◇揶揄
「ミケさんミケさん」
ノックと共に、聞き慣れた声がミケを呼ぶ。………返事を待たないでドアを開けてくるこの性質はどうにかならないのかと、彼はぼんやりと考えるが……部屋に入ってきた当の本人はおかまい無しとばかりに、ミケの方へと距離を詰めてくる。
「あ、仕事中でしたか。これはどうもすみません。」
そうして今更の気遣いである。ミケはしばし口を閉ざすが……もう、言っても直るものでは無いと半ば諦めているのか「いや、構わない」とだけ呟いた。
「それに、呼び出したのは俺だからな」
「それもそうですねえ。」
「……………。」
フォローの為に言ってやった言葉も得に意に介した様子なく、ユーリはいつものへらへらとした笑顔を振りまく。どこかで教育を間違ったか、とミケは些かしょっぱい気持ちになった。
(だが……良いのだろう。)
且つての彼女の姿を思い浮かべる。……あの時よりは、あの時の哀れな姿よりはきっとずっと、良いのだろう。
「大変そうですね、仕事。」
にこにこと上機嫌な様子でユーリはミケが向かう机に肘をついて零す。彼が取りかかる仕事の内容を確かめて、「おお、相変わらず地味で堅実な作業」と褒めてるのか貶しているのかよく分からないコメントを吐くので…ミケは軽くその頭を小突いた。
どういう訳かユーリは嬉しそうにそれを甘受した。
(………懐かれてるな。)
相変わらずな反応に、ミケはどうにも複雑な心持ちになる。このふざけた態度を叱ったほうが良いのだろうという当たり前の上官としての義務を考えるが……ユーリは仕事ぶりだけは優秀なので、なんとも言い難い。
(それに……別に、不快という訳でも)
むしろ、恐らく
「なんなら手伝いますよ。」
ユーリはミケの手元から、彼の顔へと視線を移す。長い前髪の間から、僅かに蒼い瞳の色がちらつく。
…………近い。と一言零すと、彼女は「すみません」と素直に彼から身体を遠ざける。どういう訳か、その行為はミケを少しだけ残念な気持ちにさせた。
「お前に……手伝えるのか。」
「………どういう意味です」
「すぐ別のことに気が移るだろう。いつまで経っても落ち着きがない」
「それはもう……近くに愛しい愛しいミケさんがいるから気が散って散って仕様が無くてですねえ」
「………別室を用意させよう」
「おやぁ、今日のミケさん中々意地悪ですね!」
サディストな気分の日なんですか?といけしゃあしゃあとした応えがなされる。………今度は小突くのではなく、割と本気でその頭にグーパンを食らわす。「おお痛い」とあまり痛くなさそうな返答が。
「まあ…手伝われるほどじゃない。」
「そうですか。でも二人でやったほうがきっと早く終りますよ」
「お前がちょっかいを出してこなければな」
「出さない出さない。信じて下さい。」
「ごめん信じられない」
「あらっ今日のミケさんたらほんと意地悪!秒給200というお値打ち価格でお手伝いしてあげようと思ってたのに!」
「金取るのか!?あとそれ高くない?あと秒給ってなに?初めて聞いたよ??」
「もー、一気に突っ込まないで下さいよ。ミケさんたらせっかちさん」
……………ミケの愛情深いパンチが今一度ユーリの側頭部になされる。中々良い音がしたところを思うと、彼女の脳みそは限りなく空っぽにい近いのだろう。
「あいたた……ほんとすみません……」
流石に懲りたらしいユーリは今更な謝礼を述べながら、ミケの手元にあった書類を取り上げる。
「んもう、冗談ですよ……本当は時給400です」
「だからそれ高くない??」
流石に学習したらしく、ユーリは分厚い書類で頭を守る。しかしがら空きだった腹を小突かれてしまったので、「えふぅ」という気の抜けた声と共に患部を抑えて踞った。
*
「なんかねえ。新兵の間で噂になってるんですよ。」
「ほう……?」
大人しく(結局無償で)仕事を手伝い出したユーリがミケに話かける。彼はひとつ相槌を打ちつつ、修正して欲しい書類を一枚彼女へと手渡した。
「私とミケさんが似てるって。」
「ふむ。」
「この前なんて、『親子なんですか?』って聞かれちゃいましたよ」
「おやっ!??」
「どこがそんなに似てるんですかね。」
「……………。前髪の長さか?」
良い加減、切ったらどうだ。とミケはユーリの方をちらと見た。……目が合う。彼女はなんだか楽しそうに笑い返してきた。
「んんー、やですね。これ私のチャームポイントなので。」
ユーリは自身の前髪を、くるくると指でいじった。……一瞬、普段隠れている彼女の顔が露になった。が、すぐに自前の長い前髪に隠される。
「別に……大してかわいくないぞ。」
とミケが述べると、ユーリは「ははあ」と意地悪そうに薄い唇の口角を上げた。
「それはどうもありがとうございます。では1200秒で6000ほど請求させて頂きます。」
「秒給に戻ってる!?」
………仕様が無い銭ゲバめ。とミケは頭を抱えたくなる。
ユーリはその様をおかしそうに眺めながら、「なんなら愛情で払って頂いても構いませんよー」と両腕を広げてみせる。が………それをミケは無視した。
「まあ……仕事も捗った。もう手伝わなくて構わない」
「はいはい。」
にっと笑いながら、ユーリは出来上がった書類をミケに渡す。
「では、ミケ分隊長のご用件を聞きましょうか。」
