◆確認 1
(………………。)
ベッドの上に寝転がり、ユーリはぼんやりとしていた。口を開けば大きな溜め息。後、「ヒマだああああ」という気の抜けたような声。
ユーリは現在暇を持て余していた。と言うのも、理由は数日前に遡る………
*
「顔色が…少し、良くなったようだな。」
食事は摂れるか、とミケはユーリに尋ねる。ユーリは少し考え込んだ後、「ミケさんが食べさせてくれるんなら食べますよお。」と何やら嬉しそうに答える。ミケはそれを無視した。
ユーリが公舎に帰ってきてから数日が経ち、彼女の体調もようやく安定を取り戻した。
そのことは随分とミケの気持ちを安心させた。
…………ユーリは違うと否定しているが、彼女がここからいなくなってしまったのはやはり自分の責任である。これによって身体を壊されてしまうのは、ひどく耐え難かった。
(しかし…元の調子になるとすぐにこれだ……)
ミケは伏せったままのユーリの額をペチリと軽く叩く。彼女は何故か嬉しそうにきゃー、と小さく悲鳴を上げた。
「食欲があるなら何か持ってこよう。時間も昼時だしな。」
「いえ…!そんな、そこまでしてもらわなくても。私、食堂くらいならもう歩いて行けますから。」
「いや。」
ベッド脇に置かれたいつもの椅子から腰を上げつつ、ミケは起き上がろうとするユーリを制した。
彼女は不思議そうにミケのことを見上げる。………前髪の奥で、数回ほど瞬きが行われるのが微かに見えた。
「ユーリ。」
ベッドへと再び寝かされたユーリへと毛布をかけ直してやりながら、ミケは彼女の名前を少々硬い口調で呼んだ。
瞬間的に、ユーリの肩がわずかに震えるので……そう身構えるな、と安心させるように金色の髪を撫でてやった。なんと言うかすっかり、親のような気分である。
「数日とはいえ、無断でここからいなくなったことを…班長として、お前の直属の上官として俺は見過ごすわけにはいかない。」
言っていることは事務的だったが、ミケはユーリの頭髪をゆっくりと梳きながら言葉を続けた。
頭髪から、未だ熱が残る皮膚、頬へ。触れると、泣きそうな表情をされるのが辛かった。ひどく切ない気持ちになる。
「お前には、罰を受ける義務がある。」
「はい………。」
自分の頬に触れていたミケの掌の上に、ユーリは自分のものを重ねた。白い指先で捕まえられたようになった自分の手を、ミケはじっと見下ろす。
「一週間、自室で謹慎だ。ただ、生活に必要な入浴排泄等で出歩くのは構わない…が、それも宿舎内に限る。この建物からは決して出るな。」
「………………。」
「良いか。何があっても、誰に頼まれても、決してここから出るな。約束できるか。」
ミケは『命令』ではなく、あえて『約束』と言う言葉を使って確認を取る。
ユーリは暫時何かを考えるようにしていたが…「時々、ミケさんが会いにきてくれるんなら良いですよ」と言ってはようやく僅かに微笑んだ。
「どっちにしろ…監督責任があるからな。」
ミケもまた笑ってユーリの言葉を承諾する。
そして、そろそろ手を離してくれるように彼女に促した。ユーリは非常に名残惜しそうにしながらも捕まえていたミケの掌を解放してやった。
あまりにもその表情が残念そうなので、ミケは思わず声に出して笑ってしまう。
「また…来てやるから。」
約束しよう、と言ってやれば、ユーリは何故か再び泣きそうな表情をする。
ミケはどうにもその顔に弱かった。思わず衝動に身を任せそうになる。しかし、例の夜のことを思い出しては気持ちを鎮めた。………また、同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。
*
(何もしないで過ごすと、1日ってあっという間だなあ。)
ユーリはぼんやりとしながら横になり、薄汚れた天井の漆喰に走るひび割れを眺めていた。
(結局……ここに帰ってきちゃった。)
あの雨の日。ユーリはもう自分は調査兵団に帰らないだろうと思っていた。
良い加減に運命に翻弄されるのが嫌になったのだ。ここから抜け出してやろうと思った。落としては上げられ、また落とされて。まるで茶番で、自分はとんだ道化である。
その運命の悪戯によってか、ユーリはエルヴィンに拾われ…この場所に置かれ、人生は大きく変わった。ユーリは嬉しかった。どんな場所であれ、今までいた暗い場所から抜け出せたことが。
自分の未来はきっと幸先が良いと期待した。はるか昔…どこかで聞いたおとぎ話。哀れでいじめられて過ごす少女の元に、本当の父親が迎えにきてくれる話。
「それから二人は、幸せに…ずっとずっと幸せに、一緒に暮らしました………」
そんな結びの言葉だけが耳に残っている。そんなことを、僅かながら期待していた。
だが、新しく至った場所には至った場所の辛さや悲しさがある。
美しい父親は暴力や暴言を一度として行使したことがなかったが、その反面決してユーリに心を許そうとはしなかった。
ユーリにはそれが寂しかった。そして…ユーリの目には、エルヴィンという男性自体も、常に色濃い寂しさを内包しているように思えて仕方がなかった。
エルヴィンだけではない。ここにいる大勢の人たち……優しくて、善良がすぎるほどで、いつもユーリを心配してくれる人たち……彼らの胸にも、きっと形は違えど悲しさや寂しさが宿っている。
「どこに行っても、悲しさは無くならない………」
辛いことや悲しいことに大小はない。みんな辛くて、悲しくて、孤独だ。
ミケ……彼の行為も、きっと如何にもならない寂しさが原因なのだろう。
(きっと、私じゃなくても良かったんだよ。)
胸の奥に漆喰のひび割れのように乾いた亀裂が入る気配がした。ユーリは頭を振って、ゆっくりと起き上がる。
(でも、私は…貴方が良いんだよ。今ならはっきりとそう、思えるんだよ。)
膝を抱えて、ユーリは先日……胸の内の想いを伝えた上官のことを思い描く。
雨の中で行き倒れたときもそうだった。彼のことを考えて…言葉や声を思い出して、触れてもらった記憶を懸命に繋ぎとめようとして……気が付いたら、帰っていた。
「結局………また、運命の檻の中に逆戻りかあ。」
窓の外は、すでに日が落ちていた。ユーリはすうと息を吸い込み、ゆっくりと吐く。辺りは静かだった。ユーリは誰かに会いたいなあ、となんとなく考える。
(違うなあ、誰かじゃないよね。)
「ミケさんに会いたいなあ。」
声にして呟くのと同時に、彼女の部屋の扉が数回ノックされる。返事を待たずに開かれた扉の向こうには随分と背が高い男性がこちらを伺うようにして立っていた。
ユーリは力なく笑って彼を迎える。
「やだ…これも運命?」
そう呟かれた彼女の言葉を聞いて、ミケは僅かに怪訝な顔をしてみせた。
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