔を上げれば、いつもと変わらず美しい笑みを湛えた男と視線が合う。
「ユーリと言えば……最近、姿を見ないな。何かあったのか…知っているか、ミケ。」
エルヴィンに尋ねられ、ミケは「ああ」と相槌を打つ。そして、「奴は一週間自室で謹慎中だ。」と簡潔に答えた。
「例の…数日間いなくなった件ならお前にもう報告しただろう。そのことに関する罰だ。」
ミケはなるべくエルヴィンの方を見ずに言う。
エルヴィンはミケの言葉について暫し熟考しているようだった。やがて口を開き、「それは…初めて聞いたな。」と抑揚のない声で答える。
「そうだな、伝えるのが遅くなった。」
ミケは相変わらずエルヴィンの方を見なかった。
「許可した覚えはないが。」
しかし、エルヴィンは澄んだ青い瞳で彼のことを見ているのだろう。その視線は皮膚で感じることができるほどだった。
「そうだな、俺の独断だ。ユーリは俺の班の人間で、直属の上司は俺だからな。」
ようやく、ミケはゆっくりとエルヴィンの方へと視線をやる。予想した通りにアイスブルーの瞳が彼のことを捉えていた。女のように白い肌、年々若返るようなその男の色香に、ミケは同性ながら思わず息を飲む。
しかし、気を取り戻して再び口を開いた。
「事後報告となったことは悪かったが…一兵士の謹慎に団長ともあろう男が何をそんなに神経質になっている。」
お前らしくもないな。
今度はミケがその台詞を言う番だった。
しばらく、二人はお互いの瞳の中を覗き合う。やがてエルヴィンが折れ、ふうと息を吐いてはかぶりを振った。
「で……その直属の上司のお前が、何故また彼女の上官にふさわしくなかったと自戒していたんだ。」
微笑みながら、硬直した場の空気を解こうとしているのか柔らかい口調でエルヴィンはミケに語りかけた。
しかし、ミケは彼の質問に思わず息詰まらせる。
(理由など)
(話せるものか)
ミケが黙ったことにより、二人の間には沈黙が訪れた。
ただ、ここは執務室だった。辺りには仕事に勤しむ兵士たちの会話のやり取りが、遠い世界の出来事のように繰り広げられ続けている。
「………………。そういえば。何故俺が、あれをお前のところに寄越したのか。以前聞かれたな。その質問にまだ答えていなかった。」
エルヴィンは唄うように滑らかな口調で話しながら、ミケとの距離を一歩縮めた。
そんな彼の背後から、ハンジが「エルヴィーン、ちょっとこっちに来てー」と呑気に呼びかける。
エルヴィンは振り返り、「すぐに行く。少し待ってくれ。」と軽快に返事をした。
「俺は…お前なら、人の込み入った面倒な事情に深入りせず、うまいこと奴との距離を保てると思ったんだ。」
再びミケの方を見据え、エルヴィンはゆっくりと言葉を紡ぐ。ミケはただじっとして、その心地良い声色に耳を傾けていた。
「………お前がユーリの上官に向いていないなんてことは無いさ。俺は今でも、そう思っている。」
そう言って、彼は静かに笑った。
月のような笑い方をする男だな、とミケはそれを見ながら思った。美しく、優雅で、ひどく孤独な微笑みだ。
「だがそれが………。まさか、こんなことになるとはな。」
ミケにしか聞こえないような小さな声で、最後の一言は付け加えられた。
ハッとして、ミケは顔を上げ何かを釈明しようとする。しかしエルヴィンはすでに彼に背中を向けてハンジの方に歩き出していた。
だが、途中で再びミケの方に振り返る。その表情は柔和だった。反してミケの表情はひどく引きつっている。
「そういえば、新兵の歓迎会がまだだったろう。毎年やるのに………
開いてやったらどうだ。何か奴の機嫌を損ねてしまったのなら尚更……これで、帳消しになるだろう。」
……エルヴィンの言葉を聞いたハンジが、手を打ち合わせて「ああ。」と声をあげる。
「そういえばすっかり開くの忘れてたなあ。バタバタしてたし、今年は新兵ユーリ一人だったもん」
「そっか……そうだね。それは是非やろう。一人だけでも私たちの大事な仲間が増えた訳なんだし、ユーリだけ歓迎会が無いなんて可哀想だよ。」
ハンジに続いて、いつから聞いていたのか…ナナバも同調するように頷いては言う。
「えー、でもいつやる?今から皆に呼びかけて予定を……って」
「そんなの待ってられないよ!やるならユーリが自室謹慎中の今しかない。あの子ほっとくとすぐどっかいなくなるんだから…!今夜だ、今夜しよう。もう決めた!!」
「今夜あ?幾ら何でもそれは急すぎるんじゃ……」
ハンジの応えを待たずに、ナナバは大股で執務室を後にする。
その背筋の伸びた後ろ姿を、一同はぽかんとした表情で見送った。
「だ、そうだけど。今夜で大丈夫か、直属の上司殿。」
エルヴィンがどこか楽しそうにしながらミケへと尋ねてくる。
状況についていけないミケは数回瞬きをした後、「………はあ。構わないが。」と気の抜け切った返事をした。
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