そうして芝居がかった口調でミケに言葉を促す。「はあ…」と彼はもうとくにその相手をしようとはせず、本題に入ることにした。
「ユーリ。お前、班を移動する気はないか。」
しかし、ミケが次に口にした言葉を聞いた途端、ユーリの顔から笑顔が消える。そうして「……え」と小さな呟き。
「……例の、巨人の少年に関する特別班が組まれるらしい。それに「それは…嫌です」
彼の言葉を遮って、ユーリは言った。珍しく、その声色に切羽詰まるものがあった。…ミケはひとつ溜め息を吐き、「いや…落ち着いて聞け」と零した。
「なにも俺がお前を必要なく思っている訳ではない。」
ミケは椅子から立ち上がり、彼女の元に歩を進める。ユーリは金色の前髪の隙間から、じっと彼のことを眺めていた。瞳はほとんど隠れているというのに、その視線の鋭さを刺さるように感じる。
「……リヴァイからの指名だ。」
「でも、私…ミケさんの傍が良いです。」
……いつもとは違い、聞き分けが無かった。ユーリは命令には基本的に従順だ。それが、エルヴィンと彼女との約束だから……
「ユーリ。」
ミケはユーリの双肩に掌を置く。二人の視線は近い距離でぴたりと合っていた。
「お前は今その力を必要とされているんだ。……これは、幸福なことだ。兵士として、人として。」
そうは思わないか。とゆっくり、言い聞かせるようにした。ユーリは未だに納得しかねるらしい。ミケはもう一度溜め息をした。
「安心しろ。……今回の作戦が終了したら、また俺の班に戻れるように手を回そう。」
彼の言葉に、ようやくユーリの顔色が明るくなる。「きっとですね…」と彼女は未だ弱々しく零した。
「ああ……。俺にとってもお前がいなくなるのは痛手だ」
そうだろ、天才≠ニ、ちょっとばかりおかしそうに言ってやれば、途端に彼女は明らかに不機嫌そうになる。
「そのあだ名やめてくださいよ。」
「何故だ。結構なことじゃないか。凡才よりもずっと」
「からかわれて言われてるだけですから………」
そのことはミケも承知している。勿論、わざと言ったまでだ。
「………ユーリ。了承してくれるな。」
今一度、確かめる。ユーリは「また、帰ってきてもいいならば」とようやく笑顔で応えた。
それを聞いてミケは少々安堵する…が、それと同時に一抹の寂しさを覚えた。ので、「ああ……。帰って来い」とだけ零す。
ユーリは一歩後ろを退いて、ミケの掌中から逃れる。そうしてきっちりと敬礼してみせながら、「はい!」と元気の良い返事をしてみせた。
「それとあともうひとつ……」
部屋から立ち去ろうとしていたユーリの背中へと、ミケは呟くように言った。彼女は立ち止まって、首だけ動かしてミケの方を見る。
「………俺はお前の親じゃない。」
彼はユーリとの距離をゆっくりとと詰めながら言った。自分でも、何故今更これを蒸し返したのかよく分からなかった。……いや、本当はとてもよく分かっているのだろうが。
事実、それほどに彼らの年は隔たっていた。気にしていないと言われれば嘘になるだろう。
「…………。」
ユーリはしばしきょとんとした顔でミケの方を見ていたが、やがて彼の心持ちを汲み取ったのか、「知ってますよ」と穏やかに言った。
やがて彼女は身体ごと愛しい人へと向けて、ごく近くまでやってくる。それを捕まえるように、ミケはそっとユーリを抱き留めた。
「私はミケさんがミケさんだから好きなんですよ。」
だからそういうこと、心配しないでくださいね。嬉しそうにぎゅっと抱き返した彼女は言う。それが無性に嬉しかったので、ミケもまた彼女に回す腕の力を強めた。
「あはは…ちょっと、くすぐったいですよ。」
首筋に顔を埋めてやると、ミケの髭を感じたユーリがおかしそうに言う。彼女の首筋は淡い石鹸の香りがした。……けれど、それの奥底には微かにいつかのあれと変わらない臭いが漂う。未だ、この少女はあのような。むしろ昔よりもっと辛苦な道を。
それを知っているから、ミケは切なかった。抱き締める力を強めれば、ユーリの弱い鼓動を感じる。それをひとつずつ確かめながら、彼はそっと瞼を閉じた。
*
(……………………。)
扉の外では、エルヴィンが腕を組んで壁にもたれていた。彼はユーリに用事があった。探して、恐らくここだろうと思って辿り着けば案の定。
無論、彼らの行為や会話を聞くつもりは無かったし、引き返しても良かった。だが……
暫時して、ユーリがミケの部屋から出てくる。後ろを振り返って、最後の別れを惜しんでから………外にエルヴィンを発見して少々、驚いたような。
扉を閉めて、無言で自身を指で示す。用事は、私にあるのですか。と問うている。エルヴィンもまた声を発さずに頷いた。
エルヴィンが歩き出すので、ユーリは少し間を置いてからそれに続いた。
長い廊下の突き当たりには大きな鏡がある。それに映る彼ら二人の髪色は似通っていた。ユーリが成長するにつれ、それはますます顕著になる。
二人の間には随分距離があった。まるで無関係のように歩いた。エルヴィンが自室へと入る。ユーリは別の部屋に入り、念のため数分ほど時間を潰したあと……周りに誰もいないのを確かめてから、父親が待つその部屋へと足を踏み入れた。
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